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1025日(日)ヤズド 晴れ

 今日はケルマンへと向かう。7時に起床する。

 部屋で朝食をとるとき、お茶がなかったのでフロントのオヤジに所望すると「チャイハネに行きなよ」とアッサリ言われ、がっくりしていたら、ちょうど横にいた旅行者風のオジサンが「ちょっと待ってろ」と言う。僕はコップでお茶でもくれるのかと思っていたら、彼は自分の部屋に戻ってティバッグを持って来た。そしてそのまま台所へ行き、そこにあったポットにヤカンのお湯を注ぎ、ティバッグを浸して「ほら」と僕に渡してくれた!

 つまり、茶は台所を使って自分で作るのだ!

 台所は共同で、みんなが使って良いところなのだ。昨晩料理をしている人がいたので「食堂でもあるのかしら」と思っていたが・・・。

さいきん、すっかり「もらいもの人生」である。

 

ケルマンへはさほど時間もかからないと思っていたので、バスのチケットの予約もせずに、ゆっくり9時にバスターミナルに向かった。

朝の発着ピークを過ぎたのか、閑散としている。ケルマン行きのバスを探すが、無い。1つだけ「11時に出る」と言う。もっと早いのはないかと探すが、けっきょくそれしか見つからなかったので、再び窓口に行くと、今度は「10時に出るぞ」と言われる。いい加減だなあ、と思うがチケットを買った。

やることもないので、人気の少ない待合室で座って待つ。

そばにいた夫婦にペルシャ語で話しかけられた。イスファハンへ行くという。

「君たちは結婚しているのか」「はい」「子どもはいるか」「いません」

「なぜだ? 神へのお祈りを怠っているのではないか?」天を仰いで彼は熱心に語る。

10時になったが、バスの出発する気配はない。それどころか、バスは1台も来ない。チケットを買った窓口でオヤジに聞くが、相手をしてくれない。そこで先の夫婦が確かめに行ってくれた。それによると「バスは11時に来る」とのことである。

なんじゃそりゃ。

11時近くなって、お客がちらほらと現れ始める。「そろそろバスが来るのかな」と期待していると、背の高い男が「行きましょう」と英語で話しかけてきた。

言われるままバス乗り場まで付いて行くが、バスはテヘラン行きである。

「テヘラン行きがケルマンを経由するだろうか? 方向が反対だ・・・」と思い、英語のオジサンに「我々はケルマンに行くんですよ」と言うと、彼はキョトンとして言った。「え? テヘランじゃないのか?」

 

すると別の男が「ケルマン行きが来たぞ」と教えてくれた。しかし乗ろうとすると「バス会社が違うぞ」と怒られる。

我々のバスは一向に来ない。11時を過ぎた。イライラしてきた。さきほど教えてくれた背の高い男が流暢な英語で、「今に来るから、心配することはないよ」と慰めてくれる。彼は今でこそバスの運転手だが、若い頃は海兵隊にいて、世界中を回った経験があり、日本にも寄港したことがあるという。

「しかし、世界で最も美しいのはイスファハンだ」と誇らしげに言った。

 

バスが来た。「これだこれだ」と周囲の人々に言われる。バスは、ここで見てきたバス、いや、イランで見た今までのバスの中で、もっとも汚い。乗組員はみなシャルワールカミースを着ているが、服は汚く、人相も悪い。そのうちの背の高い男に「ケルマンに行くか?」ときくと不愛想にうなずいた。

ところが乗ろうとすると、今度は乗組員のジイサンが「ケルマンになんか行かんぞ」と荷物を突っ返す。

 

このバスは、パキスタンとの国境の街ザヘダン行きなのだ。そしてバス会社は、チケットはNo.4となっているが、実際に運行しているのはNo.2らしい。彼らの風貌といい、その態度といい、おそらく乗組員はみなアフガン人もしくはパキスタン人なのであろう。いままで見てきたイラン人とは明らかに様子が違う。まず、ガラが悪い。結局我々は乗ることができたものの、さきほどのジイサンは「これはザヘダン行きだ。ケルマンもバムも停まらないよ」と頑固に言い張っている。

 

乗組員がやたらと多く、運転手以外に34人はいる。運行中、彼らは最前席に陣取ってピスタチオをバリバリと食べ、床に食べかすを散らかし、茶をがぶがぶと飲み、お客が「お茶をくれ」と言ってもとりあわず(これまでのバスなら多少の差はあれ、茶や菓子をふるまってくれた)、車内にはイランのバスで常に見かける「No Smoking」のプレートが下がっているが、彼らは平然とタバコをプカプカ吸い、「禁煙」プレートは虚しく揺れるばかり。

