12月31日(木) 曇り ブダペスト
【1998年の最後の日】
大晦日だ。
10時ちょうどにポーランド大使館に着く。他にお客はいない。ビザとともにパスポートが返ってくる。これで次の旅の準備ができた。
その後、写真を取りに行く。フィルムは12本出したのだが、1本現像につき新フィルム1本サービスということで、36枚撮りの新フィルム12本を入手できた。現像代は高かったが、これと相殺できるかな?
ついでなので、今後のパスポート申請用写真を撮る。鏡の付いたパソコン機器の前に座らされ、ボヤッとしていると「準備はいいの?」と言われ、いいよいいよと呑気に答えていたら、ボヤッとした顔の写真が横のプリンタから出てきた。なんと、デジタルカメラによる即時現像だったらしい。
ヴァーツィ・ウッツァ(ヴァーツィ大通り)は外国人観光客ばかりが歩いている。地元の人は家でお休みしているか、大掃除でもしているのだろうか。イチさんが教えてくれたインターネットカフェに行ってみる。いやもうホント、イチさんには感謝感激だ。2時間15分の間で、友人知人への新年メールを出した。
【2人の日本人学生との楽しいひととき】
ドナウ川沿いを少し散歩した後、今日は早めに宿に戻る。ユウコは料理に励む。
ケン君とノリ君もいたので、4人で食卓を囲む。シャンパンで乾杯。
ケンさんは都内の大学に通う3年生、ノリ君は一浪して名古屋の大学に入ったので、今は2年生とのこと。お互いは古い知り合いで、「郷里は?」と聞くと、「茨城県の、霞ヶ浦の先っちょですよ。コイツの家はイチゴ農家なんです」と、ノリ君を指してケン君が答える。
そのケン君は「就職活動、まだなんにもしてないんですよ。帰ったら始めないと」と言う。旅行会社に行きたくて、資格(旅行取扱主任)まで取ったというから、たいしたものだ。地理や歴史にも詳しい。「競争率が高いから大変なんすよ」と笑った。
そのケン君、さっきまで笑いを交え飄々と話をしていたのが突然真顔になり、「いま、厚生省の保険のことが問題になってますよね。その厚生省が、『遺骨収集ツアー』をやっているの、知ってます?」と聞いてきた。僕は初めて聞く話だが、「知らない方が普通ですよ、ほとんど身内のツアーですから」と、ぶっきらぼうに答える彼の話によれば、こういう具合である。
【遺骨集集団】※以下は聞いた話に基づく記述であり、事実と異なる場合があることをご了承ください。
毎年、夏と冬に、厚生省が「遺骨収集団」を、学生を主体に公募する。大きく、シベリア地方に行く「北方団」と、フィリピン・ミャンマー・パプアなどに行く「南方団」に別れる。彼はシベリア方面にしか経験がないのだが、大学に入ってから毎年参加しているのだという。夏冬それぞれ200人ほどの学生を集めて、かの地の土となった同胞の骨を集めるのだそうだ。
「要するに、掘るんですよ」。
「出てくるものなんですか?」と聞くと、
「まぁ、バクチみたいなもんですからね、人によりけり、というか、隊によりけりですよ。シベリア団も3つか4つのグループに分かれて行くんですが、一回のツアーで20も30も掘り出す団もあるし、まったく出てこないこともあるそうです。金属探知器みたいに、ほら、ドラえもんで出てくるじゃないですか、両手で長い棒を持って探るやつ。あんなかんじで『遺骨探知機』でもあればいいですけどね。はっきりいって、ほとんど闇雲に掘ってるだけですからね。広大な大地を。けっこう虚しいですよ」。
本題はここからだ。
「その遺骨収集団には、1人あたり150万の補助金が出るんですよ。厚生省から。参加費用は1人5万」
「ごまん? たったの?」
僕が驚く。彼は僕の反応を期待していたかのようにうなずいて話を続ける。
「僕の家は遺族会に入っているので、そういう家の学生は無料で参加できるんですよ。どう思います?」
「遺骨は日本に持って帰って・・・」どうするのかと聞こうと思ったが、それより先に彼が続けた。
「靖国神社ですよ。身元なんか分かるはず無いですからね。いま、靖国通り沿いに、変な体育館みたいな建物造っているの、知ってます? あれ、納骨堂なんですよ。体育館の納骨堂。建築費もバカにならないけど、都心の一等地に、墓地ですよ。しかもわざわざ外地から掘り集めてきた。そりゃあ、遺族としては身内の骨をお家のお墓に入れたいという気持ちは分かりますが、そうじゃないんですよ。無縁仏を集めて納めるだけなんだ。ほかにもっと金をかけるべき事があるんじゃないかなあと思うんですよね。で、こないだロシアに行ったときは厚生省の職員に詰問したんですよ。そしたら彼らも、このツアーには疑問を感じているんですよね。だからおおっぴらに報道もしていない。じっさい、お二人は知らなかったわけですから。国民に知られていないわけです。こっそり掘りに行っている。遺族会の力が如何に強いか、ってことですよ。まあ、そのおかげで僕はタダで海外旅行に行けるわけですが」。
