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13日(日) 曇り ブダペスト

 

【詰めの一手をいつも忘れる】

 さらに暖かくなった。57℃ぐらいだろうか。

 昨晩、日本人青年と話をした後、部屋に引っ込んだが、夜10時を過ぎたところで、夕方「ディスコに行きます」と出かけていったケン&ノリのコンビが帰ってきた。我々の部屋はキッチンに接しているため、話し声が聞こえてくる。彼らは翌日(つまり今日)チェックアウトすることは知っていたので、部屋を出て声をかけようかどうしようか考えたが、眠気が勝ってしまい、やめた。これは失敗だった。夕方、部屋に戻ってくると、ドアの隙間に置き手紙がある。

 

「マサト&ユウコさんへ

 色々親切にしてくれてありがとうございました。

 これからも良い旅を送ってください。

 とても楽しかったです。

  ケン&ノリ」

 

 文面を見た瞬間、「どうして住所交換をしておかなかったのだろう」と後悔するが、もう遅い。「日本に帰った暁にはぜひ彼らを家に招待しよう」と、ユウコと話をしていたのに、連絡先が分からなければ招待のしようがないではないか。キッチンにある宿帳を見るが、彼らの住所は「IBARAKI」となっていて、それ以上のことは分からない。彼らの話を思い出すと、手がかりになるのは「土浦やつくばの近所。霞ヶ浦の先っぽ。イチゴ農家」ということだ。ぜひにも会いたいものだが・・・。

 

【ハンガリーの温泉】

 彼らとそのような別れになるとはつゆ知らず、我々は今日セーチェニ温泉に行った。野外の温泉プールなら、水着着用で男女一緒に楽しめる。お湯は38℃と少々ぬるめだが、中に入れば心地よい。サウナに行けばぽかぽかだ。2時間ほど楽しんだ。お客は中年層を中心としており、数は多い。のんびりした雰囲気はなんともいえない。

 

 温泉に入ったあと、市民公園を散歩してヴァイダフニャド城へ行く。ここの農業博物館は面白かったが、少々時間を浪費した感アリ、すみません。野外スケートリンクで遊ぶ子ども達を眺めながら、英雄広場へと歩く。オペラハウスの見学ツアーが15時からあるので、これを目指すべく、ピッツァリアで簡単に昼食を取り、オペラハウスへと急ぐ。15時のツアーに間にあったが、16時というのもあったらしい。

 

英語のガイドさんと共に、10数名の見物客と連れだって歩く。1884年に完成し、同年927日にこけら落としが行われたこのオペラハウスは、ただコンサートを聴きに来るだけでなく、こうして見物に来るだけでも楽しい。ただただ美しく、優雅な空間である。が、100年前に造られたオペラハウスにギリシア神話の天井絵画とは、ちょっと俗っぽい気がする。だが、こうして見に来ると「次は演奏も聴きに来たいね」という欲が出る。カッサを覗くと、チケットは高いものでは日本円にして3000円も5000円もする。しかし200円程度の安席もある。値段は細分されており、もちろんそれは場所によるわけだが、残念なことに、ここ23日の安いチケットは全て売り切れであった。

 

 ガイドの終わりに「国会議事堂の見学ツアーも毎日10時からあります。時間のある方はぜひそちらもどうぞ」と勧められた。こちらも見るとあちらも見たくなる。今後の楽しみにしよう。

 

ところで、ハンガリーの誇る作曲家の1人にコダーイが挙げられるが、彼の発案による音楽教育法「コダーイメソッド」とは、つまり「ドレミファソラシド」なのだそうだ。音楽は長年やっているが、このことは今日知った。世界は広い。

 

今日は風呂効果で、なんとも腑抜けている2人であった。

 

【そろそろ旅の結末も考えないと】

今後の旅程を考えよう。僕は5月まで続ければ良いかと思っていたが、少々急ぎ足ながらも、この調子で行けば3月でひととおり、つまりかねてからの青写真の通りのルートでの旅行を「完成」させることができそうだ。つまりそれは、今後バルト3国を経由してロシアに入り、シベリア鉄道に乗って中国東北部にいたり、その後南下して雲南省からラオス、タイと抜けることだ。

 

12月初めにブルガリアに入ったときは余りの寒さに仰天し、年越しを待たずに日本に逃げ帰ろうかと本気で考えたこともあった。ルーマニアでも非常に寒かったが、今は大したことはない。意外と、あの地域は特別寒いのかもしれない。テレビの天気予報を見る限り、そうだ。北に行くほど寒くなる、というわけでは、必ずしも無い。だから、ロシアへ行ってオーロラを見ることも、きっと出来るだろう。

 

しかし、僕にはまだ迷いがある。ブダペストから列車で一晩過ごせば、パリに行けるのだ。

「あぁ、あこがれの都、麗しの都」とまでは行かないが、ヨーロッパに来てこの方、どうしたわけか「パリに行きたい」という欲望が沸いている。ただ、物価が高いことは今の我々には問題である。それに、何度も書いているとおり「『西』はいつでも行ける。無理して今行く意義はない」という思いもある。

 

