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102日(金) タシケント 晴れ

 

【体調は悪化しつつあるのかどうか】

 ユウコが、腹の具合が悪いと言っている。「ゆうべ薬飲んだ?」と聞くと「飲んでない」と言う。「なんで?」「ひと晩、様子を見ようかナーと思って・・・」「良くなるわけないじゃないか。中国のときと一緒なんだから。どうしてすぐに薬を飲まないの?」「・・・」過ぎたことは仕方がないが、昨晩はそれほど悪いという様子でもなく、「良くなった気がする」とも言っていたのである。自分の健康管理についてもっとシビアになってもらわないと困るなあ、と思う。昨日も休みで今日も休むとあっては、どんどん遅れをとってしまうではないか。ユウコは朝食後に瀉痢停片を飲んだ。

 

【ふたたびトルクメニスタン大使館を目指す】

 ユウコの調子が悪いので、彼女にはヨルダムチに電話する「任務」を託し、僕はパスポートとビザ申請用写真を預かり、1人で大使館へ向かった。昨日の通用門前に人だかりができている。僕は昨日と同様、彼らを横目に正面入り口に向かうと、「何か用か?」と、昨日は姿を見せなかった警備員に呼び止められた。「ビザの申請に・・・」と答える間もなく、彼は「ならば、あそこに並べ」と不愛想に言う。「でも、このようにInvitationを持っているので・・・」と食い下がっても、「あぁ、わかったわかった。あっちで並べ」と、まるで相手にしてくれない。昨日の優しいオジサンが出てきてくれたら良いのになあ、と思うが、仕方なく神妙に列につく。

10時になっても人を入れる様子もなく、待ちぼうけを食ってイライラさせる。しかし10時半に業務が開始すると回転は速く、すぐに自分の番に来た。通用門からの階段は正門からの階段と全く反対側にあり、じつはこちらがビザセクションの窓口だったことをここで初めて知った。つまり昨日は、我々が図々しくも正門から入って職員を呼び出したことになる。窓口からは昨日の優しいオジサンが顔を出したので、僕は彼の訳知り顔を期待して「こんにちは」と微笑んだが、彼は昨日のことを全て忘れているかのように「ビザですか?」と尋ねた。僕は「昨日の話をもとにプランを考え直しました。1015日に入国したいのです」と言うと、彼は「君は飛行機でアシガバードに入るのか?」と、昨日と同じ質問をした。僕は「昨日話をしたのになあ」と思いながらも「いえ、陸路で入りたいのですが」と言うと、「それは不可能だ」という答えが返ってきた。そして彼の説明が始まる。「独立記念式典があるのは102728日だが、その準備も含めて1010日から陸路の国境がシャットアウトされ、入国は出来なくなる。だから10日より前に入国するのであればトランジットビザを出せるのだが」。

昨日と話がちがう。むしろ悪くなっている。そこで「式典のあとについてはどうですか」と尋ねると、29日以降の入国ならば、問題なくツーリストビザを発行できるとの返答であった。

どうしたものか・・・。その場で考え込むと、彼はやはり昨日と全く同じことを言った。「今日1日考えて、また明日おいでなさい」。

「そう簡単に言ってくれるな」とは口に出せず、その場でちょっと考える。

僕はこれ以上、タシケントで無駄足を踏みたくない。先々の予定を考えても、1015日〜25日の間でトルクメニスタンに滞在するのが理想的なのだが、ちょうどその時期に行けないというのは、じつにやりきれない。ウズベクの日程を切りつめ、足早に見て回れば10日以前の入国は不可能ではないが、僕にはそれを拒む理由がある。この国は、どうしてもゆっくり見たいのである。急ぎ足はイヤだ。となると残るプランは、ウズベクの滞在期間を長く取って、月末にトルクメンに入ることだ。それしかない。式典直後の29日から有効のビザを申請した。パスポートを預け、受け取りは今日の17時とのことであった。

足早に見て回るのも嫌なのだが、だらだらと無駄に過ごすのも避けたい。しかし、どちらかを選択しなければならない。滞在期間が長くなるならば、フェルガナ盆地を回ってみるか、あるいはウルゲンチからさらに西に行ってみるか・・・。

 

【国立銀行で待たされる】

ホテルに帰ると根が生えてしまいそうなので戻らず、バスを乗り継いで国立銀行へ行く。両替コーナーには3人のマネージャーと、数人の窓口スタッフがいる。先日両替について説明をしてくれたオジサンマネージャーは僕のことを覚えており、顔を出すなり「やあ、来たな」という笑顔を見せた。彼は英語がペラペラである。

