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1229日(水)

 

1310分、クルージ・ナポカから乗ってきた列車は、ブダペスト・ケレチ(東)駅に到着した。

 

【優雅なるかなブダペスト、華麗なるかなヨーロッパ】

「優雅な駅だなあ・・・」。僕は降りた瞬間、思わずつぶやいてしまった。

僕がこの駅に降り立つのは3度目だが、今までになくそういう感を覚える。「ヨーロッパ文明を感じさせる街」とでも言おうか。

まだ「東欧」という言葉が色濃く残っていた94年当時、「西から来る旅行者にとってはどこか泥臭く、アジアのニオイを感じさせる街。いっぽう東のルーマニアやブルガリアからの旅行者にとっては、『ヨーロッパ文明に帰ってきた』とホッとさせる街」と評されていたブダペストである。今の我々の目には、「ハプスブルグ朝オーストリア・ハンガリー帝国として栄えた、豪華絢爛、文化の華開く街」としか映らない。

 

「そうだ、我々はヨーロッパに来たのだ」。

 

そのヨーロッパの駅で我々4人を出迎えてくれたのは、眼鏡をかけた誠実そうな青年と、数人のハンガリー人である。笑顔で迎えてくれるのが嬉しい。マサさんの後輩という彼はイチさんという。

イチさんはさっそく「まずはメシですか?」と笑い、マサさんは「日本食行こう。あぁ、日本食を食べたいな」と色めき立つ。しかし、すでに宿を予約しているマサさんとクワさんと違って、我々は宿無しなので、ここで一旦別れることにし、午後3時に同じ場所、つまりこの駅で待ち合わせることになった。

 

【旅は両替、そして宿探し】

宿探しの前に、まずは両替である。1ドル=214フォリント。4年前の2倍だ。

さて、宿に関してだが、僕は今までになく呑気であった。どうせ正月なんだから、日本人バックパッカーの溜まり場テレザの家で過ごすのもいいだろうと思っていた。あるいはユースホステルでも良かった。多少、土地勘もある都市だから、なんとでもなるだろうと思っていた。プライベートルームの客引きだっていることだし・・・

と思って歩き出そうとすると、目の前にニコニコと微笑むオバチャンが立っている。明らかに我々に目をつけていた様子である。ハンドバックを肩に下げ、部屋の写真入りファイルを見せ、「うちに泊まらないか」と英語で言う。

「泊まるところは決まっているの? うちなら2人部屋25ドルよ。シャワーも台所もお湯は24時間出るし、洗濯機もあるわよ。ここから地下鉄で一駅だし、駅からも近いのよ!」

 

要するに、僕はこれを期待していたのであり、これがあるからなんとかなるだろうと思っていた。しかし、いざ話しかけられると、まずは警戒心が先に来る。色紙にコピーをした手作りの宿案内には日本語の表記もあり、それはきっと宿泊者に頼んで書いてもらったに違いないが、それがかえって胡散臭い。値段が高いのも気になる。

「街を一回りして、宿がなかったらまたここに戻ってくるよ」と振り切ろうとすると、

「なにが不満なの? 値段が高い? だったら、いくらならいいの?」

2人で一泊10ドル」。

するとオバチャンは、「冗談じゃないわ!」と怒りだした。

「なら15ドル」「ダメよ!」

「なら良いです、さいなら」と再び立ち去ろうとすると、

「何泊するの? 連泊するなら安くしてあげるわ」と引き留める。

「始めの4泊は2人で25ドルだけど、5泊目からは2人で16ドルにしてあげる」と言う。

もともとブダペストには長居するつもりでいるが、泊まったは良いが気に入らなくて23日で出た場合、これは得策ではない。そこで、110ドルということにしてもらった。

(結果的に10日泊まったので、損をした格好になるのだが。)

 

【マリアさまさま!?】

しかし、この宿案内はどこかで見たことがあるような気がする。オバチャンはヴァリと名乗るが、この名前もどこかで聞いたことがあるような気がする。それもこの旅の中でのことだ。駅前に停めてある自家用車に案内された。「これはサービスよ」と、今日は車で連れていってくれるらしい。運転はヴァリさんの旦那である。

