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8月26日(水)  タシュクルガン  小雨後晴れ      移動日(カシュガルへ戻る)

7時起きるが、まだ暗い。韓国青年を気にしながら、部屋を出る。

車は8時に迎えに来るはずだが、その気配はない。

山々の中腹より上では雪になったらしく、うっすらと白くなっていた。雨雪の境界が山並みに線を描いている。ちょうど4000m辺りではないかと思う。街の気温は3〜5度ていどといったところだ。雲が低い。

外は寒いのでロビーで待つ。フロントもまだ眠っているので、ロビーは照明もなく、まっくらだ。同乗する日本人のおじさんが1人でやって来た。彼はここの1階に泊まっていたようである。無口な人だ。

ロビーからフロントに向き合うと、その右前方に階段がある。そして、右手にまっすぐ廊下が延びている。廊下のすぐ左手にトイレがあり、シャワーもあるが、湯はおろか水も出ない。シャワーへの管が切断されているのだ。つまりシャワーが機能していないのである。トイレを過ぎると廊下の両側に部屋が並ぶ。間取りは我々が泊まった2階と同じで、4人部屋と思われる。左右に3つずつほどあったかと思う。その先に出口がある。

我々が外からロビーに戻るとき、1階に泊まっていたらしい数人のパキスタン人がトイレの手洗い場で、みんなして足を洗っていた。「おおー、やはりパキスタン人は清潔なんだなあ」と感嘆する。

ロビー脇のソファに腰を下ろすと正面がその廊下になるが、白いシャルワールを着たパキスタン人が1人、カーペットを敷いて我々に背を向け、立った姿勢でお祈りを始めた。どうやら日の出の礼拝と思われる。まだ外は暗い。

 すると周りの部屋からも人が出てきて、彼の後ろに2列ほどに並び始めた。はじめの彼はどうやら「呼び出しのお祈り」のようにも思える。それに連らねて他の人も出てきたというわけだ。ひとしきり呼び出しが終わると、呼び出しの人は座った。ほかの人たちはそれぞれにカーペットを −おそらく何人かの分をまとめて− 廊下に敷く。さきほどトイレが混雑していたのは、このお祈りのための「お清め」みたいなものなのだろう。お寝坊さんは、「呼び出し」を聞きつけ慌てて洗い場で手や顔、足を洗う。みな、神妙にカーペットに正座する。何人かそろったところで、全員でのお祈りが始まる。立ったりひざまずいたり、決まった動作を繰り返す。

 これを見ていた中国人のイスラム教徒も何人か遅れてやって来て、併せてお祈りを始めた。総勢で10人ぐらいになっただろうか。

 遅れてきた人の様子を見ていると、はじめのいくつかの仕草は全員共通しているが、それが終わるとすでに始まっている動きに合わせるようになる。はじめのは神への挨拶として、途中ははしょって、周囲の動きと同一行動をとるわけだ。

 

 多少の偏見もあるかと思うが、中国人イスラム教徒は全般に真面目でない。たまたまこの宿に泊まった彼らがパキスタン人たちのお祈りを聞きつけ、「ありゃ、オレもやらなくっちゃ」と慌ててやって来て祈っているようにも思える。「なまぐさ信徒」だ。パキスタン人の中にも寝坊してきた人もあるのだから、一概には言えないが。

 そういえば、トイレである。この宿の男子トイレはわりと広いが、ユウコによれば、女子は1人用らしい。かつ、ろくに掃除がされていない。それは、宿泊客が男性ばかりであることを示すものだが、従業員は女性もいる。彼らはどこで用を足すのか。ともすると、女子トイレは使わないのかもしれない。

お祈りが終わった頃、僕はもう一度外へ出てみる。交通賓館の前はバスの発着所も兼ねているのだが、先ほど閉じられていたバスの入場門が開けられ、客が集まってきている。

 

