中央アジア14(No.34) どこでも悪い人もいるけど、いい人がいる〜シムケント・タシケント1

【親切な街の人】

3時間ほど田舎バスにゆられてシムケントへ。バスターミナルで私がトイレに行っている間に、マサトが警官にパスポートコントロールを受けていた。マサトが警官に「これからトルキスタンに行くんだ」というと、マサトのロシア語会話集の表紙をみて、「ここはトルキスタンだ。」などと言って喜ぶ。シムケントからトルキスタンへは公共バスの他、ミニバスもあり、ミニバスのほうが早くて便利。お客が満員になったら発車で、1日何回も出ている。

12時半、トルキスタンに到着し、ここで宿泊するつもりだったが、宿が見つからず、バスターミナルの横にある、中国で言えば「交通賓館」のようなところに泊まることにする。フロントはなく、カザフ系の若い女の子が留守番をしている。1200テンゲ。安い!!が、水場はないし、1階で窓の外はすぐバスターミナルなので不用心。トイレは外で、もちろん水洗ではなく、汚い。しかも窓がこわれていて、用を足している姿が外から丸見えである。排泄物を穴の中にきちんと落とさず、はずしているものも多い。ここに夜中にトイレに行くのは嫌だ。せめて他のホテルに泊まりたい・・・。とはいっても、当てもないので、とりあえずチェックインして大きな荷物を置く。しかし目的であった霊廟(ホッジャ・アメフト・ヤサウィ廟)も、修理中のため中は見られず、ほんの数十分で見終わってしまい、3時頃にはこの街にいる意味がなくなってしまった。マサトに「まだ、シムケントに帰ってもホテルを探す時間があるし、戻らない?」と提案する。まも「そのほうが良いね」と言ってくれた。あとは、一度チェックインしてしまったことが気になるが、交通賓館に戻って女の子に「やっぱり泊まるのやめます。」というと、「ああそう。じゃあね。」といった感じで、幸いなんのトラブルにもならなかった。

ミニバスに乗り込もうとすると、これがまた、行きと同じバスだった。行きと同じように快適だったのだが、居合わせた中の2人の客がひどい酔っぱらいで、隣の女の人に無理矢理キスしようとしたり、大声でどなったり、別の乗客にからんだりする。あまりにもひどいので、運転手が途中で休憩をとり、頭を冷やさせる。その間他の乗客は、沿道にあった瓜売りの前でスイカやメロンを物色していたが、同乗していたカザフ人の親子が私たちに「どうぞ」とメロンを1つ買ってくれた。この人達は酔っぱらいと何の関係もないのだが、「カザフ人がみなこういうわけではないのですよ。迷惑かけてごめんなさいね」という気持ちになったのだろうか。かえって申し訳ないが、ありがたくいただく。行きでも気さくに話しかけてくる女性などがいて楽しかったが、帰りも酔っぱらいを除けば、平和で楽しい。

シムケントに着き、ホテルユージナヤを目指して歩くが、ガイドブックの地図が間違っていて、道に迷う。公団団地のようなところにはいってしまってうろうろしていると、「あなたたちどうしたの?」とやさしそうな40代くらいの女性が話しかけてきた。(高校時代に英語を教わった、A先生に似ている)一見、日本人かとおもうような顔立ち。話を聞くと、朝鮮系のカザフ人だという。団体旅行ではなく、2人だけで旅行しているということを聞いて、彼女は非常に驚く。A先生は英語の先生だったが、残念ながらこの人は英語ができない。近所の人に「あなた、英語できる?」と聞いて回るが、できる人には出会えない。ロシア語の少ない語彙で、「ホテルユージナヤに行きたいのです。」と何度も繰り返すと、「ユージナヤはレモント(修理中)」だといった。「ホテルシムケントに案内してあげるわ。ちょっと待っててね。」といって、団地の中へ入って行き、A先生は荷物を置くと、ホテルシムケントまで私たちを案内してくれた。さらに、フロントで部屋の料金交渉までしてくれたので、最初「100ドル」と言われたが、「1700テンゲ(21ドル)」の部屋に泊まることができた。A先生は私たちの部屋までついてきてくれた。部屋の確認をしてくれたのだろうが、普段ホテルシムケントに地元の人は入ることなどないだろうから、興味もあったのかもしれない。御礼をしたいが、適当なものがないので、先ほどもらったメロンをわたそうとすると、「いいの、いいの。それじゃあね。」とにこにこして去っていった。ありがとう!A先生に似た人!!ホテルシムケントは清潔で快適である。ただし、お湯は出ない。そして夜は停電してしまった。まあでも、きれいなベッドで休めればいいや。セキュリティもトルキスタンの交通賓館に比べればずっといいし・・・。ここまで、頑張って戻ってきてよかった。心からそう思う。ホテルシムケントの周りは公園になっていて、カフェなどがある。人の温かさに出会えた日だからだろうか、なんだかとてもうれしくなって、公園の売店でシャンパンを買ってマサトと乾杯した。