ヴァリさんが尋ねる。「あなたたち、日本人よね。どこから来たの?」「ルーマニアから来ました」

「ブラショフから?」「いえ、クルージから」

「ブラショフには泊まった?」「ええ、マリアっていうオバサンのアパートに・・・」

「それなら、あなた達は私の名前を知っているはずだわ。私のこと聞いてない? 私、マリアの知り合いなんだけど」。

 

思い出した。マリアは確かに「ブダペストに行くなら、私の知り合いを紹介してあげるわ」と言っていた。いま、僕がもらった宿案内を、そこで見せてくれていたのだ。だから、案内も、そしてオバチャンの名前も、なんとなく記憶にあったのだ。マリアにその話を聞いたとき、もちろんブダペストは旅のルートに入ってはいたが、さすがにそこまでマリアの世話になるつもりはなかった。しかし、ふたを開けてみればなんのことはない。

すっかり警戒心の解けた我々は良い気分になってアパートへ案内された。マリアのアパートは、彼女自身はそこで生活していなかったのだが、ヴァリさんは旦那と共にここで生活をしている。だから、シャワーや台所は旅行者とヴァリ一家(といっても夫と2人暮らしのようだが)と共同だ。

シャワールームが奥にある洗面所には乾燥機付き洗濯機もある。台所は6畳ほどで、3人掛けの小さなテーブル、椅子、電気コンロ3台、広い流し、食器棚、大きな冷蔵庫がある。旅行者向けの部屋は3つあって、4人部屋、2人部屋、1人部屋が1つずつある。今朝、ちょうど2人部屋が空いたところだったので、「あなたたちはラッキーよ!」と言うが、ラッキーなのは、むしろ空き部屋に泊まる新客をつかまえたヴァリのほうであろう。

「日本人がもう2人いるのよ」と彼女は笑ったが、あいにく出かけていた。

 

【ありがとう・・・】

ヴァリから部屋の鍵とアパートの鍵を受け取ると、部屋に荷物を置き、さっそく待ち合わせ場所に赴く。

「『ありがとう』に行きましょう。ぜひ行きましょう」というマサさんの強い要望で、日本人5人、ハンガリー人4人の団体となって向かったが、運悪く「休憩時間」であった。

そこで次なるオススメの店「JAPAN」を目指すが、ここも休憩時間である。それで「『ありがとう』は夕食に取っておくことにして、とりあえず違う店に行こう」ということになり、小じゃれたビアホールへ入る。ビールとアペタイズ(詳細はユウコの日記参照)。ピルスナーグラスのビールをあっという間に空け、マサさんはすかさず「おかわり」。それを見てイチさん、「やっぱ日本人て金持ちなんだよなぁ。『おかわり』だもんね」と苦笑い。僕とユウコは強くうなずいた。美味いビールをもう一杯飲みたいのはやまやまだが、我々としては既に予算をオーバーしている。イチさんの一言は、我々をホッとさせた。

 

多少お腹がふくれたので、みんなで王宮(ブダ)まで観光散歩に出かける。マーチャーシュ教会、漁夫の塔などを見る。漁夫の塔からの夜景が美しく、とくにライトアップされた国会議事堂が素晴らしい。そして、満を持して「ありがとう」へ行く。

 

我々はこれまで、旅先で日本料理を食べたことがない。その理由としては、@値段が高いこと Aそもそも日本食を望んでいないこと に尽きる。

第一の理由は旅の予算から来るもので、実に明快だ。日本食を食べられる店はたいてい高級レストランであり、やはりそれなりの格好で行き、それなりのモノを頼まないと格好が付かない、という引け目もある。

それに、わざわざ外国に来て日本食を食べる理由がない。これが第二の理由である。「郷に入っては郷に従え」ではないが、旅の楽しみの一つに食があるとすれば、日本食レストランに入るのは、一つ旅の醍醐味を失っているのではないかという気がする。そして、物理的にも精神的にも「できるだけ日本を離れてみたい」という思いから旅を始めた我々にとって、日本料理を食する行為は、自らの初志をぶちこわすようなものだ。つまり、日本食を口にすることは、我々にとって一種「負け」を意味するのだ。

