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8月15日(土) 哈密 曇りのち晴れ

我々の泊まった9楼南面からは、文化宮公園を中心とした哈密の街並みが一望できた。街の周囲にはポプラの森が広がっている。実際には森ではなくて、木々に囲まれた農耕地であることはすでに知っている。そして、その「ポプラの森」の向こうには砂の海が広がっている。砂漠の地平線が見える。

押金はキッチリ120元戻ってきた。「李平」さまさまだ。

汽車站に行く。今日は土曜日で、構内の大時刻表によればトルファン行きは「日曜以外毎日有」なのだが、窓口では「没有」と言う。要領を得ないので、バスの発着所に行ってみることにした。目の前には出発準備をしている大型バスが1台止まっている。そこに10人ほど客がたまっている。漢人ではない。僕はメモ書きに「吐露番(トルファン)」と書いて彼らに近寄り、バスを指さして「このバスは吐露番に行くか?」と身振りで尋ねた。が、残念ながら答えは「行かない」。彼らは首を振るが、そのあと熱心に何か語りかけてくる。しきりに「タオシャンシャン」と言っている。しかし、その意味は分からない。

いずれにせよ要領を得ないが、ユウコと相談したりほかの服務員に聞いたりして、その「タオシャンシャン」に行けばトルファン行きのバスに乗り継げるらしいという結論になった。そこで窓口へ戻り、タオシャンシャン行きのチケットを買うことにする。1人52元。学生なら半額。窓口で「学生か?」と聞かれたが、ユウコは正直に「違う」と答えてしまった。うなずいておけばよかったのになぁ。

ともあれ切符を買った。見ると「鄯善(シャンシャン)行き」とある。「タオシャンシャン」とは「まずシャンシャンに行け」と言っていたのだ。

次はバスを探す。もうすぐ出発のはずだがバスはない。いや、さっきから客の集まっているバスはある。待てばもう1台バスが来るのか。いや、それとも・・・しかし、まさか・・・と悩む。集まっている客たちも我々を気にするように、ちらちらと見ている。僕は再び彼らの元へ近づき、今度は「このバスは鄯善へ行きますか?」と尋ねた。そうだそうだと答えが返ってきた。僕は気が抜ける。だったらさいしょから教えてくれれば良かったのに・・・と、ここで気がついた。彼らははじめから僕らにこう教えてくれていたのだ。「まず、このバスでシャンシャンまで行って、そこでバスを乗り継けばトルファンに行けるよ」。

 

バスが動き出してからガイドブックを改めて読むと、鄯善のことも書いてある。しかし記述では「鄯善というのは漢人の呼び方で、ウイグル人はピチャンと呼ぶ」ような書き方がされている。だから気がつかなかったのだ。さっきは誰もがシャンシャンと言っていた。いや、彼らは僕らを漢人と判断して「シャンシャン」と発音していたのかもしれない。

このバスは今までのバスよりは幾分ましである。今思うと中国で前乗りのバスは長距離でも寝台バスぐらいでしか見なかった。だいたいのバスは、車体の中程に扉がある、いわゆる乗合い型のバスである。それで長距離を走っている。しかし、このバスは日本でもよく見る観光バスタイプである。

さて、我々は荷物とともにバスに乗り込み、前から3列目に座った。ザックは通路に置いた。多少迷惑がられるかと思ったが、車内にはまだ余裕がある。もっと荷物の多い人もいる。空席もあった。「珍しく空間のある出発だなあ」と思っていたが、街中のバス停でドヤドヤと客が乗り込んできて、立ち席が出るほどの満員になってしまった。やはりザックは屋根の荷台に上げるきだったか、と後悔しても遅い。

バスは9時に出発し、快調に走っていた。「今日こそは早い到着を」と期待を抱くが、15時には我々の期待も虚しく、悪路に突入する。

16:00に鄯善に到着。バスを降りると、探す間もなく目の前のミニバスから「トルファン、トルファン」と声がかかる。16:20に発車。ガイドブックによれば、この町も素朴で良いところというが、我々は「新疆で最高に良いところ」と旅行者に人気のトルファンを目指す。

ミニバスは順調に走っていた。とちゅう、いくつか緑あふれる村を通る。こういう村々を少し歩いてみても良いなと思う。

 

夕方になって風が少し出てきた。熱風が吹きこんでくる。夕方になると砂漠から風が吹いてくるのだろうか。ミニバスには空調の通風口があるが、もちろん稼働はしていない。窓は全開だ。と思っていると渋滞になった。全く動かない。客が先の様子を見に少しずつ降りる。前後の車からも人が降りる。前の様子を見に行った人たちはがっくりとした様子で戻ってくる。

僕も降りて様子を見に行ってみた。今バスが止まっている道は集落を結ぶ、いわば地元の間道だが、その先に国道幹線と呼ぶにふさわしい大通りとの交差点がある。交わっているだけで信号などはない。それはいいが、この国道がアスファルトの舗装工事をしている。これが一段落するまでは動けないようだ。アスファルトを撒く車、水撒きの車、アスファルトに圧力をかけるローラー。アスファルトの素材は悪くないのだろうが、どうもその後の処理がいい加減で、というより、定着させる前に開通してしまうのだろう。だからまたすぐ路面が悪くなるのではないだろうか。そんなことを考えても、我らのバスは動けない。止まった車は皆、途方に暮れている。

40分ほど待ち、18:30にようやく動き出した。バスは集落を走る。遅れを取り戻すべく、かなりのスピードを出す。間道なので路面は荒い。バスも古いから良く揺れる。飛ばす、揺れる、跳ねる、落ちる、ガツン、けつが痛い。やがて集落を過ぎ、山道に入る。ダートだ。山は異形であり、道路は九十九折りだ。まるで山の採石場か工事現場に向かっているようである。

右に左に揺れながらやがて峠を越え、下りになり、平地に出る。あとは一気に街までひとっ走りだ! とばかりスピードを上げたと思ったら、またのろのろになった。見ると、今度は道が水浸しになっている。洪水か?水道管が破裂したのか?

