316日(火)ビエンチャン 晴れ(夕方は雲多い)

 

【暑さか、食事か、ジワジワと疲れが】

 朝からジンワリと汗をかく。これまで、朝は涼しくなるため長袖を着ていたが、これももはや不要だ。

 ところで、昨晩10時過ぎ(就寝前)雨が降った。雷もゴロゴロ鳴っていた。夜7時頃の大風はその兆候だったようだ。

 7時起床。ユウコに続き、僕も腹具合が今ひとつ悪い。病気というより疲れている感じである。暑さのせいかもしれない。

 それでも身体が動かないわけではない。今日は自転車を借りて一日散策することにしている。自転車はホテルで借りることができるのだ。

 

【自転車を借りて街を散策】

 郵便局で絵はがきを出し、食品市場の大きなタラート・クアディンへ行く。

 青空市というより、店の屋台が並んでいる。生鮮は青物が多く、珍しい野菜は少ない。

 それでもときおり、不思議なウリや、不思議な魚を見かける。うさぎもヒヨコも売られている。そういえばルアンパバンの市場ではカエルも売られていた。

 アヌサワリーへ登る。戦没者慰霊のため60年代に建てられた、通りの真ん中に立つ凱旋門チックの建物だ。

 屋上に上がれば街が一望できるというので登ってみたが、格別Good Viewというものでもない。

 街に緑が多く・・・というより、森の中に街の建物が点在するような印象だ。背の高い建物は少ない。

 ワット・タートルアンへ行く。

 タートは「仏塔」、ルアンは「王様」。16世紀にルアンパバンからビエンチャンに遷都した際に建てられた、ラオス最大の仏塔である。

 たしかに、でかい。そして金ぴかであった。

 

 町外れに向かって自転車を走らせてみる。

 住宅地は静かで、そして人々はみなノンビリとしている。犬が多い。田んぼが美しい。

 寺院をいくつか通りがかったが、どこも鋭意リノベーション中で、どんどんきれいになっている・・・というか、どんどん派手になっているようだ。

 8時過ぎに宿を出て、11時半に戻ってきた。

 暑いのだが、自転車は楽しい。はからずも良い運動になる。

 僕はもっと走り回りたいが、ユウコは茹でタコのように真っ赤な顔をして、ふうふうと汗を拭っている。

 もともと体調が悪いから無理をさせてはいけない。夕方になれば気温も下がるだろうから、そのときにまた出よう。

 ・・・と、その前に、今日は博物館に行くのだった。こちらは午後2時からだ。

 

 午後の自転車ツアーは午後2時〜5時。

 まずお昼を食べにブラブラと走り、近所にうどん屋を見つけた。入口脇の日陰にこの店の娘らしい女の子が座っている。

 昼のピークを過ぎ、開いているのか閉まっているのか分からない。

 食堂にしては珍しく英語も通じず、手振りで「うどん、食べられる?」と尋ね、やっと中に入れてもらう。

 女主人のオバチャンは英語ができたが、メニューはラオ語のみで、まだ10代であろう3人のカワイイ娘達はサッパリしゃべれない。

 ラオスに入って、この戸惑いは初めてだったが、ぎゃくに新鮮である。

 

 ホーパケオ博物館へ行く。大統領宮廷の隣にある、立派な寺院だ。

 もとは王室専用寺院として1563年に建造されたという。

 堂内は大仏をはじめ、さまざまな時代・土地の仏が陳列されている。

 つづいて隣のシーサケット博物館へ行く。こちらはビエンチャンで最も古い伽藍が残る寺院である。

 堂内に壁画がある。19世紀ぐらいのものらしい。けっこう剥げ落ちている。

 本堂をぐるりと囲むように回廊があり、そこには座仏が並んでいる。たまに立仏もある。

 