そこまで大げさに考えなくても、単純に「どうせ大したものは食べられないに違いない」という意識が強いから食べずに来たのだ。カツ丼やきつねそばですら、「わぁー、日本食だ!」とありがたがって食べる意味が、あるのだろうか? そして一口食べたらこういうに違いない。「これ、ちょっと違うよね」。そして割高料金を取られ、残るのは後悔ばかり。「こんなことなら、入るんじゃなかったね」。要するに、同じ高い金を払うなら、地元の小じゃれたレストランに入るほうがよほど大きな意味を持つ。

そういう思いを抱きながらも、マサさん達の誘いを断らなかったのは、話し相手ができた喜びと、「美味しくて安い店ですから」という彼らの言葉、そして日本を離れて一週間しか経っていない彼らが「ああ、はやく日本食を食べたいな」と恋い焦がれる日本食の魅力によるものである。

 

【ありがとう!!!】

ともあれ入ったお店は、大衆食堂と学生飲み屋を融合したような、学生街にある、ちょっと小ぎれいな、しかし気さくな雰囲気の食堂であった。壁に貼られた手書きの短冊メニューは全て日本語である。

カウンターに立つ中年夫婦がきっとこの店の主人と女将なのだろうが、2人が日本人であることも、ハンガリー事情を何も知らない僕には驚きであった。

ハンガリー人の若いウェイトレスから配られたメニューは、日本語表記が最も大きく、英語とマジャール語が併記されている。やはり料金は高い(というか、日本並である)。入ったからには寿司や天ぷらでも頼んでみたいと思うのだが、さすがに手が出ず、ユウコは親子丼、僕はカツ丼を頼んだ。

以前、トルコでユウコと2人、「どうしても鰹だしのきつねうどんが食べたいね」などと言っていたことを思いだした。そのユウコは喜色満面で料理が運ばれるのを待つ。それでも僕はまだ疑念を捨てきれないでいた。きっと「何かが違う」と思わせるに違いない・・・。

 

僕の思いに反し、出てきたカツ丼は日本のカツ丼そのものであった。だし汁でカツとタマネギを軽く煮込み、溶いた卵を落としてひと煮立ち、ご飯の上に乗せて出来上がり。「まったく、これはカツ丼だ」。ユウコの親子丼も、もちろんまったくの親子丼であった。

「これこれ、この香りだよねー。やっぱりカツオだよ」と喜ぶユウコだが、僕は違うことに感動していた。カツの上にかかるきざみ海苔である。

「海苔って、こんなに香るものなんだ!」

 

話に興じて見る機会を逸したが、お店には衛星版の朝日新聞が置いてあった。

 

【ブダペストの夜も長い】

夕食を終えたところで数人が帰途についたが、マサさんは「もうちょっと飲みに行こう」とイチさんを誘う。まだ遅い時間ではないので我々もつき合うことにした。ハンガリー人仲間は唯一、Gさんが同行した。

彼は長身でややなで肩、薄いメガネに大きい目、日本語はペラペラである。普通の日本人なら「まあまあ(良いね)」というところを、常に「なかなか(良いね)」という、その言い回しが個性的な人だ。31歳というが、我々よりも若く見える。白人にしては珍しいと思う。

 

6人で、イチさんおすすめの学生向け飲み屋に行く。といっても日本酒があるわけではなくて、ワインバーである。なるほど、若者が多く、店は盛況だ。丸太小屋風の内装には雰囲気があり、我々が大きな木卓に座り注文をすると、安ワインがフラスコのような瓶に入れられ、無造作におかれていった。

「おかわりをするときは、あそこのカウンターに行って、ワイン樽の蛇口をひねればいいんだよ」とGさんが笑う。ざっくばらんな店だ。赤だの白だの頼んだところで、「安物なんだから味は関係ないよ。どうせ混ぜもんだし」と、またGさんが笑った。すでに少し顔が赤い。

 

このバーにはパリンカもある。僕が「あれはルーマニアの酒なのでは?」と驚くと、マサさんが言った。

「いや、もともとパリンカというのはハンガリーとルーマニアの境目の地方の名産で、ルーマニアよりはハンガリーがホントなんですよ」。

この店には洋梨、桃、チェリーのパリンカがあった。ワインはたしかにチープな味である。言うとおり、水が混じっているのかもしれない。しかし1リットルで200フォリントなんだから、安い。

