910日(木) アルマトイ 晴れ

 

【アラサン・バスとは風呂屋のこと】

VISA取りの都合、今日の午前中は全く予定がない。天から与えられた休日を有意義に過ごすべく、午前中はアルマトイの大銭湯「アラサン・バス」に行くことにした。「風呂」はロシア語で「バーニャ」という。受付で要領がよく分からず苦労したが、どうやら2時間の入れ替え制になっているらしい。午前中は10時開場、我々は10時半に来たので、「それでも12時に追い出されてしまうのだがそれでも良いか」という確認をしていたのだった。じゅうぶんです。

 受付を過ぎ、ユウコと別れ、男子入り口をくぐる。僕は大金とパスポートを持ってきたのだが、これは銭湯に貴重品預かりがあるものと期待していたからである。家を出る前、部屋に置いておくべきかどうかユウコと悩んだ末での決断であった。

 

 結論から言えば、家のどこかに隠し置くのが最も安全であった。が、もう遅い。

 

 入り口には番台スタッフとも言うべき男が2人いた。その片方が僕を見るなり寄ってきて、「パスポートと金を預けろ」と言う。そして入り口の隅にある無人の「貴重品コーナー」にその男が入り、僕は言われるままにパスポートと、1000ドル近く入っている腹巻きを預けた。

この金を見せたのがまずかった。どうも「風呂に入る」という喜びばかりが先に立って、注意力が欠落していたらしい。僕の目の前で、彼が腹巻きの金をチェックする。とくに不審な点はない。ぱらぱらと札をめくったあと、僕に向かって「数を勘定しておけ」という。なるほど、預ける前と後で勘定が食い違っては大変だ。僕が数える・・・が、自分が期待している額より少ないことに気がつく。100ドル札が1枚足りないような気がする。刹那、脳裏に思いがよぎる。最後にチェックしたのは・・・おとといだったか・・・? 昨日も見たっけ? それにしても、やはり1枚分足りないような気がするが・・・。

目の前で、男が怪訝な顔で僕を見る。僕と目が合う。「まさか、この男が・・・?」。ルーマニアでの忌まわしい記憶が思い起こされた。パスポートチェックを騙る偽装警官。財布の札束をチェックするふりをして、巧妙な手業で大額紙幣を抜き取る、許し難い奴ら・・・(拙著「ルーマニアひとり旅」p.44-62)。

いま僕の目の前にいる男は、そのような真似をするそぶりもしていないし、だいいち僕は目を離さないで始終彼の手元を見ていた。金を抜き取る暇はなかった・・・はずだ。彼は上半身裸で、下半身はバスタオルを巻いているだけの簡単な姿である。抜き取ったとて隠す場所もない・・・はずだ。

 

それでも、「100ドル足りないような・・・」と日本語でつぶやいてみる。男が見つめる。彼には悪意がない・・・ように見える。仮に、本当に彼が僕の隙をついて100ドルくすねたとして、それをいま糾弾するとして、100ドルが返ってくるとは思えない。事実として彼が金を失敬したならば、それは僕の「負け」を意味する。迂闊にも1000ドルという大金を、僕は彼に見せていた。あまりにも軽率な行為である。貴重品預かりを期待した矢先だったので、警戒心が薄らいでいた。そこを見抜かれたとすれば、「ちょっと1枚・・・」と思われたとしても不思議はない。「ちょっと1枚」の瞬間に、月給を超える金が手に入るとしたら・・・。そして、その「ちょっと1枚」が、まだあと9枚残っているとしたら・・・。魔が差すのも無理はないように思われる。もっとも、それが「職の楽しみ」になっているとしたら、これは大きな問題ではあるのだが。

 

しかしながら、金が足りないのは僕の勘違いかもしれなかった。その思いが、彼に強く出られない理由でもあった。昨日、ユウコに金を分けたような気がする。そのときに数え違いをしていたのかもしれなかった。これも僕の「敗因」であった。直前の現金チェックをしてなかったことが、自信の無さにつながっていた。

