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13:トルファン〜1日ツアーで出会った人々〜

トルファン飯店のドミトリーに何泊もするのはさすがにきついので、翌日何軒も尋ね歩いて、高昌賓館という宿に移った。ツイン200元の部屋を180元にまけてもらえたのがうれしい。

 

トルファンでの観光の目玉は民族舞踊ショーといくつかの石窟、交河故城・高昌故城という昔のお城だが、トルファン賓館で行われる民族舞踊ショーはともかくとして、ほとんどのみどころが郊外にあるので、今回は中国人向け1日ツアーに参加しようと考えた。ツアーはCITSの他、トルファン賓館・トルファン飯店といったホテルのフロントで申し込むことができる。銀川での一件以来、CITSに良い印象を持っていない私たちは、CITSを避け、ホテルで主催しているツアーに申し込むことにした。民族舞踊ショーの申込みと同時に、トルファン賓館でツアーについて尋ねてみると、「洪水のため、ツアーはしばらく中止」という返事が返ってきた。昨日、トルファンへ着く直前に用水路が決壊していたが、その後復旧することなく、状態がますます悪くなっているようだ。しかし、今後回りたいところも沢山あり、トルファンでそんなにのんびりとしているわけにもいかない。なんとか明日、見どころを回ってしまいたいものだ、と、もう1軒ツアーを主催している、トルファン飯店で聞いてみた。こちらでは何の問題もなかったかのように、「明日、8時半、フロントに集まってくださいね。」と言われる。拍子抜けしたが、ホテル側が大丈夫だというのだから、平気なのだろう。

 

トルファンの夏はきびしい。16時をすぎてもまだまだ暑く、人通りも少ない。バザールを見学しても、ほとんどの店主がやる気なく、休んでいる。銀行など一般企業は、午後1時から4時頃まで、全社をあげて昼休みをとっているようだ。看板にもはっきりと昼休みの時間帯が明記されている。私たちの町歩きも暑さのため体力を消耗するので、散歩はそこそこにして、暢はビール、私はジュースを商店で買い、店の前の路上にあるテーブルで休んだ。

 

夜になり、ウイグル舞踏ショーを見に行った。トルファン賓館の「葡萄棚の部屋」というところに、演奏のための仮設ステージが設けられ、もう人でいっぱいだ。観客は、日本人団体観光客が多い。この人数の多さは、今、日本でお盆の時期だからだろうか。夏季休暇を利用して、皆、旅行をしているのだろう。見物席は、椅子席ではなく、絨毯のうえに直に座る。日本人客が多いせいか、中国語、英語で説明が行われた後に、日本語の説明もあった。ショーはとても楽しい。ウイグル民謡はこぶしの回しかたが「津軽じょんがら」に少々似ているように思う。ウイグル民謡は日本の民謡のルーツでもあるのだろうか・・・。伴奏も生演奏で、楽器は胡弓のようなものから、太鼓、ギターのようなもの、チェンバロのようなものがある。歌手の他にダンサーもおり、色鮮やかな民族衣装を着、女性はハイヒールを履いて、くるくると回る。男性のダンサーもおり、ロシアのコサックダンスのような動きをする。常に満面の笑みをたたえて踊る彼らを見ると、こちらまで愉快な気分になってくる。ダンスではいくつかの物語を表現していて、演技者の心情がとてもわかりやすかった。恋愛物語における、女性のはにかみかたなど、たいしたものだ。このようにして場も盛り上がってきた頃、日本人へのサービスなのか、歌手が「ふるさと」を歌った。ウイグル流に、甲高い声で、こぶしを効かせて・・・。正直、これには参った。あえてこの場で日本の童謡を歌う必要があるのだろうか・・・。「ふるさと」を聞いて、郷愁を感じてうれしいというより、人数の多さ、つまり金にまかせてむりやり歌わせているみたいで、なんだか気恥ずかしかった。

 

翌日はいよいよ一日ツアーだ。

 

