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105日(月)サマルカンド 晴れ 強風

 今日は中央バザールから少し東へ行ったところにあるシャーヒジンダ廟、そして北にあるウルグベクの天文台、そして旧市街を適当に散策する予定だ。また、写真を現像に出し、フィルムを購入するという「仕事」もこなしておく必要がある。

 

【ティムール一族の墓】

 シャーヒジンダ廟はティムール一族、とくに妻・姪・姉妹といった女系家族を中心とした墓がある。ほかにもティムールの恩師などが眠っている。しかしもっとも重要とされるのは、預言者マホメットの従兄弟クッサム・イブン・アッバースの墓である。彼はこの地にイスラムをもたらした最初の人物といわれ、その意味においてシャーヒジンダは非常に神聖なる聖地の要素を含んでいるという話だが、それはそれとして観光客は多い。そして廟の入り口脇にはやはり土産屋があり、我々もついついTシャツと絵はがきを買ってしまった。

ところで土産屋での支払いだが、彼らは当然のようにドル払いを求めている。「ソムではいくら?」と聞くと、当然ながら彼らも闇両替のことを知っており、むしろ彼らこそ闇両替をおこなっていることもあり、1ドル=200ソムほどのレートで金額をつける。つまり、今日買ったTシャツ1枚は5ドルだったが、これがソムだと1,000だと言うのだ。インツーリストからの観光客などはホテルで両替をするから、頭の中には1ドル=117ソムという数値しかない。よって彼らにとって、ソム払いはたいそう割高に感じられることであろう。よってドル払いが横行する。もっともシャツの原価がいかほどなのか知れたものではない。今日は言い値17ドルのところ、「4枚買うから」ということで5ドルまで負けてくれたが、彼らも観光客を手慣れているだけあって、英語の交渉でも問題ない。

 

【物乞い対策は、旅行者として気になるところ】

 シャーヒジンダ廟の前で物乞いに出会った。中央アジアの物乞いはけっこうしつこく、我々としても彼らにどう対処すればよいか今まであれこれ考えてきた。無視をしてもあとからついてくるし、シッシッと追い払ってもダメ、露骨に不快な顔をしてもダメ。しかし今日、ユウコが思いがけない行動に出た。物乞い小僧が「お金クレー」と手を出したところ、ユウコはそれを真似して、「私にクレー」と、小僧に対して手を差し出したのである。これには僕も驚いたが、さすがに彼らも驚いたのか、すぐに退散していった。

ほかにも「サローム」と彼らの言葉で挨拶してみたり、日本語で話しかけたりすると、退散することが多い。つまり、不快な顔をして露骨に「あっち行け」という態度に出るより、親しげに声をかけたり、あるいは彼らをちゃかすぐらいの態度が、彼らにとって意外な反応なのか、そそくさと去っていくのだ。これは妙案である。我々にはエネルギーも要らないし、ストレスも溜まらない。

 

【ヨーロッパでも紹介された天文台】

 ウルグベクの天文台にも行ってみるが、我々は2人とも疲れているのか、なんとなく元気がない。資料館には中世のヨーロッパの天文学教科書に「ウルグベク」の名があるなど、彼の貢献は思っていたよりよほど大きかったことが分かった。もっとも、そうでなければ世界史に名を残すはずもない。

我々が見物していると、地元の小学生らしい一団がやって来た。我々に近い子ども達は、先生や資料館員の説明よりも、我々の一挙一動の方がよほど興味があるらしい。展示されている古い絵を見ながら、「わ、これナントカの絵だぜ」「そうだな、だけどあの2人、何人だと思う?」という具合である。

 

【テヘラン行き?】

 サマルカンドで最も大きいホテルサマルカンドはインツーリスト系の例に漏れず、どでかいホテルで、ツアー客はだいたいここに泊まることになっている。コストパフォーマンスを考えるとホテルザラフシャンのほうがよほど素晴らしいホテルだが、ここにはウズベクインツールという、旧インツーリスト系の旅行社が入っている。我々は泊まり客ではないので相手にしてくれるかどうか分からないが、気になるタシケントからテヘランへ便について尋ねてみることにした。旅行者のスタッフはみな若く、そして親切で、英語も通じ、嫌がることもなく調べてくれた。しかし、彼らの1人が我々との連絡役となり、調べた結果では、けっきょく「よく分からない」とのことである。

 それでもあれこれやってくれたのだからと、御礼を言って立ち去ろうとすると、彼はメモ紙に自分の名前と携帯電話の番号を書き「何か困ったことがあって、オフィスが閉まっていたら、気軽に電話してくれ」と言った。けっきょくメモ紙は使うことなく捨ててしまったので彼の名前も覚えていないが、その親切心は、まさに気持ちだけで充分だった。

 

【サマルカンドの夜】

 ホテルに戻り、今日も地元の安ビールを飲みながら、今後の予定について思いを巡らすが、情報がないだけに結論が出ない。タシケントに戻ってから調べ直すのが確実なことは分かっているが、タシケントで無駄な日を過ごすのは、避けたい。

 気を紛らすために、ビールやウォッカの瓶に唇を当て、ボーボーと吹いてみる。瓶はすでにカラになったものを含めて3本あるので、3つの音階が可能である。ボーボー、ビビ・バー、ボーボー、ビビ・バー。

「曲ができたぞ」。するとユウコが笑って「曲名は?」と聞く。

「そうだなあ・・・。デューク・エリントンのような作曲家でも、海外ツアーの滞在ホテルで思いのままに曲作って、その地名を曲名にしたりするんだよね。イスファハンとか、アドリブ・オン・ニッポンとかね。まぁ、旅先でインスピレーションがわくんだろうけど・・・。意外と、曲つくりというのは、その土地に来てから、思うに任せてできることが多いのかもしれないな。曲によるとは思うが、『618日のブルース』とかだって、一生懸命考えて作ったとは思えないもんなぁ・・・。

よし、これは『サマルカンドの夜』に決定! ボーボービビバー、ソファミレドー、ビャー」「最後の『ビャー』って、なに?」「エリントン的ハモだよ。ジャーとか、ビャーとか」

 

【ある知人に宛てた手紙】

 前略 日本を発って2ヶ月が過ぎましたが、我々の興味は尽きず、申し訳ありませんがここで旅を終わらせることはできません。大きなトラブルもなく、けんかもせず、ウズベキスタンまでやって来ました。人々は熱い視線とさまざまな質問を我々に投げ、その人なつこさは時としてしつこく感じられることもあります。今後、さらに2ヶ月をかけてイラン・トルコ・ルーマニアへと進む予定です。草々