8月11日(火) 蘭州 雨

 朝食は昨日買った桃と洋梨。どちらも甘くておいしい。これからも買おう。

 昨日の夕方は風が強くなって街中でも砂が舞っていたが、今日は朝から雨だ。風がないぶん、昨日より過ごしやすく感じる。雨のせいか街も幾分おとなしくなっているように見える。肌寒い。

 雨が降る中、僕は手紙を出しに郵便局へ行く。ユウコは両替のため銀行に行く。

食堂街は「清真」の店が多い。火鍋屋、包子屋、いろいろある。

 ユウコと待ち合わせて、食事へ行く。チェーンの餃子屋で水餃子を食べる。餃子は久しぶりだ。三鮮餃子と葱肉餃子。半斤ずつ頼んだので2人で1斤食べたことになるが、これはさすがに食べすぎた。

 水餃子は油を使わないからコッテリしないし、炭水化物もとれるし、味付けは自分の好みでできるから辛くない料理を食べられる。実はヘルシー料理なのかもしれない。そういうことを言ったらユウコが「たしかに餃子は、この辺りの主食みたいなものだからね」と答えた。

 雨は午後2時頃にやんだ。

 午前中にはずっと降り続けていたにもかかわらず、降り止むと2時間ほどで道路はすっかり乾いてしまい、砂煙が出る始末だ。並木通りでは水はけが悪く、随所に大きな水たまりができており、どこからか清掃員がわき出てきてみんなで箒で水をはけている。乾いている地面もかまわず掃くから埃が舞っている。

 濡れていた靴も傘もすぐに乾いた。

 蘭州歴史博物館に行く。やたら大きな建物で、ここも歴史がぎっしりつまっている。1時間半しか見られなかったが、急ぎ足であった。西安は陜西省の歴史だったが、蘭州ではとうぜん、甘粛省の歴史がいっぱい。したがって、シルクロードの関係物が多い。

 昨日の2人とばったり出会った。

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 今日は夜行寝台バスで敦煌に行く日だ。バスの出発は17時の予定である。汽車站に行くと、あいかわらず臨夏や夏河の客引きがうるさい。ハエのようにしっしっと追い払う。客引きというよりはダフ屋のようだ。

 寝台バスは、真ん中の通路を挟んで左右に臥輔が並んでおり、上下2段。寝台の幅は1m近くある。これを一人で寝ると思えば、なかなか広い。しかし長さが少し足りない。僕(180cm)でもギリギリぴったりなので、これより背の高い人だと足が伸ばせないだろう。ちなみに一番後ろは、座席バスで5席並んでいるのと同様にベッドが並んでいて、さながら大部屋のようである。バスは比較的新しく、わりと清潔だ。ともあれ、券を買った段階では上下1つずつ確保したことになっているので、我々は喜んで車内に乗り込んだ。

 ところが検札に来たチンピラ風のあんちゃんが我々の券を見て「おまえたちは上段に2人だ」と言う。話が違うのではないか? それに、1人では十分の幅だが、これに2人寝るのは窮屈ではないか。ユウコとともに少しごねてみるが、まるで取り合ってくれなかった。僕はすっかり気分を害され、面白くない。

 通路を挟んだ隣の上段には若い女性2人が乗り込んだ。やはり上段に2人寝るとあんちゃんに聞かされビックリしたようすだが、特にもめるようでもなかった。

 機嫌が悪くなると要らぬ事まで考えるようになる。「我々は、なめられているのではないだろうか」。おととい、チケットを予約したときの窓口では、たしかにおばちゃんが「1つは上段、1つは下段」と言っていた。少なくとも我々はそう信じている。チケットを手渡す際に、「こっちが上段、こっちが下段」とレクチャーまでされている。しかし、状況は異なり、我々は隣り合わせで窮屈だ。これが正解とは、どうも思いがたい。本当は下段も我々の予約分なのに、わざと押し込められているのでは無かろうか。だとすると、下段の分は払い損になるはずだ。というより、下段を使わせて欲しい。だけどそれはダメだという。チケットを買うときに、ぼられたのだろうか? となると、我々は1人あたり2席分の料金を払わされている可能性がある。

そう考えて、横の女性にチケットを見せてもらった。見ると、我々の券とはちょうど続き番号になっている。ということは、横から順番になっているわけで、我々の券は上輔(上段)の2席分ということになる。つまり、「上下段で予約したはず」というのが我々の勘違いだったということだ。もしかすると、発券のおばちゃんは「上段で隣り合わせだからね」と言っていたのかもしれない。なんとなく面白くないが、それはそれで納得するしかない。

