4:西安・前編〜旅に慣れるために〜

列車が西安駅に到着した。早速、今晩の宿を探さなければならない。高まる緊張感の中、ホームからの長い地下通路から改札を通り抜けようとすると、

「部屋を予約しましょうか?」

と、若い女性が英語で問いかけてきた。私が訝しげに見ると、女性は駅構内の改札横にある、小さなブースをすっと指さした。ブースの上には「旅行社」と小さな看板がかかっている。

「駅の中にある旅行社なら、信用できるかもしれないね。」

そう暢と話して、話を聞いてみることにした。私たちの予算を話すと、宿リストの中から「尚徳賓館」という宿を選び、紹介してくれることになった。そこには駅から徒歩でいけるらしい。彼女が宿まで案内してくれるとのことで、3人で西安駅の構内を出た。西安駅の構内は薄暗く、涼しさを感じるくらいであったが、駅の外はまぶしいくらいの太陽が照りつけている。しかし、空気はカラリとしており、上海と違って内陸に入ってきたのだな、ということをあらためて感じさせた。

 

「私は大学で英語を勉強しているのです。旅行社のアルバイトは外国人と話せるので、英語の良い勉強になります。」

そう話しかけてくる彼女を改めて見て、私はギョッとした。先ほどの薄暗い駅構内では分からなかったが、明るい太陽の下で見ると、なんとも不釣り合いに化粧が濃い。ファンデーションは厚塗りをしすぎて、顔色がまだらになっているし、口紅は紅すぎて口からはみ出している。眉毛の書き方は眉にそっていないし、首から下げているIDカードの写真(すっぴん)とは全く別人のようだ。彼女はまだ20歳そこそこといったところだろう。IDカードのような「素顔」だって、清楚な感じで悪くない。すらっとしてスタイルも良い娘だ。しかし、外国人の好みに合わせようとして、慣れない化粧を頑張ってしているのだろうか・・・。健気だなあ、と思うと同時に、少し、哀しくなった。

 

尚徳賓館はバスターミナルの目の前にあって、少々フロントが薄暗いのが気になるが、列車の旅で少し疲れていたのもあり、他を見る気力もなかったので、ここにすることにした。旅行社の女性は私たちを部屋まで案内すると、

「では、私は宿に紹介料の交渉をしてきますから。」

と、颯爽と出ていった。私は宿が決まって、ほっとした。しかし、暢は少しうかない顔をしている。

「どうしたの?」

と尋ねると、

「可能なら、明日は勝利賓館へ移りたい。」

と、暢は答えた。今日はツインの個室を取ったが、明日は多人数の相部屋:ドミトリーのある宿に移りたいと言っているのだ。ホッとした心に、少しだけまた影が射した。

 

私は日本を出発する前に、暢が薦める「バックパッカー読本」なるものを数冊読んでいた。そこには旅慣れた人の、旅の節約の知恵がいくつも書かれているのだが、参考になることもあったのと同時に、「安宿旅」ならでは、の危険についてもたくさん載っていて、安宿・特にドミトリーへの悪い先入観も植え付けられてしまった。たとえばこのような事例だ。

・背中がかゆいなあと思って、ベッドの布団をあげたら南京虫がびっしりついていた。

・荷物や金銭の盗難にあった。

・共同シャワーで従業員や同室の男性に覗かれた。

 

私の裸など誰も見たくないかもしれないが、実際問題として男女同室だったら、何処で着替えればよいのだろう。着替えはトイレなどでするとしても、下着などの洗濯物はどこで乾かせばいいのだろう。いや、もし、寝ているときにいびきをかいたりしてしまったら恥ずかしい、などとつまらないことを心配していた。でも、それよりなにより実際のところは、街を見物しているときも、言葉のことや、段取りのことでずっと緊張しているのに、部屋に帰ってまで、他人に気を使い、むりやりコミュニケーションを取らなければならないのかと思うと、げんなりしてしまうのだった。旅に出た以上、人との出会いを求めていることは確かだ。ドミトリーに泊まれば、その出会いの機会は格段に増えるだろう。そして、毎日2人部屋に泊まることは贅沢であり、ドミトリーに泊まれば、旅行費用が格段と安くなることも、よくわかっていた。しかし24時間体制で、新しい出会いに飛びこんでいけるだけの余裕が私にはまだできていなかった。そして「宿を移りたい」という暢の言葉から、「旅のクッション期間は上海で充分だろう。もういい加減に旅に慣れろ。『ツインの個室』などに泊まりたがるのは、いかにも『旅の初心者』が考えることであり、『旅の達人』になるためには、『ドミトリー』に泊まることが、第一条件だ。甘えている場合ではない。」と、言外に言われているような気がした。暢は実際、そこまで思っていなかったのかもしれない。しかし、私がそんな風に感じてしまったのは、自分自身「暢が求める旅のパートナーとしての自分」になり切れていないことに、焦りと苛立ちを感じていたからなのかもしれない。ゆえに、私は様々な不安は一切口にせず、笑顔で暢にこう答えた。

「そうだね。明日、一緒に見に行ってみようね。」と。

 

