イラン7(No.44)良いこともある、悪いこともある〜ケルマン・バム

【久々の没有day1025日(晴れ)

ホテルアリアのベッドの硬さは非常に快適で、ぐーぐー寝る。トイレに大ゴキブリがいたが、あまり気にしないようにしようと自分に言い聞かせる。ゆっくりしすぎて、バスターミナルには910分着。マサトがいろいろなバス会社をあたり、「10時に出発する」というバス会社(No.2)でケルマン行きの切符を買ってくれた。しかし、10時近くなっても、お客の呼び込みをする気配がない。近くに座っていた人が、心配して「聞いてきてあげよう」といって、バス会社に出発について問い合わせてくれたが、「11時出発だ」とのこと。あきらめて待つ。

マサトも「買ったときも11時になると言っていた人もいたしな。」といって、自分を納得させているようだ。先ほど、バス会社に出発時刻を私たちに代わって問い合わせてくれた人は、奥さんを連れているのだが、私たち夫婦に子どもがいないのを知って、「アラーに祈れ。日本にはコーランがないのか?」などという。欲しくても子どもに恵まれないというよりも、今は子どもを持てる環境にないから、子どもを持っていないだけなのだが・・・。

この国では「夫婦なのに子どもがいない」というのは、とてつもなく不自然で、問題があることのようだ。(映画の題材になるくらいだし、子どもができないカップルは別れて再婚するし・・・)

11時近くなり、バスに案内されるが、それはテヘラン行き。しばらくしてケルマン行きが来るが、別会社のもので、私たちのバスは「別のバスだ」と言われる。「別のバスだ」といったその人は、ダンディな雰囲気の初老の男性だが、若い頃海軍にいて、世界中を回っていたという。しかし、世界を見聞きして様々な場所を知っても、イランのイスファハンより美しい町は世界中で他にないという。数日後訪れる予定のイスファハンへの期待が膨らむ。この人は流暢な英語を話す。今はその「別会社のバス」の運転手だ。このひとのバスにすればよかった・・・と思う。

11時過ぎてもバスが一向に来ないので、マサトがもう一度バス会社に聞きに行った。バス会社の職員は「あと5分で来る」という。しかし、来ない。なんともいい加減だ。他の客も怒りだしている。

しばらく待って、ザヘダン行きが来る。No.4のバス会社の車両であるが、No.2のバス会社に運転手が話をしに行っている。私たちにも「このバスだ」という。行き先が違うが、怒っていた他のNo.2の客もこのバスに乗せられているので、「ケルマン経由ザヘダン行きなのだろう」と理解し、私たちも乗り込む。

このバスのクルーのほとんどが、パキスタンの国民服、シャワールカーミースを着ているのだが(パキスタンとの国境の町、ザヘダン行きだからだろうか)、サービス業に就いている人なのに、なんとなくガラが悪い。マサトが「常にもの食ってるナ。」と指摘する。確かに。こんなにのべつまくなしに食べている人たちを見るのは久しぶりだ。ゴミも外に投げ捨てているし、社内の清掃もいまいち行き届いていない。禁煙車なのにタバコをぷかぷか。イランの清潔さに慣れてきていたので、不快感が増す。

結局ケルマン着は5時をすぎてしまい、しかもバスターミナルにも、街の中心地にも寄らず、町はずれのタクシー溜まりで降ろされてしまった。タクシーの運転手は、最初1000リアルでホテルまで行くといったのに、1500リアルせびる。なんだか、今日は不愉快なことばかりだ。しかも、不愉快なことはこれだけでは終わらなかった。

今日の宿泊先、ホテルナズはガイドには45000リアルと書いてあるのに「10万リアルだ」とぼる。それならば向かいのホテルアクハヴァンに泊まったほうがよいので、そちらに行くと、「今日は団体客が来ていて、部屋がない」という。「向かいで10万リアルだと言われたんです」というと、フロントのマネジャーが「それはひどい。私が交渉してあげましょう」と言ってくれる。そして、「55000リアルですよ」とアクハヴァンのフロントさんがいうので、もう一度ナズに戻ると、フロントの男が「6万リアル払ってくれないと嫌だ!」といって、ペンやノートを投げつけ、暴れた。その祖父かなにかだと思われる老人は「6万でもダメだ。7万リアル」と脇から言ってくる。むこうが感情的に熱くなっているので、こちらは別の攻め方で行こうと、ペンをなげたフロントの人に、「お願いします(;_;)」と泣きを入れたら、「じいさんのOKがないとだめだ」と言いながらも、8時までにチェックアウトという条件付きで、やっと泊めてもらえた。マサトは、ナズとアクハヴァンをいったりきたりさせられて、本当に大変だった。

