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8月10日(月) 蘭州 晴れ

炳霊寺へ行くべく朝5時に起床。昨日、予約したバスの出発は7時半だ。

ガイドブックによれば、蘭州から劉家峡までバスで2時間、そこからボートに乗って更に3時間で炳霊寺に着く。見物および休憩を1時間取るとすれば、劉家峡に戻るのは蘭州を出発してから9時間後。予定通りなら16時半ということになる。ところで、ふたたびガイドブックによると、劉家峡から蘭州に戻るバスは「7時から16時の間に1時間に1本ていど」とある。よって、16時半にはバスがないことになる。それで、昨日からユウコが、「行くのは良いけど、戻ってこられなくなるんじゃないかな」と心配している。

僕はあまり心配していない。観光地だから何とかなるだろうと楽観していた。バスがなくても車は走っているだろうし、金はかかるがタクシーで帰ってきても良い。なんとなれば劉家峡に1泊しても良い。迎賓飯店には今夜の宿泊分を払ってあるので1泊分無駄にはなるが、「それはそれでまあいいや」という心境だ。ガイドブックの情報も信用できるものではないので、行ってみなければ分からない。

 あいかわらず腹の具合がおかしい。今日は腹痛はない。しかし、便はゆるい。ユウコも同様だと言う。ここ数日、正露丸を飲んでいる。なんとなく効き目があるようで、効かない。いや、効いているとしても1日限りだ。正露丸は、1瓶しか持ってきておらず、残り少なくなってきた。西安で薬屋をのぞいたときには日本の正露丸があった。そこで買っておけば良かったのだが、まあ蘭州でもあるだろうと、これも楽観している。腹具合も、普段よりおかしいという程度で、いまのところ深刻ではない。それでも今日蘭州に戻ってきたら薬屋に行くことにしよう。

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 この時点では気が付いていなかったが、ユウコはかなり容態が悪かったようだ。僕は、自分が大したことなかったのと(とりあえず元気に歩けるし、食事もうまい)、自分の症状を言うとユウコも「同じようなもの」という答えだったので、気にしないでいた。だが、体調には明らかに差があった。その大きな要因として「体力の差」があったと、あとでユウコが分析している。すなわち、行動ペースは基本的に僕が決めており、ユウコはそれに合わせる格好になっていたという。これは僕としては無意識だったが、彼女は日々、一生懸命だったという。「一歩の足幅から違うんだから!」と、これは彼女の半ば冗談、半ば本音である。

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 汽車站でバスを待っていると、日本人らしい2人の男が、少し離れた向かいの席に座った。朝食であろうパンをかじっている。1人は背が高くて黒縁のメガネ、無精ひげを生やし、ひょうひょうとした感じ。もう1人は、小柄でやや太め、長髪、そして長いひげを蓄えている。どちらもどことなく旅慣れたような、悪く言えばスレているようにも見える。軽装である。我々も軽装だけど。

 ほかに、待合には2人の白人がいた。ロンプラ中国を片手に、こちらはザックを抱えて長距離移動という感じである。外人らしい客はこれぐらいで、あとはみな中国人だが、朝の客は少ない。

 我々のバスにはまだ時間がある。彼らのバスもまだ時間があるらしく、みな待合いでのんびりしている。

 予定の時刻になってもバスが来ない。ユウコが検札に問い合わせるが、予定のバスが炳霊寺から来ていないのだという答えだ。

 しかしほかのバスは出たり入ったりしている。そのたびにアナウンスがあるわけでもない。なんとなく客とスタッフが集まって、なんとなく出発している。知らないうちに我々のバスが出てしまうのではないかと不安になる。せっかちな我々は待ちきれず、バス乗り場やバスの溜まりをうろうろしながら、「これはどこ行き。あれは・・・」などと、逐一職員に聞いてはチェックして回る。バスの車掌などにも話しかけるが「もうすぐ来るから待ってなさいよ」と、のんきなものだ。

 やがてバスが1台入ってきたのを見た職員が我々に「劉家峡行きはあれよ」と教えてくれる。我々はバスに走り寄り、たしかに劉家峡に行くことを確認してバスに乗り込んだ。かなりのポンコツだ。

 

 チケットには座席番号が書いてある。僕は3、ユウコは4。しかしポンコツバスには座席番号はない。自由席なのかとも思うが、前の方に座っていると、車掌が現れて検札に来た。座席表みたいなものも持っているので、いちおう指定にはなっているような気もする。

