1月18日(月)クラクフ 晴れ
【クラクフを出発】
5時起床。5時半出発。良い天気だ。今日はグダンスクまでの移動日である。
今日、部屋を空けることは昨晩に伝えてあり、いつもこの家は7時過ぎに起き出すことから、部屋に鍵を置いてこっそり出ていこうと思っていたが、娘さんが部屋から出てきた。鍵を返し、駅へと歩く。
クラクフ発グダンスク行きの特急はまさしく滑るように走る。座席は2等だが6人コンパートメントの広い座席で、立派なシートが張られている。カーテンも特急専用。この列車は「LAJKONIK号」と称するようだ。立ち席の人も多い。我々のコンパートメントは5つ埋まった。
我々の向かいに座った3人連れ(男1女2)は、クラクフを出発する前、我々のあとから入ってきたが、座るなり3人してぐうぐうと居眠りを始める始末。我々もつられて眠る。
【ワルシャワを通過】
8時48分ワルシャワ西駅着。8時50分発。
8時54分ワルシャワ中央駅着。8時57分発。
9時10分ワルシャワ東駅着。9時15分発。
ワルシャワ中央駅は地下駅のせいか、それとも我々の恐怖心のせいか、じつに陰鬱に見える。
実際、照明が暗い。ホームを徘徊する男ドモがすべて悪者に見える。
ワルシャワ中央駅でほとんどの乗客が降りてしまい、いっぽう、乗り込むお客さんは少ない。
これでワルシャワはおしまい! ・・・だと良いナ・・・。
というのは、グダンスクからヴィリニュスへ行くバスあるいは列車が無ければ、ここまで戻ってこなければならないのだ。
いやあ、恐怖恐怖。
【グダンスクに到着】
その後も列車はスイーっと走って、12時2分マルボルクに到着。
明日のお楽しみとしている立派なマルボルク城が車窓からチラリと見えた。
グダンスクには12時42分に到着した。
駅前にある旅行案内所「グダンスクツーリスト」では、ダブルで62Ztのプライベートルームを紹介され、そこに決めた。英語の情報誌もくれた。ついでにヴィリニュスまでの交通手段を聞いてみると、「バスならバスターミナルで聞いてくれ」と言われたものの、「でも、あると思うよ」と楽観的である。
グダンスク中央駅から旧市街へ向かい、中世の街並みを見物しながら東へ歩くとモトワヴァ運河に出る。運河の手前にあるアパートの並びに我らが目指す部屋がある・・・と思って、案内所でもらった地図を片手に歩いていくと、アパートから「ハーイ」と声がかかる。見上げると、50過ぎらしいオバチャンが不愛想な顔で手を振っている。運河に沿ったアパートである。部屋は広くてきれいだ。
このオバチャン、顔は不愛想だが何くれと世話焼きっぽいところが良い。
「あなたたち、ドイツ語話せる?」と聞き、部屋の使い方の説明はすべてドイツ語でしてくれるのはよいが、こういうとき、返す返す自分の学生時代が悔やまれてならない。あのとき、語学の重要性をもっと知っていたら、ドイツ語も真面目にやったに違いない。海外の経験は、ちょっとでも良いから、若いうちにするべきだと思う。思えば僕がロシア語を独学で始めたきっかけも「海外旅行」にあった。
【バルト三国への路】
落ち着いたところでさっそく散歩に出かける。
目の前の水辺は、まだ海ではないが、船もあり、ポートもあり、カモメもいて、小樽を思わせる良い雰囲気だ。
街も、教会や市庁舎(でかい!!)は赤レンガ造りで味があるし、旧市街の中心ドゥーギ広場などの街並みも美しい。建物の色合いが可愛らしく、青空に良く映え、遠目で見ると、絵画でも眺めているような気分になる。「来て良かった!」と素直に思える、良いところだ。
聖マリア教会を見学。内装は白塗りの壁が多く、文字通り白けた空間だが、聖壇、大時計、パイプオルガンが素晴らしい。
さて、今後の行程を決定するためにバスターミナルへ向かう。そこでヴィリニュス(ポーランド語ではヴィルノWilno)行きのバスがあることを確認した。20時20分発で、翌朝8時55分の到着。これでワルシャワに行く必要が無くなった!
