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【テヘランの夜】

 飛行機は手元の時計で130にテヘラン空港に到着した。よく晴れている。

 イランの入国審査はさぞかし厳しいだろうと覚悟していたが、拍子抜けするほどに呆気なかった。税関も全くチェックをしない。

空港には両替所もあるので、少し金を得る。1ドル5696リアルとは、良いレートなのかどうなのかも分からないが、選択の余地はない。

外へ出ると、真夜中にもかかわらずタクシーの客引きが多い。しかしAirport Taxiなる公営モノがあり、助かる。

さて、我々は泊まる宿を決めていない。しかし、どこかに連れていってもらわねばならない。そこで思い出したのは在ビシュケクのイラン大使館で会ったY夫妻であった。ビザ申請の時、「滞在先の欄は適当で良いんですよ。マシュハドホテルとか書いておけば」と、Y氏が言っていたのを思いだした。旅行巧者の彼が言うのだから、安宿に違いない。そこでタクシーの発券所で「ホテルマシュハドへ行きたい」と伝える。運ちゃんがあてがわれ、乗り込む。夜中なので、人通りは全くない。車もほとんど走っていない。街灯は暗く、地理もわからないので、どこを走っているかもわからない。

「まあいいや、とりあえずそこに泊まって、その先は夜が明けてから考えよう」。

そう思っていたのだが、着いたところは予想に反して立派なホテルであった。ホテルマシュハドについては「アジア横断」にも出ており、それは安宿の集中するアミールカビール通りにあるはずであった。が、ここはどうも様相がちがう。ホテルを見てきょとんとしていると、運ちゃんが「ここで良いんだろ?」みたいなことを言う。なにかのマチガイと思いつつ、入ってみる。

 

【ホテルマシュハド】

 フロントで話を聞くと、このホテルマシュハドは1150,000リアルと高い。見たとおり、中級ホテルである。きっとホテルマシュハドは2つあるのだろう。「まけてくれませんか」と言うと、「これはすでにサービス料金だよ」と譲らない。フロントで悶着を起こしていると、電話が鳴った。「1階の泊まり客が『うるさい』と言っている」。

声を殺して問答を続ける。「まからないなら、近くの安い宿を教えてくれ」と頼むと、「ならばここから歩いて3分のミラホテルに行け」と言われた。人っ気のない真夜中の道を歩くのは勇気のいることだが、ユウコを荷物番に残し、僕は一人で走って行くと、すぐにそのホテルがあった。朝食風呂付きで100,000リアルという。ここでも、「これ以上はまからないよ。スイートを用意するんだから、むしろサービス料金だよ」と言われ、これ以上、探し歩く気もなく、観念する。部屋を見せてもらう。朝食・風呂付き。部屋は広く、2つのベッドに、団欒できるテーブルとソファ、テレビに冷蔵庫。すばらしい。うつくしい。文句ない。早くシャワーを浴びたい。ユウコを呼びにホテルマシュハドへ戻り、そしてミラホテルにチェックインした。

 シャワーを浴びる。もう4時を回っている。

 8時に目覚ましをセットして眠る。

 

【テヘランの朝】

時計がなければ昼まで眠りこけていたことであろう。1階の食堂に降りると「朝9時」のニュースをやっている。「目覚ましを8時にかけたはずだが、なにが起きたのだ?」と、一瞬とまどったが、自分の時計が間違っていたらしい。

 朝食は目玉焼き、茶、ナン(ウズベクのパンと違い、薄っぺらい)と、質素であるが、それはそれで嬉しい。

言葉の分からないニュースを聞きながらゆっくりと食べる。周囲の客が、神妙にニュースに見入っているのが印象的だ。

食事を終え、部屋に戻り、たまっていた洗濯をする。ひと息ついたところで、ふたたび就寝。10時であった。ユウコはよほど疲れていたのか、すぐに静かな寝息をたてはじめたが、僕は目が冴えてしまい、眠れない。こういうときは起きるに限る。

 

 我々はいま、イランにいる。

日本を出て2ヶ月半。ついに中央アジアを越えた。感慨もひとしおである。

ソファに腰を下ろし、知人へ出す手紙の文面などを考える。

 