「学生向けだからね」とGさんは言う。

 

「ハンガリーはどう?」と彼が尋ねる。「うーん、ブダペストしか知らないから・・・」と僕が答えに困っていると、

「じゃあ、ブダペストは?」

「雰囲気がありますよね、建物とか、見ていて飽きないです。歴史を感じる」と答えると、彼はそれを逆手に取り、

「つまり建物が古いだけなのです。街の中心に、100年を越える建築があります。トーキョーは、新しいモノがドンドンはいるから、建物もどんどん新しくなるでしょう? それだけです」と皮肉って笑った。

 

「モスクワ主導の社会主義体制の頃、我々の国の政策はすべてモスクワの指導のもとに進められました。たとえば、ハンガリーでは乗用車を作ることは許されませんでした。それは他国の仕事でした。ある国は乗用車、ある国はトラック。ハンガリーはバスを作ることを命じられました。ソビエトが崩壊し、我々は自由に自動車を作れるようになりました。そのとき、合弁企業としてやって来たのは、日本のスズキだったのです。ブダペストを走るスズキは、ハンガリー初の『国産車』なんですよ!」ちょっと誇らしげに彼は語る。

 

「ブダペストのオススメは何でしょうか?」とイチさんに聞いてみる。彼は、

「まあ、見どころと言えば、ロンプラや歩き方に書いてある以上のことはなんとも・・・」と前置きした上で、「でも、ぜひ温泉には行ってくださいね」と答えた。そこでどこが良いかと問い直すと、「どこもそれぞれに雰囲気がありますけどねー。でかくて有名なところと言えばゲレルトとセーチェニでしょうか」。

するとGさんは「うん。ゲレルトでは、もっともハンガリーの温泉の雰囲気が味わえると思います」と嬉しそうに言う。

「それに野外温泉プールもありますから、そこなら水着を着て、男女一緒に入れるから良いんじゃないですか」とイチさん。

「冬でも野外のプールに入るんですか?」と聞き返すと、「もちろん、みんな楽しんでますよ。チェスやってるオジサンもいるし」と笑った。

 

こう書くと邪だが、イチさんに会う最大の目的は「日本大使館の場所を確認すること」にあった。

「ところで」と、彼に日本大使館の場所を尋ねると、彼は自分のバッグから地図帳を出し、乗るべきバス、および発着所、ルート、降りるべき停留所、降りてからの道順を地図で示したあと、「この地図、あげます」と言う。まさかと思って断るが、「うちに同じのがもう一冊あるから」と笑った。

 

そこで、親切ついでにスロヴァキア大使館とポーランド大使館の場所も聞いてみると、「スロヴァキア大使館は場所が変わったんですよ。ちょっとその歩き方を見せてもらえます?」と、僕のガイドを見て、

「そうそう、これじゃないんですよ。ここです」と再び地図で示す。思わぬ情報が入り、感謝感激だが、このイチさんのみならず、ここにいる人たちはみな親切で気さくで、人当たりが良く、とても初めて会った人々とは思えないぐらいだ。しかもその後、イチさんはノートの切れ端に自分の住所をメモし、僕に渡してこう言った。

「ハンガリーに限らず、しばらくヨーロッパにいるんでしょうから、困ったことがあったら遠慮なく連絡してください」。

 

僕が「ありがとう」とうなずくと、「もっとも、どの程度お役に立てるかは分かりませんが」と、照れくさそうに笑った。

 

9時半、店を出る。マサさんとクワさんは「もう一軒行こう」とイチさんを捕まえ、放さない。我々は、彼らに感謝の意を表して別れた。帰る方向が同じだというGさんと3人で地下鉄の駅まで歩く。

「安かったでしょう? だからあの店はいつも学生でいっぱいなんですよ」とGさん。

しばらく歩いて、「あっ、これこれ! 見てください。このマクドナルドは、ヨーロッパで最も大きな店舗なんですよ!」と示したその店は、駅のターミナルかと見間違えるほどの立派な重厚建築であった。

