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9月2日(火)   アルマトイ着

 

【アルマトイに降り立つ】

 9時、アルマトイI駅に停車。ここは市のはずれなので、降りる客は少ない。車窓から外を眺めると、プラットホームに警官の姿が見える。

僕の不安と緊張が絶頂に達している。その大きな理由は、治安の問題である。治安が悪いことが問題なのではない。警官が問題なのである。中央アジア諸国では近年、旅行者に対して、街中で、あるいは鉄道駅やバスターミナルで、警官から「職務尋問」の名目であらぬ詮索を受け、難癖を付けられては賄賂を要求される事件が頻発しているという話を聞いていた。言葉の障壁、および、大きなトラブルを避けたいことから、安易にお金を払ってしまう旅行者が(とくに日本人には)多いらしい。警官の中にはニセモノがあったり、あるいはホンモノだったりさまざまだが(むしろホンモノの方が厄介だ、とする意見もある)、いずれにせよ彼らへの対処法は「こちらからの先行挨拶(サラーム・アレイコムと握手の右手)」「絶やさぬ笑顔」「安易に妥協しない姿勢」「断固たる『ノー』の態度」が肝要なのだそうだ。

不当な要求には断固拒否しなければならない。そうは思うが、それが僕にできるだろうか。圧倒されはしないだろうか。いざこざになって連行されはしないだろうか。そう考えていくと、このままカザフスタンの何処にも降りないまま、どこまでも列車が走ってくれたらいいのに、と思う。

しかし、列車は9時45分、終着駅アルマトイII駅に到着した。どうあっても降りなければならない。不安と恐怖とが入り乱れるが、もはや逃げることはできない。

 

 そうはいっても弱腰ではいかん。まずは両替だ。国境のドルジバでできるとガイドブックに書いてあったが、両替できないところか両替所すらなかったので、何より先に両替所を探す。駅の構内にはなく、駅を出てタクシー溜まりのはずれに寂しく1軒、両替所があった。手持ちの中国元をすべてテンゲに替える。100ドル相当の金を両替した。たばこの売店のような両替所なので我々は無防備であり、非常に周囲が気になる。ユウコによれば、後方に1人の男がうろうろしていたらしい。彼女がじっと見つめていると、引き下がったのだそうだ。

 

【宿の客引き】

 ウルムチの博格達賓館で出会った日本人男性Tさんによれば、「アルマトイの駅前にはプライベートルームの客引きがいるから宿には困らない」とのことだった。それで、両替後に再び駅前に戻る。僕は「宿には困らない」と聞いたとき、中国で何度か経験したような、我々めがけて客引きがワンサカ迫ってくるものと想像していた。だが、駅前にはタクシーのおっさん共がたむろする他は、2人のおばあちゃんが立っているだけだった。

1人は背が高く、細身で厚紙にマジックで「НОМЕР」と書いたものを胸の辺りに掲げていた。もう1人はふとっちょで、背は少し低く、彼女も厚紙にマジックで、こちらは「КОМНАТА」と書いたものを持っていた。どちらもロシア系の白人である。厚紙はいずれも「部屋」を意味するところだが、僕は何となく「コムナタ」の方が気に入って、その太ったおばあちゃんにロシア語で声をかけてみた。

 おばあちゃんは、突然声をかけられたことで、はじめは怪訝な顔を示したが、それはロシア人特有の無愛想な表情であろう。値段を聞くと「1部屋500テンゲ」という。さっきの両替では1元が10テンゲほどになっている。中国では1ドル=8元であった。ということは、1ドルがだいたい80テンゲということになる。すると、宿泊費は1泊6ドル少々。1ドル140円と考えると、1泊2人で800円〜900円の勘定になる。悪くない。おばあちゃんを前に、ユウコとしばし相談する。するとタクシーのおっさん共も集まってきて「このばあちゃん()の部屋は良いぞ」などと我々に勧めてくる。