 正午を過ぎ、手紙もひととおり書き終え、さすがに眠くなってきたので布団に潜った。部屋はエアコンがあるので快適だ。ユウコはぐうぐう眠っている。

 

【テヘランの夕べと、アメリカ大使館】

 目覚めると午後4時を回っていた。まだまどろんでいるが、少し身体を活性化させたほうがいいだろうと思い、2人で散歩に出た。

しかし、そもそも自分たちが、街のどこにいるのかが分かっていない。

なにも分からず、ホテルの目の前の通りを左にまっすぐ歩く。と、次の角の左向かいに、落書きだらけの汚い家塀がある。見ると「Down with U.S.A.」とある。「あっ、これがアメリカ大使館か!」

2人で感激する。写真を取り損ねた。その近所にバス停があったので、とにかくバスに乗ればどこかに行くだろうと思い、立ち寄る。しかしチケット売り場がない。バスはどうやって乗るのだろうか。おろおろしていたら、バスを待ちながらも我々の様子を見ていた若者が、おもむろにチケットを2枚くれた。恵まれて、嬉しいやら申し訳ないやらで、バスがメイダネ・イマームホメイニ(イマームホメイニ広場)に行くことを確認して、乗り込む。

 

【イランのバスは男女別】

 「イランのバスは男女別である」という。それはどういうことを意味するのだろうか。間に仕切り板があって、男は前、女は後ろというふうに別れているのであろうか。ならば、バス内で男女の意志疎通をすることはできるのだろうか。もしも車両に壁があるとすれば、お互い見えないから目で合図はできない。とすると、「ここで降りるぞ!」と大声をあげるほかないのだろうか。降り過ごしたら、たいへんだなあ。

そんなことを、この国に降り立つ前に考えていたものであるが、バスの構造は意外にも単純であった。

すなわち、バスは日本にもあるようなバスと変わらない。ときには中ほどに蛇腹のある、長身のバスもあるが、間に仕切り板があるわけではない。バスには前後1つずつ昇降口がある。運転席横にあるのは降り口、そしてバスの中ほどには乗り口がある。男女とも乗り口は同じだ。ただし、乗ったあと、男性は乗り口より前方の席に座る。そして女性は乗り口より後方の席に座る。これで男女に分かれる。バスの車内では視界を遮るものはないから、お互い目配せによって、あるいは身振りで、「次で降りるよ」と合図を送ることは十分に可能である。バス券は降りるときに運転席脇のチケットボックスに入れる。やむを得ずチケットを持ち合わせない人は、現金で払うしかないが、これは運転手には非常に嫌がられる。

「すると女性はバスを降りるときに男性陣の居る間を通り過ぎなければならないのか」と思うが、よくしたもので、女性はいったん、本来乗り口であるバスの中ほどの昇降口からバスを降り、バスの脇から前の降り口まで歩き出て、その降り口より上がり、チケットボックスにチケットを入れる。バスによっては「チケット先入れ」のこともある。この場合、男性陣が前の昇降口から乗り込み、女性はいったんチケットを前で出してから、後ろの昇降口から乗り込む。

このように、バス内で男女別が徹底していることについて、「チカンを排除するという点では良いシステムだよね。日本でもやればいいのに」と、ユウコは評する。けだし、同感である。

 

【アミールカビール通りは安宿の多い、旅行者の集うところ】

 ともあれ我々はメイダネ・イマームホメイニへ至り、アミールカビール通りの安宿を見て歩く。ユウコは(女性は頭髪および身体のラインを見せてはいけないという規律により)いまやレインコートのフードをかぶっている。言ってはならないことだが、その姿は珍妙である。

アミールカビール通りに面した「ホテルマシュハド」は、12人で20,000リアルとは確かに安い。しかしトイレは共同、シャワーはホテルになく、「近所にハマム(風呂)があるから、そこに行け」という。まだイランに慣れない我々としては、多少の不便を感じる。

日本人がよく利用するというホテル・ハザールシーを行きすぎ、通りから少し奥まったところにある、静かなホテル・ハイヤムを訪ねると、「安い部屋は60,000だが、空きがない。80,000の部屋ならある」と言う。安宿街の中にあっては高値に属するが、雰囲気も良いし、明日ここに移ることにした。

