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218日(水) 車中3日目のちハルピン着 快晴

 

【一路、哈尓浜(ハルピン)へ】

 目覚めると、もはや明るい。トイレに立つが、ユウコは全く気づかず、固まっている。

 列車はぶっ飛ばす分、かえってよく眠れた気がする。「スピードがでているほうが、揺れが小刻みになるからかな」と、ユウコが言う。

 9時、昴昴渓(駅看板に英語でAng Ang Xiとある)。10分の停車。

見聞きしているイメージの通りの、中国東北部の田舎町といった感じであるが、つい写真を撮りそびれた。

 

1022分、大慶に到着。大慶油田は地理の教科書にも出てくるので、地名を知っている。平原に、大きな掘削機がいくつも見える。西域でも同じような掘削機を何度か見たが、「なるほど、油田とはうまいことを言ったものだ」と思わせる。ここには5分の停車。

駅を出てすぐ、踏切を渡った。踏切街で並ぶ乗用車、バイク、自転車、徒歩の人、並ぶ商店、決して大きな町ではない。空気は乾燥し、風が強そうだ。しかし、ここは異国のはずなのに、どこか懐かしさを感じでいた。中国では嫌な思いもしてきたし、決して「好き」といえない国なのに、しかしそれ以上に、僕はこの風景を見るのが楽しく、そして嬉しかった。なにかしら、こみ上げてくるものを感じるのだ。

 

 1230分。哈尓浜に到着。定刻より30分も早い。

時刻表をあらためて眺めると、列車はこの後、瀋陽(1955)、天津(翌0454)を経て、北京に至るのは翌朝644分だ。つまり、あと一晩列車に乗れば、北京に着けるのである。

 

 降りる前から感じていたことだが、満州里から中国に入って以来、見なかったほどの大都市である。人民でごったがえしている。

ホームに降り立つ。

喧噪。構内を走るオートリヤカー。ババーと鳴るクラクション。立ち売りの新聞売り、碑酒にカップラーメン。

スピーカーからは、やかましい案内の声。人々はとめどなくしゃべり続け、人混みに紛れて、野良犬が歩く。

路上には、吐き捨てられたタンツバ、食べかす、果物の皮、空き瓶が転がる。

すえた匂いが鼻につく。酸っぱい感じが目にしみてきた。

「いやぁ・・・中国の匂いがするねえ」。

僕は、すぐ前を歩くユウコの背中を見ながら独りつぶやいた。

涙があふれてきた。

 

【どこの街でも宿探しから】

 しかし、安心するのはまだ早い。まずは今夜の宿を確保せねばならない。

駅の地下道から出站口へ出る。出たところで、一気に記憶が蘇ってくる。

中国の列車には、出口に改札があり、チケットを回収される(欧州には無い習慣だが、日本とは共通している)。

のだが、改札口はいくつもあるのに、集票の職員は2人しかいない。つまり、改札は2つしか開いていない。そこへ、今降りてきた人々が、ドッと集まる。みな荷物が多く、押し合いへし合いだ。しかも、集票の職員はチェックをしているわけでもないのだ。

 

 なんとか改札を抜けると、目の前には駅前広場が広がる。

「さて、宿は・・・」と、立ち止まるやいなや、待ちかまえていた旅行社のスタッフから声がかかる。我々はそれを無視し、「歩き方」の地図を片手に、あらかじめ目をつけていた北苑飯店を探す。

それは駅前広場の向かいにあった。それで、飯店を目指して歩き出したが、スタッフの青年が1人、付いてくる。

「ツアーはどうだ。ツアーがダメなら宿の斡旋だけでも」とか言っている様子だ。

しつこいわりには押し出しを強く感じない。

「まあ、話だけでも聞いてみるか。安い宿を知っているかもしれないし」と思って、ユウコに話を聞いてもらうことにした。

 

彼の口から出ることには、

「安宿としては、国際大酒楼、北苑飯店、そして天竹飯店があります。天竹飯店には120元の部屋もあります」という。

その安さに惹かれ、しかもすぐ近くに飯店が見えたので、彼に案内してもらうことにした。

 駅前で、立地は良い。しかし、さすがにうまい話というものはなかなかないもので、120元の部屋はシャワーが共同だという。いわゆる「標準間」である。

シャワー付きの「普通間」は、160188208とあり、「188ならエアコンが付いていて快適ですよ」とのコメント付き。

「快適なのは良いけど、188元とはなあ」と渋っていると、彼の努力によって160元にまけてくれることになった。これで決まり。

 

 ユウコが聞いた話によると、彼は廖君といい、学生のバイトである。日本にもいそうな顔立ちで、僕が学生の自分に京都の生花市場で一緒にバイトをしていた青年に似ている。

我々は、10階の眺めの良い部屋に案内され、そして廖君のバイトする旅行社は、このホテルの6楼にあった。つまり、彼は旅行社のツアー斡旋をすると同時に、ホテルの客引きでもあったのだ。

部屋まで案内したからといって、チップをせびるでもない。ユウコが「御礼に」と絵はがきを2枚上げた。彼は神妙に去っていった。

 

さて、中国のホテルではフロアレディに「押金」、いわば保証金のようなものを払わねばならない。これはチェックアウト時に戻ってくるものだが、100元の持ち合わせが無く、かなり嫌がられたが100ドルを預けた。

 つまり中国元を持っていないのである。それで、荷物を置いたあと、「両替に行こう」と街に出たが、中国銀行は休み。

春節から数えて、今日は初3日である。まだまだ正月休みならぬ春節休みなのだろうか。街の商店も閉まっているところが多い。

しかし春節に来たおかげで、ひとつ楽しみができた。

 

