中央アジア2(No.21)トラブル続出!アルマトイ

 

アルマトイ駅に降り立った。旅支度の私たちを見て、すぐに「タクシー」と客引きが寄ってくるけれど、中国人ほどのしつこさはない。「まずは両替だ」と駅前の両替商でマサトが両替を行おうとした・・・。その時だ!マサトの背後に怪しい目つきをした男がすっとやってきた。私は、男をすかさず睨んだ。男は自分の手に注がれた、私の鋭い視線に気づくと、すごすごと引き下がり、市街の方へと消えていった。危なかった。しかしこれは、アルマトイで起こるトラブルのほんの予兆に過ぎなかった。

 

アルマトイではマサトが「プライベートルーム」に泊まろうといった。一般人の家にホームステイするようなものである。駅前広場には「空室あります」のプラカードをもった女性が何人か並んでいた。カザフスタンは旧ソ連の国なので英語はあまり通じないが、ロシア語はよく通じる。かんたんなロシア語なら話せるマサトに、ここからはバトンタッチとばかり交渉ごとをまかせて、私は少し気楽な気持ちになっていた。プラカードを持った女性達の中でマサトが選んだのが「バーバリャーナ」である。体格の良い(良すぎる?)、6〜70代の典型的なロシア人といった風貌の女性だ。顔はロシアの前大統領(その当時は丁度彼が政権を執っていた)エリツィンを女性にしたような感じで、少々強面である。しかし、実際の彼女は気さくな性格らしく、自ら

「私のことをバーバリャーナ(リャーナばあさん)と呼んでね。」

と言った。(この先は省略して「バーバ」とする。)私はきちんとしたホテルに泊まらないことに少々不安を覚えたが、プライベートルームに泊まるのはこれが初めてではなかった。この旅に出る前に新婚旅行で訪れたチェコで、プライベートルームに宿泊したことがあったのだ。安い料金でホテルよりも数段清潔な部屋を得ることができるプライベートルームに、私は良い印象を持っていた。チェコでの宿泊はいわゆるB&Bという方式で、一晩の宿泊と朝食がついていた。そこで、プライベートルームでは朝食が出てくるものと思いこんでいた私は、バーバに

「朝食は付くのですか?」

と聞いたところ、バーバは「何を言っているの」というような顔をして、

「自分で作るのよ!」

と私を自分の家の台所に案内した。そして道路に面した台所の窓をあけると、数軒先に市場や食料品店があることを、大げさな身振りでバーバは私に説明した。わたしは他人の台所で食事を作ってよいのかという驚きとともに、自分で好きなものを作って食べられるといううれしさと、バーバのオーバーすぎるボディーランゲージによる周辺の買い物についての説明とで、バーバとこの街に親しみを感じてきた。食事を自分で作り、一般家庭で過ごすというだけで、旅が「観光」から「生活」になったような気がした。さらに、アルマトイではウズベキスタンのビザをとるという大切な仕事があるので、滞在に1週間以上かかるとみていた。このアルマトイでの「生活」は、バーバの家のおかげでたいへん快適な環境であった。

 

 すばらしい宿を得て、順風満帆かのように思えたアルマトイの生活であったが、生活をはじめてみると、思ってもみないような事件にでくわした。

 

1が「電車内でのスリ」である。アルマトイはその当時カザフスタンの首都であった。日本と比べて人口密度も少なく、人々ものんびりしているのだが、平日の朝の交通機関、とくに街の中心を走る路面電車は当然ラッシュとなる。時間が自由になる私たちはラッシュを避ければ良かったのだが、朝から時間を有効に使いたかったため、そのぎゅうぎゅう詰めの路面電車に乗り込んだ。私は何も被害を受けなかったが、マサトはそこで、命とパスポートの次に大切な「日記帳」をすられてしまった。その時私たちは「野帳」というコンパクトサイズのノートを使っており、その表紙は合成皮革風で、大きさも札入れと同じくらい。満員で、乗ったが最後、身体を動かすことはおろか、下を向くことさえできない状況で、スリが手探りの中、財布と間違えて「する」のもわからなくはない。スリは路面電車を降りて自分の獲物を点検したとき、財布だと思って盗ったものが、なんだかわからない字でくねくねと書いてあるノートであるのを見て、舌打ちをしながら、どこかへそれを投げ捨てたことだろう。しかし、私たちにとってこれをすられるのは本当に痛かった。それまで中国で過ごしてきた1ヶ月の間に考えたこと、見たもの、様々なことをその日記にしたためていたからだ。写真では撮りきれない数々の思い出がその中には詰まっていた。盗ったことは責めないから、どうか返して欲しい、と思い、路面電車の経路を徒歩で戻り、ゴミ箱の中まで探してみたが、結局、日記帳が出てくることはなかった。

 

良くないことは続いて起きた。カザフスタンでは観光目的であっても、滞在する際に外国人登録が必要になる。しかし、カザフ語、ロシア語とも堪能でない私たちは、自力での外国人登録に失敗し、カザフスタンのビザを取るために必要だった「招待状」を手配してもらった旅行会社に依頼することにした。外国人登録にはパスポートが必要とのことで、預ける際に写真のあるページとビザのページをコピーし、控えとしてこちらにもらったが、そのときにはまさかこんなことが起こるとは思ってもみなかった。

 

私たちはアルマトイの中心地にある商店街を歩いていた。途中噴水があり、子供達が水遊びをしている姿がほほえましい。平和な風景を満喫していると、とつぜん警官に呼び止められた。ふと見ると、向かいに交番がある。

