ハンガリー3(No.72)ドナウの曲がり角、そしてスロバキアへの川をわたる〜ブダペスト3

【ドナウの曲がり角は霧深く、オフシーズンの寂しさ。しかし、ハンガリー料理は絶品!】

16日(くもり)

「ドナウの曲がり角」ツアーへ。「ドナウの曲がり角」とは、ブダペストからドナウ川沿いにバスで1時間〜2時間ほど北上した地域にある「センテンドレ・ヴィシェグラード・エステルゴム・ヴァーツ」といった都市がある地域のことで、その名の通り、このあたりでドナウ川が直角に曲がっており、景勝地としても、歴史的建造物の多い地としても観光が楽しめるところだという。

まず今日は、ブダペストから一番遠い街、「エステルゴム」に行ってみる。エステルゴムのバスターミナルから中心街までは青空市場になっていて楽しい。ハンガリーで売られている野菜は、日本の野菜と似ているし、種類が豊富だ。長ネギ、白菜、大根、わけぎ、人参・・・。キャベツやキノコに至るまで、だいたいなんでもある。グヤーシュに欠かせない、とうがらしとにんにくもたくさん売っている。雑煮に入れたくて探していた、ほうれん草もあった。もうすべてのもちを食べてしまった今や遅し・・・だが。

エステルゴムのお目当ては大聖堂。ハンガリーにおけるキリスト教の総本山という。しかし、博物館など修理中で閉まっている。大聖堂は丘の上にあるので、眺めが良いはずなのだが、霧のため、景色は見えず。

ヴィシェグラードに向かう。ここも「ドナウの曲がり角」が見えるはずの景勝地だが、霧のため、見えず。15世紀にマーチャーシュ王が完成させたルネッサンスの宮殿という、王宮も修理中。なんだか天気もわるいし、どこに行っても修理中なのでなんだか気分が沈んできた・・・。マサトにはがっかりしてること言えないけど・・・。次の街こそ、期待しよう。

この街の郵便局で実家に電話した。母は里帰り直後で超ごきげん。祖母と宮島(厳島神社)に行ったそうで、よかった。父は「うまいワイン飲んでるんだろうけど・・・」と羨ましそう。「トカイを送ったよ」というと、大変喜んだ。

センテンドレへ。セルビア教会があるのが興味深い。マサトはセルビアの大司教の胸像(というより頭像)の前で記念撮影。丘の上の教会は閉まっている。

ワイン博物館へ行ってみる。博物館の展示を見るだけなら100フォリント、試飲は800フォリント。800フォリントもあればトカイが1本買えるし、チケット売りのお兄さんも私たちに800フォリントのチケットを売る気はないようなので、買わない。トカイやエゲル等、スーパーの2倍以上の値段をつけて売っていた。チケットは買わなかったものの、試飲コーナーは充実していて、いろいろな種類のワインを少しずつ試してみたい人には良いかもしれない。高いけど。隣接されているレストランでは、ワインに合った料理を出してくれるのだろうが、ランチからフルコースになっていて、たいそう高い。博物館のレストランということで、良心的な値段を期待したが、お土産コーナーといい、このレストランといい、大枚をはたいてくれる旅行者めあての店なのだろう。

私たちは別のレストラン「コロナ」で食事をする。少々薄暗い店内だが、その暗さをいかして(?)食卓にろうそくを灯してくれたり、陶器のストーブがあったりと素敵な雰囲気。私は念願のハラースレー(魚のハンガリー風スープ)を注文し、食べる。たぶん、使われている魚は鯉だと思うが、ぜんぜん臭くなく、おいしい。パプリカとタマネギと、少々のジャガイモをとろとろになるまで煮てあるようだ、香り付けに入っているニンニクとバターのこくのあるスープがおいしい。(しかし、ガイド書いてあったような「みそ汁味」ではない)小さな鍋がバナナハンガーに吊されているような感じで運ばれてくる。分量はカップに4杯分くらい。鍋の下にあるお皿に火を灯してくれる。日本旅館のナベのよう。マサトは、豚肉のミソソース風を注文。これもおいしい。サービスの良いレストランで、パンがたっぷり来た。そして!デザートにゲステニェ・ピュレを食べた!!ハンガリーのガイドを読んでからずーっと食べたかったお菓子。マサトの大好きな栗!!いわゆるモンブランの上に乗っている栗ペーストの部分がたーくさんお皿に盛られて来る。カプチーノも飲んで大満足。霧のためうりうりとした気分も、すっかりごきげんに転じた、単純な私であった。

 

【マサトの日記「プアーか大国か。旅の雑感」を読んで、私も雑感】

問題というのは常にどのような状態にあってもなにかしらが起こりうるもので、どのような生活がよい(一番素晴らしい)のかということを一概に言うことはできない。

たとえば、ルーマニアの今の状態は50年前の日本と似たような状態ではなかったか?人々は一軒一軒大きな家を持ち(少々長屋暮らしの人はいたにせよ)東京でも一軒家を持つことができた。庭もあり、田んぼや畑もあったが、貧しかった。特に農村部では出稼ぎに行かないと生活が成り立たなかった。それはモナの旦那さんの話を思い出させる。