 話を決めるとタクシーで行くことになった。よもやタクシーとばあさんが実はグルで、我々は町外れの隠れ家に閉じこめられ身ぐるみ剥がされ・・・などとも考えるが、もはやあまり気にしないことにする。タクシーはぴかぴかのアウディなので驚いた。良い暮らしぶりではないか。ただ、乗り込む前に値段は決めておく必要がある。300というところを240にまけさせて乗り込んだ(小銭がなかったので、支払いの時に250で妥協した)。

 おばあちゃんは助手席に乗り、僕らは後ろへ。荷物はトランクに詰め込む。おばあちゃんがなにやら渋っている様子で、運ちゃんになにくれとブツブツこのしている。ユウコによると「『中国人は嫌だ』と言っているみたいだね。運転手のオジサンは、彼女をなだめているんじゃないかな。『こいつらは日本人だから大丈夫だ』とかなんとか」。そこで僕も「日本人ですよ」とロシア語で言ってみる。

 駅から家までは思いのほか遠かった。地図を見ないで乗っていたのでどこなのか分からない。が、さきほどカザフスタンホテルが見えたから、かなり南に位置しているに違いない。30分ほどで着いた。

 

【バーバリャーナとナーディヤの家】

 おばあちゃんの家は3階建てアパートの2階にあった。家に入ると若い娘が出迎えてくれた。玄関でおばあちゃんは靴を脱ぎ、室内履きに履き替えた。「ここで我々も靴を脱ぐべきか、どうか」と悩むが、おばあちゃんは既に玄関を入ってすぐ左の部屋に僕らを招き入れる。土足で入るには失礼に感じるほど、廊下が清潔であったが、そのまま御邪魔することにした。

 そこは客間であった。10畳ほどだろうか。部屋の入り口の対面がベランダになっている。左右の壁面はすべて、作りつけの木調戸棚となっており、食器や本が並んでいる。が、多くは扉に閉ざされ、中は見えない。右奥に衣装棚があった。入り口側の壁には長いソファがある。このソファは背もたれを倒してベッドになるらしく「あとで直してあげるから」とおばあちゃんが言う。ソファのある壁には見事な絨毯が掛かっている。床にも重厚な絨毯が敷かれている。たいしたものだ。

 部屋の真ん中に、おしゃれなカバーのついた照明が天井から下げられている。その下には、やや小さめの丸テーブルが1つ、白いテーブルクロスが掛かっている。

 おばあちゃんは自分を指さし「バーバリャーナ」と名乗った。リャーナばあさん。先ほどの娘はナーディヤ。アルマトイのInstituteの学生なのだそうだ。

 バーバリャーナは「チャイ、ナーダ? ニェナーダ?(お茶、いる? いらない?)」と何度も聞いて、我々がおたおたしていると姿を消し、やがてヤカン一杯のお茶と、パンを持ってきてくれた。

 

 我々がロシア語をほとんど話せないことはすでに判明しているのだが、バーバリャーナはロシア語しか話せない。そこで彼女は、小さい子に言い聞かせるように、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。部屋は1日500テンゲ。いつまで泊まるのか? 毎日、その日の宿泊代を払ってちょうだいね。トイレはあっち。シャワーからはお湯も出るよ。夜11時を過ぎると電気代が高くなるから気をつけてちょうだいね。

 お茶とパンを持ってきてくれたところで1つの疑問がわいた。この人は、我々に食事を作ってくれるのだろうか。それは料金に含まれているのだろうか。それとも、別料金を払うことによって何か作ってくれるのだろうか。会話帳を片手にそのことを聞いてみると、バーバリャーナはユウコに向かって「あなたが作るのよ! ちょっといらっしゃい」と言い放ち、ユウコを奥の台所に連れて行った。ほどなくしてユウコが1人で戻ってくる。「近所にバザールがあるみたい。台所の窓から説明されたんだけど、よく分からないんだよね」。というわけで、僕も台所に行ってみる。

玄関から正面に廊下が延び、廊下の左は今の客間で、右にはトイレとシャワーがある。廊下の先に、磨りガラスの入った簡単な扉があり、扉の右奥がキッチンになっていた。左奥には客間より少し狭い8畳ほどの部屋があった。これが居間ということになろうか。