いまひとつすっきりしないが、ここで悶着してもなにもならないので、風呂に入ることにする。パスポートにしろ腹巻きにしろ、セキュリティは不安がある。しかも更衣室のロッカーの鍵は自分で管理することができない。これも不安である。だけれども、不安がっていてもしかたがない。

風呂に行くには、下半身に巻くシーツのようなバスタオルとサンダルは必携品らしく、僕が「持ってない」というと貸し出し品が出てきた。もちろん有料である。

 

風呂の敷地は広い。入ってすぐには洗い場のような場所が広がる。僕はトルコのハマムに行ったことはないのだが、写真では見たことがある。ここの風呂はその雰囲気のとおりであった。白い大理石調の内装が美しい。長い腰掛けがいくつもあり、そこには寝っころがることができる。シャワーもある。

人はそれほど多くはないが、洗い場の蛇口はほぼ全て占拠されていた。蛇口からは水がちょろちょろと流れ、その下には桶が置かれ、桶からは水があふれ、桶の中にはウォッカのビンがあった。

 

 大きなサウナが2つある。一つはフィンランド式のサウナで、これは日本の銭湯で見るサウナと全く同じ方式である。暑い中、我慢比べのようにじっとこらえるこのサウナには客は少ない。むしろ人気があるのはもう一つのサウナ、ロシア式蒸気サウナであった。そこにたむろするオヤジ共は、みな片手に月桂樹の枝束を持ち、ある者は立ち、ある者は寝そべり、思い思いの格好でおしゃべりに興じている。適度な暑さと適度な湿度。長居するにはいい場所である。

 サウナに入ってオヤジ共のおしゃべりを横で聞いていたら「おまえの名前は何だ」と聞かれ「マサトだ」と答える。1人が「キターイ(中国)か?」と聞くと、僕が答えるより先にもう1人のオヤジが「いや、マサトはヤポーン(日本)だ。キターイの名前といえば、リューとか、モーとか、そんなのばっかりだ。マサトはヤポーンだ」と嬉しいことを言ってくれる。僕は「いやまったくその通りです」とばかり、うんうんとうなずく。彼らは僕を話のネタに盛り上がる。シャンハイがどうの、キターイとカザフの関係がどうの、キターイにはカザフ人もウイグル人も住んでいるが、みんな話すのはキターイ語だとかなんとか・・・。

 

 このほか、風呂の一番奥には直径15mぐらいの丸いプールがあった。これも立派であるが、客が少ない。サウナのあと、ここで泳いでいると、ときおり走り飛び込みをしに若者がやってくる。

 なにやらアナウンスが流れた。かまわずプールで泳ぐ。あいかわらず客は少ない。パスポートを預けた男がやってきて「12時過ぎたから上がれ」と言う。さきほどのアナウンスはお客入れ替えのお知らせだったらしい。30分もオーバーしたので超過料金を取られた。

 

 出たところでユウコが待っていた。お金の話をすると、たしかに昨日お金のやりとりはしているが、100ドル食い違うというのは少々おかしいのではないか、という意見であった。やはり盗られてしまったのだろうか。迂闊と言うにはあまりにも迂闊なことである。ユウコにも申し訳ない。

 

【ウズベキスタン大使館へ】

 昼過ぎ、満を持してカンテングリへ行く。ターニャが車を出してくれて、それでウズベキスタン大使館に行くはずだったのだが、彼女は「残念ながら同行できない」と言う。しかも「Invitationは私の元にもさきほど届いたばかりなので、大使館にはまだ届いていないかもしれないわよ」と、またまた気にかかることを教えてくれる。大使館の場所と、バスでの行き方をターニャから確認して、自力で向かうことにした。