 「こんなバスで炳霊寺に行く外人なんてそうそういないよねえ」と2人で話していたら、さっきの日本人2人が乗り込んできた。彼らはバスの後方に座る。そして、さきほど見かけた白人2人も乗り込んできた。さらにも1人白人がやってきた。白人は都合3人になるが、3人ともザックを持っている。結局、待合いにいたガイジンは全てこのバスに乗った。

 バスは7時半発の予定が1時間遅れて8時半の出発。「ますます帰りが遅くなってしまう」とユウコが心配する。しかし、バスが動き出したらとたんに眠くなってきた。街を離れ、田舎道になり、そして山道になる。延々と続く。すごい景観だ。切り立った山が迫る。すごい。ねむい。すごい。ねむい。

バスは坂道のせいか、たんにオンボロのせいか、時速20kmほどしか出ない。

 2時間走ったところでバスが止まった。道の脇に茶屋がある。お客がそわそわしだす。するとおもむろに車掌が叫ぶ。ユウコがあわてて言った。「ここだって。ここで降りるんだ」

 劉家峡らしい。かなりの客が降りる。そしてこの茶屋は、土産物屋も兼ねた「炳霊寺行きボート斡旋所」であった。客たちはみなこの茶屋に詰め寄る。僕らも詰め寄る。ボートの写真を見せられる。スピードボートとのんびりボートがあるという。スピードボートは100元、のんびりボートは60元。「冗談じゃねえ」と隣のメガネ君がつぶやく。彼は中国語がぺらぺらで、さっそく料金交渉に入っている。同行のヒゲさんはしゃべれないらしく、横で「見るのはタダだから」と店頭の絵はがきや写真集を見ている。白人3人はというと、これもあとから乗ってきた男が夫婦の通訳となり、交渉をしている。こちらも中国語は達者だ。

 圧倒されてしまうが、僕としてはユウコに頑張ってもらいたい。しかし彼女はすっかり気圧されてしまったのか、人々をきょろきょろ見るばかりである。客はほかにも中国人が何人かいるが、彼らは話がまとまりつつある。我々外人だけが残されてしまった。交渉が行き詰まってきた。僕はもはや1人100元でもやむを得ないところだと考えるが、そうするとほかの人々に影響する。それはそれで、気になる。

 やきもきしているが僕は言葉ができず、どうにもならないところで、中国語の達者な白人さんが我々に英語で声をかけてきた。「一緒に行かないか。君たちは、4人?」「いや、我々は2人ずつで仲間ではないのだが・・・」と思ったが、そんなことは今はどうでもいい。一緒に行けば交渉も彼に任せておけば良くなるし、もとより我々には依存がない。あとは仲間ではない日本人2人の意向を確認するのみである。僕は、さきほどから斡旋の中国人相手に激しく口論していたメガネ君に声をかけてみた。

 「どうなりました?」

 「スピードボートを80にしてくれると言ってるんですよ。だけどねえ」。

言葉を止めたところで、横のヒゲさんが「ぜったい中国人の2倍だぜ」と割り込む。僕は尋ねた。「あっちの白人さんが一緒に行かないかって言ってるんですけど」。メガネ君は胡散臭そうに「いくらです?」と僕に訊く。僕は白人さんに尋ねた。「一緒に行くのはかまわないが、値段に依ります」。

「分かっている。しかし人数が増えれば確実に安くなるんだ」と白人さんは答えて、再び交渉に入った。結局1人60元ということで話がまとまった。交渉が苦手な我々としては感謝しなければならない。メガネ君たちも納得したようだ。

 ボートの運転手となる男に案内され、岸へ向かう。結果、彼を含め、我々は8人のツアーになった。バスを降りたところから5分ほど歩くと船着き場があった。船着き場には大衆食堂のような店もあり、路上でトウモロコシを売っているものある。ヒゲさんが1つ買って口にした。メガネ君「うまいですか?」「こないだのよりは、ましだね」。

 さて、スピードボートだと案内されて舳先に歩み上がったのは、どう見てもスピードが出ないと思える屋形船タイプである。案内の男と先だって歩く白人さんが振り返って我々に「・・・プーシークワイティン・・・」と言って苦笑する。メガネ君が納得したような顔をしている。「たしかに、これはプーシークワイティンだよなあ」。

 プーシー・・・Pushy? Poesies?