もう一つ、旅情をそそる都市がある。ウクライナの首都キエフだ。キエフのイメージは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」に出てくる「キエフの大門」ぐらいしかない。が、その大門、いかがなものか、見てみたい。また、キエフは、ヨーロッパ最古の大学の1つであるキエフ大学の地だ。同じく歴史の古いプラハに行ったことがある手前、なんとなく親近感を覚える。ウクライナは -ロシア同様に- 政情不安定だというが、僕は悪いイメージを全く持っていない。むしろ今がチャンスだと思う。これはルーマニアにいたときから考え始めていた。ウクライナはすぐそこなのだ。ハンガリーとも国境を接している。ブダペストから国境を越え、ウクライナ西部の中心リボフへ、そしてキエフへ。ここまで来れば、一晩でモスクワだ。

 

しかし、このルートを選んだら、バルト三国はあきらめなければならない。もちろん「全部行く」ことも可能だが、時間がかかる。バルト三国は、夏が良いという。それをわざわざ冬に行くのは、「ロシアへの途上の通過点として」程度の意味合いしかない。ちょっと寄り道、なのだ。それよりも、これこそ次回の旅に取っておいたらどうだろう。数年に一度行われる夏祭りを見に来れば、お祭りも満喫できるし、充実した旅になるだろう。

 

思いは三方へ。あれこれ考えているうちに、頭がこんがらがってきた。「君はどう思う?」ユウコに問うてみる。

「そうだね・・・最初の旅程通りが良いとは思うけど、寒いしねー」。寒いのは確かに問題ではあるが、なんとかやって来ている。

「パリでのんびりするのも良いね。それで日本に帰っちゃっても良いしね。あるいは北京に飛ぶとか!」唐突だなあ。

「頑張ってキエフに行くのも悪く無いなー」。彼女も思いを膨らませ、楽しそうに話を続ける。

 

僕はイライラしてきた。

「いいかげんにしてくれないか」。

僕は言った。「僕は君に、『どうすれば良いと思う?』と聞いているんだ。今の君の言いようでは、僕は混乱するだけだ。それぐらいのことは僕だって毎日考えているんだよ。最終決定をするために君に確認をしているんだ。あれこれ意見を聞いているんじゃない」。

 

 ここまで言ってから「しまった」と思った。だが、もう遅い。ユウコはふてくされてブスッとなったが、たちまち涙目になってしまった。彼女はしばらく黙ったのち、涙声で、しかしキッパリと言った。「やっぱり・・・やっぱり、バルト三国に行くのが良いと思う!」

 

 僕はつくづく勝手な人間だと思う。今後のルートをあれこれと考えるのは、長旅の楽しみの一つである。しかし、今の我々には答えが出ている。僕はあれこれ悩んだように自分でも思っているが、それでも最終的な意志はバルトと決まっている。パリやキエフのことも考えてみたかっただけにすぎない。思いを馳せ、楽しんでいるだけなのだ。いろいろと考えておきながら「でもやっぱり当初の予定通り行こうよ」というその言葉を、ユウコの口から聞いておきたかっただけなのだ。

 

 1/7にハンガリーを出るとして

 スロヴァキア 7日 〜1/14

 ポーランド 10 〜1/24

 バルト三国 10 〜2/3

 ロシア 14 〜2/17

 中国は2/16春節なので、この時期は避けるとなると、入国は2月末。とすると、ヨーロッパにもう少し時間を割いても良い。バルトに+αするのがよいか?

 その後は、

 中国 10-15(哈尓浜、北京(&天津)、武漢、昆明、個旧、金平、景洪)

 ラオス、タイ 7-10(ルアンパバン、ビエンチャン、バンコク)

 

【思わぬ旅の障害、しかし我々は動じない】

夜。ヴァリさんの話によれば、MAV(ハンガリー国鉄)のストライキが始まったらしい。彼女はかねてからこれを懸念していたが、とうとう現実のものになってしまった。

「国際列車は全てストップしてしまうわよ」という彼女からの情報を聞きつけた昨日の日本人青年があわただしく荷造りをしている。

「いま、黒人のアメリカ人と1人の韓国人と相談したんですけど、21時ちょうどのミュンヘン行きがあるんですよ。3人でそれに乗ることにしました」

と言って、余った食材を僕にくれた。どうも最近、もらいものが多い。しかし、チョコとかパンとか、

「車内で食べればいいのに」と言うと、「いやいや、身軽で行きたいんで」。

 

今朝、賑やかにチェックインした日本人のオバチャンがいる。甲高い声でヴァリさんにぺらぺら英語で話していたのを覚えていた。そのオバチャン、彼らの出発前に少々ごきげんで(たぶんほろ酔いなのであろう)宿に帰ってきたが、ストの話を聞き、「わたし、ウィーンに行きたいんだけど」と甘えん坊のように言うが、ヴァリは淡泊に「トゥモロー、ノートレイン」と答える。すると「私も行くー!」と慌ただしく荷物をまとめ、一緒に出ていってしまった。今から行けばウィーンは真夜中だ。宿の客は、ドミに泊まっている韓国人1人を残し、あとは我々だけとなり、少し寂しい。

 

ところで、ブダペストの地下鉄(M1)はヨーロッパ初の地下鉄である。世界でも、ロンドンに次いで2番目、とガイドにある。1895年のことらしい(ロンドンのはいつか知らない)。しかし、イスタンブールの地下鉄チュネルはそれより古く、1875年の開通である。地下鉄として認められていないのか? たしかに、「地下鉄道」ではあるが、ケーブルカーみたいだしなあ・・・斜面を上がるし、短いし・・・。

また、同じガイドによると、ハンガリーにはパプリカ粉を持ち込むことが出来ない。なぜ? 無知は不思議を呼ぶ。