 台所の窓は北向きについているから、市の中心部に面していることになる。外を望むと、辺りは緑豊かな住宅地であった。目線の先に、造りかけなのか壊れたのか判断の付かない、競技場らしい建物が見える。そのもとにバザールがある、と言っているような気がする。歩けば10分ぐらいだという。もっと近所の、バザールとは反対方向にはちょっとしたお店(マガジーン)もあるのだが、そっちはやや高い。「バザールに行けば何でも買えるよ。お肉、野菜、塩、香辛料。ビールもワインも」。

 

OVIR】

ひととおり説明を受けたところで、街への散策に出る。もう正午を回っていたが、今日の課題は2つある。

まず、外人登録のためにOVIRへ行かねばならない。カザフスタンに滞在する全ての外国人は、入国から72時間以内に「外人登録」を受ける必要がある。普通の観光客が普通の観光ホテルに泊まる場合、手続きはホテルで自動的にやってくれる。しかし、今や一般人の住居に滞在することになった我々の場合、自力でそれをする必要がある。OVIRの場所はロンプラに書いてあるので、それを頼りに行けばよい。

もう1つの課題は、ウズベキスタンのビザを取ることだ。中央アジア4カ国のビザに関しては、出発前にカンテングリ社にInvitation Letterの作成依頼をしている。Invitationがあれば日本でも容易にビザが取れる。じっさい、カザフとキルギスのビザは、カンテングリからのInvitationを利用して日本で取得した。トルクメニスタンに関しては日本に大使館がないので、Invitationだけもらっておいて、これはウズベキスタンのタシケントにあるトルクメン大使館で利用するつもりだ。しかしウズベキスタンのInvitationに関しては、カンテングリ社から「発行できない」との知らせが入っていた。ウズベキスタン入国の直前でないと、Invitationは発行できないというのである。そこで、僕はあらかじめウズベキスタンの入国予定日と、アルマトイへの到着予定日を知らせておいた。我々がアルマトイに到着次第カンテングリ社を訪れ、その場でInvitationを受け取り、アルマトイのウズベク大使館にビザを申請しに行く。これが僕の思い描いた段取りであった。

それらの、いわば今日の「仕事」に先立ち、街の地図を買いに本屋へ立ち寄る。山の地図、カザフ全図、いろいろあるが、どれも高い。市街図だけ買った。ユウコは英露のポケット辞書を買う。

OVIRは街中にあり、すぐに見つかった。が、入り口は閉ざされ、ロシア系と思われる数人のオバチャンが並んでいる。看板のロシア語を解読すると、オフィスは14時半からの再開らしい。いまは14時過ぎなので、我々も並んで待つ。おばちゃんに話しかけられたりして、なんだかおかしい。列は少しずつ人が増え、10人ぐらいになった。

入り口が開いた。中に入って僕は面食らってしまった。中は、まさしく事務所というか役所というか、窓口があって廊下があって、向こうにも別の窓口があって、一体どこに何を聞けばいいのか分からない。おまけに表記は全てロシア語で、しかも手書きが多いので解読は不可能に近い。しかし、並んでいた人々は自分の目指す窓口に向けて素早く移動し、ぬかりはない。

困ったことになった。ものを聞こうにも、誰に聞くのか。何と聞くのか。さっぱり見当がつかないのだ。入り口に一番近い窓口にパスポートを差し出し「レジストラーッツィヤ(外人登録です)」と連呼すると、「8番へ行け」というようなことを言われる。そこで8番窓口を探す。廊下を進み、突き当たり手前左のドアを入ると少し広い待合い風の場所に出る。入って右手、入り口から影に当たるところに窓口があった。しかし、閉ざされている。反対側の7番は開いているが、こちらはどうやらパスポート受け取りという感じである。とすると、8番窓口は申請口になるのだろうか。窓口横の壁に、藁半紙の記入表みたいなものが貼ってある。何を書けばいいのか分からないが、あとから来た人はしばしそこの紙の文面を読むと、「ああそうか」という表情をして表の記入欄に何かを 恐らく自分の名前とパスポート番号を- 記入して去っていく。その記入表の注意書きから察するに、これは予約表みたいなもので、今日(9/2)記入した人は明後日(9/4)申請に来なさい、とかなんとか、そんな感じ・・・のように見受けられる。しかし真相は分からない。

