1月14日(木)コシツェ 曇り(道中では快晴 クラクフでは晴れ。ただし雲多い)
【スロヴァキア、コシツェから、ポーランド、クラクフへ】
移動日。
4時起床。5時20分出発。トラムの2番に乗って鉄道駅へ向かう。まだ真っ暗だがバス停には待ち人が多く、街の朝は早い。鉄道駅もお客さんが少なくない。機内食としてチョコ、アメ、ガムなど買い、コルナを全て使い切って(!)列車に乗り込む。
ちなみにコシツェからクラクフへは1本の特急(ハンガリーからやって来る。コシツェは1時15分発)と、2本の急行がある(6時6分と14時10分)。
8人コンパートメントは2人占めだ。ユウコはぐうぐう寝てしまって、僕がコンパートメントを出入りしても全く気がつかない。
列車は淡々と走っている。客は少なく、7時半に到着した国境のPlavecまでにほとんど降りてしまった。
しばしの停車。
ここがスロヴァキア側の国境の街となるはずだが、「パスポートコントロール」と入ってきたのはポーランドの入国管理官である。
逆ですよー。
8時になって列車が動く。
反対方向に走りだしたところで、スロヴァキア側の出国管理官が来た。
8時15分、MOSZYNAに到着。
いつのまにかポーランドに入境している。
その後は農村地帯を軽快に走り、12時27分、クラクフに到着した。
【ポーランドへの第一歩、クラクフの印象は、しかし、どうも・・・】
駅は屋根付き、地下通路は明るく清潔だ。が、カフェの人々はどうも暗い。
それは気にせず、駅前の両替所でまずは少額のポーラント貨幣ズウォティを手に入れる。
そして旅行案内所へと出向く。安いホテルか、プライベートルームを紹介してもらうのが目的だが、窓口のオバサンは愛想が悪い。
英語が通じるのが救いだが、オバサンはホテルの料金表を無造作に出して机上に置くのみで、なんの説明もしてくれない。
「オススメとか、このホテルは街のどの辺にあるのかとか、教えてくれないのかなあ」
と思うが、その前にホテルの料金は、ロンプラでは「安宿」と書かれているところでも、みな一様に高く、1泊30ドルを超える。
そこで、「プライベートルームの紹介はないのですか?」と聞くと、
「それは隣のWawel Tourだ」と、素っ気ない。
それでWawel Tourでプライベートルームの斡旋を受けることにした。旧市街の近くで、1泊2人で85Zt(≒24ドル)と、ホテルよりは良い。
それはともかく、ここの窓口オバチャンはなんだかくたびれている。
「料金は前払いで」というので、ユウコを残してBankomatへ走り、カードで金をおろす。
紹介されたアパートは歩いて10分ほど、かんたんに分かる場所にあった。5階建てである。部屋番号からすると目指すところは4階のようだが、アパートの部屋番号の並びがよく分からず、行ったり来たり。
なんとか見つかり、ブザーを鳴らすと初老のオカーサンが顔を出す。奥には20過ぎ(?)の娘が立っている。話はWawel Tourから通っているはずなのだが、なんとなく客慣れていないような、それともこの2人もどこかくたびれているような・・・。
部屋は良い(8畳ほどの、やや細長い部屋)。玄関のドアを開けるとまっすぐ廊下が6,7m伸び、左右に部屋がある。廊下の突き当たりのドアを開けるとキッチンがある。突き当たりの左にもう一つ部屋があって、ここが我々の空間。部屋の向かいにはトイレと、広いシャワールームがある。
我々が使うのを許されているのは、あてがわれた部屋とシャワー、トイレである。
「キッチンを使わせてくれるかな」とユウコが言う。「
「聞いてみれば?」と僕は答えるが、「『自由に使ってね!』ぐらい言ってくれればやりやすいけど・・・」と逡巡している。
気持ちはなんとなく分かる。よそよそしいというか、警戒されているというか、慣れていないのか・・・。
それはともかく、さっそく旧市街へ散歩に出かける。クラクフではセーターが暑いくらいだ!
食事に入ったChlopskie Jadlo(Peasant’s Dish 小作人料理)のロールキャベツはやたらでかく、しかも1人前で2つも出た!
すっかり満腹になった。
街へ買い物。ウォッカは高い。ズブロッカは地元産のはずなのに1本4ドル以上もする。ほかは概ね15〜20Zt(4〜5ドル)といったところ。WisniakはCherry Wodkaと書いてあるので買ってみたが、やたらと甘いリキュールで、これはソーダなどで割るべき飲物だ。
クラクフの人々は全般にくたびれている。骨張った輪郭、こけた頬、高い鼻、くぼんだ目、目と鼻の間にできたクマのせいか・・・「暗い」という印象だ。レストランのオニーサンは陽気でホッとした。散歩の途上で、若い男に、少し離れたところからなにか言われた上に、「ハイルヒトラー」をやられた。