3月6日(土) 個旧着 晴れ
【危うく寝過ごすところ、というか仮眠タイム?】
朝5時半。まだ暗い中、バスが停まった。
客は寝ている。人が降りる気配はない。
大きなバスターミナルのようだが、照明は少ない。
時間としてはそろそろ着いてもおかしくはないのだが、終点という雰囲気でもない。
すぐに動き出すだろうと思っていたが、6時になっても動かない。
ユウコが様子を見に行った。
なんと、ここが個旧だった!
慌てて降りる。仮眠の時間なのだろう。
【個旧は素通り、目的は金平にあり】
目指す金平行きには、運良く6時半に朝一番のバスがあるというので乗り込む。
中巴である。
朝の個旧を走る。高層ビルもあってなかなか都会だが、坂を上がってたちまち山道になった。
道は一応舗装されており、多少ガタガタ、ときにスイスイ。
延々と登りである。バスは頑張っている。
日本では見たこともないような、高低差と斜度のある、日本の野山を3倍にも5倍にも大きくしたような、こんもりした山の斜面をへばりつくように車道が作られている。
9時頃、道路工事で立ち往生し30分停車。
空気が湿っている。
大きな山を越え、ダーーーッと下ると、車窓右下に河が見えてくる。
紅河だ。
河に平行してバスは走りつつ、どんどんと高度を下げ、やがてこの河を橋で渡ると、ここが金平県の入り口であり、検問(パスポートチェック)を受けた。
ここで朝食となる。
人と車の往来は多く、朝の賑わいを見せているが、店は清潔とは言えない。
どうしようかな、食べたら出さねばならないし、トイレも心配だし・・・と思うが、ユウコは、
「バスの運転手さんの選ぶ店には、今までに間違いはないよ」
と、心強い。料理は非常にスパイシーで、そしておいしかった!!
ふたたび、山の斜面にへばりつくような山道を行く。ときに怖い。
谷が深い。
バナナの木が植わっていたり、シダ系の大葉が見えたりしたかと思えば、ススキがあったり、日本の雑木林のような風景になったり、おかしい。
太陽が高いところでぼんやりと見えている。
コブシのような赤い花が大きく、美しい。あちこちで咲いている。
ウシが働いている。
沿道では市が立っている集落が2,3見られ、賑わっている。
独特の民族衣装を着た女性も見られ、これは嬉しい。
山を登り切ったところで周囲が開け、ここでガソリンを給油する。
そして道は下りになる。
ここが金平市中心の入り口のようだが、この辺りからは周囲の山々を段々畑が圧倒する。
壮観、美観であったが写真を取り損ねた。
1時間ほど山を下り、市中心には12時50分に到着した。
【故郷、金平?】
金平の中心市街には中層のビルもあり、なかなかの都市である。
坂の街のようで、小さなバスターミナルは、市中心のもっとも坂上にある。ここで降りようとしたら「市の中心はもっと下だから」と、バスは市中心まで下った。
3輪車のバイクタクシーが何台もたむろし、バスを降りるお客に声をかけてくる。
我々は地図を持っていないが、「旅行人ノート」によれば、金平賓館という宿があるとのことで、言えば分かると思い、声をかけてきたバイクタクシーのオネエチャンにユウコが尋ねてみた。
ところが彼女は「知らない」と言う。これは困った。
するとオネエチャンはそばにいるバスの運ちゃんなどに聞いてくれる。
通りがかったオバチャン、売店の売り子、誰に聞いても「そんな宿はない」と言う。そしてしきりと何か違うことを言っている。これがユウコにはわからない。
「別の宿にでも連れていってくれるに違いない」
と、タクシー料金だけ確認して、行き先はお姉ちゃんに任せることにした。
ウネウネと曲がりくねった、しかしこれが街の主要道であろうという下り道をバイクで下る。我々は後ろの荷台に乗っているので楽チンである。