ところが次に値段を見てみると、彼女たちの料金は我々のちょうど半分の金額である。僕はいよいよ気分が悪くなり、頭に血が上ってしまった。冷静を装って彼女たちに券を返すが、もはやユウコの声は聞こえていない。顔が真っ赤になっていることが自覚できた。

「我々は、外人料金を払わされているのではないか?!」

それでも少し落ち着いて考えてみる。聞けば彼女たちは公務員だという。だから料金が正規の半額なのだ、という可能性はある。しかし、そこまで彼女たちに聞いて確認するのはためらわれる。それより、とりあえず、あのあんちゃんにはなんとしても文句を付けたい。しかし、なんと言えばいいのか。どのように言えばいいのか。日本語で怒鳴りつけるか、漢語で書いてたたきつけるか。いや、そんなことでは迫力に欠ける。考えれば考えるほどに腹立たしくなる。

17時なっても出発しない。運ちゃんも検札の職員もみな焦るわけでもない。客が揃ってないから仕方がないよということなのか。ますます持って腹立たしい。「仕事しろ」。僕は誰ともなくつぶやいた。ユウコは黙っている。

18時、1時間遅れでようやくバスが動き出した。

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バスが動き出したところで、少し気が収まってきた。時が経てば怒りも静まってくる。そこでもう一度考えてみた。料金は正規の通りだし、寝台のルールも、これがルール通りなのだ。横の女性2人の券も、実は彼らは途中で降りるかもしれないのだ。敦煌まで行くとは確認していない。だから、料金が違うのは当たり前なのだ。だとすると、僕の席とユウコの席で値段が微妙に違うのはなぜだろう。それは当初は「上段と下段」の差だと勘違いしたことになるが、これは「通路側と窓側」の違いということなのだろうか。我々は何も知らず、勘違いで腹を立てていただけなのだ。それを思うと、だんだん虚しくなってきた。

僕が落ち着いてきたところでユウコが言うには、はじめに席を割り当てられた時点で、彼女は彼女なりに理解していたらしい。だから、あまり腹は立たなかったのだと言う。つまり僕が勘違いをしていたことも、理解していたということになるが、説明しようにも「あなたは怒っていたから、きっと分かってくれないと思って」黙っていたのだそうだ。それよりも、僕が腹を立てて「発券の時にしっかり確認しなかったのは君のせいだ」とユウコに当たったので、それに対しては非常に気分を害したと言う。お互いが勝手に腹を立て、会話もできなくなってしまったのだ。悪いことをした。

荷物を車内に持ち込んだので、足の先にある仕切り壁に2つ並べる。バスの揺れのせいで安定しない。落っこちないかと心配だ。おまけに、荷物のせいで足が伸ばせなくなってしまった。

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 21時50分、街道筋の飯屋で夕食となる。

 腹の調子は相変わらず良くないが、トイレに座って考える姿勢をとっても、なにも出てこない。どうでもいいが、ここの食堂のトイレは、店の裏にある庭の奥にある。真っ暗なので懐中電灯が役に立った。しかし、「明るかったらしゃがむのにも勇気が必要だったかもしれないね」とユウコが言い、妙に納得した。

 腹は減っている。しかし、食べればあとのことが心配である。よって、ここでは食べない。バスの運転手はがつがつと食べている。食べない者、食べ終わった者はテレビをじっと見ている。なんとなく、横の売店で煎餅を買う。ユウコはガムを買った。歯磨き代わりだというが、味は甘い。店の少年がゆでたまごを売っている。引き締まった良い笑顔を見せるので買ってあげたい気もするが、これこそあとで何が起きるか分からず恐ろしい。

 乗客の中に、白人3人と東洋人女性1人の4人組がいた。白人は男が2人、女が1人、つまり男女2人ずつということになる。年は20歳ぐらいだろうか。白人は誰も中国語を話せないらしく、東洋人の女が通訳代わりに世話をしている。彼らの会話は英語だが、母国語ではないように感じる。女の子は香港人だろうかと邪推する。彼女はみんなから「ジャッキー」と呼ばれていた。4人ともよく食べる。

 休憩時間は特に決められていないが、運転手のオヤジが立ち上がると客もぞろぞろと店を出た。ちなみにバスは鍵をかけてしまうので、彼らの休憩が終わらないと客は中に入れない。窓を開けておけば話は別だが。

