117日(日)クラクフ 晴れ

 

【巡礼地の「黒のマリア」】

 今日はポーランド最大の巡礼地チェンスタ・ホーヴァへ行く。

昨日の体験があるので鉄道駅には恐怖を感じるが、それは裕子には黙っておいて、クラクフを941分に発し、チェンスタ・ホーヴァには1142分着。急行だが、すべて2等の、日本と同じ4×4ボックスのオープン車両である。新しい車両で、車内は清潔、のどかな雰囲気だ。車窓には広がる大地に農村がつづく。雪はすっかりとけ、整地された農地には緑が芽生えている。小春日和だ。着いたチェンスタ・ホーヴァは田舎町と思いきや、立派な駅舎と立派な通りがあって驚く。駅舎の電光掲示板で9℃と出た(帰りには11℃になっていた)。

 

 大教会「黒のマリア」までは駅から大通りを歩いて30分。日曜日ということもあってか、参詣者は非常に多い。教会の観光案内所では英語が通じる。オバチャンから案内図を渡され説明を受けるが、最後には

「荷物には注意してね。背負っては駄目よ」と、スリがいるらしい。巡礼地とはいいながらマシュハド同様である。

12時半のセレモニーが始まったところらしく、普段は銀幕に隠されている「黒いマリア」が御開帳されているらしいのだが、なにせ人が多く、見えない。名のある神社の初詣よろしく、ご本尊までの道は長い。おまけに儀式中とあっては、異邦人の我々としては、ホイホイとは進みがたい。

みなさん、唱ったり、説教を聞いたり、ひざまずいたり、大変なことです。

 

黒いマリアのある聖堂とは別の、隣にある聖堂には大きな聖壇がある。こちらでもセレモニーをやっている。

 宝物館に行ってみると、行列ができていた。十字架、法衣、その他神具いろいろ、すべてに宝石がちりばめられており、ふむふむと眺めながらも、「宗教とはいったい・・・」と考えてしまう。

これらは、誰が作らせたのだろう。誰に作らせたのだろう。教会の権威のために、寄進のお金を贅沢に使ったのであれば、とんだ茶番だ。「いや、しかし」と思い直す。王様たちは宗教を政治に利用してきたわけだから、彼ら(王様)が金をかけたと思えば、「なるほど」と少し気が楽になる。けっきょく、権威でしかないのだと(殊にカトリックに関しては)思う。ちなみに、この教会は14世紀末のハンガリー統治時代、パウロ派による建立らしい。

 

で、「黒マリア」だが、これだけ聞くと、

「ポーランドには白マリアと黒マリアがいて、宗教戦争でもしていたのか?」

とか、

「邪悪なマリアによる異教団でもあったのか?」

とか、馬鹿馬鹿しいことを考えたりもする。

 

話はこうである。マリアの肖像そのものは、教会建立(1382)間もなくやって来た。1430年、フス派によって(たぶん、彼らとの宗教改革のごたごたの中で)、まず顔に切り傷が刻まれた。17世紀、スウェーデンの侵攻に備えるために多くの僧院が要塞化し、この教会も例外ではなかった。そして1655年、スウェーデンの包囲攻撃に耐えた数少ない教会の1つでもある。それで、1717年には「ポーランド女王」の称号も与えられたのだという。いま、有り難くも御開帳されている黒マリア(あるいは黒いマドンナ)は、複製品なのだが、切り傷はメモリアルとして当時のまま残されている。

 

 武器館も見に行く。戦いの絵が印象的である。とくにウィーンの戦い(1683年)で功を上げたヤン3世が目立つ。そしてトルコ軍からの「戦利品」が多い。ヤン3世は当時のハンガリー帝国からオスマントルコを追い払った英雄とのことである。あと、もうひとつ博物館を見た。これらはすべて無料で公開されている。

 

 

【どこへ行ってもファーストフードは気楽なもの】

教会見物を終え、帰り道すがら遅い昼食でもとろうかと歩くが、「軽食屋に入るぐらいなら」と、ケンタッキーに入った。ここなら出てくる食べ物にハズレがないし、というより、この町でケンタッキーを見たのがなんとなく物珍しかったのである。軽食のつもりで入っても、ビールもつければちょっとしたレストラン並の価格だ。とくにビールは一杯4.9Ztと割高であった。すいません。

店には親子連れが多く、しかもみんなしてもりもり注文し、もりもり食べている。

 

 帰りの列車は166分発。行きと同様、急行列車だがザコパネ行きである。けっこう混んでいる。大きなザックを抱えた若者が多い。山へ行くのか? 彼らはそれぞれ、レポートやテキストを見入っている。大学生であろうか。勉強熱心だ。「冬休み明けの試験でもあるのかなあ。それにしてもそんな時期に山に遊びに行くの?」と思っていたら、みんなクラクフで降りた。遊びに行くのではなくて、帰ってきたところなのだろう。帰省先からだろうか。そういえば明日は月曜日だ。明日から学校が始まるのかな?

 

 

 

 ポーランドは、治安が悪いワルシャワを避けつつクラクフからヴロツワフ、ポズナニ、グダンスクと見て回ろうと思っていたが、なんだか少々おっくうになってきている。「結局どこも同じなんだよねー」との思いもあるが、今後のことを考えると、ちょこまかと日を使うのは得策ではない。ということで、グダンスクまで直行することにした。そこで明日の出発のため、切符を購入する。

 

クラクフ 612分発、グダンスク 1242分着。行程621km

 

6時間半しか乗らない特急が115ドル相当と割高に思えるが、「600km超の行程を走り抜けるのだから」と思えば、こんなものか。

 

昨日からトイレを見るたびにアウシュビッツ(ビルケナウ)のトイレが思い出され、心が重くなる。明日は早起きだ。

 

僕がシャワーを浴びている間、裕子はこの家のお父さんから「プレゼント」ということで彼の岩石コレクションのひとつである水晶石を頂いた。この家の廊下にはお父さんのコレクションの展示棚があるが、彼は、あるいはその方面の専門家なのかもしれない。裕子は「お礼に」と奥入瀬の写真入りハガキにて英語の礼状を書き置くことにした。