 メコン川沿いの通りにあるラーンサーンホテルのレストランでは民族舞踏が見られるらしい。

 たまたま通りがかったので今夜の席を予約し、そのまま川沿いの通りを西へ向かってサイクリングに出る。

 川の水は明らかに少なく、かなり浅い様子が遠目にわかる。

 釣りをする人がチラホラといる。

 道はとちゅうから細くなり、やがてダートになる。

 大木が多く緑が茂り、高校生ぐらいの制服を着た若者を中心に、涼んでいる人々が多い。

 川沿いには地元向けのビアガーデンがあり、といっても川辺までは100mも斜面を下らなければならないが、その斜面に床をせり出し、海の家のようなその店々にも若者が集っている。なかにはハードロックカフェ風、フォーク喫茶風の店もある。道を外れて住宅地に入ると、家の庭でもギター片手に談笑、練習している若者がいる。

 「自転車はスイスイで良いよねー」とユウコに笑いかけるが、ユウコは表情が冴えない。

 タイヤの空気が少なく、がたがたと振動がして、足も重いのだと言う。これはちっとも気がつかず、申し訳なかった。

 

【レストランの民族舞踏に感激する】

 レストランの民族舞踏は19時から始まるというの10分ほど前に店に入ると、ほぼ満席であった。

 我々は舞台に向かって左手の一番前のテーブルに案内された。斜めに見ることになるが、全体がよく見える。

 はじめ、前座の楽団による演奏がある。

 まずはチェンバロのような楽器と木琴、続いて胡弓、小鐘、拍子木、など。

 つまり開始当初は2人で演奏していたのだが、メンバーが三々五々集まり、やがて舞台後方の壁に沿って横一列に並ぶ格好になる。

 

 舞台左から、

  男性(太鼓)、

  男性(チェンバロ)、

  女性(歌、拍子木、ギロのような楽器)、

  女性(歌、手のひらに収まるほどの風鈴型の小鐘:2つ合わせてシンバルのようにたたく)、

  男性(木琴)、

  男性(笙、胡弓)、

  男性(胡弓、ギター型楽器、ガムランのような鉄琴、笛)

 の8人。

 

 夜8時頃、左側の女性がラオ語で挨拶、木琴のオジサンが英語に訳す。

 マイクを使っているのだが、声が小さいことに加え、店内は賑やかで、話はほとんど聞こえない。

 

 そして踊りが舞台右手から登場する。

 僕は当初、景洪の観光向けタイ族もどきレストラン舞踏の一件もあったことから、期待半分冷やかし半分の心持ちで見ていたのだが、

 「踊りの2人娘が出てきた瞬間、マサトの目つきが変わったよ! 身を乗り出したよね」

 と、あとでユウコに指摘されるぐらい、ググっと心を掴まれた。ここは中国ではなかった!

 

 出てくる瞬間から違うのだ。はじめ、素敵な民族衣装を纏った2人の美女による、たぶんラオ族の歓迎の踊りが始まる。

 多分に王宮的な雰囲気を感じさせる、優雅で洗練された動きである。

 ピンクの衣装は右肩を出した、ちょっと艶めかしい感じ。指先までの細やかな演技は何とも言えず、美しい。

 1曲挟んで、今後は男女2人ずつの、山菜採りをモチーフにしたような踊り。衣装も替わっている。

 2曲挟んで、今度はタケノコ採りをモチーフにした青春のときめきといった感じの踊り。

 1曲挟んで、女3人によるJoyful Dance3人とも衣装が全く異なっており、恐らく違う種族が一堂に集まって、というイメージなのではないかと思う。

 踊り子は全部で男2人女3人だが、みな若い。

 女の子3人はいずれもカワイイ。男の子2人も舞踊にしては珍しくかわいらしい。

 こういうとき、もっとキリッとした凛々しいのが出てくることが多いが、彼らは終始ニコニコ笑顔である。

 

 踊りはこれでおしまいで、続いては笙の演奏者をフィーチャーし、あとは適当にBGMを奏でるようになった。

 とちゅうの歌の中には「上を向いて歩こう」「炭坑節」「アリラン」が出てきたが、これは団体客対応なのだと思う。

 JICAの団体が来ていたほか、我々の隣の席にはハングル語を喋る年輩の方々が座っていた。

 