日が傾いてきた。すると、右手に火焔山が見えてきた。夕日が当たり、赤く燃え立つようなその山容は、まさに「炎」と呼ぶにふさわしい。「あれだよ、あれ」と感動する。写真を取り損ねた。到着時間が遅くなるのは心配だが、この夕刻でなければこれほどに燃え立つ火焔山を拝むのは難しいのではないかと思うと感慨深い。

 

ようやく街に入り、20時にトルファンの汽車站に到着した。

僕らはバスの最後部に座っていたが、降りる前から窓際に若者が群がってきた。みなウイグル人である。予想に違わず客引きなのだが、今までにないぐらいの熱気とやる気と・・・日本語!

 「どこにとまりますか?」「ろばしゃ、のりませんか?」「つあーにいきますか?」

 「これが『愛しのトルファン』の実体だ」。そう思うと、バスを降りる気が失せてくる。このまま次の街まで乗せていっていただきたい。

バスを降りても彼らはしつこい。みな、屈託のない笑顔で話しかけてくる。

彼らを無視し、汽車站前の交通賓館も無視し、2人で頑張って、かねてから狙いをつけていたトルファン賓館まで歩く。が、残念ながら部屋は「没有」。ドミトリーならある、とのことで部屋を見せてもらう。ドミトリーの棟は、本館を出て左に大きく回った奥にある。途中に宿泊者用の公共浴場があるが、ここに入る気には、ちょっとなれない。

ドミトリーは2階とのことで、1階のロビーに荷物を置き、僕は留守番をし、「君が泊まれるなら問題はないよ」と、ユウコに見に行ってもらうことにした。服務員が付き添う。やがて戻ってくる。「どう?」「うーん、病棟みたいで」。。

ドミトリーにも甲乙あって、甲の方はシーツもカーテンもきれいで明るい雰囲気だが、満席なのだそうだ。白人が多いという。いっぽう乙の方は、ユウコが見た部屋には日本人の学生らしい男子が1人いたそうだが、部屋の雰囲気も陰気で、とにかくベッドの並びといい、殺風景な感じといい「病棟」そのものらしい。不安があるなら、やめだ。

 

賓館の門前に、汽車站からの客引きの1人が残り、我々の様子をうかがっている。「いっぱいでしたか? オアシス賓館に行きますか? ろばしゃにのりますか?」 僕は彼を適当にあしらいながら考える。オアシス賓館にもドミトリーがあるが、この調子では、そこも混んでいる可能性が高い。そこに行くにしても、とりあえず途上にある粮貿賓館の様子も見ることにする。すると彼は「あそこは・・・うん、まあ、いいかもしれません」。日本からのガイドブックでも少し値段が高めなので、値段の確認と、最終選択手段の確認のために行くようなものだが、結果は「没有」。

オアシス賓館のドミトリーは安い、らしい。が、標準間は高い。そこで、トルファン飯店に行く。しかしここも標準間は「没有」で、3人間か4人間しか空いていないという。しかし、我々は疲れた。もう1時間半は歩いている。夕刻とはいえ暑いし、荷物は重いし、もはや選択はないので、ここの3人間に泊まることにする。シャワー・トイレは共同。部屋は殺風景だがさほど「不潔」というわけでもない。ただ、ユウコはシーツが「なんとなく」気になるらしい。

汽車站から最後のトルファン飯店までずっとついてきた彼は、ツアーの誘いがメインである。彼は「この道10年」というベテランであるが、日本語がとてもうまい。年は20代前半といったところか。悪気は感じない。ツアーに関して彼の話によれば、明日はすでに4人の客を確保している。車は自分が運転するが客は6人まで乗れる。君たち(我々)が参加すれば人数はぴったりで、彼にとっても都合が良い。そして我々にとっても「良い話でしょ」と誘惑する。ただし、値段は1人50元。これはまけることはできない。なぜなら、客によって値段が違うのは「信用に関わるから」と笑う。吐魯番賓館から出るツアーよりも少し高いことは彼自身も認めているが(賓館から出るツアーは1人40元)、その代わり「気に入ったところには長い時間いてもいいし、追加サービスもあります」とのことで、「きっと満足できます」なのだそうだ。

彼は人柄もよく、誘いも決してしつこくないので話を聞く分には悪い話ではないのだが、しかしなんとなく信用できず、というよりなんだか面倒くさく思えたので、断った。「ま、少し考えて、また気が変わったら汽車站にいるので、いつでも来てください」と去っていった。

 

トルファン飯店のフロントではCITSのツアーの勧誘をうけるが、これもことわる。夕食の帰りに、別の客引きに中国語で声をかけられた。こちらも1人50元。

思えば今日は土曜日なのだ。だからこんなに混んでいるのだろうか。さらに、日本ではお盆の時期に当たる。日本人が多いように思えるのは、どうも気のせいではないらしい。

 

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