315日(月)ルアンパバン 晴れ

 

【ビエンチャンへの移動日】

 6時半起床。船がないので、飛行機に乗ることにする。

 バスを取り下げたのは「危険」もさることながら、時間がかかるという問題もある。少し、先を急ぎたい。

 朝食は昨日も食べたベーカリーで取る。サンドイッチがうまい。この店にはメコン川流域情報誌がある。

 宿に戻ると、頼みもしないのに宿の御主人がトゥクトゥクを用意してくれ、しかも御主人自らの送迎サービスである(むろん有料だが)。

 ちなみにこの宿は昨日、一昨日と満室であった。人気がある。

 トゥクトゥクの道すがら、バイクや自転車で通学する学生の制服姿が多く、さわやかな気分になる。

 バイクはノーヘル、2人乗りであるところが新鮮である。車が少ないから危険とは思わない。

 

【空の旅は一瞬で終わり】

 空港には8時ちょうどに着いた。ちいさな田舎空港である。チケットは窓口で難なく入手できた。

 空港の時刻表では、

   ルアンパバン ビエンチャン

     10:40 → 11:20(木曜欠航)

     13:10 → 13:50

     16:40 → 17:20

 とあり、我々の飛行機は1040分発のはずが930分に搭乗開始のアナウンスがあり、そして940分には動きだした。

 仕事がはやい。

 飛行機は満席であり、つまり満席になったら時間前でも出るということなのだろう。

 離陸後、窓から外を見ると、上は青空、下は靄。森は深いが、道路がくねくねと続いている。

 ビエンチャンには1020分に到着した。

 飛行機を降りたところにイミグレがあり、そこでなぜかスタンプをもらった。

 

【首都ビエンチャン】

 空港を出たところで早速タクシーが声をかけてくる。はじめ「10000」とふっかけられたが、交渉の結果、12000ということで街の中心へ行くことにする。2人で2000にしたかったのだが、まあ首都だし物価高だろうと勝手に推測して納得した。

 「旅行人」の地図を見て地の利がよいことと、かの本での評価が良いことからPangkham G.H.を選び、赴く。

 フロントのオニイサンは英語がペラペラだ。

 2人部屋となると10ドル、12ドル、16ドルとあるが、安いところから見せてもらうと、

 10ドルの部屋にはエアコンが無い。扇風機はある。12ドルの部屋になるとエアコンがつく。

 が、いずれの部屋にも窓がない。シャワー・トイレは付いているが、部屋が陰気である。

 湿気の高い土地で換気が悪いのは困るし、やはり外気を吸いたい。

 そこで16ドルの部屋を見せてもらう。

 これはいわばスイートと言うべきで、まず部屋は広く、道路に面したバルコニーがあり明るい。

 見た瞬間の印象が違う。快適さには叶わない。2泊したいと言ったら115ドルにまかった。

 

【外貨は無用、外貨は有用】

 我々の財布には両替しそびれた中国元が2000元も残っている。いままでチャンスがなかったが、ビエンチャンでなんとかしたい。

 そこで今日はまず銀行を探すことにした。

 通りがかった銀行で聞いてみると、「Vientiane Commercial Bankで両替可能」ということで、タラート・サオの向かいにあるその銀行に行く。

 が、レートは悪い。

 そこで、「バザールで両替所はないだろうか」と考え、タラート・サオの中を探すが、中国元はどこも扱っていない。

 もはや選択の余地はない。

 なかなかうまくいかないものである。他国に持ち込まず、中国で処理するべきだったことは分かっていただけに残念だ。

 結局、その銀行でタイバーツに替えた。いまラオスのキップで大金を得ても、そこまで使い切らないだろうという判断だ。

 

【ビエンチャンの空は青い】

 日が高くなるとジリジリ暑くなる。

 ルアンパバンと違ってビエンチャンの空は青く、高い。陽射しも厳しい。

 そのような気候の違いもさることながら、ルアンパバンとビエンチャンでは人間の種族が少し異なっているような気がする。

 これは街を歩いている人々を見た印象だが、ルアンパバンの方が顔に丸みがあり、優しげであり、体格的にも相対的にふっくらしている。

 いっぽうのビエンチャンは、見映え、雰囲気とも、少しシャープな感じがする。

 ルアンパバンはトゥトゥクとバイクと自転車ばかりだったが、ビエンチャンの街には車が多い。タクシーも走っている。

 なんだか違う国に来た感がある。飛行機40分ではさすがに呆気なかったが、バスの山道は硬座に負けず厳しい。船もなかったので仕方ない。

 結果論だが、ボーテン−(バス)→ナムター−(トラック)→フェイサイ−(ボート)→ルアンパバン−(飛行機)→ビエンチャン、とやれば、全て乗れたのだねえ。

 いや、ボートはパクオー見物に行くときに使ったのだった。

 