翌日、午前中に今後の宿泊場所を決断できるよう、私たちは早起きして勝利飯店のドミトリーを見に行った。道中、「ドミトリーにも慣れなければ」という気持ちと、「なんとかドミトリーを免れたい」という気持ちが私の心の中で葛藤していた。バスを乗り継ぎ、地図を見ながら和平門という場所の近くにあるという、勝利賓館の前に立ってみると・・・なんと勝利賓館はリニューアル工事中!工事の為の白い布が、ビルの外側にひらひらと張り巡らされている。わたしは心の中で、「やった!」と叫んだ。そして暢に向かって、

「仕方ないね。これでは勝利賓館には泊まれないね。尚徳賓館にこのまま泊まろうか。」

と言い、ドミトリーに泊まれなくて残念そうな、演技をした。

 

そして「旅のパートナーとしてのあるべき姿」を目指して、心がけねばと勝手に気負っていた、もう一つのことがあった。それは食事のことだ。

暢は、上海を観光していたとき、数多く立ち並ぶファストフード店を見て、

「俺は、絶対にファストフードなんて入んねえぞ。」

と意気込んだ。確かに私もその土地のものを食べるのが一番良いと思うし、中国に来てまでファストフードを食べたいなどとは思っていなかったが、清潔な店で食べたいという気持ちが少しあった。しかし、暢はたとえ中華料理を出す店でも、少々小ぎれいなセルフ形式の店や、ホテルに隣接しているレストランなどでは不満を感じているようだった。確かに、屋台的な店の方が、安いし、面白味もある。

実際、西安では「夜市」という夜の屋台が名物で、夜になると、中心街のある通りが野外レストラン、いわゆる屋台でひしめき合う。そこでは餃子や肉まんのようなものをはじめ、串焼きやお粥、果物など、さまざまな「小吃」と呼ばれる軽食が売られている。夜市では食べ物を扱う店と、飲み物を扱う店は別になっており、建ち並ぶ屋台のなかから、好みのつまみをいくつか注文して、路上に広げられたテーブル席につくと、冷蔵ボックスを転がしながら移動酒屋がやってきて、冷えたビールを目の前で開けてくれる、というようなしくみになっていた。夜がふけてくると、路上ミュージシャンが宴席に華を添え、酔っぱらって気が大きくなった客におひねりを求めて近づき、花売りの娘たちもその後を追いかけてやって来る・・・といった次第だ。風情もある。中国に来て以来はじめて、このような屋台で食事ができた暢は、大変上機嫌であった。暢の目指す旅の醍醐味とは、このようなところにある、という感じであった。私もこのような経験は楽しいと思った。しかし、衛生面で、どうしても若干の不安がある。なるべく火の通ったものを選ぶように、ということを心がけたが、「おなかをこわすのではないか」という不安が先に立って、心の底から美味しいと思えなかった。でも、「早く旅に慣れなければ。このような経験を楽しいと思うようにならなければ。」と思い、そのような不安は暢には言ってはいけないような気がして、口にできなかった。そしてその日から、それはだんだんとエスカレートして、私たちは清潔な店ではなく、なるべく汚い店に入ることにチャレンジするような傾向が出てきた。なるべく安くておいしい店を探す、ということは本来とても楽しいことだが、それを追求しすぎて、少し無理をしているようなところがあった。例えば、こんなことだ。

 

西安に滞在して3日目、私たちは半分屋台のような、とある麺料理の小さな店に入った。道路に鍋を半分はみ出して、店員の女性が麺を茹でている。女性の白衣も、鍋も薄汚れ、水はどこから汲んできたのかわからない。まあ、お湯はぐらぐらと沸いていたので、大丈夫かな、と、不安はあったが入ってみることにした。席は店内にあり、テーブルにつくと、店の中を何匹ものハエが行ったり来たりしている。「麺の中に入りさえしなければ、問題はないか・・・」そう思って、出された麺を食べていると、食事している私の目の前を2匹のハエが、交尾しながらブンブンと通り過ぎていった。「旅慣れる為には、どんなことにもチャレンジだ」そう思っていたが、さすがにそれは見ただけで食欲が減退し、具合が悪くなりそうだった。「味は悪くない、味は悪くない、火は通っている、火は通っている・・・」と私は呪文のように心の中で唱えた。

 

今、振り返って考えてみると、「なるべく汚い店で食べよう、それが旅慣れた証拠だ」などと思うこと自体、旅慣れていない証拠で、変なところに力が入っていたのかもしれない。実際、半年間の旅を経て、2回目に中国を訪れたときにはなるべく清潔な店を選ぼうと思ったし、(それでも地元の美味しい店を選ぶのが上手になった)そんなことで引け目も感じなかった。「この旅では安さだけを追求するということはしたくない」と出発前から言っていたくせに、旅の初心者であるということに引け目を感じ、早く旅に慣れようとする焦りがあるあまり、このような行動をとってしまったのだと思う。このころは、非日常である旅の生活を、早く日常にしようとして、ちょうどもがいている時期だったのだ。これからの旅、あまりにも先が長すぎて、お金をどこまで節約すべきなのか、または節約しなくてもよいのか、そういうことも手探りの状態で、わからなかった。

 

このように精神面ではすこしおかしな状態にあったのだが、西安の見どころはどれも素晴らしかった。大雁塔・歴史博物館・碑林など場所をあげればキリがないが、なんといっても西安のハイライトは秦の始皇帝ゆかりの「兵馬俑」であろう。その「兵馬俑」行きのバスで、私たちは中国の人々の新たな一面を発見する。次回はそのバスにまつわるエピソードと、魅力的な見どころの話をいくつかしたいと思う。(つづく)