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915日(火)カラコル(雨のち曇り) → ビシュケク(晴れ)

 

 クレジットカードの〆が15日で、引き落としは翌月10日である。つまり、10日から14日の間にお金をおろすのがもっとも効率的なのだが、今月はスケジュール上、かなわなかった。

 

【ビシュケクへ戻るバスの中で:サムとエレーナ】

8時半、カラコルのバスターミナルでビシュケク行きのミニバスに乗り込む。またも一番客であった。しかし例によって出発は10時過ぎだった。

我々が出発を待っていると、2人の白人旅行者が乗り込んできた。「ビシュケク行きかい?」と英語で聞いてくる。

彼らもビシュケクに戻るのだという。1人は女性でイングランドの出身、名前はエレーナ。もう1人は男性でニュージーランドの出身。背が高く、カウボーイハットがよく似合う彼は、サムと名乗った。我々が日本人だと知ると喜び、話が盛り上がった。彼ら2人は台湾で英語教師として働いていたときに知り合い、その後2人で旅に出たという。昨年9月からというから、もう1年を過ぎたことになる。1年も旅行しているとあっては装備もしっかりしており、彼らは防寒対策のアウトドアコートを着ていた。「良いの着てるね。僕はこんなに寒いとは思わなかったよ」と僕が言うと、エレーナが「寒いわよ! 私たちは昨日までアルティン・アラシャンという山小屋に泊まったのだけど、温泉があるから楽しみにしていたのに、お湯が出ないの! そして、昨日の朝は雪が積もっていたわ! サムの帽子にも雪が積もって、モウ大変!!」と、感情豊かにしゃべる。

天気の話になったところで、「僕たちは天気予報の会社に勤めていたんですよ」と話す。するとエレーナは「あら、じゃあ、あなたTVに出るわけ? 『今日の天気は・・・』とか?」と言って笑う。「いえいえ、僕は裏方です」と答えると、また笑った。英語の教師をしていたというだけあって、エレーナもサムも話好きだし、台湾で、つまり東洋人相手に仕事をしていたせいか、我々の下手な英語も真摯に聞いてくれる。その2人はカラコルでHotel Stadionに泊まったと言う。我々はそれに驚き、過日の顛末を話すと、今度は2人が驚いた。「あら! あそこはお湯が出るシャワーもあるし、水場もあるし、トイレもホテルの中にあるわよ」とエレーナ。サムも「君たちは勘違いをしたのではないかな」と言う。

 エレーナはさらに楽しく話をする。「あなた、クミズ飲んだことある?」

クミズとは馬乳酒の類だが、我々はまだお目にかかっていない。彼女の話では、ビシュケクからイシククル湖の西岸を経て更に南に行くと、ソン・キョルという標高3530mの湖がある。彼ら2人はそこで地元民のユルタに泊まったと言う。非常に自然の美しい、良いところだそうで、ロンプラを改めて読むと確かにその旨が書いてあるのだが、やはり英語の本はこういうところを読み過ごしがちである。それはそうと、そのユルタに泊まった際、クミズをたらふく飲まされ、辟易したのだそうだ。「ことわろうにも、ことわれないのよ。つがれて飲まないでいると、『さあさあ』とせかすし。頑張って飲み干すと『まあまあ』とついでくる。『おねがい。もう止めて!』って言いたかったわ!」

 

 サムは旅行に関する情報をいろいろと提供してくれた。まず、僕が手にするロンプラを見て、「これ、あまり良くないよね。情報も古いし、文章も読みにくい」と評する。さらに「中央アジアに関する日本語のガイドは出ていないのかい?」と僕に問う。このロンプラは95年の出版だから、たしかに古い情報が多い。独立後の激しい変化を続ける中央アジア情勢に追いついていないことは僕も気づいていた。しかし、「中央アジアを旅行する日本人にとっては、これがベストです」と答えると、サムも「ならば、しかたないなァ」と肩をすくめた。

 彼の評が続く。「中央アジアは良い国々だけれども、物価が高いのが難点だ」。そこで彼に「日本に行ったことがある?」と聞くと、意外にも「ある」という答えが返ってきた。「新幹線にも乗ったよ。ありゃあ、いいね。綺麗だし」。そこで「でも、高いでしょ」と聞くと、「そうだね。東京から京都までドル150するからね・・・だけど、あれは良いねェ」と、旨い物でも食べたような、うっとりするような目で語るのだった。

 

 彼ら2人は、我々がウルムチから鉄道でアルマトイに入ったことに興味を覚え、こう尋ねてきた。「国境で13時間もトイレに入れないって、本当?」その話はロンプラにも書いてあるのだが、我々と逆方向、つまりアルマトイ→ウルムチの場合は、国境ドルジバでの車輪交換による行き違いの都合でそれぐらいになるらしい。しかし我々の場合はせいぜい8時間程度だったし、「鉄道のトイレは全部閉鎖されていたけど、車輪交換の間は駅に降りられたから、困らなかった」と答えた。