 ふたたび出発。

 おなかがゴロゴロうなっている。昼の餃子が昨日のヨーグルトと戦っているかのようだ。「頼むから朝までは何も起こさないでくれよ」と腹をさする。ここを乗り切るには気合いしかない。これはバス旅行の不安でもあった。トイレ休憩そのものは頻繁に取ってくれるようなので、それ自体は問題はない。が、何か起きたときのことが心配である。鉄道と比べ料金が安いのも、サービスの差を考えればうなずける。同じ寝台でも硬臥であれば、トイレはいつもそこにある。申し訳程度であれ、清掃もされている。

 夏とはいえ、窓の隙間から来る夜風は冷たい。これも不安要素だ。掛け布団は一人1枚ずつ支給されるが、小さい。僕は初めて寝袋を広げた。おおー、あたたかい。これは無敵だぞ。ユウコはバスに備えてある布団をかぶって眠る。とにかく足と腹を冷やさないことだけに神経を費やす。

 神経を使うといえば、荷崩れも心配だ。いちおう、ひもでくくりつけてあるが。心配事が多い。

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8月12日(水) 車中 晴れ

早朝6時、張掖に到着する。

8月とはいえ、かなり西に来ていることもあり、まだ暗い。となりの女性2人はここで降りた。チケットが半額だったのにはこういう理由があったのだと、ようやく事実を確認できた。ここではかなりの人が降りる。

8時、酒泉。

祁連山脈の山並みが左手に見える。さすがに8月でも雪が残っている。5000m級なのだから当然といえば当然だが、すばらしい景色だ。この先に見えるであろう山々もどんなふうか、楽しみだ。

9時半、嘉峪関。

 街中を通るたびに感じるが、どこの街も造りがよく似ており、よくいえば近代的に整備されているということになるが、味気がない。その意味では日本の諸都市と通じるものがある。旅行者にはつまらない。それでも郊外へ出れば、たちまち荒涼とした風景が広がる。

 嘉峪関には長城の西端の砦がある。どこかに見えはしないかと車窓を右左と見る。手元の地図では、嘉峪関の新市街を抜け、線路を渡ると右手の方に見えるはず・・・と思っていたら、横のおじさんが「嘉峪関だよ」と言って指さしてくれた。一瞬のうちに通り過ぎたが、たしかに立派な関が見えた。

 トイレ休憩を頻繁に取る。あるいは客が要求するのかもしれない。トウモロコシ畑のある所でも停まった。男性は右手へ。女性は左手へ。

12時、昼食休憩。

順調に走っていたバスはおもむろに街道筋に止まる。運転手が振り向き「吃飯!!」と叫ぶ。乗客はぞろぞろと降りる。飯の時間は運転手の都合によって決まる。当然ながら、店の趣味も彼らの趣向で決まる。あるいは行きつけの店があるのか。

我々の腹は平穏である。ユウコとも相談してみるが、とくに何か起きる気配は、今のところ無い。幸い「トイレ休憩も頻繁に取ってくれているから」ということで、なにか食べようということになった。辛いものは避けたいが、ヘタを打つとどうなるか分からない。が、ここで頼んだユウコの肉絲麺、僕の玉子炒飯は、どちらも美味しかった。玉子が嬉しい。しかもこれで2日間、辛い料理から逃れることができた。腹も落ち着いてきているように思われる。ひと安心だ。ちなみに、蘭州で買った薬にはまだ手をつけていない。

 昼食後、1時間ほど走ったところでおもむろにバスが止まった。一本道だが、周囲は延々と砂漠である。渋滞になっている。バスの最前に行って先を見るが、運転手も怪訝な顔をしている。と、その正面、車が連なった道の向こうに黒煙が上がっていた。事故のようだ。

 バスも周りの車もしばらく止まって様子を見守っていたが、どうもこのままでは動けそうにもないと判断すると、車どもが道を外れ、砂漠を走り出した。トラックが多い。こりゃまた、とんだオフロードである。我らがバスも砂漠を行くことになった。砂塵がもうもうと上がる。スピードは出せない。白人たちは面白がって写真を撮っている。事故現場の脇を通った。トラックが1台横倒しになっていた。積み荷がごうごうと燃えている。

 「今日はいろんな体験をしたわ!!」と喜んでいるのは白人たちだけだった。

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16時半、安西を通過。そして18時半、敦煌に到着。24時間半の長旅であった。しかし今後は当分、このようなバス移動が続くのだ。