 車は9時にやってきた。ほかの人々は、皆乗っていた。ユウコは第2列目、何夫妻の隣へ座った。僕は助手席に座る。事故にあったら助からないなあと思うが、黙っておく。

 我々は寒さに備えて服を用意してきたものの、それでも助手席はすきま風が厳しく、寒い。ほかの人々は夏の格好そのままだから相当に寒いだろうが、「こんなに寒いとは思わなかったねー」と言っても、それは準備不足にほかならないのだ。寒さを我慢しながら車に揺られ、1時間でカラクリ湖に着いた。ここでしばらく散策する。湖は綺麗だ。湖畔のゴミ拾いをしている人々がいる。寒さが身にしみる。ここの賓館を冷やかしてみると、土産屋に地図があった。登山用の地形図で、標高線も緻密に入っており、これは旅の記念としては申し分がない。しかし値段を尋ねると200元するというのでびっくり。店員の様子では、ふっかけているわけではないようだ。ユウコが「登山用の専門地図だから高いんだって」とフォローする。カシュガルの町ではもう少し安いかもしれないと思い、ここでは買わない。

 車は快速で山を下りる。何さんが「良い景色だと思ったらいつでも言ってください。停めますから」と言ってくれる。結局停めることはなかったが、2度ほどチャンスを逸した気もする。こういうとき、自分の性格が恨めしくもある。「ま、いいや」と思って通り過ごしたその直後、「いや、やはりあそこで止めてもらうべきではなかったか」と考え込んでしまうのだ。もう少し図々しいくらいでないといけない。とちゅうの盆地に砂漠めいたところがあり、砂丘が盛り上がっていた。何夫人が「あれがゴビなのよ」とユウコに教えてくれる。ユウコは何夫人と隣りあっているので、中国語や英語でいろいろと話をしている。ユウコ本人にとっても中国語を使う良い機会になったのではないかと思う。

 何夫妻はカシュガルに戻ったあと、すぐにウルムチまで飛んで、それからさらに北西部のアルタイに行くのだそうだ。何夫人は旅行会社で働いているらしく、国内に詳しい。「ウルムチなんか、天池以外に見るところはないわ。それより、雲南に行く予定がある? 雲南に行ったらぜひシャングリラをね・・・」と、ユウコへの解説が熱心である。

 いっぽう、旦那の何さんは、前の運転手にいろいろと話しかけている。「あなたはウイグル人ですよね? ウイグル人にとって、口ひげは大事なものなんでしょうか?」「ウイグル人の結婚式は、どんな感じなのでしょうか?」「ウイグル人の祭りにはどんなものがありますか?」「あの山にはどのような民族が住んでいるのですか?」

 「ウェイシェンマ?(なぜ?)」を連発し、どことなく運転手のオジサンをからかっているようにも見えるが、オジサンもニヤニヤしたり、ときに語りが熱くなったり、ときには困ったように苦笑している。

 昨日と同じ道を戻るのだから悪路も同じところを走るのだが、さすがにスピードを落とすものの、助手席にいるとどうも落ち着かない。オジサンはダートに入ると右に左にとハンドルを切るが、わざわざ道の悪いところを選んでハンドルを操作しているようにしか見えない。アスファルトが陥没しているところではグラリと大きく車が傾く。次の穴では反対側に傾く。ガードレールもなく、右手はすぐ谷川だ。落っこちるのでは無かろうか。僕が運転を代わりたいぐらいだ。どうやら貧乏くじを引いてしまったらしい。後ろを振り返ると、ほかの乗客はみなグウグウと眠って車に揺られている。ユウコだけが起きており、心配そうに僕を見る。もうすぐ街に着くだろうという13時半ごろになって昼食休憩。このころにはすっかり長袖も不要になり、我々も夏姿になった。

15時前にはキニワカ賓館に到着。何夫妻はそのまま車で去ってしまった。ほかの日本人たちは皆、ここのドミへ泊まる様子だ。我々は彼らと別れ、再び天南賓館へ行く。

 

僕の靴はだいぶ底がすり減っている。もう4年も履いているから無理もない。ユウコがバザールで靴修理屋を発見し、僕が身振りで説明して直してもらうことにした。しかし、底は直せないという。それで、表側の縫い目がほつれた部分だけを直してもらうことにした。さすが職人、慣れた手つきであっという間になおしてくれた。オジサン、得意げな笑顔を見せるので、ついでに中敷きも買ってしまった。(これがあとで失敗する)。

