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【カザフスタンへ】

8月31日(日)  ウルムチ        晴れ

 

 ウルムチ発アルマトイ行きの国際列車に乗り、いよいよカザフスタン入りする日がやって来た。

 アルマトイ行き13次特快。僕は長い間、この列車に乗ることを夢見てきた。ウルムチ-アルマトイの国際列車が開通したのは1992年6月20日のことだが、テレビで報道されてこのかた、「いつかあの列車に乗ってやろう」という思いを、ずっと抱いていたような気がする。国境を越えて走る列車というのは、どこであれ興味をそそるが、それは我が国にそういう列車の存在がなく、また存在することが不可能だからなのかもしれない。海に囲まれている国へ、鉄道で入国することはできない。

しかし、いざ乗るとなると、何となく不安と緊張が募る。列車への不安ではない。知らない国へ行くことへの、漠然とした不安である。

 

思い返すに付け、中国では、暑いこと、なれない食事、圧倒される雰囲気、ひどい衛生、絶えない緊張感など、たいへんな日々であった半面、楽しいことも数多くあった。はじめは人民の活力に圧倒されっぱなしの中国だったが、1ヶ月に及ぶ滞在を通して、中国との接し方を覚えてきたように思う。ユウコの会話能力は確実に上達した。僕も簡体字を読めるようになった。中国では口が立たなくても筆談でなんとかなる。これも経験で覚えた。「もう少し滞在すれば、もっと中国に馴れることができる。もっと言葉を理解することができる。もっと上手に旅をこなすことができる。その結果、もっと旅が楽しくなる」という手応えを感じていた。まだまだ分からないことはたくさんあるが、「分からないなりにも、なんとかなる」ということは分かってきた。

出発から1ヶ月になる。8月も終わり、ようやく見えてきた「中国」を去り、我々にとって未知の世界である「中央アジア」に入るときが来た。ゼロから始まり、失敗もトラブルもあった中国で、「ここまでやって来た」という自信と、「もう少し中国を旅したい」という欲を、我々は捨てようとしている。そして、中央アジアという、日本でも情報量の少ない、よく分からない国々へ、いうなれば、再びゼロからの出発を始めようとしている。新たな土地への不安と、既に知る土地への未練が入り交じった複雑な思いが、いまの僕にはある。中国も「大好き」ではないが、勝手を知った今では、「もう少し中国を残って旅をしたい」という消極的な心持ちになる。

しかし、このまま中国に居続ければ、我々の旅の夢は終わる。そのとき、我々の将来性も止まってしまうような気がする。頭の中で誰かが僕に話しかける。「もっと中国にいたい? それは、逃げだ。つまり、おまえはここまでの人間なのだ」「けっきょく、情報が少ない国に行くのが怖いのか」「おまえはそうやって直前になって逃げ出してしまい、のちのち中央アジアを旅した人たちの話を聞くたび後悔の念にとらわれるのだ。そのていどの男なのだ」。

いや、そうではない。我々の旅は、決して中国だけでは終わらない。ユウコとともに、中央アジアからイランへと抜け、ヨーロッパへと向かうのだ。

 

 列車はロシア型の車両である。中国には不似合いなくらい静かな車内の乗客は半分以上がロシア人あるいはカザフ人というべきか、とにかく漢人ではない。我々は4人部屋のコンパートメントに入り、中国人オバサン2人組と相部屋になった。23時発の、深夜の汽車。ウイグル人の義母と涙ながらにらに別れる金髪ロシア人のお母さん。娘2人は東洋的な顔をしている。祖母はウルムチに。娘と孫娘はアルマトイに。今度会えるのはいつの日か。

 

【カザフスタンへ2】

9月1日(月)   車中    晴れ    カザフスタン入国

 

 8:40、阿拉山口に到着。駅舎には赤い国旗がはためき、プラットホームには直立の公安が立っている。いよいよ中国を出る。荷物チェックが厳しく、僕のザックの中身は、「チーズの話」から保健用品まで、ほぼすべて見せられた。

 チェックそのものより、待つ時間の方がはるかに長い。

11時、パスポートが帰ってくる。列車が動き出した。5分ほど走る。辺境の荒涼とした風景の中で止まる。税関申告書が配られてくる。これはロシアのと同じ物であり、というよりロシアのものを流用しているのだろうが、中国語とロシア語の表記しかないので分からない。こういう書類には難しい単語が書いてあることが多く、ユウコも苦戦している。相部屋のおばさん2人はすらすらと書いている。化粧の濃い方のオバチャンはカザフ慣れしているようなので、彼女に声をかけてみた。「書き方を教えてくれませんか?」

この2人のオバチャンは商売人のようだが、化粧の濃い、しかし世話焼きの優しい感じの方は旅慣れた様子である。もう一方の、眼鏡をかけた細身で化粧の薄い、ちょっと貧相な面もちのおばさんは、カザフスタンは初めての様子らしく、旅慣れた方のオバチャンからいろいろと話を聞いている。

 

 11時半過ぎ、パスポートコントロールがやってきた。コンパートメントの扉ががらりと開き、小柄な女性が立つ。事務的な口調で厳しく言う。「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」。続けて「ファミーリヤ、パジャールスタ(お名前を、どうぞ)」。いよいよロシア語圏に入ったのだということを実感する瞬間である。