オネエチャンが「ここよ」と降ろしてくれたのは「金烟賓館」という立派なホテルであった。正式には「金平烟草賓館」というらしい。2ツ星が光っている。おそらく街一番のホテルだろう。フロントも物腰柔らかで安心だ。はっきり言って、金平には来ること自体が目的だったので、この街で何をするわけではないのだが、2泊ぐらいのんびりしようかなと思っていた。
が、「明日は会議があるため、部屋はありません」とのことで、1泊のみ。料金は200元と書いてあり、少々高い。が、他に選択肢は無いように思う。
「だめもとで、負けてもらえないかな」とユウコに交渉を頼み、聞いてみるとあっさり160元まで下がった。これで良いことにしよう。
【段々畑の広がる町】
町を歩き、そして近所の田畑(段々畑)を散歩する。
街中でも市が立っていたらしく、沿道に野菜を広げたらしい跡や、荷物をまとめながら立ち話をする人々などがいたりと、名残がある。民族衣装を着た人もいる。
しかし、青空市はもはや無く、彼らも仕事を終えて一息ついたような和んだ雰囲気である。
思えば、今日は啓蟄だ。なにかそういう時節ものの市だったのかもしれない。
2泊できるなら、明日は日がな一日、この街でのんびり過ごすことができたことを思うと、残念ではある。しかし我々は1泊しかできない。次の目的地は景洪だが、さすがに金平からは直行バスがないようなので、個旧で乗り換える必要がある。個旧のバスターミナルで確かめたところ、個旧発景洪行きは14時発、120元、毎日発車の臥輔車。距離は736kmという。翌日の昼頃には着くのだろう。金平を早朝に出発して、個旧でこれに間に合うことができるかどうか。
「今朝は6時半に乗って、午後1時前に着いたから・・・6時間半だ。だから帰りも6時過ぎに出れば、午後1時には着けるね。途中で遅れがなければそれで良し。ダメなら個旧で一泊すれば良いや」
というわけで、明日は早起きだ。今日はさっさと寝よう。
沿道のオープンな小売店を見つけ、ビールを買いに立ち寄る。
良い感じのオヤジがカウンター越しに僕を見る。
僕は嬉しくなって、
「冰的碑酒、有没有?」と聞いたら、
「ナンヤ?」と返事が返ってきた。
ガイドブックで読んだ通りだ。
雲南訛りでは、「你是」の「シー」が東北訛りのように「スー」となったり、「シェンマ?(なに?)」が「ナンヤ?」となるなど、さまざまな特徴があるのだが、本で読んだ通り、それが関西弁の「何や?」と同じ雰囲気で、嬉しい。
まだ日は高いが、部屋に戻ってビールを飲み、一息ついたらお腹が減ってきたので、宿の1階にあるきれいなレストランに降りてみると「今日は貸し切り」とのこと。市のイベントか何かが行われるらしい。
それで再び通りへ出て、ちょっと大きな金城大酒店に入る。店は広いが薄暗く、奥にある大きなテレビでドラマをやっている。数人の店員らしい若者がテレビを見ている。客はいない。我々が店にはいると一斉に振り向いた。一見すると休憩中のようで、「追い返されるかしら」と案じたが、意外にも「どこでも座って」と催促され、そして人々はきびきびと席を立つ。
大きな円卓に2人が座る。
店員はどうもみな家族のようである。
1人の若い娘が注文を聞こうと我々の傍に立って様子を窺うが、「菜単がないの」と言う。
「それでは、えーと」とユウコが案じていると、優しそうなオヤジが少し離れた店の奥から近づいて、
「こっちへ来い」と手招きする。
厨房へ案内された。
オヤジ、厨房で野菜や肉を色々と見せ、どんな料理ができるかを、我々に指導してくれる。
それで我々が適当に食材を選ぶと、彼は「わかったわかった」とうなずき、我々は卓に戻った。
出てきた料理は辛くなく、美味しかった。
帰り際、さっきの小売店を通りがかり、何となく気を引かれて再びビールを買う。
店のオヤジは僕を見るなり「お、また来た」と、始めは驚き、そしてニッコリと笑った。田舎町はこういうところが面白い。