でもたぶん今の日本のように「切れる」中学生も「ミヤザキツトム」みたいな人もいなかったと思う。「切れる」中学生は「豊かな社会」に切れているのかもしれない。昔の人は生活が大変で、世の中に切れているヒマもなかったのかもしれない。

自由に日本人が海外旅行をするようになったのはほんのここ数年だ。現に私たちの親の世代は海外に行ったこともない、飛行機に乗ったこともないという人が大勢いる。

海外に自由に出て行くという意味では、今が私たちにとって幸運な時代であるというだけだろう。そして、年齢的にも幸運だということであろう。こんな旅は、今より若くても、今より歳をとっていてもきっとできない。

豊かになること、食べるのに困らないことを目標に先人は頑張ってきたはずなのに、物質的な問題が解決されると、精神的な問題が生まれるとは、なんと皮肉な公式であろうか。

逆に言えば、精神的な問題は物質的な問題には敵わないのかもしれない。本能を満たされない限り、大脳新皮質の部分は機能しないのかも!?

 

【最後のブダペスト観光:国会議事堂】

17日(くもり)

国会議事堂へ。議事堂の入り口は柵で囲われていて、英語で「見学の方は10時にZゲートでお待ちください。事前に]ゲートでチケットを買うこと」とある。そのとおりにしていると、案内の人がやって来て、中に通される。ここの議事堂はけっこう金ぴかだ。天井にある数々の絵画が美しい。また、教会同様彫像が多い。しかも、細工が美しい。写真撮影が許されているので、数枚撮る。中央のドームにはハンガリーの英雄の彫像だけでなく、マリア・テレジアのものなどもある。私たちは幸運にも議会席を見ることができた。近代文明の昨今でも議事録を録るのに速記者を使っているのは、日本と同じだ。今でもクーラーには氷を使っているという。(これは冗談。)

DHLへ。航空便はエライ高かった。5ドルのトカイが一気に高級ワインに早変わり。5ドルのものを日本に送るのに、100ドルもかかる。ばかばかしく思うが、しかし、それはそれ。家族の喜ぶ姿を見たいのだからしかたがない。無事に届けば良しとしよう(と思うしかない)。

今日、6プットのトカイを買ったが、ものすごくおいしい!3プットは比較にならない。トカイは桶一杯分の貴腐ぶどうを1プットニョシュという単位で表す。これを136Lの樽(ゲンチ樽)に何杯加えたかを表示するのがプットニョシュという単位となるそうだ。この数が多い程ワインは甘くなり、高級になるということ。6プットを最初に飲んでいたら、日本にも6プットを送っていただろう。お父さんごめんね。

インターネットで友人からのメールをチェック。会社の後輩が結婚したり、友人の近況をきいたり。ある友人は、昨年末のレコード大賞の新人賞はモーニング娘。大賞はGLOBEだったと教えてくれた。

ところで、ヴァーツィ通りからアストリアに行く間の道にあるカフェのワッフルは激うま!特にバニラ味が最高。上品な甘さ。大判焼のようにあつあつをかぶりつく。老いも若きも寒風ものともせず並んでいる。チョコレート、バニラ、ハニーの3種。あぁ、さっき食べたばかりなのに、もう一度食べたくなってきた・・・。

 

【ヴァリとも明日でお別れ】

ヴァリに「明日チェックアウトします。」というと、「さみしいわ」という。私が意外だという顔をしたのか「だって、あなたたちはとても長く居たもの。今日はグヤーシュつくりましょ」と言ってくれた。この人はブラショフのマリアより暖かい。(マリアはちょっとビジネスライクすぎる)そして今までの宿代を払ったのだが、洗濯代までヴァリは言及せず、好意か無意識かわからないが、私たちの洗濯代はおまけになった。夕刻になると、ヴァリは約束通り、私たちと韓国人2人の宿泊客にグヤーシュとライスをふるまってくれた。私たちは盛られた分を全て残さず食べ、マサトがさらにおかわりを申し出ると、ヴァリはややあきれながらも、うれしそうだった。

 

【スロバキアへの橋をわたる】

18日(くもり)

朝、ヴァリ宅をチェックアウト。私の日記ではあまり触れなかったが、マサトの日記に出てくる押しの強いとぼけた日本人女性は、Oさんというそうだ。S県のO市に住んでいるようで、私の実家とも近く、どうも見覚えがある。高校の同級生かもしれない。帰ったら調べるべし。(やはりクラスは違うが同学年だった)

ハンガリーとスロバキアの国境の街、コマロムにつく。ハンガリーフォリントをスロバキアコルナにし、記念用に1フォリント残して余ったお金で売店のチョコを買い、徒歩で橋をわたる。国境とは思えないほど、皆呑気だ。自転車で行き交うひともいる。いつもの国境のような緊張感はない。まるで埼玉県と東京都を結ぶ荒川大橋の如し。ハンガリー側では検問が無く、素通り。我々が国境を越えたという証拠は何もない。もちろん写真撮影OK。スロバキア側イミグレーションでもハンコを押すだけ。しかし、もう別の国なのだ。

 

(つづく)