 それが「不是快艇」と言っていたことは、あとで知った。

 ともあれ、横付けされているプーシークワイティンを2艘ほど渡ると、そこにスピードボートが付いていた。8人で乗るにはぴったりの大きさである。

 先の案内人が運転手になる。運転席は右側。左の助手席にトウモロコシを頬張るヒゲさんが座る。そのうしろにメガネ君。運転手のすぐ後ろに僕が座り、ユウコは更に後ろ。後部に白人3人が座る。

 ボートはダムをまっすぐ上流部へと走る。とちゅう、ガイドにもあるとおり水の色が変わった。天気も良く、景色も良い。1時間半で岸に着く。

 ボートを下りて岸に上がると子供たちが数人近寄ってきた。片手にはカップラーメンの椀を手にしている。もう一方の手には、紫や緑の石を持っていた。どうやらこの「きれいな石」を売りつけに来たらしい。カップには水が3分目ほど入っていて、これで石の汚れを落としているのか、水につけて、よりきれいに見せるのか。少年少女たちは屈託なく、しかししつこく石を我々に見せようとまとわりつく。しかも日本語をしゃべるのだ。「いし、きれい。じゅうげん、やすい」「おくります。これ、おくります」。ひとつタダでくれると言っている。つい、女の子から一つ手に取ってみたが、ユウコが「こんなのもらって。あとで大変だよ」とたしなめられ、返す。

 船を下りてから少し歩くと「炳霊寺入口」があった。奇岩の峡谷、切り立った崖に沿って順路があり、ときに目の前、ときに遙か頭上に石窟がある。順路、というか足場は上の方にもあるが、特別料金を払わないと見せてくれないものが多い。

 メインの大仏のすぐ横の壁は修復中のため足場が組まれているが、大仏自体は見ることができた。しかし全般的には、15元も払うわりには「なあんだ」という印象である。写真撮影は禁止であるが、誰もいないのでメガネ君と2人して写真を撮る。

白人3人はかなり一生懸命見ている。特別料金も払っているようだ。我々日本人はさらりと見てしまい、時間が余ってしまった。日本人同士、なんとなく視界から離れないように付かず離れずの状態で、まさに4人組になっていた。

しばらく散歩しているところでふと見るとメガネ君が、止まっていたバイクタクシーと交渉をしている。その様子を眺めていた我々に気づき、「炳霊上寺に行きませんか」と声をかけてきた。この先を2kmほど、峡谷を上流に行くと、そういう名の寺があるらしい。バイクタクシーのオヤジの小遣い稼ぎというわけだが、ガイドにも載っていないところに行けるのは面白い。メガネ君は粘り強く、ときには喧嘩腰とも思えるほどの口調で交渉し、往復1人5元で行けることになった。すばらしい会話力だ。

バイクタクシーは、近くで見るとトラクタータクシーである。トラクターの後部が軽トラックのような荷台になっていて、そこに腰掛けをつけ、屋根をつけたものだ。走り出すと、がたがたと揺れる。

揺れながらも渓谷の奇岩を眺めつつ、話を聞く。メガネ君とヒゲさんの2人は旅の行きずりで、チベットで出会ったらしい。ヒゲさんが宗教に詳しいとか何とかで、いっぽうメガネ君は中国語が達者である。行きたい方向も一緒だったので、ここまで一緒に行動していたのだそうだ。蘭州から先は「僕は内モンゴルの方に上がって行くつもりなんですが、彼は南へ下るって言うので、たぶんここで別れることになると思います」と、メガネ君が言う。メガネ君は天津の大学に留学中の身なのだが、ヒゲさんの方はまさしく旅人生といったところらしい。

ユウコが飴を振る舞った。「わ、サクマドロップだ。日本からですか?」とメガネ君。ヒゲさんは「なつかしいー」と声を上げる。僕が「日本を離れてどれくらいになります?」と聞くと、照れくさそうに笑って「そんなこと聞いちゃあいけません」と答えた。彼は多くは語らないが、2・3年は日本に帰ってない様子だ。

 隠れた名所とはこのことで、途中にはいっさい案内もないし、谷筋をまっすぐ来ればいいとはいえ、知らない人が来てもわからないだろう。10分ほど揺られ、忽然と寺が現れた。