 

【洗練されたイランの食事】

 歩き回ってお腹が空いたので、近所にあった、「アジア横断」おすすめのカバブ屋で夕食を取る。

トマト・キュウリ・タマネギのサラダの上に乗っかったカバブは、これまで中央アジアで食してきたシャシリクとはなにか違う、どこか洗練されたおいしさがあった。ユウコと2人して、涙を流さんばかりに食べた。

 

【英語をしゃべる、おたすけマン】

 夜7時を過ぎると暗くなった。帰りのバスをメイダネ・イマームホメイニで探す。この広場は市バスのターミナルになっていて、あちこちに乗り場がある。乗ってきたバスの番号を忘れてしまったので、どのバスに乗ればいいのか分からない。あっちこっちと歩き回っていると、若い学生風の青年から英語で声をかけられた。さきほどのバスチケットをくれた若者といい、イランの若者は親切だ。

「ホテルマシュハドに泊まっている」と言うと、頼まれもしないのに走り回ってバスを探してくれた挙げ句、「タクシーに乗ろう」と言う。「いやー、バスでいいですよ、タクシーは高いし・・・」と断る間もなく、彼はタクシーを拾った。一瞬の緊張感が走る。「もしや、こいつはタクシーとグルで、我々をねらっているのでは・・・」。

そんな心配も気にせず、彼は我々をタクシーに乗せ、「僕も近くまで行くから」と一緒に乗り込んできた。黒いアタッシュケースを手にする彼は、テヘラン大学の学生だという。「イランは初めて?」「テヘランはどう?」と質問が来る。そして「なにか質問はない?」と言うので、「テヘランにはインターネットカフェはないのだろうか」と聞いてみた。彼の答えは、「あるけど高いよ。それより、テヘラン大学のコンピュータを利用すればいい。明日でも一緒に行かない?」と言う。親切は嬉しいが、かえって迷惑ではなかろうかと我々は恐縮するばかりだ。彼はかまわず「明日は、忙しい? テヘランは初めてでしょう。僕の車で案内してあげようか」と言い出す。「いえいえ悪いですから」と手を振ると、「ならば、うちに遊びに来ませんか。食事をごちそうします」と言う。我々はますます恐縮する。すると彼は、「でも、僕には貴方たちに贈るものがなにもない。お茶もごちそうできないなんて、申し訳ない」と、さも残念そうに言う。

申し訳ないのはむしろこちらのほうだ。「イランの青年はどこまでも外人への歓待心が厚いのだなあ」と、素直に思えればいいのだが、長旅の性であろうか、残念ながら、今の我々には警戒心のほうが優っている。あふれるばかりの親切。涙が出るくらい好い人だ。だが、好い人すぎる。それが怖い。我々は、彼を恐れていた。メイダネ・フェルドウシーまで来たところで「ここで降りるとホテルが近いよ」と彼から言われ、降りる。

彼は「何かあったらここに連絡して。時間があったらぜひ遊びに来て」と、自宅の住所と自分の形態番号をメモした紙を僕らに差し出してくれた。そして彼は、「タクシー代はいいから」と言って車を出してしまった。

 好い人すぎる!

 

【闇両替をしないで外貨を得る方法は、あるのか】

 メイダネ・フェルドウシーには闇両替屋が多くたむろしており、我々が通りかかると「チェンジマネー?」と声をかけてくる。当座の金はあるのだが、試しにいくらほどか聞いてみると、「1ドル=6320」と電卓をたたく。空港のレートを考えると、さして良い額とも思えない。そこで「安いじゃないか」とごねると、電卓を差し出し、何か言っている。「ならばいくらだ」と、交渉を始めるつもりなのだろうか。「10000」とたたいてみせると、意外にもあっさりとオーケーが出た。「また明日ね」とその場を去ったが、もっと高いレートでもいけるということなのだろうか。15000ぐらいからスタートすればいいのか?

 我らがミラホテルの周囲は静かなホテル街ともいうべき一角で、2ツ星クラスのホテルが多い。みな小ぎれいでおしゃれなホテルばかりである。