「氷灯」だ。

 

これは毎年2月中旬に、街の兆麟公園で開かれる氷祭りで、哈尓浜の冬の風物詩なのだという。

入国審査の時も、ユウコが公安のカワイイ女の子から「氷灯に行くの?」と尋ねられたぐらいだから、思いのほか有名なのだろう。夜がメインのようなので、これはあとにとっておくことにして、街をぶらぶらしたのち、一旦宿に戻った。

ホテルの下に「美国牛肉面」の看板を掲げた麺屋に入ったが、なにがアメリカ風なのかはよく分からない。ファストフードだから、そうなのか。それとも牛肉面に使われているのがアメリカ牛缶なのか。今ひとつ意味不明だが、味も今ひとつであった。あるいは、このいい加減な味付けが、アメリカ風なのか。

 

 駅前の売店で時刻表を買う。

近所のスーパーで買い物をする。つまみ、ジュースを買う。このスーパーには、ポットクリーナーや「コアラのマーチ」といった、日本の製品が多い。

 部屋でひと休みし、17時を回ったところで再び外へ出る。中国元がないのは困るが、銀行は開いていない。しかし、ちょっと良いホテルだったら両替所があるはずだ(天竹飯店には、ない)。

華僑賓館で両替ができた。

鉄道駅へ赴き、明後日の長春行きの切符を買う。

 

【ハルピンの氷祭り「氷灯」】

そして、駅前のバスターミナルからバスに乗り、兆麟公園へ向かった。

 さすがに人も車も多く、ごったがえしているが、氷の芸術はすごい。寺、楼閣、塔のような大型モチーフから、人物、動物、オブジェクト、恐竜などなど。

「氷祭り」と分かっているのに「雪祭り」のような白い世界を想像していたので、初めは少し戸惑った。

ほとんどすべての芸術作品は、内部に電飾照明が仕掛けられ、ピンク・緑・青・黄・紫などに彩られている。お客さんは中国人ばかりだが団体客も多い。みんなしてカメラに余念がない。また、ビデオカメラを回している人もいる。そして、公園内には「貸しカメラ」があり、さらに、「貸しビデオ」もある。そしてビデオカメラのみならず、さらに追加料金を支払うと、撮影の代行までしてくれるらしい。つまり、ビデオ撮影係を雇うのだ。そうすれば、プライベートビデオが簡単に作れる、というわけだ。料金はカメラ1台当たり120元とのことであった。

 

 芸術作品の中には日本からの出展もある。新潟市、札幌市、旭川市を見た。新潟は「火の鳥」、旭川は「羽ばたく鷹」、札幌は「弓を引く武士」。「鷹」は勇壮な感じが良く出ていて、中国の皆さんにも非常に人気が高く、記念写真を撮る人が多かった。僕としては「武士」が良かったのだが、これはどうも、中国人の心には響かなかったらしい。

 

 公園に観覧車があるので乗ってみる。上から見るのも楽しいかなと思ったからだが、寒い。体が冷えてきた。盛り上がっているけれど、しかし気温は−10℃ほどだ。正味の見物を1時間ほどしたところで耐えきれなくなり、宿に戻る。

 

 宿の近所に火鍋屋があり、ここで夕食を取る。

ところで、宿の周囲にある売店の碑酒は、大瓶8元と高い。350mlの缶でも3.5元もする。どこの店も同じ値段である。売店というより立ち飲みバーみたいなものだから、それでマージンを取っているのか。

 テレビをつけると、正月新春番組ばかり。外でも花火の音がする。

 

 旅行社の廖君は、夜になってから二度も電話をよこし、しかも要領を得ない。ついに、部屋にやってきた。我々はくたびれているので相手はしたくないのだが(もっとも中国語は分からないからユウコに応対してもらったのだが)、彼としてはツアーの斡旋以上に「外国の人と友達になりたい」のが本心のところがあって、英語の勉強も兼ねて「文通シマショウ」というわけだ。

「手紙を書いてくれ」と住所を渡される。バイトの主目的はそこにあるのだろうか。「がんばれ」とエールを送りたくなる。

 

 ユウコも日記に書いているが、いまの我々には「余裕」がある。

汚い通り、臭い地下道、古びたバス、うるさいクラクション、マナーの悪い人民、などなど、諸々の全てを許容することができる。

半年前は、許容できなかった。全てに対して、いちいちピリピリイライラムカムカしていた。そして、我々は疲弊していったのだ。

しかしいまは違う。

「これが中国」ということを知っている。そして「これがアジアなのだ」と思っている。

 

なによりここには、ロシアや、いや、それ以前のヨーロッパでは感じることの無かった「活気」がある。車窓から見た、昴昴渓や大慶といった田舎町でさえ、なにかしら人間の活気が感じられた。これは言い過ぎだろうか。ロシアは面白かったし、また行きたいとも思うが、思い返すと、どこへ行っても、何か不思議な不安感というか、今ひとつ地に足が着いていなかったような気がする。それはユウコに言わせると「(ロシアでは)我々は街になじんでないから」ということになる。

確かに、中国に来て、黒い髪の毛を見てホッとする部分も無くはない。それにつけても、店の前を通りがかっただけで「入れ入れ、食っていけ飲んでいけ」という、彼らの愛想ひとつとっても、いまの我々には十分に嬉しい。

 

今後、哈尓浜から長春、瀋陽と下って北京へ行く予定である。北京からは一気に昆明まで南下する。