金平には「ここへ至るまでの過程」に意義があったのだが、とちゅうの山越え(大きな山を3つばかり越えた)も景色も興味深く、これは地図を見ただけでは実感することができない。それに、異なる民族衣装を着た人々で賑わうバザールも見ることができたりと、ヘタな観光地に行くより心に残るのではないかと思う。
昨日の昆明は何かにつけ「ハズレ」の感があるが、今日は「頑張ってきた甲斐があった」と実感した。
【看板と実態と】
さて、中国では「公共衛生、人人有責」という看板が街中に多い。あるいは「請勿烟」でも良いが、看板は立てられっぱなしで、管理者がいないから誰も守らない。監視すべき人(例えば公安や、列車の服務員)から守っていない。それどころか、率先して規律を破っている。ルールは如何に(そして何を)作るか、ではなく、如何に守らせるかが重要であり、大きな問題なのだ。これは中国だけの問題ではなく、どこかの国のどこかの会社もよく似ている。新しい家はきれいだ。当たり前だ。しかし、誰も掃除しなければ汚れるばかりで、いずれ誰も住まなくなる。そこで、隣に新しい家を建てる。意味がない。「全体責任は無責任」というイギリスの諺があるが、中国は、こと衛生に関しては、そのまま、やりっぱなしという感じがする。
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と、そうは書いているが、帰国してから思うに、日本にだって虚しい看板は多い。「禁煙場所」で喫煙する人は多い。未成年がタバコ・酒を買っている。「廊下は走るな」は、廊下を走る人がいるから貼られるのであって、いなければ必要ない。「水曜日はノー残業デーです」も同様で、ルールを決めてもやっぱり残業するから標語が出てくるのだ。
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しかし、全般に雲南は新疆よりも清潔感がある。土地柄なのか、よく掃除をしている。それを考えて気がついた。バスに蠅がいないのだ。(店にはいたけど)。
「何が違うのだろう。乾燥と湿潤、草原の民と、山の民。遊牧民と農耕民・・・」。
雲南は緑も豊かだし、花も草も美しい。
金烟賓館は外人OK宿なのだが、それ以外にも、夕飯を食べた金城大酒店や、その近所にあった中心旅館でも泊まれたのではないかと思う。バイクタクシーの溜まり場の前には、商業賓館もある。とくに中心旅館には、小さな「WELCOME」の看板があった。覗いてくればよかったかな。
【故郷かそうでないか、まあどっちでも良いんだけど】
金平の人々は濃い系統が多い。タイ族も多いのだ。
ユウコは最前から、
「もしかすると、我が家のルーツかも。私のそっくりさんに出会ったりして!」
と、半ば冗談、半ば本気で期待していたのだが、ユウコのそっくりさんには会えない。
しかしそのいっぽう、街の中心では(周囲の村々に比べて)あっさりした丸い顔の人がいたりして、オヤッとさせられる。無論、考えすぎである。
若い女の子の中には、カワイイ顔立ちと、キリリとした顔立ちと居る。
どうでもいいが、ユウコの父を始め、父方の兄弟を思う出すにつけ、ウズベク人のほうが近い。というより、ウズベク人の中には義父にそっくりの人がいる。
顔立ち、風貌、目つき、笑顔、体型、輪郭、頭のはげ具合。
「そっくりだよねー。それはそうと、ユウコは日に焼けたら、ラオ人になるかな? △帽をかぶらせて・・・」。
少々酔っぱらって、似顔絵など描いてみたが、いずれも失敗した。
ユウコは学生の頃、体育会系に所属し、炎天下を走り回っていたそうで真っ黒け、仲間からは「ベトナムの子」とからかわれ(かわいがられ?)ていたそうだが・・・
なかなかどうして、じつはやっぱり金平ミャオ族ヤオ族タイ族自治県と関係があるのかもしれないよ。