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中央アジア16(No.36) ついにマサト倒れる〜ブハラ

【ブハラの街へ】

今日は107日(晴れ)だ。

ブハラへ向かう。バスのチケットを買う際に、初めて保険代5スムを取られた。事故にあったら5000スム(約600円)というが、そんなお金、医者代にもならない。中国甘粛省の無意味な保険制度が思い起こされる。おかしなところばかり真似して良くないことだ。

キルギスと同じく、ウズベキスタンでも車窓に綿花畑が広がるが、既に枯葉色の風景。秋である。この辺りの綿花は一つ一つの花を手で摘んでいる。もっぱら女性の仕事。畑の中で女性達のはでなワンピース+モンペ姿が目立つ。男達の仕事は運び屋のようで、綿花を山のように積んだ彼らのトラックが道路を行き来している。道端にはトラックの荷台からこぼれ落ちた綿花が雪のように降り積もっている。

また、ウズベキスタンでは牛の放牧がよく見られるが、何か違和感がある。何に違和感があるのかというと、日本のように柵で囲まれた牧草地に放牧されているのではなく、まさしくほったらかしというか、畑や道端で自由に草を食わせているからなのだ。もちろん糞もそこらじゅう落ち放題。畑では肥料として牛の糞はいいかもしれないが・・・。牛が作物を食べてしまうのではないかと心配したが、賢いことに、牛は売り物のトウモロコシは食べないで、雑草ばかり食べる。この自由な牛の放牧は、自然の摂理にかなっている。

 

【おすすめB&B  Sasha & son’s

このように車窓を眺めながらいろいろなことを考えつつ、5時間半。ブハラに到着した。バスを降りるとすぐ、タクシーの客引きに「Sashaにいくのか?」といきなり聞かれる。私たちみたいな格好をしている人は、みんな行くのだろうか?その人の車に乗って、「Sasha」へ。ブハラの街は細い路地が入り組んでいて、タクシーの運ちゃんも四苦八苦。しかも、いつもの道が工事中だったようで、回り道したら迷ったようだ。人に聞いたり、行きつ戻りつしながらなんとか「Sasha & son’s」に到着。ここは本館のようで、今日は満員。道向こうの別館に案内される。本館に比べると少々くたびれているが、なかなか清潔。2階のツインの部屋に案内された。ソファやドレッサーもある。トイレとシャワーは1階にあり、共同である。でも、ここも清潔だ。同じく1階の台所も使える。朝食付きで15ドルとのことだが、朝食は本館でとることになるそうだ。一泊20ドルだときいていたので、5ドル安くてうれしい。テレビが見られる共同スペースもある。古いけれど、日本語の雑誌がある!前の旅行者が置いていったのだろう。日本の漫画もあって、マサトと2人、夢中で読む。マサトはとても御機嫌である。

朝食会場の本館は非常に美しい。飾り棚が素敵で、いろいろな壺が飾ってある。テーブルクロスをかけられた西洋式のダイニングテーブルには、西洋式の朝食が整えられている。コーヒーを飲むのも久しぶりだ。朝食の時だけ、贅沢旅行をしているような気持ちになる。本館を昨晩占拠していたのはドイツ人の団体観光客のようだ。朝食で一緒になった。年輩の方が多い。

私たちは食べきれなかったデザートのリンゴ(剥いてない)までポケットに入れて、すっかり朝食をたいらげる。

食後、オーナーのSasha氏がやって来て、宿代を払った。

「外国人登録をしなければならないから」とパスポートを預けさせられた。タシケントで1ヶ月分外国人登録はしてあったので、「警察につかまったら困るので」と断ったら、「登録しない方が出国するとき問題になる。Sashaに泊まっているといえば大丈夫。警察はみんな知っているから」とのことなので、預けることにする。

 

【ついにマサト、ダウン。クリスタルと出会う】

朝食はおいしくたべたマサトだったが、元気がない。昨日から下痢しているという。一昨日の晩、シャシリクを食べていたときに、ビールをがぶがぶと飲んでいたが、それが当たったのだろうか。私と違うものを口にいれたという心当たりはそれくらいである。疲れているのもあるのだろう。

しかたがないので、私1人で散歩する。美しい街だが、やはりマサトと一緒に見たい。建物の前を通り過ぎるだけで、中には入らないことにする。

「買い物でもしようかな」とバザールを探すが、観光名所のある、中心街には見あたらない。ナンだけ買って、とりあえず部屋に戻る。ナン屋では、お店の窓口に背が届かず、店のお兄さんになにやらからかわれたような気がするが、よくわからない。