「パスポートを見せなさい。」

と言うので、持っていたコピーを見せると、

「これはパスポートではない。こちらへ来なさい。」

と交番の中へと引っ張られてしまった。交番に入ると、警官が3人ほどおり、

「バッグの中身を見せなさい。」

と言って、マサトに2人、私に1人と2手に別れ、私たちのバッグをそれぞれ受け取ると、ファスナーを開けて、中身を全部テーブルの上にぶちまけた。私のバッグには水筒、ビスケットとタオルくらいで、たいしたものは入っていない。しかし、警官は水筒の裏まで念入りに見て、調書らしきものを作っている。

「本当は、中国人なんだろう!?」

警官から強い口調で言われるが、そんなこといわれても、私たちは本当に日本人なので困る。警官があまりに水筒の裏を念入りに見ているので、

「ここに、『日本製』ってかいてあるでしょ!?ほら、これにも!」

と言いながら、私は警官に向かってタオルのタグなどを見せた。輸入品といえば「中国製」が多く、「日本製」のものがほとんど見られないカザフスタンで、少しは日本人だという証拠になるかもしれないと思ってやったことだった。今、パスポートのコピーしかない経緯をロシア語で話そうにも、私はカタコトだし、警官たちは英語を話せる者が1人もいないので、らちがあかない。マサトも懸命に説明を試みているが、どうにもならないようである。ついに私たちはカザフスタン製のジープに詰め込まれて、そのあと別件で捕まったらしいドバイの青年達と一緒に、警察の本署らしきところに連行されてしまった。

 

本署で最初に通された部屋では、ドアのすぐ横に檻があり、その中に何人もの外国人が拘留されていた。暗い檻の中で、男も女もなく一緒くたにされている。全員が暗い中で、髪も服も乱れたまま、うつろな瞳を光らせているか、うなだれているような様子である。署内で我々を引き回している禿頭の警官は

「あの男は韓国人、あっちの女はドイツ人・・・。」

とうれしそうに、にやにやしながら私たちに言った。私たちも彼らのようにお縄になってしまうのだろうか。何も悪い事をしていないのに・・・。そんな風に思っていると、中国からずっと調子が悪いお腹が痛んできた。「今、牢屋に入れられたら、お腹痛くてトイレに行きたいのに、どうしたらいいんだろう。こんな男も女も無いところでトイレもしなくちゃならないのかな・・・。」などと考える。禿頭の警官は少々ドイツ語がわかるようなので、マサトが片言のドイツ語で、今は外人登録のためにパスポートを預けていること、せめてその手続きをしている旅行会社のカンテングリ社に電話させて欲しいことを必死になって伝えようとしていた。禿頭は

「俺には権限はないんだ。」

と、少し気の毒そうに顔を曇らせて、私たちを見た。マサトは私に

「大学で第2外国語がドイツ語だったけど、今日ほど『もっと勉強しておけばよかった。』と思ったことはないよ。」

と嘆いた。

 

檻の前を過ぎると、もう一つ部屋があった。そこには上官らしき人がおり、向かいでは白人男性が机に座って、調書に渋々サインをしている。彼は、私たちを上目遣いにちらっとみると、ふてくされたように舌打ちをして、また下を向いた。上官は私たちのパスポートとビザのコピーを見て、

「これはキルギスのビザだ。」

と言った。「ちょっと待って。」と私は思った。私たちは「招待状」を日本に送ってもらい、日本でカザフスタンとキルギスのビザをとったが、当時日本のカザフスタン大使館はキルギス大使館のビザ発行業務も兼務していたので、カザフスタンのビザとおなじシールでキルギスのビザが作成されていた。しかも、その2枚はパスポートの2ページに渡って隣り合わせに貼りつけられており、一見、どちらのビザがどちらの国で使うものなのか、わかりにくい。しかし、一方は確かにカザフスタンのビザなのだ。何で隣のキルギスのビザを見るの!?マサトと私は慌てて、カザフスタンのビザのページを指差し、

「こっちがカザフスタンのビザ!アルマトイ!!(って書いてあるでしょ!)」

と叫んだ。いやだいやだ、牢屋に入りたくない!!2人とも必死だ。私たちの様子に、上官も自分がキルギスのビザを見ていたことにやっと気がついた。彼は「よしよしわかった。」というようにうなずいた後、「出て良いぞ。」と出口を指さした。出口のドアが閉まると、帰りは禿頭も付いて来ず、何の案内もない。なんと不案内なのだろう。ともあれ、檻に入らずに済んだことに安堵した。なんとか自力で正面玄関までたどり着き、玄関を出ておもわず空を見上げると、アルマトイの青い空が一層青く見え、私たちは自由を満喫するように、大きく伸びをした。

 

玄関前には乗ってきたジープがまだ停まっていて、中を見るとドバイの青年たちが乗せられたままになっていた。ジープに残っていた警官が、

「終わったか?」

と、マサトに聞いた。マサトは

「終わったよ。」

と答え、続けてドバイ人を、

「あなた達も大丈夫だと思います。幸運を祈ります。」

と、励ました。しかし、彼らの頷きにあまり力はなかった・・・。

 

警察の門を出、通りに出ても一体ここがどこなのか全く分からない。しかし、道を尋ねるにしても、警官とは2度と口をききたくなかった。どうにかこうにかして、自分たちの力で中心街へと戻った。道々「旅行会社でコピーの裏へ『今は外人登録のためにパスポートを携帯しておりません。○日にはパスポートが戻ってくる予定です。』と、一筆書いてもらおうね。」と2人で話した。私たちは旅行会社へ直行し、マサトが職員に事のいきさつを話すと、職員はびっくりしたような顔をしたが、私たちの望みどおり、一筆コピーの裏に書いてくれた。

 

アルマトイ。良い街なのだが、観光国家ではないカザフスタンでは、我々外国人は所詮「招かれざる客」なのだろうかと複雑な気持ちになってしまった。

 

二度あることは三度あるというが、良くないことはその後も起きた。

(つづく)