1998年7月29日(水)日本 晴れ

1日目

 

我々の旅は、7月末の上海から始まった。

出発直前の数日を慌ただしく過ごしていたこともあり、また、中国の空気に身体的にも精神的にも馴れる意味を含め、上海では少しのんびりするつもりでいた。が、その考えは甘かった。旅は始まっているのだ。我々は、もはや中国という異国にいる。街へ出れば、中国人を相手にしなければならない。当然ながら、その機会は第1日目から訪れた。

 

我々を乗せた中国東方航空MU524機は定刻通り13:50に成田を出発し、時差マイナス1時間、15:40(日本時16:40)に、上海に到着した。入国審査はあまりにもあっけなく、荷物も問題なく出てきて、空港ロビーに出たのが16時半であった。両替所で人民元を得る。空港のインフォメーションでホテルについて尋ねると、若い男が英語で応対してくれた。彼によれば、紹介できるホテルで一番安いのは華南賓館という。2人部屋で1泊240元のところを、この紹介所を通すと180元にまけてくれるとのことである。「歩き方」で最も安く書かれていたのは龍華賓館で260元とある。これについて尋ねてみると、「龍華賓館は2人部屋は330元だ」という。これは高い。このホテルにはドミトリーもあって、さらにもう一つ、ドミトリーのある宿があったはずだが、第1泊目から多人房というのもなんだし、そこまでする気もなかった。「180元なら、最初の一夜としては良いかな」ということで、詳しい場所を聞く。英語表記の地図をくれた。

 

空港を出ると蒸し暑い。たちまちタクシーの客引きが近寄ってくるが、ユウコはそれに目もくれず、バスの止まっている方へ歩く。なかなか頼もしい姿である。すぐにミニバス805を見つけ、乗り込む。チケットはどうするのだろうか。無券乗車で捕まったりしないのだろうかと僕は不安に思ったが、バスはすぐに発車してしまった。

空港からしばらくは片側5車線も6車線もある大通りである。高架道路をくぐる。車はばんばん走っている。大都会だ。バスはワンボックスに毛が生えたほどのミニバスで、これまたかなりのスピードを出す。乗車口のすぐ横に座っていたお姉さんが、客からお金を集めだした。我々は一番後ろに乗っている。彼女は我々のことを招き入れてくれた、愛想の良くて優しい車掌である。彼女はお客と何か言葉のやりとりをしつつ金を集めている。行き先を聞いているのだろう。ここで問題となる。我々は行き先を正しく告げることができるだろうか?

そんなことは杞憂であった。発音をわかってくれなくても文字で書けばわかってくれる。そもそも車の窓は全開なので、周囲の騒音のために、聞き取ることは難しい。ともあれ、30分ほど走って「華亭賓館」のそばで降ろしてもらった。バスは1人3元。安い。

 

空港のインフォメーションの話は次の通りであった。まず、空港からミニバスの805番で「華亭賓館」まで乗せていってもらい、賓館の前でタクシーを拾って「華南賓館」まで行く。華南賓館まで行くバスはない。華亭賓館からは歩いていくことも不可能ではないが、時間がかかるし、「だいいち、上海は初めてなんだろう? だったらタクシーの方が確実だ。いくらもかからないよ」とのことであった。バスを降りると、華亭賓館は高架道路が走る大通りを挟んだ反対側にそびえていた。空には黒い雲が広がり始めている。ひと雨来るに違いない。急がなければならない。車通りの激しい大通りには周囲に横断歩道も信号もなく危険だが、我々は道を横切り賓館に急いだ。

 

空港での話は、賓館の入り口にはタクシーがたまっているような口振りだったが、タクシーは1台しか止まっていない。しかも、長いこと「休憩」していたように見える。

タクシーの運転手は新聞を読んでいた。その男は黒縁のメガネをかけ、紙は角刈り、年は40前後で、「甘辛しゃん」の杜氏のおやっさんに似ている。ユウコが声をかけた。しかし、「華南賓館」と言っているつもりが、どうも通じないらしい。あるいは場所を知らないのかもしれない。地図を出し、説明する。「40元か50元と言っているみたいなんだけど、よくわからないんだよね」とユウコが言う。さっきのバスは1人3元だった。それで30分も乗っている。地図を見た感じでは、歩いても10分程度と思われる。それをタクシーで行けば3分とかからないだろう。それが50元だって?