 

【ヴァリの宿、さらに2人の日本人】

部屋に戻ると10時を過ぎていた。キッチンのテーブルでは2人の日本人がおしゃべりをしている。挨拶をし、仲間に混ぜてもらう。薄いメガネでちょっと中田英寿似のケン君と、中わけの髪型、きりりとした眉毛に可愛い目をしたノリ君。

彼ら2人は学生で、冬休みを利用してヨーロッパ旅行に来たのだそうだが、2人とも表情が冴えない。疲れているのだろうか。

 

「ハンガリーは2回目なんですよ」と、曰くありげに言う。

 

「気に入ったんですか?」と、僕が軽く尋ねると、

 

「いやぁ・・・ローマでスラれちゃって・・・」とケン君が元気なく答える。それとこれとがどういう関係を持つのか・・・と考える間もなく、ノリ君が続けた。

10万・・・ね」。

 

「えっ!?」と驚き、我々は呆気にとられたが、話はこうだ。

 

彼らは1220日過ぎに日本を発し、クリスマスの頃にブダペストにやって来て、この宿に泊まった。その後、ウィーンを経由してローマに行った。不覚にも金を置いたまま安宿の部屋を空け、戻ってみると金がない。部屋は荒らされた様子がない。フロントに頼んで警察を呼んでもらったが、さっきまで英語が通じていたはずのフロントの兄貴がとぼけた態度で応対し、警察は英語が全く通じず、埒が開かない。

 

「きっとフロントの奴が盗ったと思うんだけど・・・証拠がないスから」と、がっくり。

鍵をかけたので、まさか人が入るとは思っていなかったらしい。

話を聞いて、「部屋の机に裸のままで現金を置いて出かけたのはさすがにマズかったね」と言うと、彼らは「そうですよねー、やっぱり。旅先ではそうですよねー」と、ますますがっくり。

 

ともあれ、持ち金の7割方を盗られてしまった。クレジットカードはもともと持っていない。帰りのチケットは19日のパリ発なので、この日まではなんとか食いつなぎ、そしてパリにたどり着かねばならない。

「そこで、ブダペストに逃げ帰ってきたわけなんですよ。安いでしょう、物価! いやー、ハンガリーは天国だなあ」とケン君が感嘆する。

するとノリ君も「大通りの先に大きなスーパーがあるんですが、そこで2人で大量に買い込んできたんですけど、それでも2000円しないんですからねー」とうなずく。

「なるほどね」。僕はつぶやいたが、我々の印象は反対であった。ブダペストは物価が「高い」のだ。少なくともルーマニアよりは格段と高い。トルコよりも高いと思う。

 

「ところで、お二人の部屋はどこですか?」とケンさんが尋ねる。

このキッチンの隣の2人部屋に泊まっていると答えると、

「ですよねー、普通は。俺たち、なんだったんだろうなー」と相方のノリ君を振り向く。

「奴の部屋、物置なんですよ。2畳ぐらいしかないの」とノリ君。

するとケン君が、「こいつの部屋なんか、ヴァリに『隣の家よ』って言われたきりで、どんなところに泊まるのか、まだ分からないんです」「そうなんですよ。だから荷物はケンの部屋に置かせてもらっているんですよ」「あー、どうなっちゃうんだろう。金は取られるし、物置に泊められるし、最悪だなあ」。

 

そのヴァリさんがやって来た。ノリ君を呼びに来たらしい。自分の荷物を取りにケン君の「部屋」に行くというので我々も様子を見についていくと、なるほど、たしかにそこは物置であった。寝床があるのが救いであろう。そしてなぜか場所に似合わず大きなテレビがある。

「テレビだけあってもねー。場所取るばっかりでねー。それにここ、照明がないんですよ」。

だから、部屋の中で何かするためには扉を開け放しにして明かりを採らなければならない。ノリ君にはヴァリのアパートの隣人の部屋があてがわれたようだ。

「ああー、なんか処刑台に行く気分だなあ」とノリ君は不安そうだが、かえって良い部屋に泊まれるのではないかという気がする。まあ、とにかく頑張れ。