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イラン14(No.50)イルハン朝の都そして国境越え〜タブリーズ・マクー

【ガンバの大冒険】

1110日(晴れ)

今日はアルデビルから移動だ。体調が悪く、薬を飲んだのだが、タブリーズ手前15キロくらいから非常に苦しくなり、腰痛と腹痛、吐き気に苦しむ。タブリーズのバスターミナルのトイレに駆け込む。そこで落ち着くまで休み、街の中心地に向かう。

モルヴァリッドホテルはなかなか立派だが、外国人料金がなく、良心的。3万リアル弱の部屋だが、きちんとお湯も出る。考えてみれば、イスファハンのナグシェ・ジャハンホテルも外国人とイラン人は料金の差がほとんどなかった。それにしても、テレビもあってうれしい。私は体調不良のため、チェロモルグの食事後、宿で休む。

テレビでは「ガンバの大冒険」をやっている。これは日本が舞台というわけではないので、日本語が出てこないから、イランの人たちは日本でつくられたアニメだと解っていないかもしれない。「母をたずねて三千里」も日本のアニメとはわからないだろう・・・。

マサトがお見舞いに、とケーキを買ってきてくれる。ありがとう!!(感謝の絵)

そういえば、タブリーズとアルデビルの間にあるニール(Nir)という街では、街道沿いに標語の看板がいくつも建っていて「アラーは神の友達」とか「神は力」とか、「ムハンマドは神の啓示者」とかいうのにまじって「Down with U.S.A.」が英語とペルシャ語併記で書いてあり、しかも看板が新しいというのは・・・。どういうことなのだろうか?アゼルバイジャン地方では、今までの街にくらべ、黒1色のチャドル姿という女性だけでなく、色鮮やかなスカーフをまとった女性も多い。ゆえに、この地方はイランの中では開放的なのかなと思っていたのだが。いや、本当に開放的で、この地方だからこそ、看板を掲げて教育しているのだろうか。

 

【具合が悪い。でも・・・】

1111日(曇りのち晴れ)

朝起きられない。サレインに行った日から急に寒くなり、湯冷めしそう・・・と思っていたら、本当に風邪をひいたらしい。マサトもすこしゆっくりする。昼過ぎ、マサトのみ外にいってもらうが、1人で部屋にいるのが寂しくなり、マサトが「財布を忘れた」と戻ってきたのと一緒に街に出る。結局休まない。本当に貧乏症だ。

 

【ものを大切に。コートをGET!】

町歩きの目的は、コートを買うこととペンを買うこと。まず、文房具店を見つけたので入る。ボールペンそのものを買おうとしたら、文房具店の主人は私のペンを見て「ちょっと貸しなさい」といい、他社の替え芯を突き刺している。サイズがあわないので、先の方をはさみでちょきんと切る。「これで使えるね(にっこり)。」なんと、捨てようと思っていたペンが再利用できた。(青インクだったので、今日から日記の文字は青くなった)しかもインクの出もよくなって、なかなか快適である。こうやってこの国の人は、日本人なら簡単に使い捨ててしまうものを、有効に再利用するのだなと感心してしまった。昨日までこのペンに使われていた芯は、少しインクが残っていたので、マサトのボールペンに再利用された。良いことだ。

コートを探してバザールを見るが、気に入るものがなく、マサトが「ショッピングセンターに『買ってもいいかな』と思うものがあったんだ。」というので、ショッピングセンターに戻る。マサトはそこで、厚地のえんじ色のコートを購入。私もその店から少し離れた道路沿いの店で買ってもいいなと思うカーキ色のコートをみつけた。遠くから見れば、色違いのコートのようにも見える。軽くて暖かく、これから北に向かうが、これで安心。

ホテルに戻り、テレビで「おしん」を見たりして、ひと休み。お腹が空いたので、外に食べに行く。マサトはアブグーシュ・ディージーが食べたかったようだが、店の雰囲気が悪く(それで昼食もサンドイッチにした)別の店へ行く。バス停の近くで、初日から気になっていたレストランだ。メニューはチェロケバブかチェロモルグしかないようだが、スープ、コーラ、ナンがついて、7000リアルとは、チェロモルグとしては安い。そしておいしい!チェロモルグを食べるとき、味が付いている具は上にちょこんとのっかっている、鶏肉しかないので、それでぱさぱさで味がなく、山盛りのご飯を食べるというのは苦行に近い。しかし、いろいろと試した結果、鶏肉のみならず、付け合わせのトマトやタマネギに至るまで、ビビンバを食べるが如くぐちゃぐちゃにまぜ、コショウやチリペッパー、塩など食卓に置いてある調味料をかけてさらに混ぜて食べるのが、一番美味しい食べ方だと最近気づいた。しかし、気づいても、もうすぐチェロモルグともお別れだ。さよなら〜。