【旅先で出会う日本人】

 ユウコとも話したが、日本人旅行者は一目見てすぐにそれと分かる。

 その理由は、勿論同胞であるが故の「同じニオイ」を直感的に感じるところが大きいのだろうが、概して、

 @ガニ股であること A猫背であること B胴長短足 Cとくにサンダル履きの場合、ズルズルと歩く D他国の旅行者と比較して汚らしい格好

 などが挙げられるだろう。

 とくにラオスのような暑い国では、街中でも浮くほどに小汚い格好をしている人が多いように思う。

 欧米人の旅行者は、暑い国でもむしろこざっぱりとしており、「質素」と思うことはあっても「汚い」という人はほとんどいない。

 「日本人は、頑張りすぎるんじゃないかなあ」

 とユウコが言う。つまり

 「出来るだけお金をかけないようにという、貧乏旅行を追求する頑張り」

 「出来るだけお金持ちに見られないように(つまり襲われないように)という、治安の恐怖からくる防衛への頑張り」

 の2つがあるのではないか。それがかえって、妙に目立つ、ということか・・・。

 そのいっぽうで、北京のデパートで見た学生達のように、いかにも「日本の流行を持ち込みました」という小ギレイな格好も、それはそれで目立つ。

 つまり現地の人と同じ格好をしていれば目立たないのではないか・・・。

 しかし、イランではそれがまた目立つ。「現地に馴染む」というのは意外と難しい。

 

【お金で思うこと】

今日の両替 2000元→6300バーツ(タイ通貨)

参考:1元→387キップ→3.15バーツ、1円→33キップ→0.37バーツ、1バーツ→125キップ(銀行表記)、1ドル→35バーツ

 

 お金の計算をしていて、ふと、ポーランドのクラコフで、「Meets Joe Black」を見たときのことを思い出した。

 序盤、主役ブラッド・ピットがニューヨークのカフェで朝食を取り、お金を払うシーンがある。

 ピットがズボンのポケットからおもむろに、そこで出会った女性の分も合わせ2人分の代金として、12,3ドルをカウンター越しに店長に出すのだが、

   @2人分とはいえ、アメリカの朝食は高い

   Aドル札を使っている

 この2点が大きな驚きであった。

 とくにAはユウコの指摘によるのだが、たしかにいまの我々にとって、米ドル札は「現地通貨への換金券」であって、その意味ではT/Cと大して変わらない位置づけである。

 もちろん、アメリカを舞台にした映画なのだから米ドルを使用するのは当然なのだが、あそこでナマのドル札が出てくるところは、いまの我々からすると印象的であり、興味深い。

 思い出したと言えば、中国の西双版納では観光客向けのTシャツが売られていた。これがじつに、敦煌Tシャツ、あるいは石林Tシャツと全く同じデザインである。図柄のモチーフだけが違う。すなわち、敦煌Tシャツはラクダであり、石林Tシャツはトカゲであり、そして西双版納Tシャツではトリだ。

 

【首都ビエンチャン・・・】

 夕方、外へ出る。ガイドでは「にぎやかな通り」とされる通りも、さしてにぎやかではなく、拍子抜けする。

 気を引く食堂が見つからず、通りがかったUncle Fred’s Chickenなる、一見明るいレストランに入る。

 が、チキンカレーもビーフステーキも少々マヌケな味付けである。

 このマヌケさは、大学の近くによくある学生向けの「安くて量が多いのだけが取り柄の」食堂で食べるカレー大盛りの印象に近い。

 「まあ、ファストフードだと思えばこんなもんかなあ」

 と言うと、ユウコが

 「これが彼らアメリカ人の舌に合うんじゃないの?」

 と、意外なことを言った。

 そういえば、昨日の夜に入った外人向けのプーシーレストランでも「少し薄味だなあ」と思ったのだ、ユウコがこれまで見てきたところによれば、たとえばウドンサイで我々が、

 「うまいうまい。あんまり辛くなくて良いね」

 と感激した食堂でも、横のテーブルにいた白人女性2人組は「カラーイ」と泣き顔だったそうだ。

 彼らはコショウ、カラシ、シシトウなど、苦手なのだろうか。いずれにせよ、今日の食事はハズレだった。

 チキンとあるから、ケンタッキーのようなものを無意識に期待してしまったのだろうか。いっそ中華料理にすれば良かった。

 夜、北寄りの強風が吹く。砂埃がツライ。

 ユウコは腹具合が今ひとつ良くないと言う。

 僕は日中、少しからだがだるかった。これは昨夜飲み過ぎたせいでもある。

 身体の変調は疲れが出ていることもあるが、ニワトリ君の早起きの影響もあるのでは無かろうか。