マサトと昼食をたべ、「大丈夫だ」というので、一緒に外に出る。すたすたと歩いていて、ふと横を見るとマサトが隣にいない。「?」と振り返ると、はるか後ろのほうで、呆然とした姿でマサトが突っ立っていた。「ダメだ・・・。」見た目は元気そうに見えるが、身体が動かないらしい。こういう時は、部屋で1日ゆっくりしたほうが後日のためなので、今日の観光はあきらめる。

私は郊外のバザールへ1人で買い物に出かけた。今泊まっているB&Bは、台所が使えるので、きょうはポトフでも作ろう。そう思い、じゃがいも、たまねぎ、トマト、ソーセージ、ブイヨンなど買い込んで、いざ料理、と気合いを入れると、台所は断水。ほかのところの水も出ない。どうやら水道工事をやっていたようで、6時頃復旧する。よかった。水も出たので、料理するかと準備していると、アメリカ人の若い女性が台所にやって来た。

彼女がメロンをくれたので、一緒に食事しましょうと誘う。マサトも呼んで、3人で食卓を囲む。彼女の名前は「クリスタル」という。金髪碧眼、鼻にピアスをしている。金髪は短くボーイッシュな感じだ。学生時代に東京に1年留学し、その後高知県で3年間英語教師をしたとのことで、日本語が話せる。英語教師をした後、アフリカへ旅行し、また高知県に戻って今度は知り合いのスナックで働いていたという。「高知大好き!」だそうだ。

そこでお金をためて彼女はチベットへ行き、雲南やネパールも回ったという。今年はセントラルアジアを旅し、来年はイランへ行きたいとのこと。その後はアメリカへ戻り、また大学に行きたいのだとか。すさまじい人生だ。

彼女はどこかでみたことある人だなあと思っていたら、カラコルでも、サマルカンドでも同じ宿に泊まっていたようだ。私たちとほとんど同じルートをたどっているので、タシケントで何処に泊まったか聞いたところ、ホテルターロン(Turlon)に泊まっていたという。小さい虫がいっぱいいたらしい。別の800スムで泊まれる激安のホテルには、ネズミがでるらしいという。

「どっちのほうがましなんだろうね」とクリスタルにきくと、「ネズミのほうが嫌よ!」と、とても嫌そうな顔をした。

やっぱりタシケントには安くて快適な宿はないらしい。私たちはホテルタシケントに連泊して正解だったなと思う。

 

【一晩で変わった季節】

昨日まで日中は30度をこえるかと思われる暑さだったのに、昨日の夕方、雨が降ってビュービュー風が吹いたと思ったら、寒気君がやって来た。寒い。

1夜明けただけで、Tシャツの生活からセーターの生活になってしまった。

マサトはゆっくり休めたのか、今日は元気になった。よかった。

朝食後、市内観光へ。今日は金曜日なので、ほとんどのモスクのチケット売場も休み。ユダヤ教で金曜日が安息日だということは知っていたが、イスラム教でも金曜日は安息日なのである。皆仕事を休んでお祈りに行くのだ。お祈り中で入れないモスクもあるが、いつもは入場料をとるモスクも、きょうはほとんどが無料で見られる。

「イスラム圏の観光は金曜日にせよ」という旅行者間の言い伝えはこのためだったのか。ウルグベクのメドレセを見て、そのあとカランのミナレットを見る。中央アジアで最大の塔だという。ミナレット自体も、周りの建物も非常に美しい。その美しさとは反対に、このミナレットにまつわる話は恐ろしく、おぞましいが・・・。(処刑台として使われていたという)

 

【お城ではたかりばかり】

次に18世紀のブハラの城に行く。城では安息日は関係ない。入り口のチケット売りのおばさんが、入場料は465スムだという。法外だ!渋っていると、

「わかったよ、学生だから345にしてあげる」

という。それにしても高い。まだ渋っていると、

「ドルを両替するか?」

としつこく聞いてきて、

「両替してくれるなら、240にしてあげる」

という。汚い!!しかし、レートを聞くと、両替は悪い話ではない。だからといって、そんなにたくさん両替してもしかたないので、20ドル替えることにした。

マサトは最初、ドルの小銭を非常に大切にしていて、私が両替で小銭を使ってしまうと、烈火の如く怒っていたが、最近どうでもよくなったらしい。素直に5ドル札や10ドル札(小銭)で両替しようとした。すると、おばさん

「小銭じゃいやだ」

とごねる。うるさい!同じお金だろうが!と、私は腹が立つが、持っていた20ドル札を出すと、

「もっと大きいのはないのか」

とぶつぶつ言いながらも、両替をやっと行った。そして、1240スムで、城にやっと入場できた。城自体はたいしたことのない建物で、特筆すべき場所もないが、高いところに登っているのでブハラの街が見渡せるはずと、パノラマが広がりそうなところに行こうとすると、土産物屋が