 

【ウズベキスタンの首都、タシケント】

今日はいよいよウズベキスタンに入る。別の国に入るのだが、マサトが訪れたことのある国という安心感と、ときどき国境をこえたり、ウズベク人に出会ったりしているので、中国からカザフスタンに入ったときのような緊張はない。長距離バスターミナルに向かい、カザフ時間で1015分発のバスに乗る。国境の街では、両替商がバス内にどやどやと入ってくる。私たちも計算機片手に両替交渉。全て100スム札という小銭で交換されるので、大きな札束を3つも4つもかかえることになってしまい、なんだか大金持ちみたいだ。(実際は100ドルにも満たない)3時間あまりでタシケントに到着。警官に会うのもいやなので、バスターミナルまで行かず、地下鉄駅入り口で降りる。そこから地理も暗いので、タクシーでインビテーションをくれた旅行社「ヨルダムチ」をめざす。オフィスはこじんまりとしていて、女性2人と男性1人のスタッフがいる。マネージャーはきょうは「不在」だという。女性のうち、髪の毛が長く、すこしマサトの妹Aちゃんに雰囲気の似た美人は、英語が少し話せる。私たちが外国人登録をしてほしいというと、「私たちの仕事はビザのサポートをするだけです。」という。そして、タシケントで紹介できるホテルは「ホテルタシケントだけです」という。そこは「自分で泊まろうとすると60ドル」のところを、「40ドルにしてあげる」という。高いが、外国人登録をするにはきちんとしたホテルに泊まるしかない。警察のやっかいにはなりたくないので、しぶしぶアコモデーションをうける。次に入国する予定のトルクメニスタン大使館の場所を教えてくださいというと、これについては親切に教えてくれた。ホテルタシケントに行くと、こういう客に馴れているのか、既に話はとおっていたようで、1ヶ月分の外国人登録をそこで行ってくれた。ホテルタシケントは1日滞在すればもう十分なホテルだが、街の中心部にあり、とても便利なところにあるので、来てよかった、と思う。タシケントには地下鉄が通っており、その雰囲気はチェコの地下鉄を思わせる。ホテルタシケント前にはオペラ劇場があって、今日も催し物をやっているようなので、見てみることにした。それがおもしろい!今日は、オペラというより、トルキスタンの興亡(モンゴルの襲撃?)を題材にしたミュージカルのダイジェスト版で、衣装がとてもきらびやかだ。歌や踊りも楽しい。(若干オーケストラや合唱団は音のずれがみられたが・・・)ダイジェストでなく、きちんとしたミュージカル全編をもう一度見たいくらいだ。

 

タシケントの朝。朝食は宿泊費に含まれていたので、ホテルでとる。「目玉焼き?オムレツ?パンケーキ?」洋食おきまりの質問である、卵の焼き方を聞かれるのが新鮮に思える。朝食をとっている客は意外とバックパッカーが多い。こんなにバックパッカーが泊まっているということは、他に安いホテルがないのだろうか・・・。と思うが、ガイドブックにある「ウィークリーマンション」を探しにいってみる。アルマトイのバーバのような客引きの人々、そして待遇を期待して「溜まり場」といわれるアムール・ティムール広場に行ってみるが、そのような生業の人たちはいない。バーバのように鉄道駅にいるかもしれないと思い、そちらも見てみるが、やはりいない。鉄道駅近くの地下鉄でとうとうパスポートコントロールに会ってしまった。ただし、パスポートを見るだけで問題はない。よかった。チェックアウトの時間までもうあまりないので、マサトと相談してタシケントホテルに引き続き泊まることにする。居所が決まってほっとしたのか、どっと疲れが出て、体がだるい。しかし、現金を下ろさねば。マサトが限度額一杯までキャッシングしてしまったので、わたしのカードでやらねばならないのだ。VISAの使えそうな銀行を探す。National bank は、キャッシングを扱っておらず、NBUへ行きなさいといわれる。NBUでやっと、1000ドルのキャッシングに成功。私のカードはマサトの家族カードだが、マサトとは別に限度額があるらしい。よかった。日本へ連絡をとりたいが、インターネットカフェがないので、郵便局でFAXをする。E-mailサービスもあるようだが、自分でコンピューターに入力するのではなく、職員に文面を渡して入力してもらうシステムなので、信頼性に欠ける。よってFAXをした。