 古びているが、観光寺とは明らかに違う生活のにおいがある。寺の庭は菜園になっており、自給自足を行っていることは説明を聞かなくても分かる。高齢の老僧と、少年僧がいた。本殿へ案内される。トラクタータクシーの運ちゃんがガイドをしてくれたところに依れば、ここは唐代に建てられたラマ教寺院とのことだ。この本殿には仏像が数体あるが、本尊は女体である。メガネ君は「天井の飾りの様子がチベットのと違いますね」と言うが、ヒゲさんは「結局宗教は土着するからね。でも、基本的にギャンツェのと同じだよね」と素っ気ない。最前、メガネ君は冗談交じりに「この人、宗教関係者なんですよ」と笑っていたが、あながち嘘でもないようだ。

 この炳霊上寺の周囲にも石窟が全部で13ある。寺のお堂にあるのは第1と第2である。小さな渓谷を挟んで寺に対面する崖にもいくつかある、と運ちゃんが指さす。たしかに崖に穴が空いており、しかも壁にはペンキで「10」だの「3」だの書いてある。ヒゲさんが「すぐ書いちゃうんだよなあ、中国人」と嘆いた。

 タクシーの運ちゃんとメガネ君はすっかり仲良くなっていた。運ちゃんは楽しそうに説明し、メガネ君は興味深く聞いている。言葉ができるというのはすばらしいが、料金交渉では殴り合いになるのではないかと心配するほど声を荒げていたのを思うとおかしい。これはこれ、それはそれ。ドライな感じが、なんとなく心地よい。

 帰り際、老僧の写真を1枚撮らせていただきたかったが、どうしてもカメラを向けることができなかった。今にして思えば悩むほどのことではなかったのだが。

 ボートの出発時間に少し遅れてしまった。みんなで小走りになりながら、メガネ君が「奴ら、先に行ったりしないですかね」と言う。するとヒゲさん「そんなことはないさ。それにこういうときは笑顔で『ソーリー』だ。あいつら、どこでもそうだ。笑顔で『ソーリー』なんだよ」。

 帰りのボートは流れに乗っていくので行きより速い。1時間で劉家峡に着いた。

 その直前でボートが岸に寄った。白人さんたちが降りる準備を始める。「どこへ行くのか」と僕が英語で聞くと、夫婦の夫が「ウォメンゾー、シヤホ」と答えた。『我們走 夏河』。メガネ君がフォローする。「夏河ってとこに行くらしいんですよ。この岸の近くの街に宿があって、今日はそこに泊まるみたいです。それで、明日は夏河。こんなルート、よく知ってますよねえ」。ロンプラにでも出ているのだろうか。それに夏河には何があるのだろう。それはメガネ君も知らないという。しかし「あっちのほうは麻薬があるって聞きますけどねえ」。

 メガネ君は銀川に行きたいらしい。我々が銀川から来たという話をすると、「どこに泊まりました? やはり銀川飯店ですか。シャワーなしの安い部屋なら50元か・・・2人で泊まれば1人25元・・・」と、さも誘いたげにヒゲさんをチラリと見る。その視線に気がついたヒゲさんは大仰に、「俺は行かないって言ったろ。だいたい、銀川なんてなんにもないぞ」「えー、でも西夏王稜があるんでしょ」「あるけど、俺もう見たもん」。するとメガネ君は僕に話を振る。「あなた方も見ました?」「見ましたよ、タクシー使って行きました。高かったですよ、260元も払ってね。でも、あなたは言葉ができるからもっと安くできると思いますよ」。するとさらにメガネ君は、「ええー、260元でも十分じゃないですか。だって、平原にどかんと墓があるんですよ。うおー、そそりますよねー」と、再びヒゲさんに視線を向ける。「だから、俺は見たんだってば。知ってるよ、ぜんぶ。ほんとに行くの?」

 

 ところで我々はこんな会話もしていた。

 メガネ君が聞く。「日本をいつ出たんですか?」「7月末です」「働いてるんですよね?」「ええ、まあ・・・」「じゃあ、夏休みなんだ」「・・・そんなとこです」「いつまでですか?」「・・・8月いっぱいは休みです。それで、カシュガルまで行こうかと思って・・・」「1ヶ月も休みがあればいいですよねー」。

すると横からヒゲさんが口を挟んだ。「そうだ。日本人は働かにゃあいかん。会社辞めては、いけません」。すかさずメガネ君「辞めた人がなに言ってんですか」「なにおう!? 俺だって日本に帰れば働くんだよ、スーツだって着るし」。