 風が強く、舞う砂は視界を悪くし、顔に当たるのが痛いぐらいだ。敦煌は砂の町だ。

 まずは宿探しである。敦煌の目的は莫高窟であるが、それしかない。2泊もすればすぐに移動だ。またバスに乗るのだから、汽車站近くの宿が便利であろう。ということで、すぐ近くの西域賓館へ行く。ここは標準間が100元と料金は嬉しいが、残念ながら空きは「没有」。220元のスイートルームしか空いていない。そこで、少し歩くが莫高賓館を目指す。ここにも安い部屋があるはずだった。

 歩き出してすぐに、別の宿の客引きに声をかけられた。気のいい感じの、痩せ身のおじさんが自転車を引きながら「民族賓館」の料金表を見せてくれる。おじさんは、僕が学生時代にアルバイトをしていたラーメン屋の店員さんに似ており、懐かしみを覚える。彼の手にあるくたびれた料金表には「乙級60 甲級120」とある。悪くない。僕はちょっと怪しい空気を感じた。この宿は日本のガイドブックには載っていない。よって、外人が泊まれるのかどうか不安ではある。が、ユウコは乗り気になった。とにかく見せてもらおう。

 民族賓館は、敦煌汽車站から西に5分ほど歩いたところにあった。

 フロントは閑散としており、「成り立っているのかなあ」と余計な心配までしたくなるほどである。迎えてくれた、おそらくオーナーと思われるお父さんが、いままで我々が見てきた中国人の例になく、朴訥で愛想も良い。商売っ気が全く感じられない。「これだから儲からないのではないかしら」と、ますます心配をしたくなるが、かえって好感が持てる。

 ホテル自体は5階建ての、よくあるアパートタイプのようだが、甲級の建物はその隣にあった。フロントのお姉さんが案内してくれる。素朴な、しかしどこか落ち着いた雰囲気の庭園を過ぎ、ブドウ棚をくぐると平屋の棟があった。鍵係の女の子が入り口にいる。むっつり黙っているが、いままでの宿で見てきたようなつっけんどんな感じも、やる気のない面倒くさそうな態度もない。むしろおっとりしている。建物は、けっして贅沢でもおしゃれでもないが、なにかどこか「いいかんじ」の宿である。いままでにはなかった。しかし、平屋ということで部屋は1階だ。治安の面で少々不安が残る。「乙級の部屋はさっきの建物の上にあるのですか?」と尋ねると、案内してくれたお姉さんが「ここは気に入りませんか?」と聞き返してくる。「そうではないけれど、あっちの部屋も見て決めたいのです」。すると「値段が気になるのであれば100元でもいいです」と言う。これであっさりオーケーしてしまった。

 主人もスタッフもみなおっとりしている。なんだかほっとする。

 荷物を置いて、次の目的地であるハミ(哈密)までのチケットを予約をしに汽車站へ戻る。明日、莫高窟を見物すれば、敦煌へ来た目的は達成されるので、出発はあさってだ。バスターミナルの料金表には「内賓」と「外賓」の料金が掲げられていた。外国人料金は、国の制度としては廃止されているはずだが、ここには厳然としてあった(そしてこの先でも幾度も見た)。ちょうど2倍の料金だった。チケットを買ってから気がついたのだが、ここはまだ甘粛省だから、蘭州で買った「保険」の効力があるはずだ。あるいは2倍の理由はその「保険代」なのかもしれない。と、思うと、それを交渉すれば安くなったかなーとも考える。それはちょうど、劉家峡から蘭州に帰るときのバスでメガネ君がしたのと同じような交渉である。しかし、そうは言っても、交渉をするためにはエネルギーが必要だし、なかなか面倒なことである。言葉の壁もあるが、中国ではどうも、人民たちに圧倒されてしまう。

 朝食用のメロンと、夜用のビールを買い、部屋に戻る。西風がびゅうびゅうと吹き、視界が悪い。

我らが民族賓館前の東西に延びる通りは、道幅がさほど広いわけでもないが、大型のバスやトラックが頻繁に通る。汽車站からのメインルートなのだろうか。その通りを西に行くと、河川敷のような広っぱがあった。夕日がきれいだ。

 地元の人々が背中に「敦煌」とプリントされたTシャツを着ている。生活しながら旅行社への観光宣伝をしているようなものだ。

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