38日(月) 車中泊 晴れ

バスの中では寝たり起きたりである。バスは淡々と走っている。

ウトウトしているうちに明るくなってきた。

7時半、「思茅入口」の看板を見る。

8時半、思茅客運站に到着。

その後しばらくは山間のダート道を走り、950分、シーサンパンナタイ族自治州の入境検問所に着く。

 

【シーサンパンナタイ族自治州では中国人は検問、しかし日本人はヨシヨシ】

刅事処には「大開河」という地名がある。

制服を着た公安がバスにやって来て、乗客の中国人達はみな人民手帳のようなものを片手に連れて行かれた。

刅事処の前に列を作り検問を受けている。

我々はパスポートを見せると、若い公安はニッコリと笑顔を見せ、愛想が良い。

 

ロシアから中国に入るときに、中国人は衛生局でチェックを受けていたことを思い出した。あれはエイズの証明を取るためだというが、ここの検査もそういうものなのだろうか。

 

我々だけがバスに残っているのは、自分たちとしても不安であるが、運転手さんらバスのクルーも奇妙に思ったのか、我々をチラチラと見ては、

「行かないのか? 降りないのか?」

と声をかける。

 

そこで、このバスの大将と思われるオジサンに対してユウコが

「我們是日本人」

と言っても通じない。

そこでパスポートを見せる。

すると大将、

「オー、ズィーベン(日本)」と声を挙げ (北京語では「リーベン」だが、雲南の人々は東北弁のように「ズィーベン」となる)、

「ヨシヨシ」と白い歯を見せ、ガッハッハと豪快に笑った。

 

道中、思茅以降も森は深いが、ときおり、山あいに平地(田んぼ)が広がったり、山の斜面に茶畑が広がったり、車窓の景色は楽しい。

集落の家屋の造りも、瓦の二層屋根があったり、茅葺き、あるいは竹で作った屋根もある。

金平あるいは金平までの道で見た風景とは違う。ということは、人も文化も違うのだ。

しかしそれにしても、延々と広がるあの段々畑にはかなわないなあ!

 

愛想の良い公安というのは今までになかったことだが、ここの公安はさすがタイ自治州とあって、みなタイ人である。

大きなトラブルはなく、その後も順調に走り、1045分に普文に到着。1分の停車。

そして1120分。山道の沿道の食堂で「吃飯」となる。

 

大将、バスを止め、運転席から我々を振り返り、「メシメシ」とうなずき、そしてまたガハハと豪快に笑う。わけもなく嬉しそうだ。

「顔立ちの雰囲気が、秋田の親戚に似ているね」

とユウコが言ったが、それでなのかどうなのか、僕も彼に親近感を覚えるし、彼も我々に対して優しい。なにしろ笑顔はうれしい。

 

食堂の前に木造の掘っ建て小屋のようなトイレがある。トイレは粗末なものだが、ベタベタした雰囲気がなくて良い。

山の斜面にせり出すように作られているので、底がなく、モノは5mほど下の斜面に落ちる。

だが、バスの移動では便秘になってしまい、ここでも出なかった。

12時に再び出発。

バスが走ると風が涼しいが、日が高くなるに従い、暑くなってきた。昨日からシャワーも浴びていないので、ジットリとする。

12時半、大渡崗、13時、関平を過ぎ、1515分に景洪に到着した。

丸一日、25時間のバス旅であった。

 

【景洪到着】

景洪のバスターミナルには、さすがに昆明発のバスが多い。白人と日本人をチラリと見た気がする。

バスを降り、目当ての版納賓館を目指す。

ジットリと暑い。

宿は近いはずなので歩くが、たちまちくたびれてきた。さすがに疲れている。

通りを行く黄色い幌屋根をつけた3輪自転車タクシー(リキシャ)に乗ればよかったかと思う。

孔雀湖を過ぎたところで景咏飯店に通りがかる。この宿もガイドブックには出ており、我々は第二候補にしていたのだが、歩く気が失せて、この宿に泊まることにした。

2人部屋の普通間は80元。少々値上がりしているが、どうやら改装改築したようで、敷地内にある古い建物が取り壊されている。

宿には他に建物が2つあり、新館と旧館とでもいうべきで、我々の部屋は旧館にある。

古い普通間とはいえ、部屋は広い。シャワー、トイレ、バスタブもあり、天井からは蚊帳が吊され、窓には網戸もついている。テレビもある。ここで決まりだ。

さっそくシャワーを浴び、今日は無理せず、計画していた散歩は中止し、ビールだけ買いに出る。たまった洗濯をする。

  

夜になり、日が落ちると過ごしやすくなる。部屋も涼しい。

これなら夕食がてら散歩してもいいかなと思うが、しかしやはり面倒くさくなって、ホテルの1階にあるレストランで簡単に夕食を取った。今日はこれでおしまい。