窓口のオネエサンは仕事が速く、きっちりと仕事をこなしてくれるが、いかんせん書類が多いので、いちいち署名をしなければならない僕も大変だ。日本円T/Cから日本円現金への両替のために3枚の書類。日本円からドルへの両替のために、さらに3枚の書類。そのそれぞれに、彼女の署名と、僕の署名と、そしてマネージャーの署名が必要なのである。書類に埋もれて、確認のために預けたパスポートが行方不明になってしまうのではないかと心配する。僕はカウンターを挟んだ彼女の机上を眺めることしかできない。

ひととおり書類が出来上がると、「手続きが済むまでここに座っていたまえ」と、マネージャーが自分の机の横にある椅子に座らせてくれた。オジサンマネージャーは細身で背が高く、腕の長いのが特徴的で、肌は浅黒いウズベク人である。彼の横には太っちょのオバサンマネージャーが座っているが、彼女も浅黒い肌をしており、頭のスカーフやワンピースのデザインが民族的なのが、オフィスの中では印象深い。オジサンはどことなくエリートっぽいスマートな雰囲気を出しているが、オバサンは一見するとバザールで野菜を売っている元気なオバチャン方の雰囲気が強く、とくに口を開いたときの金歯がまた印象的なのだが、さすがに国立銀行のマネージャー席に座るだけあって、英語はペラペラである。オジサンとオバチャンのマネージャー同士はウズベク語でしゃべっているが、職員にはロシア系が多いため、職員を相手にするときはロシア語でやりとりしている。マネージャーのもとにやってくるお客さんに対しては、相手によりけりである。

 

銀行の両替は時間がかかるものである。銀行はお客さんの出入りが多く、スタッフも忙しい。だから、ある程度の待ち時間は覚悟していた。20分ほど経って、窓口で書類を書いてくれたオネエサンが、オジサンマネージャーのところへやって来て、なにか問題が発生しているらしいことを告げた。マネージャーも不審そうな顔をして指示を下す。会話はロシア語だが、コミッションだの、ヤポンスキーイェン(日本円)だの、ドラリ(ドル)だの、システムだの、アドミニストラーッツィヤだの、言っている。どうやら計算システムに何か不具合が発生しているようだ。細かい数字を見て顔をしかめているので、端数の計算が合っていないという感じだ。だが、僕に対しては説明がない。T/Cにサインをしてしまった手前、ここで両替を取りやめるわけにもいかないし、責任は僕にない。「『両替できない』と言われたら、如何に追求せしめんか」、英語で何と言うべきかあれこれと考える。「システムの不調はあなた方の問題であって、私の問題ではない」「計算システムがおかしいならば、手計算でも良いのではないか」「客を待たせて説明もないのはどういうことか」・・・。

 

1時間が経ち、12時を過ぎた。お昼休みだ。窓口の職員は、ひとり、またひとりと席を立ち、食事に出かける。お客が来なくなったので暇つぶしにパソコンでトランプゲームを興じる職員もある。横のオバサンマネージャーも消えていた。よもや、このまま俺を置いてオジサンも立ち上がるのではないか。そんなことを思っていると、いままで渋い表情であれこれ指示を出していたマネージャーが、ようやく僕に向かって口を開いた。

「我々に問題が発生した」。

「我々」というのは俺も含んでいるのか? と、ひねくれたことを考えながらも口には出さずに話を聞く。「ご存じの通り、今回は2段階の手続きを踏むことになっている。第1段階、つまり君の持っている日本円のT/Cを現金に換える段階だが、これは全く問題がない。問題は第2段階だ。つまり日本円の現金を米ドルに換える段階だ。日本円を米ドルに両替する際、銀行では5%の手数料を取ることになっている。ただし、計算した手数料が10ドル未満の場合は、10ドルに切り上げさせていただく。これが我々のルールだ。いま、君から預かったのは2万円のT/Cで、これを現金にすると3.5%の手数料がかかる。よって、君が受け取るのは19,323円(20000÷1.035)ということになる。これを米ドルに両替すると、今日のレートでは1ドルが135.34円だから、142.77ドルだ。このうちの5%とは142.77×(11/1.05)=6.8ドルになる。従ってこれは10ドル未満だから、手数料は10ドルになるはずだ。ところが計算プログラムが間違っていて、これを6.8ドルのまま出力してしまう」。

「つまり、プログラムに条件文を1行書き加えればそれでいいではないか」と僕は思うのだが、彼はなおも続けて「さきほどから『不具合の原因を調べろ』と指示を出している。システム管理者は原因が分からないと言っている。それで、いまヘッドクォーターが行って調べている。我々にはどうすることもできない」。