 途中から始まった彼らの漫才チックな話しぶりに笑いながらも、僕は彼らにウソをついたことが心残りであった。僕らはすでに会社を辞めているし、8月いっぱいで日本に帰る気も無い。それどころか、新疆からそのまま西に進んでカザフスタンに行くつもりだ。しかし、その話を彼らにすることがためらわれた。ヒゲさんは旅の経験が豊富なのは明らかであるが、旧ソ連地域には行ったことがないように思われる。だからこそなおさら、そこに行くと言ったらどんな反応をするのか、それが怖かった。「物価が高い国へわざわざ旅行するなんて」と思われそうな気がした。

それより、出発してまた10日ほどしか経っていないのに、先の話をするのが僕はイヤだったのだ。なにか引け目を感じていたのかもしれない。ある種の劣等感かもしれなかった。口が立つ者への劣等感、旅の経験と知識が豊富なものに対する劣等感。我々は、自分たちとしては極力無駄使いをしない旅を心がけているが、彼らにしてみればそれでも十分贅沢をしているのだ、と言われそうな引け目。そんなことで長旅なんかできるはずがない、と言われそうな引け目。夫婦で旅行しているという呑気さ。そして僕には、さらに別の思いもあった。「一人旅であれば、彼らと同じ立場になれる・・・はずだ」。つまり、二人旅という引け目。女連れという引け目。

 メガネ君が言った。「8月いっぱいまでしか時間がないから行けるかどうか分かりませんが、カシュガルに行くなら、ぜひタシュクルガンまで足を伸ばすことをおすすめしますよ。景色がすごく良いんですよ。タシュクルガンで1泊して帰ってくるだけでも十分ですよ」。

 タシュクルガンは、カシュガルからパキスタンへバスで向かうときに通る町である事は僕たちも知っている。ただ、そこまで行くかどうかは考えどころであった。我々はパキスタンへ行くつもりは今のところないし、そもそもビザを持っていない。タシュクルガンへ行けば、そこからカシュガルまで戻ってこなければならない。同じ道をただ行って戻ってくるのは、なんとなく損をした気分になる。しかし、「タシュクルガンまででも行く価値がある」と言われると心が動く。すると、話を横で聞いていたヒゲさんがつぶやいた。「でも、本当に良いのはフンザなんだよ」。

 「フンザって、どこ?」とユウコが僕に小声で質問する。フンザはタシュクルガンからフンジュラブ峠を越えたパキスタン側の町だ、というところまでは僕も知っている。そして、景色も良く、すてきな田舎だという話も聞いている。「フンザか・・・」。行ってみたいという気持ちは少なからず存在するだけに、目の前で薦められては、心が揺れるばかりだ。

 ボートが着いてバスを降りたところへ歩く途中でバスが通りかかった。時計を見ると3時半であった。

帰りのバスも2時間かけて、ゆっくりと山を下りる。やはりこのバスもポンコツである。行きのバスもそうだったが、揺れがひどい。道は舗装されているので、たぶんサスペンションがイカレているのだろう。シートのクッションも役に立たない。が、ヒゲさんに言わせれば、「インドに行けば夜行バスでもこんなもんだ」。

乗り込んで車内で金を払う段になってメガネ君が女車掌ともめだした。あとで聞いてみると、「保険」を持っていないから保険代を払え、と言われたのだそうだ。「だから言ったんですよ。『行きは2人分を13元しか払っていないし、俺は保険に入っている。倍払えというなら全ての客から倍を取れ』。奴ら、油断してるとぼったくりますからね」。

そういえばここまでヒゲさんは金をほとんど使わず、メガネ君がつねに2人分払っていた。好意なのか、そういうシステムにしたのか、それは知らない。

 

 田舎は良い。子どもたちがかわいい。劉家峡の子供たちもそうだが、炳霊寺の石売りの子どもも、しつこいがどこか憎めないところがある。そういえばメガネ君はその売り子の少年と仲良くおしゃべりをしていた。「あんまりかわいいもんで冗談で『君を連れて帰りたい。いくら?』って聞いたら、恐がれてしまいました。」

 ヒゲさんの話では、新疆だったら(カシュガルじゃなくて)クチャとトルファンが「最高に良い」らしいのだ。先が楽しみになってきた。

 蘭州汽車站で彼らと別れ、宿へ戻る。どこに泊まっているかは聞かなかった。いや、聞けなかったという方が正解だろう。また劣等感と引け目が募るだけなのだから。

 