早めに高昌賓館を出て、「西にきたのだから、朝食にナンを買ってみよう」と思い、朝市で買う。円形状のパンで、直径40センチはあるだろうか、むちゃくちゃ大きい。しかし、食べてみると何の味もない。パンを食べたときに普通は感じる、小麦粉の風味も、甘みも、塩気もない。この粉のカタマリとお茶が朝食だが、完食するのがキビシイ。でも、他に食べ物もないので、トルファン飯店のロビーで胃に押し込む。

 

ロビーで待っている間も、「ツアー、イキマセンカ?」と片言の日本語で話しかけてくるウイグル人の客引きがやってきた。しかし「CITSに予約した」と言うと、皆スゴスゴと引き下がった。私たちが申し込んだのはトルファン飯店のツアーなので、CITSに予約したというのは正確な言い方ではないが、CITSという名前にはやはり威力があるらしい。そうこうしている間に、約束の8:30になった。しかし、何も起こらない。少し不安になっていると、10分ほど過ぎて「この5人で1つのツアーよ!」とフロントの女性が叫んだ。2人は若い中国人の女の子。彼女らは広東人のようにも見える。もう1人は小ぎれいな格好をしている大学生くらいの男の人。彼ら3人と私たち2人で「5人のツアー」ということらしい。フロントのお姉さんが大学生くらいの青年のことを指さして、運転手に「彼は听不憧(わからない)だから」と言っている。中国語のわからない日本人なのだろうか?それにしては、彼は中国の文化に非常に適応しているようで、ビニール袋に入った葡萄をむしゃむしゃと食べながら、種や皮を窓から外にポイポイと投げ捨てている。中国に来て、この「投げ捨て」という文化が、私はどうもなじめない。皆がやっているから、といって、やっていいことだろうか?彼が日本人だとして、「郷に入れば郷に従え」と、これを当然のように行っているのかと思うと、腹立たしくなった。

 

トルファン飯店を出発し、バスは快調に走る。ミニバスは快適だ。これまでの旅で乗ってきた大型のおんぼろバスと比べて、シートもしっかりしているし、少々の揺れではビクともしない。心配していた洪水もおとといほどではない。「これなら何も心配することないわね」と思っていたら、火焔山を目前にして、突然目の前が大洪水になった。泥水にはまってしまい、立ち往生している車を、大小多数見かける。私たちの運転手は、果敢にも道を選んでむりやり前進しようとするが、しばらくがんばったところで、とうとうはまってしまった。最初は運転手が外におり、孤軍奮闘して泥沼から抜け出そうとするが、らちがあかない。私は、学生の頃、雨の後、路面がぬかるんで、よくグライダーで使う機材車がはまっていたことを思いだし、そんなとき、いつも部の仲間で力をあわせ、人力で動かしたことを思い出した。そして「洪水はまって困った」というよりも、「あのときみたいに、なんとかしてやろう」と、腕が鳴った。思わず「みんなで押したら動くんじゃないかな?」という言葉が口をついて出た。そんな私のつぶやきを聞いてか聞かずか、いつしか乗客全員がバスをおり、一致協力してバスを押していた。しかし、バスはビクともしない。運転手は困った表情を浮かべながらも、「ぜったいなんとかするから。」と言った。なすすべもなくなった私たちだったが、ズボンをびしょびしょにして、力をあわせて車を押したせいか、ゆきずりの乗客とはいえ、連帯感のようなものが生まれていた。その雰囲気を察したのか、こぎれいな青年が中国語の筆談で「あなたは日本の方ですか?」と聞いてきた。投げ捨てを快く思っていなかった私は、そうですとそっけなく答えると、「私は耳が聞こえないのです」と彼が書いた。彼は日本人ではなく、本当に「听不憧(聞こえない)」つまり聾唖者の青年であったのだ。出身は廈門だという。現在は長春大学の学生で、名前は曽君。中国の人なら、投げ捨ても文化だから、と納得し「今日は曇っていて、さすがの火焔山もめらめらと燃えていないね。」などと、筆談する。話を弾ませていると、対面に大型車を救出しようとクレーン車がやってきた。頼りになる私たちの運転手は、すかさず、私たちも救出してほしいとお願いに行く。クレーン車の馬力はさすがで、簡単に車を救出した。沼地を抜けて、私たちは火焔山、千仏堂へと向かった。

