219日(金) 哈尓浜 晴れ

 

【今日は雨水だ】

 ゆっくり9時起床。

今日は文廟と731部隊資料館を見物するつもりだ。

朝食を取ろうと、ホテル脇の安食堂街へ行くと、すぐに「粥」の看板が目に入った。粥と言えば、上海で食べた鶏粥が思い出される。

「やはり中国の朝飯といえば、粥だよ」と店に入る。

と、醤油の匂いがプーンと香ってくる。

ある家族連れが包子を食べている。

「あれは、うまそうだ!」と、我々も包子を頼んだ。

そして、うまい! しかも、安い!

 

 朝から良い気分で宿に戻ると、フロントで昨日の廖青年にばったりと出会った。

彼はフロントのスタッフとおしゃべりをしていたのだが、我々を見るなり「朝食は食べた?」と聞いてくる。

ユウコが話を聞くところによると、宿の1階にある食堂で朝食が「宿泊者は無料で」食べられるらしい。朝食券をくれた。

いま食べてきたばかりだが、まだ腹6分目だし、「せっかくだから食べてみよう」ということで、彼の助けを借りてフロントから食券をもらって横の食堂へ行く。

バイキング形式で料理を選べ、しかもウェイトレスたちは「これはどうだ、あれはうまいよ」と愛想良く声をかけるので、ついつい良い気になってあれこれ食べたら、追徴金を支払わされた。もらった食券は、「朝食10元券」なのだ(15元)。そして追徴金は13元であった。無理に食べることもない。

 

それにしても、

 「へえー、朝食がサービスだったとは驚きだね」

「ということは、いままでの宿でもずっと朝食付きだったのかな」

「そういえば、賓館にはたいてい食堂がついていたよね」

「団体さんばかりだから、無視していたけどね。それに『朝食が付きます』なんて、誰からも説明されたことないよ」

「言えば出てくる、ってことか」

「言わなきゃ出てこないってことだよ」。

そこが、なんとなく中国らしい。主張すれば即ち勝つ。しなければ即ち負ける。

 

【文廟と731部隊】

 文廟に出かけるに先立ち、中国銀行に両替に行く。今日は開いていた。T/Cの両替も可能らしい。もう持ってないから、我々には関わりないが。

 文廟に行く。これは孔子の廟である。ユウコが楽しみにしていたのだが、中にある民族博物館は閉館で、孔子を拝むのみであった。

 

気を取り直して「侵華日軍731部隊罪証陳列館」を見に行く。

なかなか見つからなかったが、地図と場所が少し違っていた。「歩き方」に写真があったので助かった。

ここでの展示は建物の写真などが多く、証拠文書、顔写真などもあるが(例えば、1980年に病にかかった中国人のカルテもある)、中国語の説明はけっこう淡々としており、また、説明ガイドもないため、やや資料不足の感アリ、というか、それほどショッキングなものではない。

それよりも、売店で販売している日本語小冊子のほうがよほど鮮烈であった。

ぱらぱらとめくってみただけでも、日本軍の虐殺ぶりはすさまじく、相当に、その内容は重い。

見るだけで帰ろうかとも思ったが、「いや、これはここでしか手に入らない」と思い、買う。

 

ところで、博物館の建物に入った正面に、日本から来た見学ツアー客からの寄せ書きがある。「中野」「広島」などとある。

多くは子どもたちのコメントだが、どこかトンチンカンな内容が多い。

曰く「戦争は嫌いだ」「日本なんか無くなった方がいい」など。

さらに気になるのは、出来事を「人ごと」のように捉えている点である。

つまり「戦争はやめて欲しい」「こんなひどいことは、もうしないでほしい」といったものだ。

寄せ書き全体を眺めると、「やはりピンと来ないのだろうな」という印象だが、翻って「では、自分ならどう書くか」と考えると、明確なものはない。

 

たしかに戦争は嫌いだし、このような悲劇はあってはならない。しかし、行為を起こしたのは日本軍であり、つまり日本人である。

「我々の同胞、というか、50年前の先祖たちがやった」という事実に関して、寄せ書きはあまりにも鈍感であると思う。

実際、いまも日本は日本として存在するし、我々はそこを祖国として生活し、日本の文化を(崩壊していると騒がれているが)継承している。

また、中国も中国として存在している。お互いに「存在し続ける」異文化の者が、過去の事件を背負いつつも、いまは良好な関係にあるわけで、そして悲劇を繰り返さないためには、悲劇を知った上で、繰り返さないための方策を考え、関係を作ることが重要なのだと思う。

そんなことを考えていると、日本人の作った寄せ書きとは別に、中国語の団幕があることに気がついた。

 「前事不忘、后事之師」。

 僕は、「これぐらいが精一杯なのかもしれないな・・・」と、つぶやく。

日本人の寄せ書きにも「隣人として、これからつき合って行くにはどうすればよいか」という、半ば自問の言葉があった。

たしかに、自問し続けない限り、答えは出ないのではないか。多くの日本人は、この問題に対して「客観的」でありすぎると思うのだ。

 

 ふと、アウシュビッツのことが思い出される。

日本では、アウシュビッツのことは知っていても、731部隊や、南京の話は、教育の話題として大きく取り上げられていないように思う。

それはそれとして、ナチスによるユダヤ、ポーランド、ハンガリーの虐殺、トルコによるアルメニア人の虐殺、日本による中国人の虐殺(日本ではとかく「日本軍が」という表現をするが、教育としては「日本人が」ということを、もっと強調するべきだと僕は思う)などなど、こういう惨事は、えてして隣人との間に起きる、ような気がする。アフリカの部族対立なども同様である。隣にいるだけに、異質な部分が気になるのだろうか。

