107日(水)サマルカンド 晴れ

 

【移動日だが、・・・】

 昨日、安ビールを調子に乗って2本も飲んだせいか、腹の調子が良くない。朝食後、久しぶりに瀉痢停片を飲んだ。

今日は移動日で、次なる目的地はブハラだ。移動中の車内で発作が起きないことを祈るのみだ。チェックアウトを終え、ホテル前のシャラート・ラシドフ通りでミニバスに乗ろうとしたが、バスターミナルに行くのはどのバスなのか判別できないので、ついついタクシーを拾った。言い値で乗ってしまったことを反省しつつ、バスターミナルへ向かう。

850分発ブハラ行きのバスはピカピカのメルセデスベンツ製だ。中央アジアでの都市間交通のバスは、いずれも立派なバスが多い。

 

【飲み過ぎか?】

 途中の町で昼食休憩となった。

僕は、どうも腹の具合がよろしくないので、バスを降りるなり、バスターミナルのトイレにしゃがむ。

ウズベキスタンのバスターミナルにあるトイレは、どこも薄暗くてちょっと気味が悪いが、比較的よく掃除はされている。この辺りが中国との大きな違いである。トイレには便器が横並びになり、隣同士には高さ50cm程度の仕切りがあるので、隣の人は頭の帽子しか見えない。が、扉はなく、通路側を向いて腰を掛けるので、トイレを出入りする人からは丸見えだ。

中国では、トイレでしゃがんでも、ニオイと、積み上げられた過去のモノどもに圧倒されてしまい、なにも出ない。だから夜行バスでの移動時にはつねに便秘になったものである。

が、今日は出た。このことからも、中国のトイレが如何にヒドイものかを知ることができる。しかし「トイレに臆することなく出すことができるのは、それだけ胃の調子が悪いことを意味しているのかもしれない」と思うと、我ながら自己の体調が案じられた。

 

【ブハラに到着】

 バスは1420分にブハラに着いた。ブハラのバスターミナル、といっても街道沿いの空き地のようなところにバスとタクシーがあるだけだが、ここは町の中心からはずれた郊外にある。降りてみると、市バスらしいバスが目の前に停まっているが、最近の我々はタクシーを使うことにすっかり慣れている。バスの脇にいるタクシーも旅行客の相手に慣れているのか、我々を見るとオヤジのほうから「Sashaに行くのか?」と声をかけてきた。有名なんだなあ。500というのを200まで落として出発した。

「この辺りだ」というところで路地に入るが、思わぬ道路工事に出くわし、しかも一方通行が多いらしく、オヤジも「困ったな」というように右往左往する。道行く人に行き方を尋ねたりもするが、けっきょく門前までタクシーで付けるのはあきらめ、路地に入る手前、通りの一角に車を停め「ここから50mだから、歩こう」と言って車を降り、我々を案内してくれた。そしてSasha&Son’sの看板を発見した。

 門をくぐって素敵な中庭に入ると、掃除人か料理人か、オバサンが1人休んでいた。英語はしゃべれないというのでロシア語で「空きはありますか?」と聞くと、「今日は一杯なのよ」と、我々をがっくりさせる答えが返ってきた。「でも、ちょっと待ってね」と電話をかける。どうやら御主人のSashaと話をしているらしい。彼か彼女か、きっと御主人は、本店のSasha&Lenaにいるのだろう。

オバサン、電話を切り、「いらっしゃい、案内するから」と言って外へ出た。いちど降ろした荷物を背負おうとすると「またもどってくるから、荷物はそのままで良いわよ」と制される。「遠いのかな」と思い、どれくらい歩くのかと尋ねると、「すぐそこよ、1分よ」とオバサンは明るい。先ほどタクシーを降りた地点まで戻り、通りの向かい側にある家の扉の鍵を開け、「さあどうぞ」と我々を中庭に案内した。

 

【ブハラの宿】

これはウズベクの典型的な住居と言っていいのだろうか。門をくぐってすぐに中庭があり、その左側、ちょうど道路に面する側に、シャワー・トイレがある。中庭の左奥には台所がある。そして、中庭を挟んだ向かい側に、2階に上がる白木の階段があった。階段を上がったところで、2階の扉に出くわする。2階には、中庭を見下ろすようにして「コの字」の廊下がある。中庭に面する側はガラス張りなので、廊下から中庭を見下ろすことができる。この廊下の反対、つまり、仕切りの壁を巡らすように、部屋が仕切られている。