大きなゴミは窓から投げ捨てる。沿道は砂漠である。汚いバスといい、乗組員の態度といい、ふと、中国を思い出す。

 

イランのバス会社は大きく15あって、それぞれ番号が付いているわけだが、今まで会社の違いを意識したことはなかった。

「だが、No.2はハズレだ」。僕はそう結論づけた。となりに座っている丸顔のオジサンも眉をひそめている。

 

17時。乗組員の1人が「ケルマンだぞ」と告げてバスが停まる。我々のほか、5人ほどが降りる。

ここはどこだろう。降りた客はみな訝しんでいる。町はずれの街道沿いらしい。僕は尋ねた。

「テルミナル(ターミナル)には行かないのか?」「行かない」「メイダネ・アザディには?」「行かない! ここがケルマンだ!」

もとがザヘダン行きなのだから、途中で降りる奴のことは知ったことではないといった風である。だめだこりゃ。

 

気を取り直し、タクシーの客引きをことわり、別の乗り合いタクシーに乗る。「こいつはタクシーじゃないぞ!」と、運ちゃん同士でもめている。白でもなんでもいいや。はじめ「メイダネ・アザディまで」と頼んだが、手前のホテル・ナジで降りる。運ちゃん「アザディまでなら1000だが、ホテルナジで降りるなら2000だ」とケチをつける。どうも失敗が続いている。根拠のない主張に従うのは不本意だが、すでに我々に元気はなく、「こいつは、やられたね」と、頭を掻いて苦笑いするしかない。

 

ホテルナジは、1Fのレストランが修復中であった。閑散としている。誰もいない。

しばらくするとフロントにオジサンが現れるが、1100,000だという。それは高すぎる。

そこで向かいのホテルアハヴァンへ行く。こちらの方が建物は小さいが、おしゃれで明るい。フロントも愛想が良い。しかし、「今日は団体さんがいるので満室」とのこと。「向かいのナジにすれば?」と言われ「でも高いんですよ」とごねると、「よし、俺が電話してまけておいてやろう」と言う。

5万にしてやる」と言うが、あちらがごねたらしく、5.5万で我々も妥協した。

「これで宿が決まった」とふたたびナジへ行くと、今度は「6万と言ったはずだぞ」と譲らない。またまたアハヴァンへ行く。ちょうど団体さんが着いたところで忙しそうだが、我々も困っている。事情を話すと「あそこはクレイジーでね」と苦笑いをする。電話で確認してもらい、結果、我々も6万ということで納得し、ナジへ戻る。ところが今度はフロントのオジサンのほかにマネージャーらしいジイサンが食堂の奥にいて、

6万の部屋なんて無いぞ!」と頑固に言い張る。困った。すると、フロントのオジサンも困った顔をしている。けっきょく「60,000にしてあげるから、そのかわり明日8時にチェックアウトしてくれないか」ということで決まった。

ホテル内にある1階のレストランは改装工事中らしく、シンナーの臭いがする。さして綺麗なホテルではない。部屋も、値段のわりには粗末だ。カザフスタンで見たインツーリストホテルのようだ。

今日は朝から全般に「没有Day」の再来の感があるが、こんな日もあるものだ。

 

メイダネ・アザディからサヴァリに乗ってメイダネ・ショハダまで行き、モスクを見物。女性は立入禁止とのことでユウコは入れず。その後、盛況なバザールを歩く。食事をしたいが手頃な店が無く、メイダネ・ショハダからサヴァリで走った繁華街を歩いてメイダネ・アザディまで戻ってみても、サンドイッチ屋しかない。やっと見つけた食堂には、ケパブかトリしかない。ほかに選択肢がないのでここで食べる。「そろそろ肉は控えないとイカン」と、カラダが言っている。

ヤズドのホテルアリアは平屋ながら集合住宅(長屋)風情で雰囲気は良かった。いっぽう、ケルマンのホテルナジは、お客の少なさ、フロントの愛想の悪さ、造り等々、旧ソ連のインツーリストを彷彿とさせる。部屋は広いが素っ気ない。カザフスタンではこのようなつくりのホテルでも20ドル30ドル取られていた。当時としてはやむを得なかったが、イランでこれが10ドルとは、いくらなんでも高すぎないか。