114日(水){813日}ハマダン

 

【ハマダン名物のアリサドル洞窟】

 ハマダンへ来た目的は、街の観光というより、近郊にある「アリサドルの洞窟」に行くことである。イランに来てまで「洞窟見物」にこだわる理由はとくにないが、たまには風変わりな日帰り旅行も楽しかろうと選んだのである。

ホテルの前を走るショハダ通りはにぎやかでバスも走っているから、「今日こそは市バスでテルミナルへ」と思ってバス停に立つが、やはり通りがかったオジサンどもから「サヴァリに乗っていったほうが良いぞ」と勧められる。それで、サヴァリをつかまえテルミナルへ行く。

テルミナルは街の中心から真北の方向にある。アリサドル行きのバスはテルミナルよりさらに北東へ10分ほど歩いたところにあるミニバスターミナルから出ると言われ、歩いていく。

我々がミニバスに乗り込むとすぐに出発した。

 

辺りは農耕地で、その向こうにはなだらかな丘陵地が続いている。バスを降りるとオープンカフェと庭園が合体したような丘の公園があり、その坂道を上がると洞窟の入り口に出た。ここでチケットを買って、いよいよ洞窟の中に入る。ひんやりとした空気の中、道はすぐ下りになって、まだ開いてない地下レストランやみやげ屋などを行きすぎると、地下水の池が広がる船着き場に着いた。「アジア横断」によると、この洞窟は鍾乳洞内に溜まった地下水の池を足こぎボートをこいで見て回ることになっている。「体力を使う見物だなあ」と思っていたが、実際には自分でこぐのではなく、船頭さんがいた。

 

4人乗りの木の葉ボートが3つ連なり、その先頭に、2人乗りの自転車式足こぎボート(井の頭公園なんかにあるような奴)が繋がっており、ここに乗った2人がこぐのである。で、船頭さんは1人。彼が足こぎボートの左席に座る。そして、5人の家族連れでやって来たイラン人ファミリーのお父さんが、右席に座る。お父さんはとんだ役を押しつけられてご苦労なことだが、彼ら2人の足によって我々は呑気に見物ができるというわけだ。3連ボートのうち1台目、つまり足こぎの直後のボートに、お父さんを除いた家族連れの4人が座り、2台目に我々2人が座る。3台目にはお客はいない。オフシーズンなのか、お客は少なく、乗り場には空きのボートが数台溜まっていた。

 

 船頭さんはペルシャ語でいろいろと説明しながらゆっくりとボートを進めていく。池は奥深くまで続き、先行するボートが1台見え隠れするが、ほかに客はいない。30分ほど進むと洞窟の遊歩道らしきものも見えてきて、降りるのを楽しみにしていたのだが、お客が少ないせいか、あるいは家族連れと相談した結果か、降り立つことはなく引き返し始めた。それでも、帰りのコースは行きと異なっているので、見応えは充分にある。約1時間の見物であった。

 

僕はこれほど大きい洞窟に来るのが初めてだったので面白かったが、ユウコによれば「秋吉台の秋芳洞のほうが大きいんじゃないかなあ」とのことだ。いずれにせよ、イランに来てわざわざここまで足を運ぶ外国人旅行者は少ないであろう。ちなみに料金は外人だと20,000リアルだが、イラン人でも5,000リアルを取られ、博物館などに比べるとかなり高い料金設定である。リゾート要素が強いからだろうか?

