1月19日(火)【その1】グダンスク 晴れ
【マルボルク城への一日観光】
7時に起きてもまだ暗い。さすがに北へ600kmも上がっただけのことはある。
ヨーロッパ最大、チュートン騎士団の居城、マルボルク城へ日帰り見物に出かける。
9時17分発の急行に乗り、9時59分に到着
マルボルクの駅から城までは徒歩15分。城の外観は素晴らしいが、
「ガイド付き(ただしポーランド語)」のはずなのにチケット売り場では案内もなく、看守のジイサンも掃除のオバチャンも我々には無関心で、我々はドカドカと中に入る。
ところがあっちもこっちも修復中だ。長い廊下や狭い階段を上り歩いたところで、琥珀の展示室(もともとは教会)と、大きな広間ぐらいしか見られない。陰鬱な気分で入り口まで戻ってくると、昨日のジョン君に会った。アメリカ人男性と同行している。我々がガイド無しで歩き回っていると知り、「どうしてそれができたの?」と目をパチクリさせるが、むしろこっちが聞きたい。
彼は「ガイドが付いていたほうがいろいろ見られるよ」と言うが、それでも修復中なのは間違いなくて、彼らもそう多くは見ていないらしい。
いまは11時。ここは10時開館。ロンプラによれば「全部見て回るのに2.5〜3時間はかかる」というのに、我々は1時間で見終わった。面白くないので、もうやめる。
「なんだ、やっぱりガイドが付くんじゃないか! チケット売り場のオネエチャンは何も教えてくれなかったぞ!」と思うと、たとえそれがポーランド語のガイドであったとしても、正規のサービスを全うに受けられないのは気分が悪い。
僕はすっかりポーランドが嫌いになった。
城の裏を流れる川を渡ると、逆光ながらも対岸に城を眺められる。良い景色である。
思っていたほどに時間を使わなかったので、すたこら歩いて駅まで戻り、12時17分発の急行に間に合った。この急行はベルリン行きで、車両はドイツ国鉄のものである。「2等でも、車両の格が違うなあ」と思う。グダンスクには12時59分に着いてしまった。
グダンスクへ戻り、ロンプラおすすめ、河畔のKubickで食事。おしゃれな店で、値段も少々張ったが、この国での外食は、これぐらいかかってしまうものなのかもしれない。
時間があるので、旧市庁舎の歴史博物館を冷やかす。写真撮影禁止なのが残念であった。
ビール、水などを買って、家に帰る。帰り際、銀行や両替所をのぞいてみたが、リトアニアの金には両替できない。余ったズウォティはドルに戻そう。最近レートが下がっているので、それが幸いすると良いが。
バスターミナルでヴィリニュス行きのチケットを買った。そして郵便局にも行った。日本へはハガキ1枚1.2Ztと、郵便は安い。待合室には、日本の銀行でよく見かける自動整理券があり「進んでいるなー」と思わせる。たしかに、ルーマニア、ブルガリアとは違う。博物館のトイレはスウェーデン製だったが、この国、とくにこの町は北欧が近いのだ。そして西隣はドイツだ。来て初めて気づく。「連帯」も発祥はグダンスクだし、いろんな意味で、ここが「西への玄関(窓口)」だったのかもしれない。
歴史博物館に、WWII当時のグダンスクの街並みを撮った写真がある。爆撃によって見事にやられているが、やったのはナチスではなくて、あとから来たソ連軍や、あるいはナチを掃討するための米軍の爆撃によるものらしい。とくに終戦直前はヘビーだったという。ポーランドは巻き込まれただけなのに・・・と思うが、しかし、東京大空襲で命を落とした市民も巻き込まれただけだ。
【いよいよ迫るバルトの国】
まだあと1日あるが、12月8日のブルガリア入国以来続いた東欧生活も終わりだ。明日で44日になる。オヤジに送ってもらった「歩き方」もそれなりに役に立った。イスタンブールで買ったロンプラもなかなか頑張った。そして、我々も頑張ったよ。バルトの国も楽しみだ。ロシアのビザが懸案だ。取れるかどうかより、何日かかるのかが気になる。物価は、こればかりは高いものと観念するしかない。ポーランドは高かった。しかし、列車、バスなど、高いなりの質はあった。博物館も高い。メシも高い(カフェテリアは安いが・・・)。
この国、全般に印象は良くない(関係者の皆様スイマセン)。
ヴィリニュスに着いたらすること:
@駅に荷物を預ける A両替し、Vilnius in your pocketを手に入れる
Bゲディミノツアーでロシアビザの情報を得る。
Cラトヴィア大使館へビザ申請する(10時〜)
D宿探し、あるいはリティンテルプで民宿の斡旋を受ける
Eチェックインしてから町歩きに出かける。荷物を引き取りに行く