マサトは「このへんのスープは酸っぱい」という。確かにこのスープも、昼間食べた豆も酸っぱかった。

昼飲んだジューススタンドでも、「こっちのほうがうまいぞ」と店のおじさんに酸っぱくされた。実際おいしいジュースだったが。驚いたのは、レモンのような黄色い柑橘系の果物に酸味がなく、よく熟れたオレンジのような果物に酸味があったことだ!!!この辺りの人たちは、酸っぱい物好きな民族なのだろうか。

(ペルシャ数字の記述)明日でかわいいペルシャ数字ともお別れ。私はハートをひっくり返したような、桃やおしりの形を彷彿とさせるような、ペルシャ数字の5が大好きだった。

 

【国境手前の街、マクーへ】

1112日(曇り)

13時発のマクー行きに乗るので、朝はゆっくり過ごす。テレビでガンバの最終回を見た。(10日にもやっていた。再放送らしい。)バスターミナル行きのバスは混んでいて、マサトとはぐれてしまう。

1本遅れて、バスターミナルに到着。無事、そこでマサトと会える。残念ながら、13時発のマクー行きは満席で、14時半発にしてくださいとのこと。

マクーについたころには真っ暗になってしまったので、泊まることにする。アラーが「もう一日ゆっくりしていけ。」と言っているのかな、と思う(笑)。

マクーの宿では、なぜか断水。ついてないが、仕方ない。近くのカバブ屋で食事。ビールは明日までおあずけだ。

今日泊まるホテルアルバンドは、なかなか立派なフロントを構えている。愛想も良い。ここは田舎だが、英語使いが結構いる。マサトは「国境の街だからね」という。確かにそのとおりだ。

イラン最後の夜ということで、部屋で記念撮影。時には自動シャッターも使ってみるものだ。

 

【ありがとう、さようなら、イラン】

1113日(晴れ)

ホテルの人にサヴァリの料金交渉をしてもらい、バザルガン(国境)へ。アララト山が美しい。この風景を見ただけでも「昨日泊まって良かったね」と話す。

国境は夜間閉まってしまうようで、トラックの長い行列が見える。皆、トラックを停車して、自分は手前の宿に一泊するらしい。トラックの脇を通り過ぎても、運転手が乗っている車は少ない。

検問所の手前でサヴァリを降り、サヴァリの運転手の手引きで両替をする。マサト、交渉を頑張る。まあまあの両替を終え、ゲートをくぐるとちょうどミニバスが来ていて、カスタムへすぐに向かうことができた。

イラン側の出国審査では警官が「20日でビザが切れているぞ」と勘違いをしていたが、ビシュケクのおじさん(イラン大使館員)の追記を読んで納得。

税関では「カーペットを持っていますか?」と聞かれただけで、なんの問題もない。私たちはカーペットを買っていないので、税関の職員に、あかるく「グッド・バイ」と送り出された。

イラン・トルコ両国共有の部屋に入る。真ん中に国境線が引いてあり、向かう方向の壁にトルコの英雄「アタチュルク」がいる。(肖像画)

しかし、振り向いても「ホメイニ師」の肖像画はない。ガイドには「ある」と書いてあったので、近年とりはずされたのだろうか。

私たちは国境線を踏み越えた。ありがとう、そして、さようなら、イラン。

 

2006追記】

イランは最近国際社会で孤立しつつあり、ニュースを見るたびに胸が痛みますが、本当に高い文化レベルを持ち、人々もホスピタリティにあふれた素晴らしい国です。チャドルという習慣は外国女性にはつらいもので、変わってほしいとおもうところもたくさんあるけれど、国境をふみこえるとき、ありがとうと大きな声で叫びたいくらいでした。イランの人は日本が大好きです。日本の人も良さをもっともっとわかってくれるといいなあと思います。そしてイランの美しい文化が守られ、平和であるよう、心から願います。

 

(つづく)