我々が泊まる部屋は2階であるが、2階には全部で4つ、部屋がある。そのうち2つは1人部屋、残り2つが2人部屋だそうだが、「今は全部空いているから気に入った方に決めてちょうだい」とオバサンは呑気である。

このうち、1つは廊下から扉を開けるとすぐ部屋なのだが、もう1つの部屋は少し違っている。廊下から扉を開けると、まず8畳ほどの部屋がある。ここにはテレビとソファがあるが、泊まり部屋ではない。この部屋の左右の壁にはそれぞれ1枚ずつ別の扉があり、右の扉は1人部屋、左の扉が2人部屋になっている。2人部屋は外の通りに面しており、部屋の窓から戸外の様子をうかがうことができる。南向きなので日当たりも良い。この部屋に泊まることにした。

この建物が、いわば「Sasha&Son’s」の別館に当たるようだが、本館に比べれば、造りは粗末である。1階のシャワー・トイレ・台所は共同とのことである。部屋に水場はないが、部屋は清潔で、我々にとっては十分の部屋だ。本館に戻り、オバサンは再び主人に電話をかける。オバサンから片言の英語で「115ドル。朝食は8時。こちらの食堂でネ。シャワーは、夕方5時になったらお湯を出すからネ」と説明を受ける。文句はない。

 

【ブハラの生活】

 サマルカンドでもゆっくりしたが、ブハラにも4泊するつもりだ。本格的に歩き回るのは明日以降にすることにして、散歩がてら買い出しに出かけた。

バザールを冷やかしていると、ユウコが「サマルカンドよりも物価が高いね」と言う。さすがに、食物の買い物に関してはよく見ている。我らが別館は他に泊まり客が居ないので、シャワー・トイレはもちろん、台所も自由に使うことができる。台所を見たところ、鍋・おたま・食器などが常備されており、自由に利用できるのが嬉しい。今のところ、他に泊まり客が居ないので、家ごと借り切った気分だ。

 

【旅は道連れか・・・】

まだ明るいが18時ごろに簡単な夕食を済ませ、中庭でくつろいでいると、新たな客がやってきた。金髪をショートカットにした白人の女性が1人。英語の達者なオジサンに連れられている。「朝食付きなら15ドル、朝食なしなら13ドル」「ソム払いではいくら?」「君はブラックマーケットで両替した? だったら・・・」といった交渉を展開している。我々は声をかけなかった。

 

【沢木耕太郎も「日本語の飢え」を書いたが・・・】

 2階の廊下の突き当たりに観音開きの本棚がある。なにげなく開けてみると、そこには、ちょうど1年前の週刊ポストとビッグコミックが1冊ずつ残されていた。これをテレビのある部屋に持ち帰り、シャワーを浴びたあと、ソファに座ってなにげなしに眺めていたが、ついつい夢中となり、気がつくと、2人してむさぼるように読んでいる。

「深夜特急」の中で、沢木青年が「日本語の会話に飢える」シーンが出てくるが、我々はこのとき、よほど日本語に飢えていたのであろう。ビッグコミックの漫画は、知っているもの知らないもの、面白いものくだらないもの、全て読み、週刊ポストに関しては、記事はもちろん、たわいのない広告や欄外コラムまで、それこそ一字一句読み飛ばすことなく、紙に穴が空くほどに読み尽くしたと言ってよい。それほどに、日本の活字が嬉しかったのだろう。母国語の文字はさほどに読みやすく、理解可能なものであるかを改めて思い知らされた。

中央アジアに入って1ヶ月が過ぎる。「早くイランに行きたい」という思いは、あるいはこの辺りにも起因しているのかもしれない。我々にとって、中央アジアにおける唯一の情報資源は「Lonely Planet」いう英語の旅行ガイドブックだ。中国では「地球の歩き方」を利用していた。そして、イランの情報資源としては、旅行人ノート「アジア横断」をザックに用意している。たかがガイド、されどガイド。同じ情報量でも、英語と日本語では頭に入る量が違う。中央アジアにおける旅の辛さは、ロンプラという英語ガイドに頼るほかないというストレスにも起因しているのかもしれない。

 

【ブハラの夜】

 Sasha&Son’s別館が面しているアンバール通りには街灯もあり、夜9時頃までなら出歩いても問題はなさそうだ。道行く人もぼちぼち見られる。窓の外右手にリャビハウズの池があるのだが、そちらの方向は明かりがこうこうとついている。ライトアップでもしているのだろうか。