チェックイン後も今日はとことんついていない。そのあと散歩に行ったマスジェデ・ジャメは「チャドルしていない女性の入場はお断り」で、入れなかったし、レストランもチャイハネも見つからない。もちろん博物館などはもう閉まっている。「今日は一種の没有Dayだねえ。」と二人で話をして、気を紛らわす。(没有Day=中国滞在中、どこに行っても「没有!」と断られ、ついてないことばかり続いた日の事を「没有DAY」と二人で名づけた)やっと見つけた食堂には挽肉か鶏肉のカバブしかなく、2人とも野菜料理が恋しい、今日このごろである。あと魚も恋しい。(恋しさのあまり【魚の絵】が日記に描いてある)

 

【廃墟バムへ向かう】

1026日(晴れ)

昨日のケルマン滞在はバムへの通過点だ。バムを観光した後またケルマンには戻ってくる予定なので、早起きしてバスターミナルに向かう。サヴァリ(乗り合いタクシー)のつもりで車に乗ったが、一般車だったのかもしれない。バスターミナルに到着すると、残念ながら、バム行きは10時発とのこと。まだ8時半だ。すこし時間ができてしまう。荷物の番をしなくてはならないため、バスターミナルの周りを交代で散歩する。私が散歩に出ている間に、マサトはシラーズからケルマンへの途中で荷物がなくなってしまった、気の毒な日本人に会ったという。夜行バスに乗っていたそうだ。昨日私たちがバスを降りたときも、自分たちのバックが奥に入っていたので、他の人のバッグをぽんと路上に降ろして、奥にある自分たちのものを取りだしたが、夜、真っ暗な中で同じことをしたら、路上に忘れ去られることもあるのだろう。荷物が全部なくなったら、本当にとてつもなくがっくりするだろうなあと思う。私は寝袋がなくなっただけでもあんなにショックだったのだから・・・。そういうとマサトが「俺の日記帳が無くなったときもショックだったよ。」という。確かにそうだよね・・・。と二人で話をしていると、当の本人が、日本語ぺらぺらのパキスタン人と共に、もう一度現れた。同じ日本人ということで、マサトがもしペルシャ語堪能だったら、その彼と荷物についての交渉をマサトに託したかったようだが、残念ながら私たちは何のお役にも立てない。彼の沈鬱な空気が我々にも伝わり、私も重苦しい気持ちになる。しかし、沈鬱な雰囲気を漂わせているものの、しゃべるのはパキスタン人ばかりで、本人はプカプカとタバコをふかすばかり。荷物が全部なくなって、気が抜けちゃったのかもしれないが、(あるいは私たちに何も期待していなかったのかもしれないが)もう少し、自分で何とかする気概がないものかしらと少し情けなく思う。

10時にバム行きに乗る。ペルシャ語ペラペラのドイツ人青年と同乗する(少しリチャード・マークスに似ている)。気さくな人で、話をしたいが「3ヶ月こっち(イラン)にいたら、英語忘れちゃったよ。」と笑う。謙遜かもしれないが、西欧の人でも、英語の苦手な人はいるんだね・・・。

私たちの前の席にはイラン人の青年(20歳代)が二人すわっているのだが、この二人始終べたべたしている。ホモセクシャルの人たちのようだ。(イランは小さいころから男女分けられてしまうため、ホモが多いという)

そうこうしているうちに、バムに到着。ドイツ人青年も私たちが目指す宿、アリ・アミール・ゲストハウスに行くとのこと。彼が地元の人にゲストハウスの場所を聞いてくれ、その人に付いていく。115000リアルと安いが快適。トイレ・バス共同なのが面倒臭いが、清潔である。

 

【美しい廃墟バム】

アルゲ・バムへ。確かに壮大な廃墟だ。そしてあまり観光ズレしていないところが更に良い。イラン人観光客らしき人もいる。塔に登ると、夕日とオアシスの街が美しい。地元の人は、廃墟の内部にあるジャミイ・モスクをまだ本当のお祈りの場として使っているようだ。地元の人は、観光客に「ハロー」と人なつこく挨拶する。そして人なつこくしても、決して物乞いをしないところが素晴らしい。ちょっと前のトルファンも挨拶通りがある、などとガイドに書かれていたが、こんな感じだったのだろうか。今のトルファンは物乞い王国だが・・・。

バムの子ども達が「Japan?」ときいてはにかむところなど、とても素朴でかわいらしい。

バムは廃墟の修復が進められていて、「つくられた廃墟」になりつつあるが、人々の素朴さに出会えただけでも、訪れて良かったと思った。

遺跡を後にして、バス券を取りに行く。途中、シュークリームを買う。お酒を飲まないせいか、「おやつ」を常に欲する体になっている。甘いものばかり食べているのに、良く歩いているせいか、食べ物のレパートリーが少ないせいか、全然太らない。マサトは着実に痩せている。