 

 洞窟を出てあらためて辺りを見ると、シーズン中にはリゾート客で賑わいそうな雰囲気の場所だ。ホテルもある。オープンカフェでサンドイッチを食べ、バスはいつ来るかと不安だったが、すぐに来た。トイレを借りに洞窟入り口まで上がっていたユウコが慌てて走って戻るのを待ち、14時過ぎに出発。ハマダンへは15時過ぎに着いた。

 

【ハマダン観光、イブン・シーナーについての思い出】

時間があるので市内観光する。バハターヘルの墓、エステルとモルデカイ廟(ユダヤ人の聖地であり、ヘブライ文字の表記が印象的)、イブン・シーナー廟などを見る。イブン・シーナーはブハラの生まれで、22歳まで彼の地で学び、その後はゴルガン、レイ、イスファハンと巡って、ハマダンで没したそうな。ちなみにブハラには彼の銅像がある。べつにイブン氏に対して、なにか特別な思い入れを持っているわけではないのだが、

「ブハラで見た御仁がハマダンに眠っている」

ということが、なにやら感慨深く思われた。我々は彼と同じような土地を歩いてきたのだ・・・。

シラーズに眠るハーフェズも、ティムールの誘いを断り続けてきたというし、やはり土地のつながりというのはなにかと歴史を作るものだと思う。

 

ところで、ここの資料室に、イスファハンで買おうかどうしようか考えていた、寄せ木細工の木箱が展示されていた。もちろんイブン氏が使っていたものだが、土産物屋で見た安物とは、細心ぶりがまるで違うことに驚かされる。イスファハンで衝動買いしなくてよかった。

 

ハマダンは紀元前700年頃にメディア王国の首都エクバタナとして栄えた、世界で最も古い都市のひとつとされるが、その時代を彷彿とされる建造物として「石のライオン」がある。その像は街角の公園にあるのだが、これはイラン観光において「三大ガッカリ」の一つといわれるほどたわいのないものだ。というのは、ライオンは長い年月の中で大人になでられ子どもに遊ばれるうちにすっかり摩耗してしまい、今やただの「石の塊オブジェクト」と化しているからだ。しかし、摩耗していることを知ってこれを見れば、さほどがっかりしない。むしろ「昔は立派だったんだねえ」と思いを馳せる楽しみがある。

 

 レストランで食べたライスが美味しかった。

 

【シャワーがなくなった】

 宿に戻るとフロントの番頭が交代していたせいか、あらためて宿帳記入をさせられた。

今日の宿番は英語が多少できるのだが、中途半端に話せる人間相手だとかえって問題になることがある。

夜、シャワーを浴びようとフロントへ行った。シャワールームには鍵が掛かっているので、浴びるためにはフロントで鍵を借りなければならない。しかし宿番は「ここにはシャワーはないよ。ハマムに行きな」と言う。そこで僕は彼をトイレの前まで連れてきて、鍵の掛かった脇の扉を叩き「ここがシャワーだろ? 俺は知ってるぞ」と言うと、今度は「それは従業員専用で、旅行者には開放していない」と譲らない。さらに「床から水が漏れるので、下の店が問題になる」と、これはさすがに苦しい言い訳だ。僕は強い調子で「昨日は入っても良いと言われたぞ」と詰め寄る。すると今度は「わかった。じゃあ11500リアルで許可しよう。2人だから3000だな」と言う。いいかげん頭に来たが、「昨日は無料で入ったんだけど」とすかしてみると、さすがに観念して「特別に」シャワーを使ってもよいということになった。

昨日のオヤジは好意でシャワーを使ってよいと言ってくれたのだろうか。今日の話のほうが、本当なのかな。やはり金を払うべきだろうか・・・と思いながらシャワーを浴び、部屋に戻って事の顛末を話すと、ユウコがアッサリと言った。「昨日、別の人も入っていたよ」。さては宿番、小銭をせびったか。それにしても「シャワーは無い」とは、よくもまあ言えたものだ。

 

【今日はアメリカ万歳記念日、ではなくて・・・】

 朝、ハマダン市内でデモ隊を見た。アリサドルへ行くバスの中で話しかけてきた化学の先生によれば、本日は「Down with U.S.A.」の日だそうだ。その時は1357813日、すなわち、197910月某日である。アリサドルの手前の町でも街頭演説が盛んに行われていた。それに呼応する一団もあり、先生はここで降りたのだが、今日、アメリカ人旅行者がイランにいたら、かなり危険なことだろう。