116日(土)【その2】 クラクフ 晴れ(雲多い)

 

【鉄道の駅で遭遇する集団スリ】

 この日の朝、アウシュビッツへ行こうと列車に乗り込むとき、集団スリに遭遇した。

 

 我々が乗る列車はクラクフが始発で、我々がホームに着いたときにはまだ入線していなかった。

列車を待つお客さんがちらほらといたが、このとき、すでに目をつけられていたのかもしれない。

 

やがて列車が入って来る。乗降口に人が集まる。我々の周囲には10人ほどのお客さんがいた。

このとき、34人の男どもに囲まれていたことを、僕は気がつかなかった。

 

我々は乗り口に向かって左側にいた。僕の目の前にいる太ったオジサンが、我々と反対側、つまり乗り口に向かって右側の人々を「お先にどうぞ」とばかり招き入れる。

「へぇー、ポーランド人は親切だな」と思う半面、僕らも早く乗りたい。しかし、オジサンを追い抜くことはできない。

 

やがて向こう側の人々が乗り終わり、「やれやれ」と思って、そのオジサンに続いて僕らも乗り込む。

デッキに上がり、コンパートメントへの通路の入り口の扉を開けたところで、その太っちょオジサンが、我々の前でなにやらモタモタしている。

変だなと思っていると、ズボンの右ポケットを触る手がある。

 

「?」

 

振り返ると、うしろには小柄のオジサンがいる。

「扉のドアノブをつかみ損ねたか?」。

前の太っちょオジサン、振り向いて僕と向き直り、なにやらゴニョゴニョとしゃべっている。

僕のうしろを指さし「逆だ」とか言っているようにも見える。

 

「オジサン、列車を間違えたんだろうか」

と、僕は通路の脇に寄ってオジサンを行かせようとするが、オジサンは僕とお腹で押し合いながら進もうとしない。

「狭くて通れん」といったふうな苦笑いをするばかりである。

 

「狭くて通れない」のは背中のザックのせいかもしれぬと、僕はザックを腹に抱えて、

「ならば俺を先に行かせてくれ」と、彼の脇を無理やり行こうとするが、

今度はオジサン、通せんぼをするかのごとく僕の前に立ちはだかり、ふたたび「狭くて通れんよ」という苦笑いを見せ、首を横に振る。

 

そしてふたたび右ポケットを探る感触。

「?」

つづいて左ポケットにも似たような感触。

「!」

 

まさかと思いつつ、ハエを追い払うかの如くにポケットの周りを手で払う。

「うしろの輩は俺を狙っているのか?」

 

逃れるためには前の太っちょオジサンをどうにかしないといけない。しかし、オジサンはデカイ腹を僕に押しつけ、前に進むことができない。

 

だめだこりゃ。

 

僕は振り返って、触手を伸ばす小柄なオヤジを押しのけようとする。

と、さきほどからそのうしろ、つまり今は僕の前方に立つ、背の高い細身のオヤジが僕に声をかけてきた。

「×××?」

 

ロシア語に少し似たその語感はポーランド語であったに違いないが、直感的に「君はJADENIAGORAに行くのか?」と聞いているものと分かった。

JADENIAGORAはこの列車の終点である。僕はハタと立ち直り、

「いや、僕はオシフィエンチムに・・・」

と真面目に答えようとしたとき、デッキの向こう、背の高い細身のオヤジの肩越しに、キョトンと立っているユウコと目が合った。

 

「なぜユウコがあんなに離れたところで突っ立っているんだろう・・・」

と思った瞬間、すべてを理解した。

 

「彼らはみんな、グルなんだ! 俺は、集団スリに囲まれている!」

 

オヤジに声をかけられ、ふと油断した隙にも、前から後ろから、僕のズボンのポケットをめがけて、まとわりつくように手が伸びる。

太っちょオジサンの腹に押されつつ、ポケットを狙う目の前のオヤジの手を押しのけながら、僕はユウコを見て怒鳴った。

 

「だめだ! こいつら・・・」

 

“集団スリだ!”という言葉が出る前に、目の前のオヤジの手が僕のズボンのポケットに再び伸びる。

 

「くそ、降りよう!!」

 

デッキに立つ背の高い男が僕を指さし、再び「×××?」と質問をしてくる。

彼を無視して彼を行き過ぎ、列車を降りる。

 

僕は興奮していたが、恐怖もあったのだろう。振り返ることなく別の車両へと歩いた。

彼らは追って来ない。列車がすいていたのが幸いであった。

 ひとつ先の車両に乗り込み、空いていたコンパートメントに座る。自分でも気が立っているのが分かる。

あとからついてきたユウコは、ポカンとした表情で「どうしたの?」と聞いてくる。

 

「集団スリだよ! 囲まれていたんだ! 列車に乗る前から目をつけられていたんだな!」

 

僕は声を荒げたが、しかし、待てよ・・・と考える。ユウコのキョトンとした視線を思い返していた。

 

「君は、なにもされなかったの?」

 

キョトンとするのは僕の番だった。

 

聞けば、僕に続いて彼女も乗ろうとしたとき、オヤジ共がドヤドヤと割り込んできて、彼女はうしろに追いやられてしまったらしい。

で、うしろから見ている限りでは、なにやらもめているように見えたものの、なにがなんだか分からなかったのだという。

 

 列車の集団スリについて話を聞いたことはある。しかし、僕は少年集団だとばかり思っていた。いい年したオッサン共がグルになっているとは、思いも寄らない。しかも、男にとって、男集団に囲まれるのは、じつに気分が悪い。言葉も分からぬ外人ではなおさらで、嫌悪感と恐怖感がないまぜになる。

クラクフについて以来、なんとなく違和感を覚えているポーランドだが、さすがに少しばかりイヤになった。