中国(2回目)7(No.96)雲南へ向かう〜北京→昆明
【渤海飯店チェックアウト】
3月1日(月)
渤海飯店は明朗会計。
ちゃんと朝食も部屋代である150元の中に含まれていた。
毎日掃除をしてくれ、アメニティグッズも毎日補給。
従業員もおおかた感じ良く、この値段にしてはPerfect!
トイレの水漏れ等もなかったし、お湯(シャワー)も熱いのが出る。
バスタブには水垢がついているが、お湯もためられる。
今日も日本人がこのホテルに1人チェックインしたようだ。
私たちの持っているガイドブックには載っていなかったが、
別のガイドブックにはこのホテルが載っているのかも。
【玉渓号で昆明へ:1日目】
駅へ。昆明行きに乗る。と、私の席にすでに子どもが座っている・・・。
どこの子供かと思いきや、同じコンパートメントの夫婦+子供1人という家族連れの子供だった。
この寝台車には上・中・下段があり、
彼らは上段の寝台なので、下段と代わって欲しいという。
二人向かい合って下段をとった私たちに、
両方上段へと代わって欲しいと希望されたが、それは今後の旅の快適さの上で問題だ。
上段の寝台は窓もないので景色も見えない。風も入らない。
眠らない時間に、マサトが上段の寝台で座ると、頭がつかえてしまうだろう。
下段の寝台は一番広くて、窓際のテーブルも使えるし、
車内を移動するのにも、座席の下に入れた荷物を取るにも、
なにかと便利だ。
せっかく快適な旅をしたいと思って、苦労して下段の寝台を取ったのだ。
マサトは「言語同断だ。子供の躾もなっていない。」ととりつく島もない。
しかし・・・。彼らも昆明行きだし、長旅を考えると上段で子どもがぐずるのはわかっているし、
小さい子を抱えて、上下に不安定な階段を移動するのは大変だろう。
私1人が上段に移り、マサトに下段に残ってもらうことにした。
列車は北京を出発。出発乗り込みのラッシュが過ぎたせいか、比較的車内は落ちついている。
中国の列車は緑色をした客車が多いが、この列車はいままでのものと違い、白地にオレンジのストライプ。
車内の給湯器も立派、車内アナウンスは英語でする!
そして「玉渓号」という名がついている(昆明行きだが、同じ雲南の地名からとったのだろう)。
車内での本日の昼食はラーメンとジャムパン(中国の食パンはうまい)
夜はぶっかけめし弁当。(麻婆豆腐、セロリ、ししとうと豚肉の炒め物、ゆでもやし、鶏肉の塩胡椒炒め、ハムステーキ)。具が多いので15元。
しかしその後、具が少なくなったのか、10元の弁当も売っていた。
車内販売もよく売れているようだ。1人600元もするこの硬臥に乗っている人たちだけあって、みな「はぶり」が良い。
【玉渓号で昆明へ:2日目】
3月2日(火)
車中泊。
朝起きると、外は一面の菜の花畑。
まだ、日本では菜の花の季節には半月ほど早いが、ここはすでに日本(東京)より少し暖かいのだ。
大学時代よくグライダーをした、利根川土手(妻沼)菜の花畑を思い出す。
そろそろグライダーも大学選手権全国大会の季節だろう。
昨日車内は午後10時消灯。そして6時にはガンガン音楽が鳴り、ビカリと電気がつく・・・。
基本的に調節はきかないので、すべて強制的だ。
車窓から見る、貴州、湖南は曇っている。
2人で「貴州、湖南を観光しようと思わなくて良かったね」と話すが、
この季節だけ曇っているわけではなく、このあたりは1年中こういう天気のようだ。
しかし、この地方の風景は美しい。
霧にけむる山々が「悠久の中国4千年の・・・」といううたい文句を掲げたツアーのパンフレット写真みたいだ。
段々畑に植わっている菜の花の緑と黄色も美しい。
ほんのちらっとだが、少数民族特有の頭巾をしている女の人も見た。
ほとんどの人は普通の服装だが、もう少数民族のたくさん居る地域に来たのだなと思う。
ふとマサトをみると、昨日、子供の躾がなっていないと怒っていた、その子どもと遊んでいる。
この子はかわいいが、ちょっと甘やかされ過ぎかなと思う。
子供って、こんなもんなのだろうか?
中国の人の車内での食事風景を観察すると、彼らはしょっぱいもの、からいものが好きで、
塩辛いおかずとザーサイ、ラーメンとつけものとか食べてる。
高血圧で早死にしますよ・・・。
車内での今日の食事
朝:ジャムパン
昼:ラーメン
夜:ぶっかけめし(豚肉とジャガイモ・大根の煮物、レンコン・セロリ・ニンニクの芽とハムの炒め物、たまご)
今日はおかずが辛くなくてうれしい。でも、辛くないおかずがちょっと物足りない。
【玉渓号で昆明へ:3日目】
3月3日(水)
昆明到着。
最後まで子供はうるさかった。
3才と聞いたが、それにしては幼いな・・・。
よく泣くし。まだ赤ちゃんだ。
私たちが持っているものは(偶然かもしれないが)すべて父親は購入していた。
例えばラーメン、例えばジャム。
子どもが欲しがったらマズイと思ったのだろうか。
両親はまだ若そうだ。
旦那の方は携帯電話を持っていてよく電話している。それがステイタスだと思っているようだ。
顔立ちは森田健作を濃くしたみたいな感じ。
母親は「謝謝阿!」とよく「阿!」をつけてしゃべる。
そういう方言なのか、親しみを込めてくれたのか。
高校時代の友達のNちゃんに似ている。
列車を降りると、彼ら家族ともさよならだ。