「1人150万の補助金の他に諸々費用がかかるはずなんで、実際、学生1人当たりの経費は、ざっと250万ぐらいだと思うんですよね。それで夏に200人、冬に200人。全部で・・・10億ですか。毎年、こんだけの金を、骨掘りにかけているわけです。しかも必ず出ると分かっているわけでもないものを掘りに行っている。まあ、南方なんかは比較的『出る』っていう話ですけどね」
「東京大空襲やヒロシマの犠牲者は、一体どうやって掘ればいいのだろうか。彼らは、どうやって成仏されるのだろう」
僕はふと、そんなことを考えた。
【いまこそ明かされる「ドル、ニェット」の真相】
ところで、彼が今回参加したそのツアーは8月末から9月上旬にかけてだったという。
「そのころ、僕らはカザフスタンにいましたよ」と僕が言うと、
「それは大変でしたねえ。お金、大丈夫でしたか?」と、的はずれな質問をしてくる。
「なんのこと?」と僕はユウコと目を合わすと、ぎゃくにケン君が「知らなかったんですか?」と驚いた。
彼の説明によれば、事情はこういうことだ。
「ルーブルが下落して、ロシアが通貨危機になったんですよ。海外取引をストップされてしまったんです。カザフスタンも影響を受けているはずですよ。僕らも帰りの飛行機の手配でスッタモンダしたんですが、まあ、我々はいわば公務ですからね。大使館経由で専用機をチャーターしてくれて。それで成田に帰ったら、職員総出でお出迎えするんですよ。『おつかれさまでした!』なんつって、敬礼されちゃって。いやぁ、あれはおかしかった」。
思い出した。
「銀行にドルが無くなった。ドルはこーんなに上がって、テンゲはこーんなに下がって!」。
カザフスタンの首都アルマトィで、バーバリャーナとナーディヤが言っていた。社会情勢も知らずに呑気に旅行できるのだから、我々も呑気なものだ。
【いまこそ知る「8月のテポドン」、我々は如何に無知で呑気なことか】
するとノリ君が「じゃあ、8月にテポドンが発射されたのも知らないんですか?」と聞いてきた。
我々はまたも目を丸くし、無知をさらけ出すばかりである。ケン君が補足する。
「まあ、表向きは『衛星の打ち上げが失敗した』なんですけどね。三陸沖に落ちたんですよ。どう考えてもテポドンですよ。ああいうのは猛烈に抗議するべきだと思うんですがね。日本政府は北朝鮮を甘く見てますよね、奴ら、造るべきものは造ってますよ。『貧乏だ貧乏だ』ってバカにしていると、本当にやられてしまいますよ。新潟なんかには簡単に潜入できるんですから。まあ防衛庁もバカじゃないと思うんですけど」。
「それにしても、あれがテポドンというのは確実として、あの弾道に発射するのも計画的だったんですよ。まさか北朝鮮から、大陸に向かっては打てないでしょう? そうすると海ですよね。だけど、日本海に落ちたんじゃ意味がないわけですよ。ある程度の射程があることを知らしめるのが目的なんだから。しかし、北には打てませんね。ロシアの領海ですからね。南に打つと沖縄方向になりますが、そうするとアメリカへの影響を考える必要がある。間違って軍用施設に落ちたりしたら、これは無視できない問題になる。とすると、東しかない。あの距離で落とすことを考えると、三陸沖がもっとも好都合だったわけです。『あの発射は寝耳に水だった』なんて日本では報道されてますが、北朝鮮は事前に、ある国に対してだけは連絡していたんですね。それは、ロシアです」。
ローマで金を取られた話を聞いて以来、彼らは英語もろくすっぽできない、少し変わった学生だなと思っていたが、なかなかどうして、真面目な話をするときは目の色が変わり、弁舌はなめらかになる。我々の方こそ呑気なものだと思うと、恥ずかしい。
「アメリカがイラクを空爆したことは知ってますか? あぁ、ルーマニアで知ったんですか、なんか国際的だなあ」と笑い、韓国人ジョン君の話をすると「韓国は、隣に危機がありますからね、日本人とは基本的に危機意識が違いますよ」と言う。
「旅行中、教会とか見に行きました? 宗教って、いったい何なんでしょうね」。
「日本人はヒロシマを忘れちゃいかんのですよ」。
彼の弁舌は熱い。食後も続けて夜10時近くまでおしゃべりをした。
【いよいよ正月】
教会といえば、ヴァリが言うには、通りを出たところの教会で、12時から新年のイベントがあるらしい。10時にいったんお開きにして各自部屋に(彼ら2人は「物置部屋に」)引っ込み、日が変わる頃を見計らって外へ出る。星がよく見える好天だ。気温は2〜3℃程度で、ちっとも寒くない。
しかし、教会は閉まっており、何も始まりそうな雰囲気が無く、4人でうりうりと宿へ戻る。公衆電話を見つけたので、テレホンカードを利用してコレクトコールで「あけましておめでとう」と互いの実家にかけた。こちらで年が変わる頃、日本では初日の出を迎えたところである。ユウコの母(僕にとっては義母)は久方ぶりに里帰りを果たし、家では義父が1人で酒を飲んでいるらしい。相手できないことを面目ないと思うと同時に、日本酒の味を思うと、ふと郷愁を誘う。