3月7日(日) 金平 晴れ
【金平を出発】
朝5時起床。今日は会議があるとかで、いずれにせよここには泊まることができない。
街灯もなく、真っ暗であるが、人々は平気な顔をして歩いている。いや、じっさいには彼らの顔は見えないのだが。
ホテルからバスターミナルまでの坂道をエッチラオッチラと登っていくと、とちゅうの市中心にある金平百貨楼の前に、中巴より小さなミニバスが数台停まっており、客引きをするオバチャンの声がかかる。
まだ6時前だが、「すぐ出るよ!」と言う。
値段を聞くと、昨日バスターミナルで聞いているのよりも安い。
しかしよくよく話を聞くと、途中の蛮耗までしか行かない。
「乗り換えればいいのよ!」と言うが、それは面倒でイヤだ。
ということで、再び坂道をバスターミナル目指して歩く。
少し開けてきた。汽車站はここだったか? と思うが、真っ暗けで全然わからない。
近くにバスが停まっており、「個旧へ行くよ」という運転手の声があってホッとした。
バスは6時20分に発車した。
【まずは来た道を戻り、個旧へ】
明るくなってきた山道を上がり、すごい段々畑を見る。
1時間かけて大きな山越えをし、阿得博という集落を過ぎ、下りが落ち着いてなだらかになったところで渓流が傍にやってくる。
しばらく河と共に走り、やがて再び登りの山道に入る。
すでに日が出ているが、谷は深く、霧が立ちこめ、太陽がけぶっている。
ウネウネと山林の山道を走る中、8時過ぎ、対面から大型バスがやってきた。
「この細道を大型バスで来るとは大変だ」と思うが、すれ違うのも容易ではない。
ところでこのバス、昆明から来た臥輔車らしい。直行便があったのだ。
「あの調子では、金平に着くのは10時過ぎだね。18時半に出たとすると、15時間半といったところかね」
と僕が言うと、
「この山道をあのバスでは、大変だろうねえ」
とユウコが嘆息をついた。たしかに、ちょっとでもバランスを崩したら、あとは谷をまっさかさまだ。
无平台なる集落を過ぎ、8時半、蛮耗(曼耗)に到着した。
ここは昨日朝飯を食べたところであり、パスポートチェックを行う金平県の出入口でもある。
今日は食事休憩がない。
朝市が立ち、青いバナナが山盛りに入ったカゴを傍らに声を上げるオバチャン達がいる。
カメラを向けると「××!」と叫んでは手を伸ばす。
金をせびっているのだ。
写真は撮りたいが、金を払うのはシャクだ。よって、撮らない。
雲南では珍しいことではないらしい。金を払う人がいるから変なクセがつくのだ。
橋を渡り、紅河に沿って行くが、川の流れに反して車道は一気に高度を稼ぎ、あっという間に紅河は眼下遥かになってしまった。
我々は紅河に沿って北西に上がっているが、反対の南東へ進路を取れば、ベトナムとの国境河口に至る。じっさい、河口行きのバスは多い。
紅河台を過ぎ、9時15分、黄草埧なる集落を過ぎる。ここは元陽への分岐点でもある。
そして、もう1つの大きな山を越えた。谷は深く、山の斜面にへばりつくような車道をじっくりと進む。
山を下り、やがて泥川に出る。
11時、卡房を通過する。今日はカゴ市が開かれている。
11時50分、個旧に到着した。5時間半で着いてしまった。
【バスを乗り継ぎ、景洪へ】
14時発の景洪行きのチケットを買い、汽車站の待合いで弁当を買って、ベンチに腰掛け食べる。
そしてバスに乗り込む。
今回のバスはチケットに中臥と書いてあるとおり、中巴臥輔車なのだが、その名の通り、バスは中型で、入り口は最前部にあり、寝台は左2人+右1人(通路を挟む)で3列続いた後、最後部は4人の「大部屋」だ。つまり寝台は個人別ではないのだが、まあそんなことはどうでも良い。この並びで上下あるので、お客の定員は20人ということになる。
我々はその最後部の下輔、右側2人分をあてがわれた。
ちなみに運転席の横、バスの最前部には交替職員用の寝台がある。
満席のバスは定刻14時に出発した。
雲南に来る前も、来てからも、どこへ立ち寄るかいろいろと思いめぐらせたのだが、時間も限られているし、
「あまり有名なところばかり行っても」という思いもあって、大理、麗江、潞西のほか、これから景洪までの沿道にある建水、普洱、思芧などはすべてカットしている。
その建水では、街の中心にある城門風の朝陽楼を間近に過ぎる。
夕方4時。市場が立ち、にぎやかだ。
建水から石屏にかけての沿道では、平屋建ての独特な家が続く。
家の壁は、下半分がレンガ造りに塗り壁、上半分は白塗り。灰色の瓦屋根に沿った側壁には奥まった窓が2つ並ぶ。
屋根の先にはシャチホコの原型とも言えるような突き上がりがある。
どの家も瓦が立派で、大きい家になると曲がり屋になる。これは本によるとハニ族の家屋のようだが、詳細は不明だ。
石屏には18時前に入り、ここでバスの給水・給油を行う。石屏站でしばらく停車。
動き出してすぐ、路上で修理作業。
19時前に再び動き出す。まだ明るいが、夕食に停まる様子はない。
日も落ち、珍しく夕食がないなあと思っていたところ、街道をはずれ、どこかの町外れの食堂で夕食。22時前であった。
街灯が少なく、周囲の様子がわからない。食堂だけが明かりを灯している。
他の乗客らに混じって、簡単な食事を食べる。うまい。
22時半に出発。バスはひたすら山道を行く。森の中を走っている。道も細く、とても主要幹線とは思えないのだが、対向車も同行車も少なくない。