 久しぶりに麺を食べる。今日は牛肉麺。これはどこでもうまい。そして、最近気になっていたヨーグルトを初めて食べた。うまかった。果物も買って、これは宿で食べた。これもうまかった。今日は成功が多い。

 

いよいよ正露丸がなくなってしまった。そこで薬屋へ行く。胃腸薬の並びを探してみるが、正露丸は無い。言えば出てくるかもしれないと思い、メモ紙に「正露丸」と書いて尋ねる。すると店員のお姉さんは「あるわよ」と愛想が良い。「よかった!」と2人でホッとする。しかし、出てきたものは正露丸ではなかった。「これは違います。『正露丸』をください」と、メモ紙をたたいて示す。するとお姉さん、メモ紙をじっと見つめ、隣の店員に声をかける。その店員が首を振る。そこでお姉さんから答えが返ってくる。「ないわ」。さっきは何を勘違いしたのだろう。いずれにせよ正露丸はない。困ったことになった。すると、中国の胃腸薬を買わねばならないが、どれを買えばいいのか分からないし、本当に効くのか、副作用があるのではないか、などと、あらぬことを考えると恐ろしくなってくる。西安で見つけたときに買っておけば良かったと思うが、もう遅い。

「だけど」とユウコが言った。「いままで正露丸ではまるで効き目がないし、もしかしたら、中国の病気は中国の薬でないと治らないかもよ」。もっともだ。それに、中国は漢方の発祥地だ。薬の研究だって大いに進んでいるに違いない。よし、中国の薬を買おう。意を決したものの、ユウコはなんと言ったものやら、なんと書いたものやら、見当が付かない様子だ。携帯する日中会話帳を開いても直接的な表現はない。そこで、メモ紙にいろいろと書いてみる。「下痢止」「消化不良」「腹痛薬」「胃」。

店員のお姉さんが何人も寄ってきて、彼女ら同士でなにやら話し合い、そして我々に質問してきた。「吐き気はあるか」「湿疹は出るか」「寒気はするか」「ほかに痛いところはあるか」。彼らはさきほどからのノンビリした態度を変え、いたく真面目な表情になっていた。話がだんだん大げさになってきて困惑するが、「腹が痛い。下痢をする。熱はない。吐きもしない。湿疹はない。かゆみもない。食事はうまい」などと言ってみる。

薬が2種類出てきた。ひとつは10粒入りの、ラムネ菓子のような白い錠剤で、「哈尓浜制葯 瀉痢停片」とある。もうひとつはカプセル剤である。カプセルの半分は赤で、もう半分は黄色。錠剤を飲むときに、このカプセルも同時に飲めば効き目が増すのだと教えられた。強壮剤か抗生物質、あるいはビタミン剤といったところだろう。これは四川省成都の会社の製品らしい。

それとは別に、今度は少し大きめの薬が出てきた。これは液体飲み薬で、1回分5ml、飲みきりのプラスチックケースに入っているが、中身がソルマックのような「どどめ色」をしている。これは「熱があって下痢をするとき」に飲む薬らしい。「効きそうだけど、すごい色だよね」とユウコ。たぶんこちらは用無しだろうが、とりあえず両方買ってみた。

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こののち、瀉痢停片にはずいぶんとお世話になった。ユウコが効用を読んだところによれば、この薬は「胃の中の雑菌を殺す」のだそうだ。「12回、最初の日は3回。食後あるいは寝る前、1回につき2片」とあるが、1片だけでも威力は大きい。「薬を飲んだあとは、水をたくさん飲みなさい」という注意書きもある。

いっぽう液体薬の方は、色が恐ろしいこともあり、結局服用することはなく、最終的には再び中国に入る前に捨ててしまった。

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 さいきん日本人によく会う。昨日の朝、火車站前では西安で見たカップルに再び出会った。彼らは宝鶏を経由してきたのだが、夜中の3時に蘭州に着いて、ひと晩待合いで過ごし「すごく怖かった」という。「蘭州の大学には学生寮があるはずなので、そこに泊めてもらえるかどうか交渉して見るつもりです」と、たくましい。

 CITSでも一人旅の青年に出会った。まだ旅慣れず、少し頼りなげだったが。

 今日は2人の日本人と3人の白人に会い、彼らにずいぶんと助けてもらった。こういうことも大事なことだ。

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靴底のゴムが剥がれかかっているので、ボンドを買った。