1029日(木){87日}シーラーズ 晴れ

 

【ペルセポリスへ行こう】

 シーラーズといえばペルセポリス。今日はペルセポリス観光に出かける。

 

 シーラーズからペルセポリスへは直通の公共機関はない。そこで、ペルセポリスに近いマルヴタシュトという小さな町へ行くミニバスに乗り、そこでタクシーをつかまえるのが安上がりな方法だという。

 

7時に起床し、8時に出発。ミニバスはバスターミナルから出るので、乗合タクシーをつかまえる。助手席にはすでに先客がいるので、我々は後ろの座席に座る。運転手とは「2000でいいよ」と話を付け、金を払おうとすると、助手席の男はニヤニヤしながら右手を広げ、「ファイブ」と言う。つまり5000出せと言っているのだ。我々は運ちゃんと交渉済なので払う気はなく、運ちゃんも彼の態度に呆れたのか、それともジョークだったのか「いいよいいよ」と言ってくれたが、外人からセコク金をせびろうというこの精神が気にくわない。朝から嫌な気分になる。昨日もそうだった。バスに乗るとき、バス券を切らしていることに気がついた。そのバス停には券売りがいない。辺りを見ると、タバコ売りが暇そうに腰を下ろしていた。そこで彼に「バス券を持っていないか?」と聞くと、彼はポケットから券の束を出し、「2枚で500だ」と言った。シーラーズのバス券は150リアルである。たいしたふっかけようだが、「2枚で100だろ、ほら」と100リアル札を出しても「500じゃなければ売らないよ」とばかり、相手にしてくれない。困ったなあ・・・と思っていたら、どこからかやって来た女学生が怒った顔をしてツカツカと我々に近寄り、タバコ売りにピシャリと -おそらく罵声を- 浴びせ、ユウコの手を引いてバス停まで引き戻してくれた。彼女は券をくれると言うが、それはダメだときっちり100リアル払った。親切な人も多いが、他方ではこのように、スキあらば、ぼったくろうとしている不定な輩がいる。まったく!

 

テルミナルからのミニバスはすぐに出発した。マルヴタシュトへは小1時間の道程である。意外と大きな町だ。バスを降りるとそばにはタクシーの溜まりがあり、1人のオヤジに「ペルセポリスへ」と声をかけると、したり顔でうなずいた。「3000リアルで良い」という。良心的である。こういう人と会うのは気分が良い。一本道の街道を走る。正面遠くには山が見えている。町はずれの砂っぽい土地に、突然近代的な建物が、ぽつりぽつりと建っているのが見えた。大学らしい。ここで学生を2人ほど拾った。彼らは23分ほど走ったところで降りた。1500リアル。

 

一本道の突き当たり、山を背後に控えた正面の丘の上に、ペルセポリスはある。

 

【大王に謁見】

ペルセポリス! ダリウス1世によってBC512年に築かれた、ペルシアの栄華を極めた都。「ペルセポリス」とはギリシア語で、イランでは「タクティ・ジャムシッド」というほうが通りがよいらしい。BC330年、アレクサンドロス大王によって征服され、のちにはアラブ・イスラム軍団に破壊されてしまったとはいえ、迫力は充分。このような遺跡には、今日のように乾燥した空気と抜けるような青空がよく似合う。クセルクセスの門、百柱の間、アバターナ(謁見の間)の階段には、テヘランの考古学博物館でも見た「謁見の図」のレリーフがあり、各国の朝貢者たちの様子は、見ているだけで楽しい。背後の山をさらに階段で上がったところにはアルタクセルクセス2世、ダリウス2世、3世の王墓があり、そしてここに登ると、マルヴタシュトの町を眺めることが出来た。

 

【おや、またバーテンさんに】

炎天下、歩き回ってはさすがに疲れる。「大したものはない」とガイドで評されている博物館でトイレのみを借り、入り口前の木陰のベンチで水筒のお茶を飲んでひと休みしていると、名古屋のバーテンさんにまた会った。開口一番「ビザの延長しました?」と聞いてくる。我々は30日のツーリストビザなので延長の必要はない。それを言うと、「へえー、ビシュケクでねぇ」と、少々羨ましそうだ。彼はインドでビザを取ったのだが、10日間のトランジットしか出なかったと言う。「ここ(シーラーズ)がいちばん延長申請しやすいって聞いているんですけどね」と、トホホな表情。うまくいけば、マシュハドへも足を伸ばしたいと言う。「行けると良いですね」。我々は彼を励ました。