 大使館には午後3時半に到着。門前には10人ばかりの行列ができている。午後3時から空いているはずなのだが・・・と思いながら並んで見ていると、仕事は始めているらしい。待ち行列なのだ。仕事は遅い。1人につき10分も15分もかかっている。大使館の勤務時間は夕方5時までだ。これは間に合わないかもしれないな・・・。ルーマニアでブルガリアビザが取れなかったことを思い出した(拙著「ルーマニアひとり旅」p.64-69)。

 最前列に3人ばかりの白人旅行者風の男女がいる。ロンプラを手にしている。

 

 4時を過ぎた。遅々としてすすまないが、客はちょいちょい増える。我々のあとから5人ばかり。もはや列はなく、お互いが「誰の次か」を確認するだけである。

 ベンチがあったのでユウコと座る。横には、我々が来たときから座っていた夫人が1人いた。その彼女が英語で話しかけてきた。カザフ人であるが、英語はうまい。それもそのはず、昔はアメリカで教師をしていたとかで、カザフスタンに帰ってからも教師を続けたかったのだが、数年前に現地のフィリップス社に入った。頂いた名刺を見るとAssistant to General Managerとある。渉外もやるらしい。名はマリアという。そのマリアさんが言う。「私は教師としては良い方だという自信があったのよ。だけど、システムが悪すぎるのよ」。給料があまりにも低い、教師として誇りを持てる制度になってないなど、彼女としては思うところがあるらしい。「この国にはいま、たくさんの問題があるわ。日本は問題が少なくていいわね」。

 外人にそう言われても困る。日本は日本なりに問題はいろいろある。「あら、でも就学率はいいし、失業率も低いし、所得も高いし、我が国に比べれば問題はないわよ」。それはそうかもしれないが、しかし、ではどんな問題があるのか、と考えると返答に困る。あまりに漠然としている。

 「ひとつ問題を思いついたわ」とマリアさんが我々を見て言った。「眼鏡よ。あなた方2人もかけているでしょう? 日本では、小さい頃から眼鏡をかけるの? 生まれたときから悪いの? なぜ目は悪くなるの?」 彼女の説明では、カザフスタンで眼鏡をかける人はほとんどいない。いるとすれば病気や遺伝的な原因であることがほとんどである。

 ユウコと2人でいろいろと理由を考えてみた。「日本人はテレビを見過ぎるのです」「家が狭いからテレビを近くで見てしまう。テレビは1.5m離れてみないと目に悪いのです」「寝っころがって見ているのも一因だと思います」「小さい頃から本ばかり読むからじゃないかな」「いや、暗いところで本を読むからだろう」「勉強のしすぎなのです。日本の受験勉強はたいへんなのです」。たいした結論は出ない。

 

 マリアさんは40才で、17才になる娘と11才の息子がいる。「だけど旦那はいないの。そのかわり、恋人が数人」と笑った。

 もうすぐ5時、閉店だ。「僕はルーマニアで、ブルガリアのビザを取るために大使館に行ったことがあります。しかし、ブルガリアのビザセクションは午前中しか開いてなくて、待っている人がいてもかまわず、12時きっかりに業務を終了します。おかげでビザを取れなかったことがあります。ここは大丈夫なのでしょうか」。僕がそう言うと、彼女はとくに表情も変えずに「気にすること無いわよ」と答えた。なるほど、5時になっても閉門する様子はない。「さあ行きましょ。私たちの番よ。あなたたちは私の次なの」。

 マリアさんは1人で門を入り、建物へと向かう。僕らは門前で待つ。彼女は難なくビザを取れたらしく、すぐに意気揚々として表情で戻ってきた。入れ替わりに我々2人が建物に向かう。5時半である。ビザセクションの建物はドアが開けっ放しだったのだが、門から建物へは20mほど離れているので中は見えない。入るとすぐにカウンターがあった。スタッフは女性が1人しかいない。手続きに時間がかかるのは、申請者に書類をいちいち作成させているからではないかと勘ぐっていたが、そうではなかった。スタッフの女性が申請者の名前とパスポートを確認すると、電話をかけたりFAXの確認をしたり、彼女(・・)()確認(・・)作業(・・)()手間がかかっているだけで、申請者は待つばかりである。

