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104日(日)サマルカンド 晴れ

 ホテルザラフシャンは、素晴らしく寝心地の良いベッドであった。

 

【サマルカンドの公共交通】

 サマルカンドの公共交通手段はもっぱら乗り合いタクシーである。ロシア語で「マルシュルートヌイ・タクシー」という。これは中央アジア一般に見られるもので、いままで乗ってきた市内のミニバスはほとんどこれであろう。決められた路線を走り、路線上であれば、運転手に告げてどこで降りてもよいし、沿道に立って手を挙げればどこからでも乗ることができる。ちなみにロシアを含め、旧ソ連国でこれらのタクシー等を拾うときは、日本のように手を上に上げるのではなく、自転車の「右折」の手信号のように水平に伸ばし、「おいでおいで」を要領で手首を軽く振るのが一般的な合図だ。

さて、サマルカンドの乗り合いタクシーはほぼ全ての車がUZ-DAEUU製の軽自動車である。いわゆるミニバン型で、定員は8人程度だ。ルートについてはフロントガラスにプラスチックボードが掲げられているので分かりやすい。金は基本的にどこまで乗っても一路線につき一律である。市バスも走ってはいるのだが、本数は少ない。タクシーは比較的簡単に拾える。もっとも、ヒッチハイクをしているのか正式なタクシーなのか白タクなのか分かったものではないが、料金もだいたい良心的である。

 

【サマルカンド観光:ビビハニム・モスクから】

 今日はまずビビハニムモスクに行く。建物には柵などなくて、簡単に門をくぐり中庭へ入ることが出来る。中庭で散歩しているとどこからともなくオバチャンがやってきて、「金を払え」と言う。そこで「カッサ(支払窓口)はどこだ」と聞くと「私がカッサだ」と言う。愛想が悪い。そのカッサ・オバチャンの話によると、入場料は1200ソム、カメラ代100ソム。「ちょっと高いなあ」と思ったが、オバチャンに圧倒されたせいか、交渉するのを忘れてつい払ってしまった。オバチャンのほかに小柄な髭オヤジも現れて「ミナレットに登るか? 1200で良いぞ」と言う。さすがに「これはカモにされている」と思ったので、「登りません、サイナラ」と彼を離れるが、彼も一緒に歩いてきて、僕がモスクの写真を撮ろうと立ち止まるたび、「ミナレットからの景色も良いぞ。サマルカンドの街が一望だ。グル・エミールもレギスタンもよく見えるぞ」と、しつこい。「高いからイヤだ」と何度もごねるがしつこく追ってきて、「100で良いから」ということで我々も妥協した。はじめのカッサ・オバチャンにも交渉が必要だったのだが、「観光名所なのだからチケット売り場があるだろう」と思っていたのだ。それが無かったので意外に思い、「無料なのかな、なんと良心的な」と良い気になっていたところにオバチャンがやって来たので、こちらも慌ててしまったのである。金を払ったからといってチケットをくれるわけでもないし、帳簿を付けるわけでもない。さては、彼らの小遣いになってしまったか?!

 このあと見物したレギスタン広場(昨日は外観を見ただけで入場していない)やグル・エミール廟にはチケット売り場があったので、これはさすがに小遣い稼ぎでは無かろうが、外人料金も公然と存在している。地元ウズベクの人、旧ソ連国の人、その他というふうに、料金は3つに別れている。それにしても、どこの観光名所に行っても土産屋ばかり。メドレセも各部屋一つ一つが土産物屋になっていて、こちらはスカーフ、こちらは帽子、こちらは木箱、チェスに絵はがき、写真集にTシャツ、民族衣装にアクセサリー。驚くべきは、彼らの多くは英語はもちろん、日本語でも声をかけてくることだ。「コニチワ、ミルダケ、タカクナイ、ハンドメード」。しかし彼らの多くはしつこく売りつけてくることもないし、体を張って「俺の店に寄っていけ」などと無理矢理連れていくようなことはない。しかし、彼らは日本語を知ってしまったのだ。そして、実際に日本人のツアーがいる。しかも横で見ていると、あれやこれやとよく買う。中央バザールを歩いているときでも、とくにサフランや香辛料のコーナーではひんぱんに声をかけられる。それだけよく買われていることがうかがい知れる。