「困ったなあ」。僕はつぶやいた。「誰かに聞いてみようか」。ユウコが言う。しかし誰に聞けばよいのか。ユウコはもちろん、僕だってろくにロシア語を話せるわけではないのだ。「外人登録をしたいのですが、どの窓口に行けばよいのでしょうか?」 これをロシア語で何と言えばよいのか。考えればいいのだが、焦るばかりで何もできない。

そこで再びはじめの窓口に戻る。しかし、「あのぅ・・・」と声を出す間もなく、「8番よ!!」と窓口のおばさんは怒鳴った。我々は立つ瀬がない。

もういちど8番窓口に行ってみる。すると、受付の窓口自体は閉まっているが、その脇にある窓口スタッフ用の出入口の扉が、わずかな隙間を作っていた。中には人もいる気配がある。スタッフが事務処理をしているのだろう。けれども、この扉が関係者以外立入禁止であることは容易に察しがついた。もちろん、中の人にものを尋ねるのは、我々としては解決手段の一つではあったが・・・僕には、この扉を開ける度胸はなかった。開けてはいけないのだ。中からは融通の利かない役人が出てくるのは目に見えている。

ところがユウコはおもむろに一歩前へ出て、その扉を押した。僕は唖然としてしまった。扉はスーッと開き、今や部屋の全貌が我々にも明らかになった。部屋の真ん中に事務机が3つ4つ寄せられ、机の上は書類が積まれ、3・4人の女性スタッフが対面するように座り、彼らの目の前、つまり机上にはパスポートの山がある。スタッフはみなロシア人系の白人女性である。時が止まった。彼女らはまず、合図もなく開いた扉に少々驚いたらしい。そして、仲間が入ってきたのかというような、普段通りの表情を見せかける。しかし目に入ったのが我々東洋人であると気づき、一瞬のとまどいが走る。そして次の瞬間・・・

「ドアを閉めろ! 中に入るな!!」という怒鳴り声。

扉は素早く、バタリと閉められた。我々はいよいよ立つ瀬を失ってしまった。我々にできることは、もはやここには何も無かった。「カンテングリに行って、外人登録をしてもらおうね」。そう言って、僕らはOVIRを出た。

 

【旅行社カンテングリ】

さきに本屋で買った地図にはカンテングリの広告も出ている。それによると、オフィスは国立競技場の中にあるらしい。これはロンプラと同じである。しかし日本を出発前、オフィスは引っ越すという話を僕は社から聞いていた。新しい住所の情報はまだない。とにかく行ってみることにした。

競技場は市の中心から南西にあった。

カンテングリ社のオフィスはやはりここにはなく、門番のおじさんやおばさんから新オフィスの住所や行き方などを教えてもらう。競技場から30分かけて歩き、やっとたどり着いたところは市の中心にもかかわらず、大通りから少し奥まったところにある、木の多い茂った静かなところ、2階建ての古風な建物であった。入り口で立ち話をしていたビジネスマン風の男に尋ね、中に入って掃除のおばちゃんに尋ね、入って廊下を左へ歩いた左側の黒い扉を開ける。

扉を開けると正面の窓からは建物の前にある駐車場が見えた。部屋は広い。左側に机があり、訪問者用の椅子があり、向かい側には受付担当らしい金髪の若い女性が座っている。彼女の前にはパソコンとプリンタがあった。僕は英語で声をかける。

「こんにちは、私は日本から来たサトーと言います。日本から何度もメールを出し、Invitationのお願いをしていたので名前は知っていると思いますが」。すると彼女は、はにかみながら答えた。「私は貴方の名前を知っています。私がターニャです」。この金髪の女性こそが、僕が日本にいる間にメールで連絡を取っていた相手なのであった。