だが、我々のビザは取れなかった。「Invitationが届いていない」のだ。ターニャの言うことは当たっていた。よもや、彼女はこれを予期して我々と同行するのを避けたのだろうか。

 

 今日の大使館は我々を「最後の客」としたらしく、我々が建物を出ると、待ちぼうけの34人は門番に懇願していた。「我々が居なければ彼もビザを取れただろうか」とつぶやくとユウコが苦笑した。

 

 すっかり意気消沈した我々はノタノタと家に帰る。

 

【鍵がない】

その我々にさらに追い打ちをかける事件が起きた。鍵がないのだ。ズボンのポケットにいつも入れておいた鍵。はじめの日にバーバから預かった、昔の倉庫の鍵のように大きな、まるで漫画に出てきそうな立派な鍵。その鍵が、無い。

 「きっとアラサンだ!」

ナーディヤが居たので扉を開けてもらい、ユウコを部屋に残し、僕はもと来た道を走り、バスに乗ってアラサン・バスへと急ぐ。道中、会話帳を見てメモを書き付ける。「今日、忘れ物をしました。入ってもいいですか?」アラサンの受付で見せ、男子更衣室へと行く。午前中の貴重品の男がいれば、顔を覚えているはずだが・・・と思うが、彼はいない。別の番台スタッフに同じメモを見せ、僕が使ったロッカーを開けてもらうが、ない。「どうした?」と聞くので、「ここで鍵をなくした」と言っても、知らないという答えが返って来るばかりである。忘れ物として、そのような話も聞いていないと、彼は言う。

とぼとぼと家に帰る。

 

 ユウコと2人、部屋でがっくりする。バーバには正直に言うしかないが、どうやって説明しようか。こればかりはきちんと理解してもらわないといけない。怒られるかな。頑丈な鍵だったからなあ、交換しないといけないだろうなあ。いくらぐらいするんだろう。弁償しなくっちゃ・・・。

バーバに説明するためのメモを作っていると、間が悪くバーバがニコニコとやって来て、「お茶でも飲む?」と聞いてくる。しかし我々に元気がないことを察してか、すぐに引っ込んだ。ほどなく、今度は我々が台所へバーバを訪ねる。ナーディヤもいた。

 『鍵をなくしました。たぶん温泉で』。

 これだけ書いて、あとは言葉と身振りで今日のことを説明し、「ごめんなさい」と頭を下げる。バーバははじめ「まァ、アラサンに行ったの」とつぶやき、事の顛末を知って少々困った表情を見せた。が、とくに怒ることはなく、すぐに「やれやれ」という笑顔になった。ナーディヤのほうは、とくに気にしていない様子で、はじめと変わらずニコニコしている。2人の間で言葉のやりとりが行われる。ときおり、バーバの声が大きくなる。かと思うと笑いも出る。バーバが言った。「明日、バザールの鍵屋に交換してもらいましょう。あの鍵は古かったから、もう良いのよ。今度のは新しいのを作ってもらうから大丈夫。グート クリューチを作ってもらわなくちゃ! グート グート!」

 バーバはロシア語以外の言葉を話せるわけではないが、「グート グート」とドイツ語のGOODを連呼するのが我々に対する口癖であった。我々もホッとする。

 

 鍵をなくした代償を払わねばならない。これについては2人も「鍵の値段は頼んでみないと分からないからねえ」と首をひねるばかりだが、我々は明日の朝、ここを発ってしまう。相談の結果、200テンゲを置いていくことにした。

 

 物を失うのは全て自分の不注意から到るもので、事件が起きてからそのことに気がつくが、気づいてからではもう遅い。それが腹立たしく、また、情けない。さらに、今日は自分の物のみならず、他人様からの預かり物もなくしてしまった。物を失うだけでなく、信用までも失うのだ。それが残念でならない。自分のふがいなさにやるせなくなる。ユウコは怒らず温かいが、それがかえって申し訳ないのだ。