 

【レギスタンには日本人観光客も】

 レギスタンは、4年前は一部に修復用の足場が組まれていたものだが、足場は全て取り外され、3つのメドレセが整然と並んでいる。が、あちこちで修理工が作業をしている。右側に位置するシェルドールのモスクは、玄関アーチの虎の絵が印象的なモスクだが、ここの中庭を見物していると、ここに団体ツアーの日本人旅行者たちがいた。そのなかの1人と思われる、立川談志を穏和にしたような男性に「写真を撮ってくれ」と頼まれた。

取り終えたあと、なおも我々は別々に見物していたのだが、アーチをくぐってレギスタン広場に戻ったところで声をかけられた。「2人なの? 自力で? ふーん、僕もバウチャー旅行がいやでね。1人なんだ」とは意外であった。さらに我々が中国からやって来たことを知ると彼は「僕もそうなんだよ!」と喜色満面になり、「バスで? あぁ、鉄道で。大変だったでしょう。僕はイリからアルマトイに抜けたんだよね。サマルカンドは、タシケントから? じゃあ次はブハラだね」。彼はタシケントから一旦ウルゲンチに飛び、ヒワ、ブハラを経てサマルカンドに至っているから、ウズベク国内においては我々とルートが逆で、彼は西から東へ、我々は東から西へ、ウズベク旅行のハイライト都市を見て回ることになる。談志師匠は旅仲間を得て嬉しいのか、ウズベク観光情報を教えてくれた。

「レギスタンは夜になるとライトアップされるから、夜8時頃にもう一度来ると良いよ。すっごく幻想的」

「音楽は好き? 夕方6時からは民族音楽のライブもやっているらしいよ。僕は見ていないけど。ライトアップはその後に見ればいいね」

「ブハラの宿は決まってる? 池のそば、えーっとね、あ、その本の地図見ていい?」と僕の手にするロンプラを広げ、「僕もこれ使ってるんだよねー・・・ああ、この辺だ。リャビハウズがあるよね。この池。これのちょっと南にSasha&Son’sっていう民宿があるよ」。

僕が「Sasha&Lenaのことはロンプラに出てますよね?」と聞くと「そうそう、それの姉妹店らしいんだよ。まだ新しいからこれ(ロンプラ)には出てないね。Lenaのほうは街からちょっと遠いでしょう? それに比べるとSon’sのほうはど真ん中だからね。いいよー。中央アジアの中ではバツグンだね。2人なら35ドル以下で泊まれるはずだよ」

「ヒワに行ったら、ウルゲンチに泊まっちゃダメだよ。『ヒワにはホテルはない』なんて歩き方には書いてあるけど、あるんだよ。ヒワは朝と晩がいいんだよ。ウルゲンチに泊まったら、分からないでしょう? ホテルヒワってのがあってね、メドレセをそのまま宿にしたところなんだけど、シャワーもトイレも部屋についてるし、お湯も出るよ」。

ひととおり話を聞いたところで談志師匠は去ってしまったが、彼はタシケントからウルゲンチまで飛行機で飛んだのだろうか? 運賃を聞いておけばよかった。

 

【ティムールの墓】

 グル・エミールとは「王の墓」の意で、すなわちアムール・ティムールおよびその親族の墓地である。ティムールと2人の息子、それに3代皇帝ウルグベクを含む2人の孫が眠っている。ここは1404年、まだティムールが元気だった頃、彼が息子と孫のために造った建物で、彼はもともとシャフリサーブスの地下墓地に入る予定であった。しかし1405年の冬、明国との戦に向かう途中、今のカザフスタンで彼は死んだ。遺体を運ぶ段になり、シャフリサーブスへの道は雪に閉ざされ、やむなくこのグル・エミールに葬ったという話らしい。

