10月27日(火) {1377年8月5日} バム 晴れ
固さ加減が心地よく、寝心地の良いベッドのおかげか、ぐっすりと眠ることができ、朝7時には目が覚めた。嬉しいぐらいに健康である。疲れもたまらない。今日はお昼にここを発つので、それまでゆっくりと過ごす。旅程をまた少し再考する。
27日(今日)バム→ケルマン ケルマン→
28日(水)→シーラーズ シーラーズ市内観光 シーラーズ@
29日(木) ペルセポリス見物 シーラーズ泊 シーラーズA
30日(金) シーラーズ→イスファハン イスファハン@
31日(土) イスファハン イスファハンA
12/1日(日) イスファハン イスファハンB
2日(月) イスファハン イスファハン→
3日(火)→ケルマンシャー ターゲボスタン、ビストゥーン→ハマダン ハマダン@
4日(水) 洞窟見物 ハマダンA
5日(木) ハマダン ハマダンB
6日(金) ハマダン→ラシュト ラシュト観光 ラシュト@
7日(土) マースーレ日帰り観光 ラシュトA
宿のフロントにあるイランDaily Paperによれば、10月16日の時点で1ドルが120円を切ったらしい。「これも宮沢効果か?」と喜ぶ。海外にいる身分としては、円高は大いに歓迎なので、この調子で頑張っていただきたいものだ。また、イランの通貨レートは1ドル=3000リアル、100円=2550リアルとのことである。
昨夜、夕食に出る直前に、ここに泊まっているという日本人に声をかけられた。長身で、細い黒縁の眼鏡をかけ、髪はしばらく切っていないらしく無造作に伸びている。着ているトレーナーとジーンズはかなりくたびれており、長いこと洗っていないことが容易に想像される。このように旅慣れた風貌をしているが、我々に向けての質問は、「マシュハドに行ったんですか? いいなあ」とか、「東欧にも行ったことがあるんですか? 物価って、どんなもんでしょう。高かったらイヤなんですよね」と、至極ベーシックである。
彼もマシュハドに行きたいそうだが「ビザがトランジットなもんで、時間がないもので」と言う。ユウコが集団スリに遭った顛末を話すと、彼は目を真ん丸にして驚いた。「聖地なのに! いるんですねえ、そういう悪い奴らが」。
今日、チェックアウト時には彼の姿はなかった。
12時半にバムを出たバスは15時にケルマンに到着した。ターミナルでは同じNo.7のバスでシーラーズ行きの夜行バスのチケットを買った。時間があるので、荷物を預けてバザール見物に出かける。まだ明るいので人出は多く賑わっている。バザールの中にハマム博物館がある。これを見に来たのだが、ここでも入場料はイラン人の10倍である。知らずに済めば何の疑問もなく見物するのだが、なまじ知ってしまうと「なぜ?」という疑念ばかりが残る。「アジア横断」オススメのチャイハナは、1人2,000だがイラン人なら500リアル。お茶1杯でこの値段とはあまりにも馬鹿馬鹿しく、入る気も失せる。イランでの外国人料金は横暴とも言うべきひどいシステムだが、中国同様、長い目で見るべきか。
今日もサンドイッチを食べる。イランのサンドイッチは、うまい。
夕方6時前だが、すでに辺りは暗く、やることもやったので、バザールで干しナツメヤシを試しに買ってからターミナルへ戻る。バスの出発は20時の予定であった。
待合いで、アリ・アミリ・ゲストハウスで会った背の高い青年と遭遇した。同じバスでシーラーズに行くらしい。バスを待つ間、お互いの旅行を話し合う。
彼は名古屋でバーテンをしていたのだが、このたび1年間の休みをもらって旅に出た。4月にスタートしたので、もう半年になるという。時間的にはあと半年あるので、「ヨーロッパまで行きたいんですけど、物価と、寒さが心配で」と笑う。
彼はさほど大きくないショルダーバッグを2つ持っていた。我々に比べると、荷物はかなりコンパクトである。
それに気づいて、「すごいですね」と感心すると「それでも、寒さ対策のダウンジャケットなんかも入っているんですけどね」と苦笑いした。
彼のジーンズは、相当くたびれているが「すれた旅行者」の雰囲気はなく、好感が持てる。
彼の旅はタイのバンコクから始まり、ラオス・雲南・甘粛からチベットへと転じ、ネパール・インド・パキスタンと回ってきた。「ラオスは良いですよー。けど道が悪くて、トラックの荷台みたいなバスでね、6時間も揺られていました、こんなふうに」と、その仕草がまたおかしい。核ミサイル実験の事件後、パキスタンとイランの国境が封鎖されたという話が「意見ノート」にあったが、彼が2・3日前に通ったときは問題なかったそうだ。
ナツメヤシは、あまーい食べ物だ。