8月19日(水)  トルファン      晴れ    移動日(コルラへ)

7時半にチェックアウトし、汽車站へ向かう。次の目的地はクチャなのだが、クチャまでは1日でたどり着くことはできない。そしてクチャ行きの夜行バスは無い。となると、たとえばもっと先、カシュガル行きのバスに乗ってクチャで途中下車するという方法がある。が、これでは何時に着くのか分からず不安だ。それにこの辺りのバスの多くは寝台バスではないので、夜になると適当な(バスの旅程の上であらかじめ決めておいた)街に宿泊することになる。それが普通の宿ならば問題はないが、ガイドを読んだり、そして今までの経験から考えると、とても「我々にとって快適な宿」に泊まることはできまい。部屋は粗末で汚く、トイレは共同、シャワーもない。思いやられる。街道筋の共同トイレですら十分思いやられている。

だったら、移動は昼だけにして、宿泊地は自分たちで確保するほうが安全だ。だから、この先のクチャやカシュガルを目指す上では、途中の街に宿泊しながら進もう、ということにした。地図とガイドを読み、距離と時間を推算し、以下の旅程を取ることに決定した。

トルファンからコルラへ移動し、コルラで1泊。

 翌朝、コルラを発ち、クチャへ。夕方にはクチャに着く。

 クチャは休息と観光の意味で2、3泊する。

 クチャからは、まずアクスまで行き、ここで1泊。

 そしてアクスを朝早く発ち、カシュガルまで行く。

 

 中国新疆での最大目的地は、僕にとってはカシュガルだ。「東洋一のバザール」(ロンプラ)と評される、カシュガルの日曜バザールを見てみたい。カシュガルまでは、トルファンから一気に直行バスで行っても2泊3日の行程である。一方、クチャも良いところだという。そこで、クチャも立ち寄ることにする。間に立ち寄るコルラとアクスは、まさしく泊まるだけという位置づけだ。

 カシュガルからあとは、タシュクルガンまで足を伸ばすかが一つの思案どころではあるが、陸路にこだわるならば、そのままタクラマカンを反時計回りに回って、ホータン、チャルチャンを見たあと、一気にウルムチまで戻ることもプランに入っている。

 

 ともあれ、ここトルファンからは日中の移動によりコルラまで行くのが我々の予定である。バスはいくらでもあると思っていた。クチャ、アクス、カシュガルへ向かう途上にコルラはある・・・はずだった。

 しかし、バスの窓口では庫尓勒行きは「没有」という。あちこち聞いて回ってみても、答はない。「庫車行きのバスは庫尓勒を通るか?」「通らない」「どこかで乗り換えすれば庫尓勒に行けるか?」「分からない」。

 構内の地図を見ると、庫尓勒は幹線から少しはずれたところに位置していることが分かった。つまり、クチャ・カシュガル方面に向かうとはいえ、そういうバスはコルラに寄らないのだ。困った。

 要領を得ないまま問訊所で聞いてみると、トクシュンという町まで行けば、庫尓勒行きのバスに乗り換えられることが判明した。

 

 トルファンからトクシュンまでは2時間ほどの行程である。大型バスで行く。

 トクシュンに着くと、そこはバスターミナルというより街道筋の停車場であるが、バスから降りると、隣に止まっていた大型バスの切符売りおばちゃんから声がかかった。この大型バスが庫尓勒行きだという。客は我々が初めてか2番目で、いつ出発するのかが不安だが、「すぐ出る。11時に出る」というので乗り込む。時計を見ると10時過ぎだ。まだ1時間ほど間がある。

 車内で地図を広げ見ていると、あとから乗り込んだ客が興味深そうに我々を見る。

 しかし、11時になっても発車しない。不安げにおばちゃんを見たりするが、全然気にする様子はない。目が合えば、「今に出るよ」という顔をする。客が充分に入るまでは出発しないのだろう。

 結局12時過ぎに出発した。そしてすぐに昼食。1時半だ。

 また雨がぱらついてきた。意外と雨が多い。また荷物が濡れるなあ。僕らの荷物はバスの屋根上にある。ところで、「自分で荷物を上げろ」と言われたのは、このときが初めてだった。これまでは、バスの添乗員兼運転手兼車掌がやってくれたものだ。積み上げとロープ止めには充分に気を遣ったつもりだが、慣れない体験であるので、バスが揺れるたびに自分のザックが飛んでいくのではないかと心配だ。が、そんなことは起きなかった。そういえば、僕が荷物を載せたあとに運転手がチェックに上がっているのだ。そうそう落ちることはない。

 沿道には岩山ばかりである。草木はない。山に緑がない。そもそも、あれは山なのだろうか。がれきの山だ。工事現場に積み上がっているガレ場と同じである。ただ、スケールが違う。はてしなく大きなガレ場。人を寄せ付けない、その雰囲気。なんともやりきれない。やりきれない景色が続く。バスはまっすぐに公道を走る。公道に並行して木の電柱が並び、電線が続く。公道も電線も、よくつくったものだ。

 夕方になっても、日が傾いても、庫尓勒には着かない。バスは何食わぬ顔で走る。やがて山越えの道にかかった。バスは徐々に鈍足になる。僕らの不安は募る。集落は見えない。この調子では日が暮れてしまうなあ。いったい、いつになったらコルラに着くのだろうか・・・と思い始めた頃、バスはエイコラと最後の勾配を乗り切り、あとはダーッと一気に下りはじめた。下り道の、遠く先の平原に街が見えてきた。これがコルラの街だった。夕日に街が浮かんでいる。

 けっきょく、夜9時半に庫尓勒に到着した。もはや真っ暗だ。

汽車站を出ると、街灯がないので周りの様子が分からない。歩いていて道を外れないか心配だ。幸い、汽車站に入る直前に賓館の看板を見つけていた。その遠東賓館は汽車站のすぐ隣にあった。フロントの雰囲気も良く、値段も手頃で助かる。ロビーには「Far East Hotel」と書いてある。なるほど、それで「遠東」なのか。

 チェックインをしていると、ツアーの客引きが現れた。女性である。しつこさはない。「『楼蘭』に行かないか」と英語で尋ねてきた。コルラからならジープで3時間ほど走って楼蘭を見に行けるらしいのだが、そもそも行く気はないし、それはホントの楼蘭なのか、という疑問もあるし、だいいち値段が1人300元とは高すぎる。たしかに車のチャーター、距離、ガソリン等々考えればそういうことになるのだろうが・・・ふと西夏王稜を思い出した。我々は、楼蘭には行かない。

 ホテルに近い餃子屋で夕食をとる。うまかった。たべすぎた。

 朝飯用の大きなハミ瓜(スイカ)を買って宿へ帰る。