隣接する鉄道駅で、明日のマルボルク日帰りツアーのための時刻をチェックする。早い夕食をロンプラお薦めのレストランで食べる。ここは「大衆食堂」という言葉がよく似合う。メニューは定食1つしかない。しかし、安い! そして、ムチャクチャ多い! ちなみにノン・アルコールの店だった。
【グダンスクで見たものは】
街中を散歩していると、とつぜん「ヤァ!」と声をかけられ、立ち止まる。
辺りを見回して向き直ると、正面7-8mほど先に、細身の東洋人が右手を挙げて立っている。
僕は声を失った。
「彼には以前どこかで会ったことがあるような気がする」と思った。しかし、どこでだか思い出せない。誰だったっけ?
あるいは「会った人に似ている」のか。とすれば、誰に・・・。
瞬間、僕はトルコからイランにかけて、何度も何度も会ったバーテン君を思い浮かべていた。しかし、彼ではない。彼はフランスに行ったはずだ。
次に、ウズベキスタンで会ったライターSさんを思い浮かべた。
「いや、いや」。
違う。彼はもう日本に帰っているはずだし、「今回は寒い国には行かない」と言っていた。
それより、いま目の前に立っているメガネの青年は、もっと最近に会っている。たしかに以前に会ったことがあるのである。
そして、彼とは日本語で会話した記憶がない。
そうだ、我々は英語で会話をしていた。そうだ、彼は日本人ではなかった・・・。
と、ここで気づき、ユウコと目が合った。
「あーっ!」
思わず指さす。
「ジョン君!」
僕らが彼を思い出すまで、どれほどの間があったのかは知らないが、彼は少々不安げな表情であった気がする。
そして我々が思わず声を上げた瞬間、彼は驚いた表情で首を小さく横に振り、つぶやいた。
「It’s AMASING」。
ジョン君の口癖である。
彼とはブラショフで、マリアの家で会ったのだ。僕はすっかり興奮して、おもむろに質問した。
「君は、ローマに行ったのではなかったの?」
すると彼は目をぱちくりして答えた。「まさか!」
彼は「ハンガリーで新年を迎えた後、イタリアに行く予定だ」と、ブラショフではたしかにそう話していたと思ったが、これは僕の勘違いだったらしい。しかも話を聞くと、ここまでの道筋は僕らとまったく同じだという。おどろくやらうれしいやら。
違いといえば、彼はワルシャワに寄った点である。
「僕らは『危険だ』と聞いていたから素通りしたんだけど・・・」
と言うと、彼は。
「まったくだ。ヒデェ街だよ。ある日、僕がバーガーキングで昼食をとっていたら、突然アヤシイ男が店に入ってきて、僕の近くにあったゴミ箱に手を突っ込んで、ゴミアサリを始めるんだぜ! 良くないねえ。寄らないのは正解だと思うよ。危険だよ」
と、熱っぽく語る。久々にジョン節が聞けるのが楽しい。
話はグダンスク以降の旅程に移る。
「僕らはリトアニアからロシアに向かうよ」と僕が言うと、彼は小さく、
「それは僕と違う」とつぶやき、「僕はドイツに行くつもりなんだ」と答えた。
「ここへ来る前に知り合ったアメリカ人とホテルの2人部屋をシェアしているんだ」と言う。1人30Ztとは、安宿を見つけたものだと感心する。
そして、別れる。
【寒中お見舞い】
グダンスクは北緯54〜55度に位置しているが、これは樺太の北端に相当し、カムチャツカのペトロパブロフスクよりも北だ。ハバロフスク、ウラジオストクは言うに及ばず。それでも日中の最高気温は10℃を超える。きっと東京よりも暖かいぞ。
「
寒中お見舞い申し上げます。
元旦はハンガリーで迎えましたが、幸いにも親元から送られてきたモチと日本酒のおかげで、多少は正月気分を味わうことができました。
日本では今年は珍しく「冬らしい冬」になったそうですが、如何でしょうか。くれぐれもお身体にお気をつけください。
昨年7月に会社を辞めて以来の海外生活ですが、3月に帰国の予定です。
」
【明日のための時刻表チェック】
グダンスク マルボルク
Ob(鈍行) 08:20 09:19
R(急行) 09:17 09:59
マルボルク グダンスク
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