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111日(日){810日}イスファハン 晴れ

 

【世界の半分で靴を洗う】

 日中は暑いが、朝晩はよく冷える。

 

部屋にはお湯を循環させる簡易暖房設備がある。昨日洗った靴は、天井と壁に沿う循環管の上に置いていたのだが、一晩では完全には乾かなかった。よって今日はサンダルで外歩きをする。不便だが、洗わなければこの先どうにもならない。

 

 郵便局へ行く。地図が間違っており、近道と思って行った道が実は遠回りであった。イマームの広場を横切った方が早かったか。更紗・Tシャツ・ロンプラ中央アジアなどを詰めた小包と、手紙をいくつか出す。

 

【アルメニア人街は、ちょっと不思議な雰囲気】

その後はハージュ橋までバスで行き、そこからジョルファ地区まで歩く。ジョルファ地区とは「アルメニア人街」のことで、その歴史は古く、サファヴィ朝アッバス大帝がジョルファの町から商人、大工、技術者など総勢3万人ものアルメニア人を呼び寄せたのが始まりという。ここではキリスト教の信仰が許され、1606年に居住区ができあがった。ジョルファは現在イランとアルメニアの国境の町になっていて、アラス川を挟んでイラン側とアルメニア側に、同じ名前の町がある。さて、イスファハンのジョルファ地区内には12の教会があるという。「このイスラム世界に、キリスト世界がどのように共存していたのだろうか」と半信半疑で訪れてみたが、たしかに教会はある。門が開いている教会に立ち寄ってみると、門番兼掃除人のジイサンは「写真を撮ってもかまわんよ」と言ってくれたので、内部の写真を撮った。

 

 12の教会のうち、もっとも見応えのあるのはカイセリエ・ヴァンクという教会で、ここには博物館もあるのだが、我々が着いたときにはちょうど昼休み(12時〜14時)に当たってしまった。時間をつぶすため「お茶でも飲むか」と、近所にあったホテル・ジョルファに立ち寄る。ところがここにはチャイハナはなく、レストランしかない。たいして腹も減っていないのだが、歩き回るのもおっくうなので、コーラとサラダと魚料理(1つを2人で分ける)を頼んだ。しかし、それでも高い! 高級ホテルの高級レストランなのだから無理もない話ではある。

 

ここに賑やかな一団がいる。日本人学校の人々らしい。学年様々な小学生が20人ばかり、先生と共に昼食をとっている。子ども相手にフルコースである。スープ・サラダ・メイン・ナン・茶・デザートにフルーツ、これらをワイワイと食べている。マナーが良ければ好ましく見られるものだが、こういうとき、どうしても子ども達の一挙一動が目につく。「なぜ、あんなに大声を上げるんだろう」「なぜ、食事中なのに歩き回るんだろう」「なぜ、あんなに残すんだろう」「なぜ、あんなにはっきり『まずい!』って言えるんだろう」「なぜ、先生は何も注意しないんだろう」・・・。昨日、更紗職人の店で見かけた2人の男性もいる。彼らも先生らしい。

 

【キリストは、神か人か、偉大な医者か憂国の志士か】

カイセリエ・ヴァンクの内部は撮影禁止である。さきほどの教会で写真を撮れたのは幸運であった。教会は大きく、門にも、礼拝堂の入り口にもアルメニア語の表記があるが、ここはまったくイスラム世界イランを離れ、アルメニアである。職員もアルメニア語をしゃべっている(ペルシャ語もしゃべっているが、明らかに語感が違う)。博物館の案内表記は第一文がアルメニア語で、その下に小さくペルシャ語の対訳がついている。さらにその下には、中ぐらいの大きさの文字の英語表記がある。ところで、アルメニアは自らが非業の民族のせいか、それとも自らの宗派(グレゴリウス派)が早くから異端視されたせいか、キリストが残酷ともいえる仕打ちを受けたフレスコ画が教会内部にたくさんある。「十字架を背負わされ、最後は張り付けにされました」どころではない! 火攻め、水攻め、いばら、監禁、逆さ吊り・・・。しかし、彼はそれに耐え、人々は、彼のために泣く。「彼は一体何者だったんだろう」。ぼんやりと絵を眺めながら、そんなことを考える。「憂国の徒」という意味では、吉田松陰などにも重なる部分があるのではないかな、とも思う。キリストの教えは、けっきょくローマ帝国の国教になるのだが、彼は一体、何を教えたのだろうか。というか、民は、どういうわけで彼に感銘を受けたのか・・・。

