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19:ウルムチ〜中国最後の滞在都市

ウルムチに着いたのは、真夜中だった。とりあえず、郊外にある空港からバスで市内の繁華街へと向かう。機内でガイドを見て、ウルムチでは紅山賓館に泊まろうと決めていた。女子大生たちも一緒だ。バスを降り、重い荷物を担いで紅山賓館のフロントへ辿りつくと、フロントの男性は私たちを一瞥し、

「今日はスイートしか空いていない」

「ドミトリーは一人分しか空いていない」

と、冷たく言い放った。真夜中に重い荷物を持って、うろうろするのは嫌だが、スイートに泊まるお金はないので、しかたがない。女子大生たちはもう少し別のホテルを探してみるという。私たちも別のホテルを探すことにしたが、近くの二ツ星ホテルである、博格達賓館(ボゴダホテル)へ向かってみた。二ツ星ホテルのツインに泊まるお金はないが、ここにはドミトリーもあるとガイドに書いてある。ドミトリーに泊まるのは嫌だ、と私は今までずっと思ってきたが、格のあるホテルなら、清潔で快適なドミトリーも期待できるかもしれない、とかすかな期待も抱いていた。もうすでに、時間は夜中の2時を回っていた。しかし、紅山賓館のフロントの態度とは全く違い、博格達賓館のフロントは暖かく私たちを迎えてくれ、宿代も少しディスカウントしてくれた。案内された部屋も、ドミトリーという扱いではあるが、実際は3人部屋が2部屋繋がった3真ん中に、共同の洗面所が一つあって仕切られているというつくりで、まるでスイートの片方の部屋に通された、というような雰囲気だ。そして、さすが二ツ星ホテル、清潔感は今までのホテルとは格段に違い、真っ白なシーツがベッドにかけられている。ベッドのマットが固いのだが、これがまた日本の畳に寝ているような心地よさで、すばらしい。疲れていたのもあったのだろう。あまりの素晴らしさに、涙が出てきた。久しぶりに深く、安心して眠ることができた。私はあまりに深く眠りすぎて、ベッドから落ちそうになった。

翌日には、隣の部屋の日本人貿易商Tさんとも友達になり、日本に帰った今でも、彼とは暢が年賀状の交換をしている。友達もできるし、ドミトリーも毛嫌いせずともいいものだな、と、私のドミトリーアレルギーも改善されたのであった。

 

ウルムチに来て3日目、郊外の名所である「天池」に行ってみた。天池という地名は、なんと美しい地名だろう。天に一番近い池・・・その名前、また観光ガイドなどでみる、澄んだ水と壮大な山々の写真などから、それは風光明媚なところなのであろう、と私は楽しみにしていた。ウルムチ市内中心部の人民公園北側の広場に、天地行きの観光バスの発着場がある。その発着場で前日に切符を買い、翌日の朝バスに乗って出発した。車窓から眺める風景は、車道のすぐ脇を川が流れ、遠くに断崖絶壁が見えたりして、なかなか楽しい。そしていよいよ天池に着いたのだが・・・。バスを降りるやいなや、日本語で

「ウマ、ノリマセンカ?」

と客引きがしつこく追いかけてきた。げんなりしながらも、客引きを追い払い、遊覧船に乗る。この船、乗船料を120元もとるわりには、湖畔を小さくくるりと1周するだけですぐに岸に戻ってしまい、名峰ボゴダ峰に近づいてくれるわけでもなく、とてもがっかり。湖畔はどこもゴミだらけだし、なんだか良いところがない。船を降りると、自称カザフ族のガイドがまた近寄ってきて、

「そこの丘にあるパオまで往復、食事付きで60元、ウマ、ノリマショウ。」

と、しつこく言って来た。

「結構です」

と私が何度もことわっていると

「では30元でどうですか?」

と言い出した。なんと最初の半額。なんというディスカウントだ。いい加減な価格設定に、ますます興味を失う。彼が案内すると言う、池の近くの丘にある宿場街(観光客向けのパオがたくさんあるところ)までは徒歩でも15分とかからない。馬に乗っていく必要など全くない。私たちが丘をずんずん登っていくと、中腹まで彼は追いかけてきたが、ついにあきらめた。丘をのぼると、天池を展望できる場所がある。たしかに湖畔で見るよりも、ここからの眺めは美しかったが、先日のカラクリ湖やコングール山の景色とつい比較してしまうと、感動が薄れる。やはり今回の中国の旅ではタシュクルガンの自然風景が一番雄大で美しかった。天池は標高2000メートルの高原にあるというが、晴れているせいか、あまり涼しくない。足下は馬の糞だらけなのも気をそがれる。

 

