番外編(No.108)日本へ帰っていろいろ思うこと
【もっと記録しておけばよかったこと】
出会った人、食べたもの、乗った乗り物
会った人は全員、写真を撮っておけばよかった。
食べたものは毎食、写真を撮っておけばよかった。
乗った乗り物ももっと撮っておけばよかった。
これらはもう一度その場所を訪れても
なかなか同じ経験ができないこと。
【もっと記録しなくてもよかったこと】
遺跡、有名な観光地の写真。
いまやインターネットでなんでも検索できる時代。
これらはどこでも簡単に手に入るもの。
【いつでも行ける?いや、行けない】
旅になれてきた頃から、旅の途中で金銭的、時間的にあきらめなければいけない場所、催し物などがあったとき、
「いいや、また来るから」と、いつも思っていた。
「次回の課題としよう」マサトもいつも言っていた。
けれど、帰国して10年、私は日本から一歩も出ていない。
人生ってそんなもんだ。しかし、後日行けないとわかっていても、
この旅のスタイル、行った場所はそのときの私たちのベストだっただろう。
これ以上は望んでもできなかっただろう。
旅の途中で安全な食物を提供してくれた、食堂の人たち。
安全な運転をしてくれた、バス、列車、タクシーの運転手さん。
宿を提供してくれた宿屋の方々。
心から感謝している。
多少スリに遭いそうになったりしたけれど、
命にかかわる場面には幸い遭遇しなかった。
旅で出会った多くの人たちが、私たちを良心で迎えてくれたからだ。
どんな国でもいい人もいれば、悪い人もいる。
でも、その多くは善良な人たちだ。
それを私たちは8ヶ月の旅で目の当たりにした。
様々な国々で、それぞれの場所で一生懸命生きている人たち。
私たちも、日本で一生懸命生きているに違いないのだけど、
日々の生活ではそれをすっかり忘れてしまっている。
日本人だ、なんて、そうたいして毎日意識するものでもない。
あえて言うなら、スポーツで日本と外国が対戦していたら、
日本を応援してしまうくらいだろうか。
しかし、旅に出たことで、いやというほど、
毎日自分は日本人なのだと意識したし、周りからもそうさせられた。
その間だけ、まるで自分が日本の代表のような気分になった、8ヶ月間。
日本がどんなに恵まれた国か、良い国か、愛すべき国か、
いろいろな国を見たことで、あらためてわかった。
そして、それぞれの国の人も、同じように自分の生まれた土地を愛し、
そこで生活していくのに真剣なのだ。
いろいろな国を、人を見た、この経験をいつか生かせるように。
いや、でも、焦って生かさなくてもよいのかもしれない。
自分の中でだけあたためていても、いいのかもしれない。
どこかのだれかに、その経験を何らかの形で伝えられるなら。
【でもいつかまた】
旅から帰って10年、私は日々の生活に追われている。
すぐにまた、長旅に出られる状況にはならないだろう。
しかし、20年後、私たちが自分たちの仕事をリタイアしたとき、
また旅に出たいと思うだろうか。
青春の追憶ではなく、新しい旅に出られるだろうか。
もしかしたら、マサトとなら出られるかもしれない。
この旅の間、考え方の違いが目の当たりに出て喧嘩をし、
8ヶ月共に過ごした最終日でも、8ヶ月前と同じような喧嘩をしたりした。
その進歩のなさに愕然としたけれど、それが人間なのかもしれない。
私と彼は、それぞれ違う人間で、完璧ではないのだから。
でも、私は旅を放棄しなかったし、マサトも一緒に居ようとした。
一人旅よりも、喜びも悲しみも分かち合う二人旅のほうが、
旅の思い出をより鮮やかなものにしてくれるからだ。
感情を分かち合うこと、これは人間にしかできないことだ。
旅に出るだけでなく、音楽を楽しんだり、映画を楽しんだりすることも、
感情を分かち合うことの一つだといえるだろう。
だからまた、いつの日か、再びそのときが来たら、
私たちは新たな旅へ出るだろう。
喜びも悲しみも分かち合える二人旅へ。
(終)