×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

ポーランド2(No.76)人間がしてはいけないことを示す場所〜アウシュビッツ・ビルケナウ

【あまりにも残酷な場所】

116日(土)

アウシュビッツ・ビルケナウを訪れる。

クラクフからの列車に乗る際、マサトがいきなり集団スリに遭う。なにも取られず、難なし。良かった。

オシフェンチムの駅からアウシュビッツにはバスで向かう。アウシュビッツ博物館は大変きれいに整備されている。入り口では日本語のガイドブックを渡され、すぐ奥のホールで映画が上映されている。映画は11時から、英語ガイドのツアーは11時半からとのこと。最初、ガイドツアーには参加せず、自力で見学しようか・・・と思うが、展示をいくつか見て、ガイドさんに連れてきてもらい、説明があったほうがよりよく理解できるだろう、深く理解すべきだ、と考え直す。今日は日本人旅行者の姿もちらほら見られる。そのうちの2人に「コンニチハ」と挨拶したが、無視された。挨拶くらいしても、いいとおもうんだけど?

11時になり、映画が上映された。内容は主にアウシュビッツに収容されていたユダヤ人たちが、ソ連軍に解放されたときの様子を写したもの。解放されてうれしそうな人もいるが、そういった人間らしい「感情」といったものを押し殺されてしまったような人も多い。もちろん病人もたくさんいる・・・。

映画が終了し、展示を見に行く。展示を見ていると、いくつか日本でユダヤ人の強制収容について読んだ本の内容を思い出す。「元気です」という嘘の手紙、座る場所もなかったというすし詰めの列車、列車の中でトイレにも行けず、疫病が蔓延したこと、囚人の中にもランクをつけ、囚人に囚人を監視させたことなど・・・。

展示品の中では、この世の中に髪の毛でできた布というのがあるというのに驚いた。麻のような布地で、黄金色をしている。狂ってる。小さい頃「マットレスの材料には髪の毛が入っている」と母に言われて大変恐ろしい思いをしたが、現実にそのようなことがあったとは・・・。

人々から押収したトランクの山の中にはカフカの親類(娘?)のものもあり、ユダヤ人には本当に著名な人が多いのだなと驚かされる。

収容されて最初に撮る囚人である証拠写真は横、正面、帽子をかぶって斜め45度の3枚。収容者の増大に、のちには写真ではおいつかなくなり、囚人の証拠は入れ墨になったとのことだ。

この入れ墨で思い出したのだが、中央アジアの男の人が、皆、手に入れ墨をしていたことだ。生年月日が多く、単に生年月日を自分のためにいれるという流行かと思っていたが、本当にそうなのだろうか。これもまた強制労働の証なのではないかと思えてしまうが、確かめる術もない。

次に、第2収容所、ビルケナウを見た。アウシュビッツのトイレ、寝室を見たとき、シンプルながらも設備があったので、収容所生活も多少は人間らしい生活ができたのだろうかと一瞬思ってしまったが、ビルケナウを見て、その考えは覆された。

ビルケナウはアウシュビッツよりもさらにじめじめしていて、豚小屋のようだった。ビルケナウでは寝室は既に寝室ではなく、ただの「タナ」であり、1つの「たな」に10人も寝るという。トイレは既にトイレではなくただの「穴」、いや「ミゾ」であった。トイレのすぐ近くにシャワールームがあるが、シャワーをすることはほとんどなかったという。確かにシャワールームと言われても、その設備は見あたらない。ガイドさんが、第1収容所のアウシュビッツがビルケナウの人々に「リゾート」と呼ばれていたというエピソードを教えてくれた。悲しいことだが頷ける。ビルケナウの人々は、本当に丸太並の扱いだ。「ああひどい」と心から思った。

なぜ、この土地にこんな収容所が作られたのか、実はポーランドという土地は、ナチス台頭時、最もユダヤ人が多く住んでいたところなのだそうだ。350万人のユダヤ人が、戦前のポーランドにはすんでいたという。それを他に住んでいた人を連れてきたのを含めて、たった5000人に減らしてしまったのだから、ナチスはすさまじい殺戮をしたのだと、改めて感じさせられる。

ナチスの殺し方にはいろいろあって、ガス室へ入室させ、毒ガスで殺す方法、銃殺、窒息室で窒息させる、立ち牢にて餓死させるなど、そのむごさは言うも聞くも耐え難い。殺人ではないが、子供を使った人体実験で、目の色を変えるというものもあったという。どんなに苦痛を子どもたちに与えたことだろうか・・・。殺人や実験に使用された部屋の一部は残されている。ビルケナウでもガス室があった。アウシュビッツのガス室は復元されて残っているが、ここのものは、戦後そのままになっており、現在はがれきだ。しかし、脱衣所だったというところのハンガーが残っていて、そこで最後にすべての服を脱ぎ、そのハンガーに掛けた人々のことを思うと、胸が詰まる思いだ。

英語ガイドツアーに参加した人はアメリカ人2人(ユダヤ系?と東洋系)スウェーデン人2人、私たち、の計6人だったが、このスウェーデン人が車を持っていて、アウシュビッツとは少し離れたビルケナウまでガイドさんともども乗せていってくれたので、助かった。アメリカ人2人は恋人同士で見学中もアツアツだったが、私たちも新婚の部類に入るとはいえ、ここでアツアツぶりを発揮する気にはなれなかった。この2人は、入り口のゲート「労働すれば自由に」の前でほほを寄せ合って、記念撮影した。ほほえましい思いにはなれず、なんだかとても悲しくなった。ツアー終了後も、皆さんと別れ、2人だけで少し展示を見た。すぐ3時になってしまい、バスでクラクフに帰った。

ナチスのユダヤ人殺戮は悲しい出来事だが、悲しい出来事だからこそ知るべきで、見るべきだ。ここも、ヒロシマも。二度と同じ事を繰り返さないために。たとえ、人類の歴史が戦いや殺戮の繰り返しであるとしても。

ちなみにガス室で使われた毒ガス「サイクロンB」は、もとは殺虫剤だったという。殺虫剤は人間にも危ないのだ!