 食事はセットメニューだがこれがまた素晴らしく(詳細はユウコ日記参照)、15ドルとは思えぬ豪華なものだ。

 すっかりおなか一杯になった。

 「あー、楽しかった。ラオス、ありがとう」。

 店を出たのは945分であった。

 

【ラオスでリゾート、魅惑のラオス】

 感動を胸に、すっかり良い気分で宿に帰ったところで、ユウコが言った。

 「この1週間、ラオスの生活はリゾートだねー」。

 この言葉で初めて気がついた。要するに、そのギャップなのだ。

 来る前は、

 「ラオスこそ、この旅でもっともハードかつプリミティブ、精神的にも肉体的にも困難を極めるに違いない」

 と、覚悟を決めてやってきたのだ。

 しかし、来てみるとそれは大きな勘違いであり、事実は旅行者にとって良い方向に逆転していた。

 だから、そのギャップに自分が戸惑っているのではないか。ひとつのカルチャーショックである。

 

 ヨーロッパで冬を過ごしていた頃、「旅行人」の「雲南〜ラオス〜タイルート」の見開きページを広げては、何度ため息をついたことだろう。

 そのたびに頭の中でルートをイメージし、気が重くなっていたものだ。

 暑さへの不安、病気への不安、衛生への不安。治安は、宿泊は、食事は、移動は、山賊は・・・。

 その不安のほとんどは、いまや取り越し苦労に終わっている。

 もちろん、ラオスの旅はまだ終わっていない。しかし、今ひとつピンと来ないのも事実だ。

 その理由のひとつには、田舎チック丸出しの雰囲気に不相応なくらいに旅行しやすいことが挙げられるだろう。

 人々はまったく観光ズレしていない。これはトルコや中国などと大きく異なり、素晴らしいことだ。

 しかし、宿や食堂はツーリストのためにバッチリ整備されており、英語も通じるし、サービスも良く、何の不安も不満もない。

 このバランス(というよりアンバランス)は、奇妙なほどに旅行が楽チンな国とでも表現するべきか。

 我ながら、なんとも勝手な、そして贅沢な言いようであることは知っている。だが、そうとうに気合いを入れて覚悟を決めてやって来たのに、旅はいともあっさりと実現してしまって、拍子抜けした部分もある。

 昨日は飛行機を使ったが、あれはもともと「船がなければ飛行機」と決めてあったから悔やむわけではないが、

 「そんなに怖がらずにバスに乗っても良かったかなあ」とも思う。

 「山賊が出没するといっても、年に1回、出るかどうか。けっきょくは地震や交通事故に遭うようなものですからね。

  それを心配して道を避けるのなら、究極は旅をしない方が良いということになるのではないですか?」

 と、旅の途中で誰かが言っていたことを思い出す。

 

 もう少しラオスを見てみたいという意味では、南部の方、たとえばパクセーなどにも行ってみたいなーとも思うが、これは時間的に厳しい。

 それに「行ってみたい」半面、精神的にも、これ以上の旅の追加をしたいとは思わない。

 パクセーにも行きたいけど、フェイサイからルアンパバンへの船にも乗りたかったけど、後悔とは違う、何かよく分からない感情がある。

 勝手なもので、来る前はとても不安だったのに、少し見ると、もっとよく見たくなる。

 まあ、何でもそういうものなのかもしれないが。結論としては、ラオスには宿題が多いと言うことだ。

 

 手放しで「良い国だ」と言える国もそうそうないと思うが、今のところ、ラオスは僕にとってはそういう国だ。

  治安は良い。

   人は明るく優しい。

    物価は安い。

     メシはうまい。

      見どころは多い。

       宿もリーズナブルで安心だ。

        そして、スレていない。

 完璧ではないか?

 夏(雨期)には土砂崩れ、病気などの危険もあるのかもしれないけれど・・・。