「以前メールでお願いしたとおり、ウズベキスタンのInvitationがほしいのだが」と僕が言うと、彼女は特に驚いた表情も見せず、淡々と語った。「お返事でも書きましたが、ウズベキスタンのInvitationは入国直前でないと発行はできません。前もって連絡してくれれば良かったのだけど」。

あれ? ウルムチでメールを書かなかったかな? トルファンだったっけ・・・いや、書いたはずだが・・・。僕は面白くないが、ここで過去の問答をしても話は進まないので、「わかった。ではさっそく、発行手続きをしてください」と頼んだ。これからタシケントにあるパートナー会社に連絡を取り、そのパートナー会社がウズベキスタン外務省に申請するという手はずになるのだそうだ。カンテングリのもとに書類が届くのが1週間後なので、受け取り次第VISA申請を行うことになる。早くても来週の水曜日ということだ。つまり、それまでアルマトイに滞在していなければならないことになった。

僕はもう1つ質問をした。「今日OVIRに行ったのですが、何がなんだかサッパリ分からないんです。外人登録の手続きをお願いしても良いですか?」すると彼女は「もちろん。Invitationを発行している以上、我々の義務ですので」と答えた。OVIRへの外人登録についてはカンテングリをアテにしていなかったので、我々の登録サポートするのが「彼らの義務」だというこの返答は、我々にとっては意外であった。今日は火曜日だが、今から申請に行ってももう遅い。OVIRへの申請は明日。パスポートの受け取りは週明けになるとのこと。とりあえずお願いすることはお願いし、パスポートを預ける。パスポートのコピーを取ってもらい、それを携行することにした。

 

【イラン大使館】

地図上はカンテングリからイランの大使館が近いので立ち寄ってみることにした。あわよくばここでイランのビザが取れるかもしれないし、そうでなくても、なんらかの情報が得られるだろう。イラン大使館は歩いて5分もかからないところにあった。銃を肩に下げた門番と、スーツ姿の職員らしき男が、閉じられた門を挟んで談笑しているところへ僕らは近寄った。若い門番が我々に目を向け「なんだ?」と口を開く。僕はつたないロシア語で応える。「VISAが欲しい。英語をしゃべる人は居ますか?」すると彼はインターホンで内部になにやら告げる。僕は門前払いを覚悟していたが、意外にもあっさりと門が開いた。門から建物まで10mほどある。スーツの男が招き、入り口の扉を開けてくれる。ユウコが「ありがとう」と言って帽子を脱ごうとすると、彼がそれをとどめた。「帽子はかぶったままで。それがイランの礼儀だ」と言った。

建物に入ると早速ホメイニ氏の肖像があるのはさすがイランである。我々はビザセクションへと赴く。少し偉そうな男が我々を見て「何か用か?」という目を向ける。僕は「イランのビザを取りたいのですが」と英語で尋ねる。すると答えはこうであった。「君はアルマトイから飛行機でイランに行くのか?」「いえ、陸路で。トルクメニスタンから・・・」僕が言い切らないうちに彼が答えた。「ならばここでビザを取るのは不可能だ。トルクメニスタンで取りなさい」。もっともな話である。僕もそのつもりでいた。しかし、ここで取れれば取ってしまいたいし、それに、在トルクメニスタンのイラン大使館ではビザをなかなか発行してくれないという話も聞いていたから、不安だったのだ。「トルクメニスタンではビザを取れますか?」と聞くと、彼はお門違いとでも言いたげに「わからん。しかし、多分取れるだろう」と答えた。

 

【近所のバザール】

街を散策し、帰り際にバーバに教えてもらったバザールで買い出しをする。バーバの家から見たとおり、その競技場は建設中なのか、あるいは取り壊されたのか、近くまで来ても判別しかねる。全般に黒ずんでいるようにも見え、もしかしたら燃えてしまったのかも・・・とも思う。バーバは「古いスタジアム」と言っていたような気もする。バザールはそのスタジアムの敷地内にあった。露店が並んでいた。野菜はみなキロ売りで、ユウコは交渉に手間取った。なんだかいっぱい買い物をした。