また「我々」と言った。「『我々』には、俺も含んでいるのか?」と聞きたい。日本人の感覚としては、これは銀行がお客に迷惑をかけている行為であり、事実として僕は1時間も待たされっぱなしなのだから、彼からは「申し訳ない」の一言が出てもいいようなものだが、これは最後まで出てこない。僕は答えた。「私はT/Cにサインをしてしまったので、両替は済ませたい。ホントはドルがほしいところだが、受け取りは日本円でもかまわない」。

ここに日本円などあるかしら。しかし、日本のT/Cも受け付けたぐらいだからなあ、と半信半疑で言ってみたのだが、マネージャーはホッとしたのかエッとしたのか、今までの苦い表情が明るく変わった。「もちろん、我々は日本円を持っている」。

さっそく現金受取の窓口へ行く。狭い間口の向こうで、太ったオバサンが日本円を数える。が、ここで別の問題が起きた。オバサンは人を呼んだり、腰に手を当て思案に暮れたりしている。そして彼女は立ち上がり、その場を離れようとした。マネージャーに相談にでも行くのだろうか、これ以上待たされてはかなわない。よもやと思い、僕はオバサンに声をかけた。「あの、小銭なら持ってますよ」。過日ここを訪れたおり、先のオジサンマネージャーに「両替の際、小銭を持ってくると何かと都合がよい」との要望を受けていたのだ。オバサンは「あらまぁ」と感嘆の声を上げ、僕の手の握って言った。「ありがとう!これで昼食を食べに行けるわ!」はたして、夏目漱石が19枚と、小銭少々が僕の手に入った。もはや手元に日本円を残していなかったので、夏目漱石の顔を見るのは久しぶりだ。なにやら妙な気分である。

 

【旅の疲れで身も心も】

ユウコの様子を見るのと自分の休憩を兼ねて、いったんホテルに戻る。ユウコは心配していたらしく「遅かったねー」と声をかけてくれた。顔を洗ってひと息つくと、ベッドに腰を下ろし、銀行と大使館でのいきさつを説明した。彼女は話を聞いたあと、少し言いにくそうに、しかし冷静に言った。

「でもさあ、ウズベキスタンのビザは28日で切れるんだよね」。

この言葉はとどめを刺すが如く、僕の身体に響いた。なんたる失態。ウズベキスタンのビザは28日まで。トルクメニスタンのビザは29日から。これではビザに切れ目が出来てしまう。回避するにはウズベキスタンのビザを延長するしかない。そのためには、タシケントにさらに何日か滞在しなければならない。

「夜行列車にでも乗れば、延長しなくても行けるかもしれない・・・」と苦し紛れのアイデアも浮かぶが、世の中はそれほど甘くできてはいない。僕はくずおれてしまいそうだった。頭も回らず、出てきた結論は「トルクメンをあきらめる」ということだった。これ以上タシケントに留まる気はない。ビザ延長に手間取るのは目に見えている。ならば、タシケントからテヘランに飛ぶしかない。

 

「しかし!」

僕は床を眺めながら声に出す。

 

はじめから飛ぶ気でいたなら、トルクメニスタンのビザ申請などする必要はなかったのだ。131ドル、しめて62ドルの、無駄な出費。申請する必要のないビザを申請した上、使いもしないビザのために金を払う、このアホさ加減。いったい、俺はなにをしているのだろう・・・。

疲れがどっと出た。待ちくたびれたせいもある。空腹なせいもある。どうでもよくなってきた。動くのもおっくうだ。なんだかイヤになってきた。僕は、誰に言うともなくつぶやいた。「だいたい、この国は何だ。警察は多くて要らん緊張ばかりさせられるし。ホテル代が高くて、ふところ具合ばかり気になるし。ユウコは体調が悪いと言うし。おまけにこの暑さ! もう10月だぜ、どうなってんだよ、まったく・・・。トルクメンなんて、面白くもなんともないさ。どうせ同じなんだよ。だからけっきょく、お腹の具合とふところ具合ばかり気にしなければならないんだよ。それに比べれば、イランは痛快だよね、きっと。そうだよ、イランに行けば何とかなるよ。物価は安いし、旅行者は多いし」。

 

【それはともかく、ヨルダムチへ】

ヨルダムチに我々が行くことは、午前中にユウコが電話で伝えてある。彼らの話では、サマルカンドでのアコモデーションは、ホテルザラフシャンが最も安く、1部屋(2人で)30ドル。朝食は付かないが、「きっとホテルタシケントよりは快適だと思う」とのことである。また、ブハラのアコモデーションもあるが、プライベートルームは125ドル、ホテルは120ドルと高い。ホテルザラフシャンも安くはないが、ここはロンプラでは「安い(7ドル)が、ヒドイホテル」として書かれていた。きっと観光用に改善されたに違いない。ブハラのアコモデーションは断ったが、サマルカンドのホテルザラフシャンについては、彼らも強く勧めるホテルだけあるので受けることにした。予約料として10ドルを支払う。