マサトのがんばりでバス券も無事に取れ、「今日は有Dayだね!!」と2人とも大喜び。夕食も宿でお願いしたので、レストランを探す苦労もない。今日は本当にストレスフリーだ。

食事の前に1階のサロンにある「情報ノート」なるものを読む。日本人の書いたものだ。しかし、有益な「情報」の類はほとんどなく、「意見」ノート、しかもこの宿や名物旅行者の悪口ばかりだ。がっくりしてため息が出る。ノートには「ここの食事はまずい」とあったが、野菜不足の我々には嬉しく、まずくはなかった。(ナン・サラダ・ヨーグルト・なすとジャガイモとトマトのシチュー、チャイ)たしかに、野菜料理なのに7000リアルという値段は少々高めだが、昔から値段は据え置きのようだし、カバブより良い。(カバブは飽きた・・・。)この宿では、洗濯は禁止である。シャワーもすぐに出なければならないし、なによりもお湯が少ない。このあたりでは水は貴重品だという。マサトはタオルを洗面所で濡らしていただけで、宿の手伝いをしている少年に「洗うな!罰金だ!」と注意された。なんとか罰金は免れたが・・・。ドイツ人(マークス君ではない、別の長髪の人)は靴を洗って怒られていた。厳しいところもあるけれども、それは仕方がないことだと思う。

 

【ケルマンに戻る】

1027日(晴れ)

昼過ぎにバムを出発。運転手は快調に飛ばし、2時間半くらいでケルマンに着いてしまった。マサトが次の目的地、シラーズ行きの夜行バスの切符をとり、荷物を預けて街へ。運良くサヴァリをひろう。なんと5人定員の車に7人も乗っている!しかしひとり500リアル。安かった。バザール近くで降ろしてもらい、中にある風呂博物館を見る。この博物館はもともと17世紀のハマム(風呂場)だったらしい。士農工商のように、イランでも職業ごとの階級があったらしく、職業毎にハマム内での場所が決められていて、当時の入浴の様子が蝋人形で示されている。もちろん男風呂。なかなか面白い場所だが、イラン人の入場料500リアルに対し、外国人5000リアルとは!なんと料金10倍だ。納得行かず。公共の場所がこうだから、ホテルがまねするんだよねー。とホテルナズのことを思い出す。しかも、楽しみにしていた「バザール内のチャイハネ」ワキルも、イラン人400リアルのチャイが外国人は2000リアル。「2000リアルもするチャイって・・・。金のポットに入って、金粉でも浮かんでいるのかねえ?でも、きっとイラン人とおなじチャイなんだよね。」と嫌味っぽくマサトに愚痴ってしまった。

先日入れなかったマスジェデ・ジャメにチャドルをして入る。モザイクが美しい。お祈りの場もギンギラギンでなく、シックで、オープンな感じだ。

バザールで名産「ナツメヤシの実」の干したものを買う。ナツメヤシの味は干し柿に似ていて、とても甘い。ナツメヤシはぜひ食べてみたかったので、とてもうれしい。滋養があり、昔は携帯食であったという。

話は変わるが、私の髪の毛がのびてきた。しかし、美容院に行けないので(そもそもイランの美容院ってどうなっているんだろう)カチューシャを買う。カチューシャをしたことで、スカーフから髪の毛が出にくくなるという二次効果もおもいがけずあった。

サンドイッチ屋に入る。具になっているのは、ソーセージとポテトの炒め物だ。久々にコショウがきいて、スパイシー。「おいしいねー。」と2人で食べる。ホットドッグ用のパンに具が山盛りで、ポロポロと具こぼしそうになっていると、隣に座っていたイラン人の青年から「Mrs.こうだ」と食べ方を指南される。バスターミナルまでの帰り道もサヴァリを拾えた。シラーズ行きは夜行なので、昨日の青年の話を思い出し、荷物がなくなりませんように・・・と祈る。

待合室でバスの出発を待っていると、ペルシャ湾岸に住むというイラン人男性がマサトに声をかけてきた。その人によると、学生(大学生)は入学後1ヶ月で休みがあり、実家に帰るらしい。今はその時期で、たしかに、スポーツバッグのような、大きい荷物を持った学生をよく見かける。そんな女子大生の集団が私たちの目の前を通ったので、その人に女性のチャドルについて質問してみた。女子大生の真っ黒なチャドルは「制服」で、小学校から高校までは男子校と女子校に別れている。大学ではコースによって共学のところもある。(後日、大学生になるまで、男性とつき合う機会がないので、大学に行くことは女子学生にとって「結婚相手を捜す場所」になっているというニュース記事を見た)女の子がチャドルをしはじめるのは、小学校入学の頃からということだ。マサトが「小さい子のズキンみたいなの(チャドル)は、制服だったんだな。」と言った。

 

 

(つづく)