「そこは立入禁止だ。入ると警察につかまるぞ」

と巡回している警官を指さして言う。じゃあ、あきらめるかと立ち去ろうとすると、

「まあまて、案内してやるから」

といい、むりやりがれきの中に連れ込んで、ガイドをする。そして、

「特別に案内してやっただろう」

と土産物を売りつけた。

私たちが「いやだ」というと、「警察を呼ぶぞ」と脅す。

「呼ぶなら呼べ」とも思うが、警察もグルかもしれないので、うかつなことも言えない。

マサトはとうとう1ドルのちゃちなウイグルナイフを買わされた。まったく!城はろくでもないところだった。

 

【楽しいバザール、そしてまた・・・】

大きい方のバザール(きのう私が行ったのは小さい方のバザール)に向かう。

途中にあった「ボロ・ハウズ・モスク」は、ガイドブックによると「イラン式の建物」ということだが、私には中国の建物を思い起こさせた。西安で見た清真寺を思い出させる。でも、イランにはまだ行ったことがないので、ガイドブックで「イラン式」と言っているのなら、イラン式なのだろう。バザールはなかなか盛況。日用品の販売が多い。今日は寒いので、地元の男性は例の「着物に似た綿入れ」を着ている。このバザールでは、入場料の必要な売場がある。入り口に回転式のゲートがあり、そこで13スムとられる。ここではすこし値段の高いものがおいてあるようで、よそ行きのドレスなども販売されており、とてもきらびやかだ。マサトはこのバザールで靴下を買った。入ってきた方向と反対側に出てしまったので、そのままそこにあるサマン公園を散策する。この公園にはイスマイル・サマンの廟があり、この建物は色を一切使用していないのだが、ガイドにもあるように、優美な建物である。幾何学模様が美しい。公園内の遊園地では、子どもの誕生日か何かをいわっているようで、隣接のレストランで盛大に宴が催されていた。遊園地の乗り物は、主役の少年(5歳くらいか?)とその友達に貸し切られ(というか、他にお客がいないので、彼らだけのために乗り物を動かすことになる)、贅沢なものである。(後から考えると、割礼の祝いかもしれない)

メドレセを2つほど見学し、「そろそろ宿のほうへ戻ろうか」と話しながら歩いていると、ある家の門前で40代の男性に声をかけられた。

「ここは博物館ですから、どうぞ見ていって下さい」

胡散臭さを感じたが、入ってみる。ファズル・オジャエフの博物館だという。有力者の家を改築して博物館にしたらしく、最初に通された部屋は飾り棚が美しい。しかし、博物館という意味ではたいした博物館ではなく、いわばちょっと大きな土産物屋であった。お茶とお茶菓子をむりやり飲食させられ、民族衣装を着せられて、馬鹿っぽく写真に収まった。結局1300スムを支払うことになった。

ウズベクには私の父と体型、頭の○具合、にやりと笑った顔が似ている人が多い。お父さん、ここに来たらナジムよ。

 

【ドイツでも季節が一晩で変わる】

翌日。今日は1010日。今日も寒い。10度を切っていると思う。

「こんなに激しく天候って変わるものかねえ。」

朝食をとりながら二人で話していると、同席していたドイツの老婦人が

「私たちの国でもそうなのよ。」

とおっしゃった。ドイツでも10月には22度から急に67度へと気候が変動するという。そういう背景があるからか、彼女らの防寒対策はばっちりだ。

 

【ブハラ汗国の夏の宮殿】

私たちは10時頃宿を出発し、郊外にある、ブハラ汗国の夏の宮殿であったエミール・パレスを目指した。入り口に入場券売場があり、2人で1075スムとのこと。「ひとりいくら」ではなく、人数毎に料金が違う。「高いなあ」と思うが、きちんとした料金表があるので仕方ない。高い理由は3つの博物館があることと、無料の英語ガイドがついてくるからであった。一つ目の博物館は、最後の皇帝、アリム・ハンへの諸国からの貢ぎ物が展示されている。また、皇帝が使っていた豪勢な食器類も展示されており、興味深い。二つ目の博物館は、皇帝やお后達の衣服が展示されており、金糸や銀糸を使って10キロもあるというゴージャスな服などもあった。3つ目は宮殿で、プールがある。このプールは深さが2メートルあり、皇帝が40人もの妾を(もちろん裸で)ここで泳がせて、高台の椅子の上からリンゴを投げ、今晩のお相手を決めたという話が伝わっている。妾はみな、足が底に着かないので、死にものぐるいで泳いだことだろう。そんな姿を皇帝はにやにやみていたのかと思うと、虫酸が走る。その皇帝がリンゴを投げたという玉座は修理中。宮殿はきれいな建物だったが、1910年代のもので、新しいのでちょっとがっかり。宮殿を後にして、ブハラ市内に戻り、4つの塔のあるモスク、チャル・ミナールを見て、ブハラの観光は終わった。

 

(つづく)