そうはいいながらも、散策を続けていると、先日タシュクルガンや飛行機でも一緒になった、女子大生2人と再び会った。彼女らは紅山賓館で宿泊を断られたあと、新疆飯店に宿を決めたが、それはひどい環境だったらしく、隣室のアフガン人が売春婦を連れ込んだり、セキュリティに問題があって、良く眠れないと訴えていた。また、彼女たちはウルムチを「使えない街」だと言っていた。私はそんなにウルムチを「使えない街」だとは思わない。たしかにウルムチはいわゆる「漢人の街」で、新疆ウイグル自治区独特の民族的情緒は少なく、いわば「中国の都会の論理」に完全に侵略されている。市内にも若干のウイグル人はいるが、中心部の風景は上海のそれと全く変わらない。もし、中国の「大都市」ばかりまわる旅をしていたら、どこに行っても画一的で面白くないかもしれない、とは思うが、日本の生活に慣れた身にとって、都会のこの街は「使えない街」ではない。田舎の不便さを味わってきた後にこのような大都市に滞在すると、快適ささえ感じるほどだ。むしろここで問題になっているのは、その街の雰囲気そのものではなく、宿がその人の旅を左右する重要な要素であるということだろう。逆にいえば、泊まった宿の印象が、その街の印象を決める、と言っても過言ではない。私が好きになれなかったトルファンだって簡単に宿が見つかったら、クチャだって宿が清潔だったら、私も「良い街」だと思ったかもしれない。

 

<中国の総括>

いよいよこのウルムチから列車に乗って中国を出国し、カザフスタンへ向かう。1ヶ月間の中国滞在の間、いろいろな事があったが、中国に来る前と来てからの印象が少し違っているので、まとめてみたい。

来る前のイメージ→実際のイメージ

中国は貧しい→豊か。特に都市部は豊か。携帯電話やビデオ、冷蔵庫、テレビなど電化製品を持っている人が多い。特にテレビCMではDVDを大宣伝している。食べ物も外食するときは食べきれないほど沢山の種類を頼んで残す。子供には甘いようで、させたい放題。まさしく子どもは「小皇帝」だ。

食器が汚い、箸も汚い→たしかに清潔とはいえないが、田舎でも割り箸の文化が浸透してきている。

トイレが汚い、戸が無い→田舎はまさしくそのとおり。しかし都市部の有料公共トイレはそうでもない。特に外国人観光客が多く訪れる場所では戸がある。一方、地方の安宿はトイレも臭いが、部屋も便所臭い。新疆ではトイレの臭いが羊の臭いに直結していて、最悪だ。

全体的に日本より遅れているイメージ→そうでもない。文化的にもスケールが大きい。しかし、農村部との貧富格差の問題や、少数民族の差別問題など、いろいろと問題はありそうだ。

中国の飛行機には座席指定がない→ある。中国人の我の強さを考えたら、きちんと決めておく方がよいということになったのだろう。

その他気づいた事

・中国ではヨーグルト(飲むヨーグルト)はよくみかけるが、チーズはみない。ハンバーガーショップにもチーズバーガーは見かけない。ヨーグルトは老若男女好きなようだ。とても甘く味付けしてある。

・中国の赤子はほとんどオムツをしない。皆ズボンのお尻のところを切って、いつでも排泄ができるようにしている。ゆえに男の子はいつもおちんちんが見えているし、女の子もお尻が見えている。冷えないのだろうか。また、病気になったり、母親におしっこがかかってしまったりしないのだろうか。今は夏だが、冬でもこのようなズボンを穿かせているのだろうか。(後に中国では1歳を過ぎるとトイレトレーニングのためこのパンツをはかせるということが判明)

・少数民族の差別問題は、随所で気になっていたことだが、ウルムチの博物館で、それを裏付ける展示に出会った。ウルムチの新疆ウイグル自治区博物館内にある民族館では、中国に住む少数民族の生活習慣や服装、住居の模型や人体的特徴などを紹介している。その展示説明の中で、気になっていた民族間の職業差別が実際に名言されており、漢族と同様の職業に就くことを許されている少数民族は満族だと明記されている。むろん、例外はあるだろうが・・・。実際、新疆でウイグル人が事務系の職業(いわゆるホワイトカラー)に就職している姿はあまりみかけない。ホテルでも掃除を担当するのはウイグル族の人たちが多いが、お金を扱うフロントにはあまり採用されていないようだ。回族にいたっては「飲食業に従事する・・・。」と、これまたはっきりと職業を明記されていた。

・様々な経験をした中国旅行だったが、中国語を勉強していて良かったと心から思う。この旅を通じて、その国の言葉でたどたどしくとも話してみることが、その国の人の心を開くのだということを目の当たりにした。そして、使ってこそ語学なのだということをあらためて思った。

(つづく)