 

【トルクメニスタン大使館】

郵便局の裏手にオロイバザールがあるというので行ってみる。トマトとナン、ピスタチオ、それに試食しておいしかった鱈のキムチを買う。

夜中に下痢する。鱈のキムチに当たったのだろうか。よく考えれば、鱈は生もので、いくらキムチにしてあるといっても、生食するのは危険だったといわざるを得ない。ぼんやりしていたのだ。朝になっても体がだるい。胃ももたれている。しかし、今日はトルクメニスタン大使館に行かねばならない。ホテルタシケントには3階にサービスビューローがあり、そこのスタッフが親切に行き方を教えてくれた。しかし今日は「祝日(タシケント市の日?)」とのことで、「大使館はやっているかわからないよ」といわれた。そのあと、ヨルダムチの女性がホテル代を取りに来た。彼女も「今日、大使館は休みだと思うわ」という。しかし、トルクメニスタン大使館は自国の暦で動いているはずなので、私たちはやっている可能性が高いと考える。バスに乗って大使館に向かう。大使館は非常にわかりにくいところにあるが、付近の住民が大変親切に道を教えてくれる。工場や一般住宅など、道でないところをすりぬけて大使館へ行ったので、変だなあと思っていたら、私たちは裏のほうから大使館に来てしまったようだ。トルクメニスタン大使館につくと、隣に国連オフィス、同じ建物内にグルジア、ベラルーシ、タジキスタンの大使館もある。トルクメニスタン大使館は予想通りやっていたが、いくつか問題がおきた。大使館員の言うことには、『その1,(私たちの旅程ではインビテーションに入国予定と記載されている)1025日より前にトルクメニスタンに入国することになりそうだが、その場合1週間のトランジットビザしかとれない。その2,1025日以降なら20日間有効のツーリストビザがとれるが、1027日、28日はトルクメニスタンの独立記念日で、式典にVIPが多数来訪するため、観光客は追い出される。その3,今日、ビザを出すことはできるが、休日営業なので、ビザは162ドルとなる。(明日なら31ドル)』なんだそりゃ、と思うことばかりだが、とりあえず明日再訪することにした。旧市街へ観光に行く。

 

【タシケント観光】

地下鉄駅のすぐ近くにチョルスーというバザールがあり、新市街(郵便局の裏)にあったオロイに比べ、規模も活気も雑多さも数段大きい。扱っているのは衣料品や日用雑貨が主で、道にはタクシーや買い出しの自家用車があふれている。今日は特に買うものもないので、ぐるっと一回りしたあと、バラクハンのメドレセ(神学校)を見に行ってみる。モザイク模様が美しい。門前に車が何台も停まっているが、これから葬儀をおこなうらしい。白い布に包まれた棺が男達の肩に背負われて、1体運ばれてきた。チョルスーバザールに戻る。このバザールでは買い物客用の軽食屋、チャイハナも規模が大きい。そのなかの一つに入ってホットドッグとコーラで簡単な昼食をとり、もう一つのメドレセである、クケルダシュのメドレセを見学する。しかし、体が重く、暑いし、いろいろなものを見て感激する気力もない。マサトには申し訳ないが、ホテルに戻って休むことにする。午後は別行動だ。1人で行動しても、タシケントでは地下鉄が発達しているので、移動はたやすい。安全だし、とてもきれいだ。特に新市街中心地の地下鉄駅となると、駅毎に装飾のテーマを決めているようで、構内に美しいシャンデリアやモザイクなどが施されている。

ホテルに戻るとジェジュールナヤが「マダム、チェンジマニー?」と言ってきた。ここに泊まってから、毎日のように闇両替を持ちかけられる。今日は疲れていたし、特に両替の必要もないので、適当に流した。