 

【虚しく取得したトルクメニスタンのビザ】

 17時ぴったりを目指して、2人でトルクメニスタン大使館へ行く。例によって門外で待たされる。朝にも見かけたような、浅黒く、髭が濃く、腹の出たオジサンたちが、列を作るでもなくあちらこちらに腰を下ろして待っている。待ち人の中に、いかにもビジネスマン風の白人が1人、少し離れたところで立っていた。長身、スマートな身体。少し高そうな良いスーツにアタッシュケースを持つ姿がビシっとキマッている。周囲の雰囲気からは、少々場違いにも見える。いっぽう、彼も彼で、浅黒オジサンのなか、2人の東洋人が現れたことに興味を覚えたらしく、あちらから英語で声をかけてきた。

話を聞くと、彼はイングランドからのビジネスマンで、我々が中央アジアを観光旅行していると知ると、目を丸くして「Umm, that’s interesting.」とつぶやいた。そして彼は、トルクメニスタンについていくつか我々に役立ちそうな話をしてくれた。

「トルクメニスタンを観光するなら、何はさておきメルブを見逃してはいけない。非常に歴史の深い遺跡だ。ただし砂漠の中にあるので暑いから注意した方が良いよ」「見たんですか?」「そう、2週間前かな。40℃はあっただろうねえ」「そりゃすごい。で、マリに泊まったんですか?」この問いに対し、彼は苦笑しながら「たしかにマリはメルブに近いから便利な町だが、ホテルはないよ。『Hotel』と呼ばれる建物はあるけどね」。

とてもホテルとは呼べないホテルならあるということだ。「それよりも、アシガバードから飛行機で行くと良いよ。朝の便で行って、遺跡を見て、夕方帰ってくる。飛行機は毎日飛んでいるから日帰りが出来る。値段は・・・往復で1100ドルぐらいだよ、安いもんだろう? メルブの遺跡は12ドル。カメラ撮影もできる。ただし入り口で車を拾っておかないとツライよ。炎天下、歩き回る気力と体力があれば別だけどね」。飛行機は便利だが、コストがかかる。「アシガバードから車で行くのはどうですか?」と尋ねると、「まあ、街道もあるけど、45時間はかかるんじゃないかな。それに料金は、飛行機と大差ないと思うよ」。ふむ、と僕は考える。彼は続けて「アシガバードには安いホテルもあるし、5ツ星のホテルだって65ドルから75ドル程度だよ。『払えない』と言えばディスカウントもしてくれるよ」。

 そうこうしているうちに1時間が過ぎた。なんとなく列が出来始めたので、我々もなんとなく列に参加する。すると、隣に並んだおじさんに話しかけられた。何を言っているのか分からないので「我々はロシア語がわかりません」とロシア語で返答すると、彼は自分の胸を指さし「チュルク」と言う。我々は「エッ」と驚く。トルコ人なのか。「すると周りの人々もみんな?」 と身振りで尋ねると、そうだそうだとうなずく。僕は勝手に、彼らはイラン人で、イランからトルクメン・ウズベクを股に掛けて商売でもしている人々なのかと想像していた。トルコ人とは驚いたが、訳もなく納得した。「ウズベクもトルクメンも、トルコ系だもんなあ」。我々が日本人であることを伝えると、彼はそれに喜び、片言の日本語でこう語る。「ワレワレ、ニホンゴ、タンゴタンゴ、ハナス」。なんのことか理解できなかった。「俺はニホンゴが少し出来るよ」ということだったのか、「お話ししましょう」と言いたかったのか・・・お話しできるほどの語力ではないと思うが。

 列はあるようなないようなで、我々が日本人であることを喜んでくれた人々のおかげで、少し順番が早くなった。先の白人は早々とビザを取り、いなくなっていた。けっきょく、ビザは11/2911/810日間有効のトランジットビザで、料金は前からの提示通り131ドル。「やっぱり行かないからビザは無効にしてくれ。その変わり料金は払わないよ」と主張するべきなのだろうか。いや、言ったところで話がややこしくなるだけだろう・・・。いつも金のことばかりを気にしているのに、こういうときに、どうしても自分の甘さを感じる。我ながら情けないことだ。ユウコにも申し訳ない。