僕は「もうちょっとまからないか、聞いてみてよ」と彼女を促したが、ユウコの中国語は、どうやらあまり理解されていないようだった。空はどんどん暗くなってくる。「ぼられてもいいや」と腹をくくって、とにかく乗り込むことにした。

 

タクシーが大通りを走りだすと、すぐに雨が降ってきた。あっという間にどしゃぶりになった。ふと見ると、自転車の人たちはほとんど全てレインコートを羽織っている。準備が良いものだと思う。

「おじさんは15元と言ったんじゃないかなあ」と僕はユウコに言った。すると彼女も、「うん、なんだかそんな気もする」と言う。「だったら、どうして乗る前に確認しなかったの?」気まずい空気が流れる。おじさんは黙ってハンドルを握っている。

 

目指す華南賓館は思っていたより遠かった。乗り込んでから20分は走った。歩いていったらエライことになっていた。大通りからちょっと入った、地元の人々の生活臭が感じられる町中に、華南賓館はあった。8階建てのそのビルは、周囲からは場違いに思えるほどの高層建築だ。あたりは住居と商店が混在している。大都会の郊外というか、下町というか。

 

雨はやんでいた。再度値段を確認しようと、今度は筆談することにした。これならば間違いがない。メモ帳に「多少銭? 我的漢語不好 請写」と書き、見せ、ペンを渡して、書いてくれと頼む。するとおじさんは少し困った顔になった。「だめ、だめ」とばかりに手を振る。字が書けないのかな。しかし値段を確認したいのだと、もう一度差し出す。おじさんは仕方なくこう書いた。

「無所謂、 你准各拾多少就多少」

僕にはさっぱり意味が分からない。ユウコも首を傾げているが、「そんなバカな」というような、困惑の苦笑いが浮かんでいた。

 

おじさんは、金は要らないと言っているのである。我々を不憫に思ったのかどうかは知らない。はじめは確かに「お金なんかいい、いい」と手を振っていた、ように思われる。にも関わらず我々が「いくら?」としつこく聞くので、「好きなように払ってください」と意思表示したのだ。それでも我々には理解ができなかった。混乱もあった。けっきょく、よくわからないまま10元札を差し出すと、おじさんは少し困った顔をしながら、しかし最後には受け取り、去った。

 

華南賓館のフロントは英語が通じた。フロントの値段表には標準間240元とある。空港でのいきさつを告げると、快く180元になった。朝食はつかない。

ホテルの前の通りは舗装されておらず、雨でぬかるんだ凹凸の目立つ泥道が四方に続いていた。入り口正面にはスイカの露店がある。露店とはいっても、簡単な仮設テントを張って、人の背丈近くにまでスイカを山盛りに積み上げ、その傍らにおっさんとおばちゃんが暇そうにしているだけだ。スイカには圧倒されるが、そのすぐ横には、おそらく住民のためであろうゴミ集積所がある。こちらも生ゴミが山盛りだ。しかもくさい。こんなところに店を出して、はたしてスイカが売れるのかと思うが、あちこちにスイカの食べかす、つまりカワが散乱していた。

 

荷物を部屋に置いて、散歩がてら食事に出ることにした。初日ということもあるので近場ですまそうということになった。ホテルの周りは生活臭の漂う街で、大都会上海とはイメージが違うが、かえって楽しい。床屋と飲食店が多い。そして、「公用電話」の看板を掲げた小店も見かける。いくつか見て回り、ここはと思う店に入る。家族経営の店らしく、娘が応対に出る。どうもこういうとき、ついつい英語で話しかけたくなってしまうのだが、これは通じない。ユウコが中国語で注文してくれるが、発音をなかなかわかってくれない。それでも、回鍋肉、チンジャオロースー、魚豆腐スープ(鯉?)、米飯とビール2本。ビールはサントリーが出たが、上海製である。食事中は、娘の他にもあとから出てきたお母さんなどが話しかけてくれるのだが、僕はもちろん、ユウコも半分ほどしかわかってないようだ。我々が「分かりません」と言うと、今度はそのことを分かってもらえない。ようやく「我々が日本という外国から来たので漢語は分からないのだ」ということが分かってもらえたとき、僕は「すんません」と頭を上げ、つい両手を合わせてしまった。それをどう理解したのか知らないが、勘定を終えて店を出るとき、「謝謝」と言うと、お母さんは僕に向かって手を合わせた。挨拶と勘違いしたのだろうか。店は家庭的で雰囲気も良く、居心地も悪くなかった。しかし、辛かった。ちょっと高かったかとも思うが、まあ最初だから良しとしよう。

 

すっかり暗くなったが街灯は少ない。しかし人は外に出て涼んでいる。日が落ちてようやく過ごしやすくなってきたというところだ。ユウコは「日本に電話をしたい」と言うが、ふつうの公用電話ではだめらしく、2軒ほど回って「国際・長途電話」の看板の店を見つけた。金平の家に電話し、無事着いた旨を伝える。

通りはにぎやかだが、場所によっては真っ暗だ。そんな中でも自転車やバイクが走ってくる。ぶつかりはしないかとヒヤヒヤする。それに、こんな暗がりではどこから追い剥ぎが出てきても不思議ではないように思われ、不安である。

 

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