夕食はタシケントのメインストリートにあるレストランでタバカを食べた。店は全面ガラス張りになっており、テーブルには白いクロスがかけてあり、さらに中央にはバラの花が1輪、花瓶にさしてあったりして、なかなか洒落ている。若い人に人気があるレストランのようだ。奥はバーテンのいるカウンターになっていて、中年男性がひとりウォッカをショットグラスで2〜3杯ひっかけては帰っていく。食事をとっていると、花売りがやってくる。清潔な店で食事をとってもおなかの具合は良くならない。

翌日の朝になっても下痢がとまらず、薬を飲んでいなかったことをマサトに怒られる。瀉痢停片の御世話になる。この薬、効くことはわかっているのだが、効きすぎてちょっと怖いのだ。食べたくないが無理して朝食はとったものの、調子がわるく、マサトが「今日は1人で大使館と銀行に行って来るよ」と言ってくれたので、部屋で休んでいることにする。

ヨルダムチへの延泊手続き(電話)だけ、今日の私の仕事になった。マサトが出かけたあと、ジェジュールナヤに「電話をしたいのだけど」というと、「市内?」ときかれ、「そうだ」と答えると「これ使って良いわよ」と自分の脇にある電話を指さした。「料金はどうなるのだろう」と思うが、使って良いといわれたので、その電話でヨルダムチに電話をする。ヨルダムチには午後、お金を持っていけば良いということになった。その後も何回か電話を使わせてもらうことがあったが、料金を請求されることはなかった。

後からわかったことだが、どうもタシケントでは市内通話に料金がかからないらしい。旧ソ連圏ではそういうシステムをとっている都市がいくつかあるようだ。部屋に戻って再び休む。

横になっていると、瀉痢停片が効いているのか、おなかの中で洗剤が泡だってとけているような「ごぼごぼ」という音がする。いかにも悪い菌をやっつけているという感じだ。新疆から西に来て下痢になったとき、正露丸では全く太刀打ちできないが、瀉痢停片では悪い菌も一網打尽だ。恐るべき技術、哈尓浜製薬!

お昼頃マサトが帰ってきた。今日はマサトにとって三隣亡だったらしく、いらいらや失敗が多く、元気がない。午後は一緒に出かけることにする。ヨルダムチへ行き、延泊分のホテル代を払い、サマルカンドのアコモデーションを受ける。ブハラのホテルも薦められたが、ガイドで見るより高く値段設定がされているので、やめた。

 

【再びトルクメニスタン大使館へ】

次はトルクメニスタン大使館だ。気が重く、行きたくなかったが、いかないとパスポートが返ってこないので仕方ない。なぜ、気が重いかというと、昨日よりもさらに悪いニュースが増えたのだ。それは、式典のため観光客締め出しの期間があると昨日教えられたが、昨日の大使館員が言った2日間でなく、1010日〜28日と長期になったというのだ。しかも、私たちのウズベキスタンビザは28日で切れる(正確には27日で切れる)ので、29日から入国可能になっても、ウズベキスタンのビザを延長しなければならない。料金がかかることも面倒だが、ウズベキスタンに長く滞在して見るところがあるだろうか?そこまでして見所の少ないトルクメニスタンに行く意味があるだろうか?それなら、トルクメニスタンのビザ申請をやめればよかったのだが、マサトはウズベキスタンのビザが切れることに気がつかず、申請をしてしまったらしい。焦っていたのだろう。仕方がないことだ・・・。大使館前につくと既に行列ができていた。その中の大半はトルコ人らしい。白人のビジネスマン(アメリカ人)に話しかけられ、トルクメニスタンの観光地、マリのことなど聞く。トルコ人たちは私たちが日本人だと知ると、「先にビザを取ってきて良いよ」と順番を譲ってくれた。おかげで行列のわりには早くビザを手にすることができた。2人で62ドル。せっかくビザをとれたのに、悪い知らせにマサトはがっくりしている。

「ウズベキスタンで見るところがたくさんあって、やっぱりもう少しいたいとおもうかもしれないし、なによりこのビザかっこいいね。」

私は、こんななぐさめにもならないなぐさめをいうのが精一杯であった。

夕方になると薬が効いてきたのか、食欲が出てきた。スープが飲みたくなって昨日の店に行くが、スープはないという。仕方なくプロヴを食べる。脂っこいが、なんとかのどをとおるし、おいしい。黄色いニンジンが使われている。残念なのはプロヴが冷めていたことだ。

 

(つづく)