 

今日も名前を聞きそびれた。

 

【ナクシェロスタム、ハーフェズ廟】

ペルセポリスの見物は2時間弱で済ませ、11時。門前で客待ちをしているタクシーを拾う。ここからさほど遠くないところに、ナクシェロスタムなるアケメネス朝の4人の王墓があるので、これを経由してマルヴタシュトに戻るよう頼む。8000と言うところを7000にまけてもらって出発。ナクシェロスタムへは10分ほどで着いた。切り立った岩肌の中腹に王墓があるわけで、これが4つ、同じ壁面に並んでいる。歴史を知る資料が手元にないため、墓自体は「ふーん」という程度のものだが、岩に刻まれたレリーフがすばらしい。ペルセポリスのレリーフもすばらしいが、レリーフはどこへ行っても見事と言う他はなく、感嘆させられる。

 

マルヴタシュトからシーラーズへ戻るミニバスでウトウトしていると、終点直前でハーフェズ廟の近くへ来たらしく、横に座るユウコにこづかれた。慌てて降りる。イラン最大の14世紀の詩人ハーフェズは、中央アジアの帝王ティムールからも誘いを受けたそうだが断固として断り、生涯のほとんどをシーラーズで過ごしたという。ここは彼の墓である。庭園の中央には、8角形のイワーンという東屋のようなものがあり、その中央にピンクの大理石でできた、幅50cm、高さ50cm、長さ2mほどの石棺があるのだが、知らずにここに来ればベンチと間違え、ついつい腰を下ろしてしまいそうだ。

 

『石に腰を。墓であったか』(種田山頭火)。

 

それはそうと、このハーフェズ廟、というかハーフェズ庭園の入場料は、イラン人500リアルに対して外国人は10000リアル。これはいったい、どういうことだ。値段の問題ではない。その精神がどうにも引っかかる。こういう「外人料金制度」は各所に波及し、結果、タクシー、ホテル、はては一般市民の姿勢にも影響を与えている。イランはかつて「もっとも旅行しやすい、物価の安い国」だったのだが、最近はそうではなくなった。それは単にインフレの問題ではなく、こうした外人旅行者への姿勢の問題である。遠からず、イスタンブールやウズベキスタンと同じようなことになるのではないかと思うと、呆れるというより残念だ。どうしてこうなるのか。いや、こうなってしまうものなのだろうか。中国ではようやっとなくなりつつある「外人料金制度」だが、今後イランではどうなることであろうか。

 

ハーフェズ庭園内にレストランがある。ここでディージー(肉じゃがをつぶしてペースト状にしたような料理)を食べた。兼ねてから一度は食べてみたいとユウコも言っていた料理なので、そういう意味では良かったが、さほど美味しいものではない。量も少ない。値段が高い。ザムザムも、どうして2500リアルもするのだろうか。あんまりがっくりきたのですっかり機嫌を悪くし、ユウコに「これからサーディ廟に行く?」と聞かれても「うーん」、「じゃあ、行くのやめる?」と聞かれても「うーん」と小難しい顔をしていたら、ついにユウコも機嫌が悪くなってしまった。これではイカンと思い直し、サーディ廟まで歩く。20分ほどで着いた。サーディは13世紀の詩人であるが、廟はハーフェズと同じく花と緑の豊かな庭園である。しかし一部修復中で、やや興ざめ。ここもイラン人500、外人1000ということで入る気も失せ、門前から眺めて終わり。

 

【明日は世界の半分へ】

明日の朝一番でイスファハンへ行くことにした。目抜き通りカリム・ハーン・ザンド通りの一角にバスNo.1(イランペイマ)のオフィスで予約する。信用のおけるバス会社は安心だ。

 

夕食はピザ屋で取る。あとから入ってきて相席したカップルはイラン人かと思っていたが、妙に流暢な英語をしゃべっている。「なにかヘンダナー」と思ってピザを食べていたら、女の子の方がユウコに話しかけてきた。カナダの人らしい。彼らも旅行者なのである。我々が「明日イスファハンに行くよ」と言うと、「少なくとも4日は泊まるべきだ。それだけの価値はある」と諭された。さすが、世界の半分。楽しみだ。

 

夜食にポテトチップを買う。Chee-toz。微妙に違う。

 

どうでもいいが、我々のビザを使うことで今日からトルクメニスタンに入国可能だ。

(入国可能期間:10/2911/9