 

それにしても、ジョルファ地区がこんなにも雰囲気のある地域だとは思わず、意外であった。こういうところを見ると、アルメニアにも行きたくなってしまう。

 

多少歩き疲れたが時間もあるので、インターネット目当てにイスファハン大学に行く。英語の通じる学生をつかまえ、コンピュータ室までたどり着いたが、すべてMS-DOSのマシンで、しかもネットワークがつながっていない。聞けば他にE-mail Roomなる部屋もあるとのことだが、午前中(8時〜14時)しか開いていない。「明日来れば詳しい人がいるのだけど」と、我々に尽力してくれた学生は申し訳なさそうに言った。しかしこの調子ではWindowsは期待できないと考え、あきらめた。

 

ホテルの前でバーテン君と遭遇した。彼はアミールカビールに泊まっているらしい。

 

【イランの11月は「寒い」んだって?】

ホテルに戻ると、フロントでスタッフと雑談していた中年のビジネスマン風イラン人に綺麗な英語で声をかけられた。「せっかくイスファハンに来たのだから、ぜひ図書館に行くと良い。テヘランでも大学の前は本屋街になっていて、英語や日本語の本も買えるんだよ。行ったかい? あぁ、行かなかったのか。それは残念だ。ハーフェズの詩や、ビストゥーンにまつわる悲恋話や・・・」と、教育熱心である。

彼はまた「どうして11月に来たんだい? イランは夏が良いよ、今は寒いだろう?」と言う。

 

僕が声を出す間もなく、ユウコが目を丸くして

「寒いだって?! 暑いじゃんか!」と日本語で言った。

 

それはそうと、我々はイスファハンからケルマンシャー、あるいはハマダンへ行く予定である。予約をするにはバスターミナル(テルミナル)まで行かねばならないが、フロントは英語が通じない。そこで良い機会なので、この教育者を介して予約を試みた。すると、明日のケルマンシャー行き夜行バスは満席だという。23度電話して確認させるが、答えは変わらない。やはり自分で確認するのが確実だ。明日の朝一番でテルミナルに行ってみよう。

 

【酒のない国、菓子が美味い】

今日買った夜食用の菓子(ケーキ)は大当たりだ! 1階のレストランから茶を運んでいただき、すっかりごきげんな2人であった。ケーキを食べながらユウコが「酒が無くて健康だけど、虫歯になりそうだね」と笑った。

 

旅程を再考し、ケルマンシャーではなくてハマダンに夜行バスで行くことにする。ハマダンとケルマンシャーは、近い。今後の旅程は以下の通り。

 

11/1(今日)イスファハン泊

2(月)イスファハン滞在 イスファハン→

3(火)→ハマダン ハマダン@

4(水)アリサドル洞窟観光 ハマダンA

5(木)ビストゥーン、ターゲボスタン観光 ハマダンB

6(金)ハマダン→ラシュト ラシュト@

7(土)マースーレ観光 ラシュトA

8(日)ラシュト→アスタラ→アルデビル アルデビル@

9(月)サレイン温泉ツアー アルデビルA

10(火)アルデビル→タブリーズ タブリーズ@

11(水)タブリーズ滞在 タブリーズA

12(木)タブリーズ→マクー→バザルガン→(イラン出国)

|(トルコ入国)→ドゥバヤジット

ただしタブリーズではもう少し延泊することも可能だ。