まず2人の中国オバチャンが名乗り、そして我々2人が名乗る。コントロールの女性は英語も分かるので、我々は荷物の数などを聞かれる。我々とは違い、旅慣れた方のオバチャンはロシア語がペラペラで、役人たちに愛想を振りまくばかりか、我々の手助けもしてくれた。おかげで助かったのだが、彼女は我々のことを「仕事の仲間で一緒にアルマトイに行く」というようなことをロシア語で説明していた。さきほどから我々に対して妙に親切なのは、たぶん商人として要らぬ詮索を受けないように自らを防衛するためであろう。ヘタに我々が厄介ごとを起こしては、自分たちに火の粉が降りかかるかもしれない、という計算である。

それはそうと、彼女たちは手持ちの荷物を「3つ」と申告していた。そのうちの一つは、床に置いてある青いポリバケツである。中にはタマゴが詰まっており、上にはタオルがかぶせてある。残りの2つは、ベッド下の収納と、上段ベッド脇の荷物棚に入っていた。後者2つはともかく、このタマゴはいったいなんだろう。まさかタマゴだけを売りに国境を越えてはるばる旅行するわけではあるまいに・・・。「タマゴの下には『金の卵』が入っているに違いないね」と、ユウコと笑う。

 午後1時半ごろ、再び列車が動き出し、ほどなくドルジバ駅に着いた。

 

 ここで列車は車輪交換のため操車場に入る。その間は車内で待っていても良いが、トイレに鍵がかけられているので、それだけが問題である。トイレは阿拉山口以来、使用禁止になっている。車内にいてもつまらないし、駅の周りには何か面白いものがあるだろうという期待もあって、我々は列車を降りた。ほどなく、車両は操車場へ向かっていく。

 

 駅の周りは、日本でも連想されるような田舎町である。アスファルトの通り。平屋の住宅。なんでもないところだが、不思議と良く整備されているに見える。先入観もあって「これがロシア的なのかな」と思うが(カザフスタンにいることは承知しているがロシア的である)、それでもどこか日本の見知らぬ無人駅に降りた感もある。なにより、駅前の道が清潔であった。中国にはあり得ないことだ。

しかし、なにもない。駅には両替所があると聞いていたが、それもない。いや、両替所らしいものはあったが、長いこと営業していないようである。駅の横に喫茶店があった。幸い中国元が使えるというので、そこでビールを飲んだり茶を飲んだりしてすごす。やることはこれぐらいしかない。ウルムチで3元だったビールが8元になった。茶はポットで3元。値段が跳ね上がっている。

 

 時刻表では現地時間で17時30分の出発であるが、列車は何時にやって来るのかわからない。日差しが強く、駅の木陰で座って待つ。水場があったので、駅の作業員のまねをしてそこで顔や手を洗う。

列車がやってきた。が、ちょっと雰囲気が違う。やれやれち乗り込むが、どこか違和感を感じる。通路できょろきょろしていると、目の前の若いロシア人に声をかけられた。「これはウルムチ行きだよ」。「逆戻りだ!」と、あわてて降りる。もはや中国ビザがないから戻ることはできないが、ふと「あれに乗って行ったらどうなるだろう。頼み込めば中国に再入国できるかな。それはそれで面白いかもしれないぞ・・・」と、後ろ向きな考えが再燃した。まだ不安が消えないのだ。

 

 列車は少々遅れて18時の出発。まだ日は高い。列車はしばらく北西に進路を取り、アクトガイという街でほぼ直角に進路を変え、今度は南西に進む。地図によると、アクトガイ以降では進行方向の右手にバルハシ湖が見えてくるはずだが、通るのは夜中なので見ることはできない。それを残念に思っていると、通路に出ていたメガネのおばちゃんが「景色がきれいよ」と、はにかむ様子で声をかけてきた。出てみると平原の向こうに水面が見える。やがてそれがだんだんと近づいてきて、ついには線路のすぐそばまで水が迫ってきた。窓を開ければ水面に飛び込めそうなくらいだ。水はどこまでも続いている。地図で確認すると、これはアラクリ湖らしい。

水が近いと海産物がある。この辺りのある駅で停車したとき、ふと昇降口から顔を出すと、身を開いて干物にしたサカナを売っているおばちゃん達が群がってきた。僕を客と見てとったらしいが、僕には買う気がない。すると横で見ていた車掌がロシア語で話しかけてきた。「マサト、サカナ買わないか、うまいぞ」。「僕はテンゲを持ってないよ」。「だったらダラリ(ドル)でもいい。1ドルでどうだ」「高いよ」「だったら、食堂車に行けばいいよ。あそこにはテンゲがあるから、両替してくれるぞ。なあ?」車掌は、ぐうぜん通りがかった厨房の職員に首を向けたが、割烹着の男は「金はねぇよ」と不愛想に答えた。

ユウコによれば、僕は自分の車両を担当している2人の車掌に気に入られているらしい。たしかに、通路ですれ違うたびに彼らは「マサト!」と声をかけてくる。はじめのパスポートチェックの時に「マカト?マサト?」と聞かれたが、あれ以来、僕の名前が印象に残ったのだろうか。「なんであなただけ名前を覚えられてるんだろ。名前の響きが珍しいのかな」と、ちょっと面白くない様子でユウコが言う。「うらやましいの?」僕がちゃかすと、「そりゃあ。だって、名前を覚えられたら嬉しいじゃんか。私も『ユーコ!』と呼ばれたいもん」。

 

 コンパートメントの車窓、左前方に夕日が見える。列車はそれを追いかけるように走る。辺りは平原で、陽の光を遮る物はない。夕焼けが広がっていた。美しかった。夕日は、ゆっくりと、ゆっくりと高度を下げ、やがて地平線に消えた。

 明日の朝にはアルマトイに到着する。