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【テヘラン滞在中における寝袋問題とは】

実のところ、テヘランに到着して最初の大仕事は「寝袋紛失問題の解決」であった。

 

ウズベキスタンからイランに向かって陸路で移動することが困難になってしまったのは、トルクメニスタンの国境が閉鎖されてしまったためである。2週間待てば国境は再開されるのだが、せっかち人生の我々としては、待っていられない。その結果、タシケントからテヘランまで飛行機で移動することにしたのだが、これは直行便ではなかった。途中、ある空港に立ち寄っていたのである。寝袋がなくなったことに気がついたのは、このときであった。

空港では長いこと待たされ、搭乗案内のアナウンスが流れたときには夜も遅くなっていた。日が落ちる前からどんよりとした雲が広がっていたが、気がつくと雨が降り出している。

機内に乗り込むタラップを前にして、積み込む荷物を満載した台車が運ばれ、我々乗客に対して各自で自分のチェックをするよう、指示される。雨がどしゃぶりになってきた。我々も濡れる。荷物も濡れる。暗い照明の中、僕は、2人のザックを発見した。しかし・・・

「寝袋がないぞ!」

飛行機のエンジン音に負けないぐらいの大声で、横の係員に叫ぶ。「寝袋がない!」

ユウコの寝袋が、ザックから取れていた。取れていたというより、結びつけていた紐からすり抜けたのである。タシケントで荷物を預ける際、少し不安だったのだが、それが現実となってしまった。係員から「ここでは濡れるから、機内で待っていてくれ」と言われ、搭乗口の前でしばらく待つ。離陸予定時刻が過ぎる。なおも出てこない。職員が我々の前を行き過ぎる。機内アナウンスがかすかに聞こえる。我々の荷物のために、出発が遅れているのだろう。しかし、荷物がないのは彼らの責任だ。

やがて、荷物担当の少し地位の高そうな男が、びしょ濡れのレインコート姿で現れた。

「済まない。荷物は見つからない」。

そこで、我々のこれまでの行程を説明する。「ならばおそらくタシケントで失われたのだろう。ともかく、ここではどうにもならないので、とりあえず君たちはこの飛行機でテヘランまで飛んで、空港の事務所で書類を作ってもらってくれたまえ」。

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 イランの空港に到着してすぐに、Lost Baggageの窓口で寝袋が無くなったことを伝えると、さっそく書類を作ってくれた。

 寝袋は日本を出て以来、非常に役に立ってきたとは言い難く、むしろ文字通り「お荷物」に近い存在であったが、半面、ときとしては強い味方となっていたことは否めない。これから寒くなることを考えると、「ああ、いま寝袋がここにあれば良かったのになあ」という思いはしたくない。よって、なんとかして航空会社で見つけて出して欲しいのである。

 テヘランに到着してから3日目、航空会社と連絡を取ることができ、オフィスへ行く。荷物の事情を説明しやすいように、ユウコのザックと、僕の寝袋を持参することにした。ちなみに我々は同じ寝袋を持参していたのである。電話口で教えてもらった住所は、テヘラン市街の北を東西に走る大通りで、手元の地図にも出ている。バスに乗って北上し、通りの交差点で降りる。しかし、ここからどちらに行けばいいのか分からず、うろうろしていると、例によってお助けマンが登場した。彼は英語が話せないのだが、我々の説明を良く理解してくれた。彼を通じて道行く人に尋ね、どうにかたどり着いた。ちなみにこの男の妻はルーマニア人で、かわいい娘と共にルーマニアはブゾーの町に住んでいるらという。これはこれで一つの驚きであるが、彼は頼みもしないのに住所をメモ書きしてくれ、「ルーマニアに行くならぜひ遊びに来てくれ」と、嬉しいことを言ってくれる。この親切心は怖いぐらいだ。しかも我々は、ルーマニアに行く予定を頭に描きつつ、彼にはそのことを告げていないのに、である。心を読まれたような気がして、よけいに怖い。

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さて結局、航空のオフィスはバスを降りたところから15分ほど通り沿いに東に歩いたところにあった。