 

2人はビシュケクに戻ったあと、南下してオシに行き、そこからウズベキスタンに入り、フェルガナ盆地を経てウズベクの主要都市を見たあとトルクメン経由でイランに行くという。我々もイランに行くつもりなのだが、まだVISAを取っていない。彼らはVISAをどうするのだろうか。「カザフスタンの大使館では取れなかったんだ。だからトルクメンで取るのが良いんだろうか」と聞くと、サムは「いや、トルクメンでも厳しいと思うよ。それより、イランのVISAは、トランジットでかまわないならビシュケクで簡単に取れるよ」と答える。この意外な解答に、僕は思わずポカンと口を開け声を失ってしまった。「ビシュケクで?イランのビザが?」サムが言うことには、彼ら2人はすでに申請をしているところであり、このたびビシュケクに戻ると、晴れてビザが獲得できるというのである。これは良い話を聞いたものだ。ビシュケクに着いたら、さっそく大使館に行ってみよう。

 

 バスが走る。

山の白と、湖の青。雨上がりの晴れ渡る青空に、もったいないぐらいに映える!

 

昼飯は街道沿いの露店街で簡単にすます。売り子のサモサがうまそうなので1つずつ買ってみた。また、串焼きの臭いに惹かれ1本買ったのだが、これが10スムとはどうにもぼられたような気がする。

 

 車中、我々が日本人だと知ってか隣のおばちゃんが声をかけてきた。「日本の製品はなんでもハラショーだ。車もテレビも素晴らしい。我が家のテレビは日本製なのよ」。僕がふんふんとうなずいていると、エレーナがおかしそうに「あなた、ロシア語が分かるの?」と笑った。

 車内はすきま風もあって寒い。隣のオバチャンはビシュケクに着くちょっと前で降りたが、そのとき我々に「ここはドゥンガン人の多い町なのよ」と教えてくれた。町の名はトクパク、あるいはトクマクというらしいが、ドゥンガン人とは何だろう、と思ってガイドを見ると、どうも中国人ムスリムのことで、つまり回族のことではないかと思うが、要するに19世紀末に中国からカザフ・キルギスに流れてきたイスラム教徒のことを言うらしい。

 

【ビシュケクに到着する】

 ビシュケクには午後3時頃着いた。町のある通りで白人2人が「ここで降りる」と言う。そこは我々も見覚えのある繁華街だったので一緒に降りた。彼らはどこに泊まるのだろうと思って聞いてみると「知り合いがいる」との答えが返ってきた。旅慣れた彼らなので、ビシュケクの安宿を知っているかと期待していただけに、この返答は僕を少しばかり落胆させた。するとサムが「君たちは何処へ?」と問い返してきた。我々は、居心地の良く値段も手頃なビジネスセンターへ行くつもりであった。それを言うと、サムは少し安心したように「あそこなら大丈夫だ」と言った。そして、「ビジネスセンターはあっちだから、僕らはここで別れる。この道の先にうまいトルコ料理屋があるよ。そこなら15ドル以下で、腹いっぱいの美味しいディナーを楽しめるよ」と語ってくれた。彼らが去ったあと、「15ドルで腹いっぱいか・・・」と僕が日本語でつぶやくと、ユウコも察したのか、「そうだね」とだけ答えた。「うまい」とはいえ、15ドルは、高い。

 頼りのビジネスセンターを訪れると、先日我々がチェックインしたときと同じオネーサンがフロントにいた。なんとなく心が和むが、そんな我々を意に介さず、無愛想な表情で「今日は満室だ。LUXしかない」という回答が返ってきた。LUXは宿代が2倍になるが、改めて宿探しをするのも面倒だし、どうせ長居はしないのだから、たまにはいいかとLUXに泊まることにした。値段の分だけ、部屋の広さも2倍になり、シャワーとトイレは占有になる。ノーマルでも十分な広さだったのだが、LUXは単純にノーマル2部屋の壁を抜いたのであり、部屋の半分にはノーマルと同じようにベッドが2つ並び、もう半分には床に絨毯が敷かれ、壁際にソファが置かれ、大きなTVが置かれ、冷蔵庫まで置かれ、なんとまあ言うことなしの部屋だ。12人で27ドル程度とはいえ、今の我々にとっては十分高価であり、夜になってゴキブリが出たからと驚いたとて、十分の部屋なのであった。そのTVの天気予報によれば、

 

 カラコル 最低気温0-2℃ 最高気温 1214

 ビシュケク 最低気温57℃ 最高気温 1921