 4年前に比べて近隣がずいぶんと整地されたようだ。そして以前は、昼間訪れる観光客に対して警備員がこっそり「内緒で良いものを見せてあげるから、夜になったらまたおいで」と誘うのが「通例」となっていた。実は霊廟のお墓はみなある種のイミテーションで、本物はイミテーションの真下、地下室にあるというのだ。地下室は昼間の観光客には非公開だったのだが、夜に訪れると警備員が「内緒で」地下室に案内してくれ、そして本物を見せてくれる。帰り際に、警備員はオヒネリを要求する、という段取りである。なお、人によってはこの後「明日の朝には違うものを見せてあげる」と誘い、これに乗って早朝にでかけると、これまた本来は非公開の、青いドームへ上がる螺旋階段を上り、ドームへ上がるとサマルカンドの街に昇る美しい日の出を見ることが出来る。ついでにドームの周りに落ちているブルータイル片を素敵な土産物として拾って帰ることが出来るというわけだ。もちろん、帰り際にふたたびオヒネリを要求されることは言うまでもない。

 しかし今日訪れると警備兵はいなくなっており、代わって、廟の裏にある地下室入り口へ案内してくれる鍵番のジイサンがいるのみであった。彼は金を要求することはせずに「ペンをくれ」と言ったが、ユウコが「ペンはないので、これを」と日本の絵はがきを差し出すと、気の抜けた苦笑をして引き下がった。ジイサンに比べて近隣のガキンチョのほうがタチが悪く、「ボンボン?」だの「ペン?」をせがむ彼らは非常にしつこい。拳を振り上げても逃げる素振りを見せない。誰かがあげるからこういうことになるのだ。

 

【グム・デパートと、街のバザール】

 新市街にあるデパート「グム」を見物がてら買い物に行く。田舎デパートよろしく、敷地は広いわりに景気は悪く、客も店員も品物も少ない。この近所に小さなバザールがあった。おもに青果を扱っているようだが、旧市街のビビハニムモスクの眼前にある中央バザールと違って、観光客が来ることが少ないせいか、はじめのうちは、売り子のオバチャン達は我々を怪訝な目で眺めていた。しかしユウコがひとたびトマトを買うと、「うちのレモンを買って行け」「いや、うちのキュウリを買って行け。サラダにキュウリは付き物だ」「リンゴはどうだ。ザクロは?」と、みなさん調子が良いゾ。

 デパートの酒屋で「オズベキスタン」なるウォッカを買ったのだが、これは安物だったこともあって大失敗であった。きつい匂いといい、口に広がる揮発の雰囲気といい、エタノールを飲んでいるような気分だ。また、同時に「たまには地元のビールを試してみよう」ということで「シェルドール」なるビールも買った。これも美味くない。昨日のワインもまずかったが、あれも安物だった。仕方がないのだろうか。ウズベキスタン製の大衆向けアルコール飲料にはろくなものがないような気がする。

 

【ゴーリキー公園】

 ホテルザラフシャンの裏手には緑豊かなゴーリキー公園が広がっている。この一角にKONICAの店を発見した。フィルムをそろそろ買い足す必要があるのだが、36枚撮りのISO4001625ソムとある。闇のレートで考えれば3ドル弱で、これは安いのだが、公定レートで考えると6ドル近くになり、カザフスタンよりも高いのではなかろうか。しかし、今買わねば次はどこで買えるか分からない。「カザフで買っておけば良かったなあ」という思いは結果論に過ぎない。明日改めて買いに来よう。

そのゴーリキー公園に並ぶカフェは、プロブ・サラダ・ナン・シャシリク・ショルパと、どれを取ってもみな安く、そして美味い。素晴らしい。