オフィスの人はみな親切で、我々が事情を告げると、マネージャーが出てきて、丁寧な英語で応対してくれた。

マネージャーの曰く、「出発点のタシケントで失われた可能性が高く、そして現地と連絡を取っても、出てくる可能性はきわめて低い。だから、あきらめられるものならばあきらめて欲しい。その変わり弁償金は支払う」とのことである。それで、弁償金のための確認を進めてもらうが、彼はスタッフから渡されたある書類の記述に目を留め、しばらく眉をひそめたのちに、僕に尋ねた。

「君は、荷物を失ったのか?」

僕は言葉を濁らせた。「失ったと言われれば、失ったのだが・・・」。

彼が続けた。「君が空港で作ってもらった書類は荷物の『ダメージレポート』だ。荷物がなくなったのならば『ロストレポート』でなければならない。ダメージとロストは違う。これは弁償手続きをする上で問題になる」。

空港で作ってもらった書類がダメージレポートであることは僕も知っていた。そもそもユウコの寝袋はザックにくくりつけてあったので、荷物を預ける際にはザックと寝袋を合わせて1つの荷物として扱われている。寝袋が取れてしまった結果、荷物の総重量が減った。それをテヘラン空港事務所では「Damaged」と判断したのである。

ここで、持ってきたザックと寝袋が役に立った。「失われたのは、彼女の寝袋です。このザックは、彼女の荷物です。寝袋は、このザックに、このようなかたちでアタッチされていました。そして、ここから寝袋が、おそらく取れたのです。その結果、寝袋は失われ、荷物の総重量が減りました」。

このように事の顛末を説明すると、ようやくマネージャーも理解してくれた。

ふたたび彼が手続きの作業に入る。ふたたび、我々は彼の前で待つ。

やがて彼は我々の方を向き直り、こう説明した。

「我が社には日本オフィスがあります。あなた方が帰国したら、日本オフィスに対してこの申請書を提出し、弁償金をもらってください」。

今度は我々が困る番であった。

「話は分かりますが、しかし我々は当分日本に帰りません」「いつごろになりますか?」彼が尋ねる。

「たぶん・・・来年の春に」。

これを聞いたマネージャーはさすがに驚き、ふたたび困った表情で我々に説明した。レポート作成から3か月以内に申請しないと、書類が無効になってしまうのだそうだ。しばらく考えた後、彼は「明日もう一度電話してください」と言い、連絡先を示す名刺をくれた。

 これで一日の半分が費やされた。

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 翌日、朝一番に航空会社に電話すると、正午に再び電話してくれと言われる。中途半端に時間ができてしまった。外へ出るのも良いが、なんとなく部屋でくつろぎ、これからの旅程をあれこれと考えて過ごす。

 正午になったところでふたたび航空会社へ電話すると、今度は「昨日の申請書に必要事項を記入の上、オフィスに来てください」と言われる。今日はまったく航空会社デーとなってしまったが、問題解決は一刻も早いほうが良い。早速オフィスへと向かう。

昨日のマネージャーが応対してくれた。

「調整の結果、ここで弁償金を払うことにしました。なくなった荷物の代金はいくらほどですか?」

寝袋の代金、いくらだったか。1万円もしたっけか。なんとなく適当に、「買値は80ドルほどです」と答えると、「ここで弁償できる額は1kgあたり50ドルまでです。これで了承していただけなければ、さらに手続きが必要です。時間もかかります」と、マネージャーはまたしても困った顔で説明する。

もはや寝袋はなく、あきらめていたところなので、金が返ってくるだけでも儲けものだ。50ドル相当のリアルをいただくことで話は決まった。お金を手にして、「寝袋を売ったようなものだね」とユウコが言う。

 まあしかし、2日かけて50ドル稼いだと言えばいいのだろうか。手続きとはめんどくさいものだが、終わればすっきりするものだ。それにしても、「ひとり旅だったら、ぜったいここまでしなかっただろうなあ。あきらめていただろうね。航空会社にも行かなかったと思うよ」。

帰り道すがら、僕がつぶやくと、ユウコが「えっ! そうなの?」と振り向いた。

彼女の意外な表情に僕は笑った。

「お互い、思い違いをしていたんだね。アラーの神が、寝袋はもうイランと言っトルコ」

ユウコは腹を抱えてゲラゲラ笑った。

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