 

新疆では思いのほかシシカバブがうまい。羊肉は、串焼きにすると臭みが消えているような気がするが、それは香辛料のせいかもしれない。そういえば「肉をヨーグルトに漬けておくと臭みが消え、柔らかくなる」という話を聞いたことがある。それをやっているのかもしれない。今日、客の出入りが多いシシカバブの店に入ってみたが、ここのシシカバブは今までで最もうまかった。そして、店の前で炊いている羊スープもうまかった(しかしユウコはさすがにここまでは至らなかった)。店内ではカラオケビデオがかかっている。

ところで、店の客はだいたい、茶で箸を洗ってから食べている。これはロンプラでも「熱湯消毒として有効である」と紹介していたことだが、地元の人々もやっているとは思わなかった。それなりの衛生ということでだろうか。あいかわらず、どこの店でもハエは多い。

 

夜、今日の車に同乗していた若者5人(女2・男3)が連れ立っているところと出くわした。仲良しグループになったらしい。それにしても昨日の一件以来、女子2人がいけすかない。彼らから別れたあとでそう言うと、ユウコが答えた。「女子大生というのは、あんなものかもしれないよ。彼らこそ、我々を胡散臭く思っているかもしれないよ」。

 

【翌日】

8月27日(木)  カシュガル      曇り時々雨

今日は特にこれといった予定もなく、天気も悪いので休養日に近い。

 昨日カラクリ湖で見た地図が気になる。記念に1枚手に入らないだろうか。そう思って登山事務所を訪ねてみた。ここで応対してくれた人は日本語を話した。ということは日本人登山客が多いのだろう。

 しかし、地図の値段は昨日カラクリ湖の宿で聞いた値段とたいして変わらず、160元と高価である。「もっと荒い地図でも良いんですが、安いのは無いですか?」と聞いてみるが、無い。楽しみにしていたのに残念だが、応対をしてくれた男性も、我々も期待に添えないのが残念そうな顔をしているのでなんだか申し訳ない。「これは専門家のためのものですから、高くても仕方がないのです」と、我々を慰めてくれた。

 

ホージャ墳を見に行く。郊外へ出るので田舎気分が満喫だが、郊外は中心街以上にみずみずしい緑が豊富で、人間世界を出れば砂の海であることなど微塵も感じさせない。街道のバス停を降り、参道とも言うべき一本道を歩く。ここは観光名所でもあるので、子供たちが外人ズレしているような気がする。あるいはウイグル人持ち前の(つまりトルコ系の民族に共通する)人なつこさから来るのかもしれないが、写真を構えれば「俺も私も」となり、写真を撮れば「送って送って」となり、庭を覗けば「まあまあお茶でも」となる。こういうことは旅の一つの楽しみでもあるのだが、あいにくとユウコにとってはそうでもないらしいのだった。警戒心からなのかもしれないが、お茶に関しては、沸騰させていることは知っているが、水の心配があるので、軽はずみに受けることは僕にもできなかった。

 

子供の1人に住所を書いてもらうが、ウイグル人は学校でウイグル文字(つまりアラビア文字)しか習わないらしいので、熱心に書いてもらっても我々には判読することができない。「これじゃあ分からないなあ」と僕がつぶやくと、ユウコは「いいよ、べつに」と素っ気ない。彼女に言わせれば、これは彼らにとって一種の策略であり、写真を送れば彼らの思うツボ、という疑念があるらしい。つまり「誰彼無く愛想を振りまいている以上、我々がわざわざ写真を送ってあげる必要はない」というのが彼女の論理であるようだ。我々に危害が加えられるわけでもないから、僕は「写真ぐらい送ってあげようよ」と言ったが、彼女には全くその気がないのだった。もっとも、その少年に「漢字で書いてくれないか」と聞いても「知らない」との答えだったのだが。

 面が食べたくなって、街中で見つけた面屋に入ってみた。そこはケーキ屋とラーメン屋の合体とでも言うべき店であった。牛肉面がうまい。けっこう辛かったが、面は良かった。隣の中国人たちは、でかいケーキを食べている。