8月20日(木)  コルラ  曇り後雨        移動日(クチャへ)

 6時起床。新疆時間では4時だ。

非公式な新疆時間は北京時間と2時間の時差があるが、物理的(太陽の位置的)は、北京時間とはずいぶん差がある。今の我々に明白なことは、夏の朝6時とはいえ、真っ暗だということである。これが4時といわれれば納得はいく。

 「朝食だよ」と、2人で一生懸命ハミ瓜を食べた。食後、手を洗おうとするが水が出ない。「朝は断水なのか?」と思っていたが、部屋を出る直前に、蛇口を開けっ放しにしていたシャワーのヒマワリからドバーっと水が出てきた。時計を見ると、7時半である。

 8時のバスを期待して汽車站にいったものの、クチャ行きは「9時まで無い」という。今日に限って8時発の便はないとのこと。がっくりして、待合いのベンチに座ってぼんやりと待つ。しかしこれは失敗で、8時半に発着所に行くとすでにミニバスが待機しており、ほぼ満席の状態であった。早起きしたのについてない。2人隣り合う席が無く、ユウコは最後部へ、そして僕は中程の席に座る。しばらくして、ユウコの隣に座っていた若者が席を替わってくれた。優しそうな、細身の男の子であった。言われた席に座ろうとすると、新聞が置きっぱなしになっていたので彼に渡す。と、彼は少し恐縮したように「謝謝」と言ってニコッと笑った。こんな中国人には今まで出会ったことはない。

 名字は劉という。

 このミニバスは快調である。午前中も、昼食を挟んで午後も、びゅんびゅん飛ばす。今まで何度も裏切られてはいるものの、この調子で走れば、今日こそは、明るいうちに街に着くのでは・・・と期待しはじめたところでバスが止まった。ちくしょう、やはりだめだった。

 前を見ると、車の行列ができている。渋滞だ。車が横転したとか何とかいう話らしい。

 僕らは今、ミニバスの最後部左側の席に座っている。席は5人座りで、最後部の真ん中、つまり僕の隣には漢人の女性が座っている。さらにその右側2つには、日本人の若い男が2人座っていた。片方は細身で丸刈り、眼鏡をかけている。もう片方は少し太めで髪はぼさぼさ、無精ひげを生やしている。2人ともTシャツ、膝までの短パン、サンダルと、どこかで見たような、(偏見めいた表現をすれば)アジアのバックパッカーに典型的な風貌である。年は20代前半と見える。おそらく学生だろう。

 彼らの一つ前の席には若い母親と2人の娘がいた。姉は8つ、妹は3つといったところだろう。どちらもかわいい。西洋人のような色白の顔立ちだが、母親はどうひっくり返してもウイグル人であり、顔色は浅黒く、あまり美人とは思えぬ。2人の母親とは思いがたいが、ということは、ウイグル人の子どもは皆このように愛くるしいのだろうか。姉もかわいいが、妹が、これまた人形のようにかわいい。その妹を姉があやすのだが、姉としても妹が「目にも入れたい」ほどのかわいさなのか、抱き締めたり頬をすり寄せたりチューをしたり、たいした愛しようである。妹はいやがって、ことあるごとに「アカー!」と母に助けを求める。

 このかわいさは誰が見ても明らかなようであった。バスが止まっている今、乗客に為すすべはなく、乗り合わせた男どもがやることといえば、たばこを吸うか、子どもの相手をするか、外人の相手をするか、それぐらいしかない。我々も彼らの相手をするものの、能力的に限界がある。分からない顔をしていると、となりの日本人若者が「『ペンあるか』だって」と言う。言葉に振り向くと、興味なさそうにそっぽを向いている。気分が悪い。

 だいたいにして彼らは気分が悪い。我々に対してもぶっきらぼうだが、中国人たちに対してもぶっきらぼうである。外部との交流を断とうとしているのだろうか。そのくせ(僕にとっては更に腹立たしいことに)、中国語に関しては、ユウコよりも弁が立つ様子である。「旅行巧者なのだろうか・・・」とも思うのだが、必ずしもそうとも思えない。妙に小ぎれいな、それでどこか汚らしいその格好は、日本人の貧乏ごっこ旅行者に通じるものがあるような気がする。

彼らは、砂漠の街道を走るバスの中で、工場でパッキングされて商店で売られているひまわりの種を、ウェットティッシュで手を拭いてから食べていた。バザールで売っているような、量り売りの、新聞紙に包まれた種ではなく、スナック菓子としてデパートで扱われているやつだ。「どうして?」という、素朴な疑問が、端で見ているだけでわき上がる。「ひまわりの種なら、さっきのバス停で買えば10分の1の値段で買えるのに」「この場において、ウェットティッシュで手を拭く必要があるのだろうか?」。 いや、マナーはよろしい。それは結構だが、この、砂だらけのバスの中で、その行為になんの意味があるというのだろうか? 2人は言った。「砂漠をなめてはいけない」。それは僕に言ったのではなく、お互いの会話の中で言っているのだ。「砂漠にはどんな雑菌があるかも分からないから、食前にはきちんと手を拭きましょう」ということなのか。そのくせ、「クチャに着いたら屋台に行こうぜ」と言っている。僕にはこのバランスが理解できなかった。屋台でもウェットティッシュを持参するのか。箸はどうするのか、お椀はどうするのか。

 けっきょく2時間近く足止めを食った。

 

 昼下がり。日も傾きはじめた。走り出すと熱風が入ってきて、これが暑い。このミニバスは比較的新しい方だが、通気口はあるものの、エアコンはまったく効いていない。さすがに地元の人でも暑いのか、乗客の1人が声を上げた。「空調はないのか?」すると別の誰かが、窓を指さして答えた。「これが空調さ」。全開の窓から風が入ってくる。バスの中に笑いが起きた。

バスは夜8時過ぎに庫車に到着した。雨がぱらついてきたが、まだ日暮れ前だ。

 

 汽車站を出ると、すかさずロバ車たちが近づいてきた。乗り手はみな少年だ。クチャのホテルはどこも汽車站から遠いので、これに乗れば便利ではある。が、僕らはすぐ先の通達賓館に行くことにしていたから不要だ。足を止めれば群がってきて面倒になるのが分かっているので、彼らを追い払って先を急ぐ。雨も降っているから早いところ宿に行きたい。ところが、こんなときに劉君が話しかけてきた。「どこに行くのか?」と言う。そして「ロバ車に乗るなら(語学的な)手助けをしてあげる」とも言う。バスの中でも優しくしてくれた彼には悪気はないとは思うものの、我々は疲れていることもあり、先を急ぐ身としては邪魔である。彼には悪いが、そそくさと別れる。あとで聞くと、ユウコは不信感を捨てきれなかったらしい。優しすぎるのも罪となる、か。

 

 通達賓館は「汽車站も近いし、安くて清潔」というガイドブックの記述だったが、我々が泊まった標準間の棟は、とても「清潔」とは言い難かった。シャワールームはなんだか異臭がするし、ハエも多いし。ユウコは大いに嫌がったが、これも試練なのかも、とか思う。日本人2人もここに泊まったが、彼らは棟が違うらしい。普通間の方が清潔なのかな?

 

 雨が降ると街も寂しいもので、バザールも閑散としている。ただ、飯屋のいくつかはやっていて、我々が通りがかると元気に声をかけてくる。これはと思うところで食事をとる。昼間は暑かったが、雨が降るととたんに寒々しくなった。蘭州でもそうだったが。

 それにしてもバスの最後部の座席は狭くて閉口した。あれで5人を座らせるのは無理があると思う。二度と最後部には座るまい。