 

やっと千仏堂に着いた、と思ったら、ここはいったい何だろう。看板には「土芸園」と書いてある。入場料を10元も取られた。渡されたパンフレットには「火焔山の魅力を増す・・・」と書いてあるが、美しいとは言い難い土像が並べられ、あきらかに魅力を損なっている。この趣味の悪い土芸園は、ある日本人が「100万円」出資して建てたそうだ。その日本人のための大きな碑がありがたそうに建っているが、たった100万円のためにこんな碑まで恩着せがましく建てて、自然の景観を損ない・・・。せめてもっと有意義なことに投資すればいいのに、と思う。

 

土芸園で、曽君が「そこに立ってくれ」と三脚にカメラを構えて、暢に身ぶりした。「私たちと一緒に写真を撮ってくれるのだろうか?」と嬉しく思っていると、曽君は暢をどけて、暢の立っていた場所に立ち、自らリモコンで写真を撮り始めた。暢は単に構図の確認に使用されただけだったのだ。自分たちも自意識過剰だが、曽君の写真の取り方も面白い。常に自分が中心の「俺」シリーズだ。このあとも何度か暢は構図の確認に使用された。

 

当初の目的の千仏堂は、土芸園の奥にある。6世紀から14世紀まで開かれていた石窟寺院で、景観はすばらしいが、内部は見事にイスラム教徒によって破壊されている。仏像の顔がどうだったのか、まったくわからない。残念だ。

 

次は魏晋南北朝から元の時代までこの地で栄えた、高昌国時代の墓である、アスターナ古墳群へ向かった。ミイラが展示用の箱などに入らず、むき出しで展示されている。アスターナ古墳群は主に貴族の墓だが、このミイラは農民のものだろう、とのことだ。商人の墓もあった。同じ街の人がみなひとところに埋められたのに違いない。彼らのような名もなき人々が、何千年も経って自分のお墓を掘りあらされ、遺体が人々の見世物になるとは、思ってもみなかったことだろう。

 

高昌故城に行く。とても広い。入り口からメインの遺跡まで、3キロはあるという。歩いて3キロはつらいし時間がかかりすぎるので、10元のロバ車を5元にまでまけさせて乗車した。炳霊寺でメガネ君から学習した、値切り方法が役立っている。5人で仲良くロバ車に乗る。曽君はロバを操って、大喜び。

「僕は身体障害者手帳があるから、観光施設や交通機関はどこでも無料なんだ。旅行しなきゃ、損でしょ?」

と言って、屈託なく笑う。彼や少女二人と写真を撮り、急ぎ足で高昌故城の遺跡を見た。

 

12時になったので、これで昼休みをとるのかな、と思っていると「葡萄溝」という場所へいくという。「おなかがすいたな・・。」と、すこしがっかりしていると、運転手が「そこでお昼も食べるよ」と付け足した。葡萄溝の中にある食堂(といっても屋台に近いが)で食事をとるのだ。

 