 ユダヤ人は、世界のどこへ行っても嫌われる(ように思う)が、嫌われるにはそれなりの理由があるのではないか、とも思う。

それはたとえば、華僑を考えると分かりやすい。我々もこの道中、ヨーロッパで「中国人は家に帰れ」と罵声を浴びた経験もあるとおり、中国人は、概して良く思われていないように思う。

以前、「ヒトラーはポーランド人がむかついたのではないか」と、半ば冗談で思ったが、あながち間違いでもないような気がする。日本人も、朝鮮や中国を格下として扱い、馬鹿にし、苛立ち、否定したからこそ、あれだけでの虐待をしたのだろうが、やはり、どこかカンに障るところがあったのだろう。

実際、僕は中国を旅して、中国人に対してたびたび気分を害している。海外政策とはけっきょく、こういうものが積み重なって出来上がるのではないかとさえ思う。

それは、理不尽であることは知っている。だから、敢えて誤解を恐れず書くが、結局の本質は「イジメの構図」と同じような気がする。イジメは、如何にその理由が理不尽であれ、なにがしかの原因は、「いじめられる側」にある。生意気だ、太っている、メガネが汚い、転校生だ、などなど。

それは「いじめる側」の勝手な理屈なのである。だから、いじめる側はなんとも思わず、記憶にも残らないが、いじめられる側の傷は深く、癒えることは決してない。

だからこそ、「いじめる側」の反省と悔恨を促す徹底した取り組みが必要なのであるが。日本は、日本人は、どこまで自覚しているのか。

 さらに、今日ここで見たものは731部隊の展示であるが、これに端を発し、軍部や、さらには軍の統帥権を持ち元首であった天皇への言及はまったくなかった。それは、日本でも、無い。アウシュビッツでは、ヒムラーやゲッペルズの写真があるし、そして責任追及はヒトラーにも、そして国家全体にまでも向いている。この違いは、大きい。

 それにしても石井部隊長の業績は大したもので、彼が戦後アメリカに渡り、しかもそこで、中国の成果を引き継いだ研究を続け、朝鮮戦争に使おうとしたのだから、アメリカも相当ひどい国だ。(細菌兵器使用反対のデモ写真がある)。おそらく、研究の一部はベトナム戦争にも役に立ったのであろう。アメリカは「世界の秩序を守る世界の警察」なので、ちっとも悪ぶっていない。

 

 それはともかく、中央大街へ散歩に出る。街を流れる松花江は完全に凍っており、そこに「江上公園」なるイベントパークができている。

馬車が江上を走っていたり、大きなゲートがあったり。

江上公園の全貌は、土手から見渡せるのだが、ゲート脇にはチケット売り場があり、つまり有料である。

中国人たちはみなみな券を買ってゲートをくぐるが、我々は入らず、眺めるだけにして、中央大街の東方餃子王に入った。

餃子を食べるのは久しぶりで、中国では新疆以来である。新疆の餃子は丸っこくて小さいが、ここの餃子は平べったくて大きく、雰囲気としては大型ワンタンである。

そしてうまい!

店は家族連れなどで大いに賑わっているが、しかし中国人はやはりたくさん頼み、そしてたくさん残して帰る。

ふと思うのだが、一般家族が3ツ星ホテルに泊まったり、KFCが大盛況だったり、国内旅行も盛んなようで、中国人、けっこう金持ちなのではなかろうか。

 

 それにしても、よく残す。そして店員が片づけに来るのだが、こちらもマナーが悪い。

大きなプラスチックの平箱を両手で抱えてやって来る。箱は残飯その他で汚れ、その中には使われた食器と残飯とがないまぜになっている。

我々の座る卓の向かいで、いま家族が立ち去ったばかりの卓の上に、この汚いプラ箱をドンと置き、使い終わった食器を、残飯とともにガチャガチャと片づける。あとは雑巾でテーブルを拭いて、おしまい。それを食事中にやられるのだから、良い気分ではない。

加えて、そのような調子で片づけをする店員が(たぶん、配膳係と片づけ係は別々になっているのだが)店内を忙しそうに歩き回っており、つまり彼らの衣服は残飯で汚れていて、テーブルの脇を通り過ぎるのも良い気分ではない。

日本人と中国人の違いを大きく感じる瞬間でもある。たとい日本の文化の基本が「恥」にあるとはいえ、「他人に迷惑をかけない」「いやな思いをさせない」って、当然ではないのか? そしてそれは、儒教の道徳ではないのか?

今日、文廟で勉強したが、儒教が日本に入ったのは285年のことで、そして聖徳太子が初めて政治に取り入れた、とのことだ。日本は、世界でもっとも儒学の研究が進んでいるらしい。そうだ、儒教だ、礼節だ。

 

 帰り際、駅前の売店でビールを買う。13元。よしよし。

 テレビのニュースで、ウルムチ−カシュガル間の鉄道建設が熱烈に進められていることが報じられている。あと86kmだという。15kmのペースで、最後の一息といったところ。アクスまでは既に開通しているらしい。

「この調子では5月には開通するかもね」

「そうするとウルムチから硬臥でカシュガルまで行けるんだね。1500km弱だから・・・30から40時間ぐらいかねえ。硬臥だったら楽だろうなあ」

と、2人で感慨にふけった。

 

 テレビといえば、ウラン・ウデの宿のテレビで、トルコ以来のアポ氏の顔を見た。クルド人解放過激派の親玉である。そのときはモスクワにいるような報道だったが、今日のテレビによれば、彼はイタリアに送られたらしい。「これでまた、トルコとイタリアとの間がこじれるわけだ」。ふと、ギョレメでお世話になったベッケルさんを思い出した。