葡萄溝の食堂に着くと、「何が食べたい?ここでは抓飯や拌面が名物よ。」と、少女二人が私たちの世話を焼いてくれる。暢は羊肉とにんじんのピラフである抓飯、羊肉の苦手な私はトマトソースのかかったうどんである拌面を食べた。どちらもおいしい。少女たちも抓飯、曽君は炒面(辛い味の焼きうどん)を食べた。曽君は肉全般が苦手らしく、「抓飯は食べられない」と言った。少女たちは広東人かと思っていたが、実はどちらも新疆人(マナスの人)だった。地元の高校生である。優しくてかわいい。食事を終えると、山盛りのブドウが食堂からのサービスとして出た。とてもおいしい。曽君が「せっかくだから、全部袋に詰めてもって帰っちゃえば!?」とジェスチャーをして笑わせる。トルファンではちょうどブドウが実る季節で、葡萄溝でもぶどう棚にたわわに実がなっていて、とてもすてきだった。トルファン市内でも大きいホテルの近くの通りはブドウ棚でアーケードができていて、とても雰囲気がある。葡萄溝自体は土産物屋や、葡萄の品種について展示したちいさな博物館などがある程度でたいした見所ではないが、われわれにとって魅力的なワインの試飲コーナーが見学ルートの一角にあった。少女たちはまだ高校生であるのでそのまま通り過ぎ、私たちも最初それについていったが、試飲しないでこのコーナーを通り過ぎたことがどうにもあきらめがたく、もう一度見学ルートを戻って試飲した。赤ワインを飲んでみる。甘い。砂糖が入りすぎだ。ラベルを見ると甜酒(SWEET・砂糖添加)とある。悪酔いしそうな味だ。そこでは砂糖が入っていないワインが見あたらなかったので、試飲コーナーでは買わず、土産物屋で干酒(DRY・ブドウ100%)を値切って30元で買った。一緒に水を買おうとしたら、とんでもなく高く言われたので、これまたむりやり値切った。よく考えれば日本でも観光地はジュースなど高いのだが・・・。私もたくましくなったものだ。そして、出発する時間になったが、曽君が戻らない。皆で手分けして、あちこち探す。「彼は身体が不自由だから、何かあったのではないか・・・。」と、運転手はとても心配そうな表情だ。しかし、その心配は取り越し苦労で、彼は単に買い物に夢中になっていて、時間を忘れただけだった。バスに乗り込むと「こんなもの買っちゃった」と、おもちゃの剣のようなものを、無邪気にみんなに見せて、振り回していた。

 

次は18世紀にトルファンの群王がその父を讃えて建てた、蘇公塔に行く。モザイクが美しいが、素焼きの土器のような黄土色一色で、シンプルすぎるような気がする。モザイクというと鮮やかなブルーなどを想像していたので、少し物足りなく思う。塔に登って眼下を見ると、砂漠の片隅に葡萄畑が広がっていた。

 

さらに移動して、漢代の城、交河故城に行く。雄大な景色だ。だが暑い!私たちは暑さと疲れで、半分で見学をリタイアしてしまった。他の三人はやはり若いのか、とても元気だ。先に集合場所に行って土産物屋で涼んでいると「トイレはこの奥です」「お茶の無料サービスあります」といった、日本語の注意書きが見られた。それだけここを訪れる日本人観光客が多いのだろう。

 

最後は灌漑用地下水道のカレーズだ。ガイドには入場無料とあるが、最近入場料ができたようだ。中国人観光客は、カレーズに流れる水を直接手ですくって飲んだりしているが、例によって皆がタンをはいたり、ゴミを捨てたりしているところの水をよく飲めるなあ、と思う。出口付近に地下水道についての展示館があり、日本語の説明もあって興味深く見た。5年ほど前にここから中央アジア・チベットへ旅行して命を落とした日本人青年の本が展示されていて、複雑な気持ちになる。これから長い旅、本当に生きて日本に帰れるのだろうか・・・。こればかりは考えても仕方がないことなので、不安な気持ちを頭から無理矢理ぬぐい去った。

 

出口では曽君がブドウ売りと値段の交渉をしていた。「安ければ私も便乗して買おう」と思うが、質も値段もたいして良くないようだ。曽君も買うのをあきらめた。

 

トルファン飯店に戻って、他の三人と住所交換をした。友達になれてとても嬉しい。3人は「このあとまた遊ぼう!」などと言っている。少女の1人は手話ができるようで、曽君とのコミュニケーションもスムーズだ。すばらしい。「一緒にどう?」と誘われたけれど、ハードなスケジュールに疲れ切った我々は「あとはお若い方々で・・・。」とお見合い婆さんのような心持ちでトルファン飯店を後にした。

 

それにしても、今日のツアーはガイドを兼ねていた運転手さんの人柄のおかげで、ほとんど気を使わずにすみ、とても良かった。アクシデントもあったが、アクシデントのおかげでツアーの仲間と仲良くなれたように思う。そしてなにより、ハンディを受け入れながら、たくましく毎日を楽しんでいる曽君の姿がとても印象的だった。

(つづく)