1214日(月)ルセ 晴れ

 

【ブルガリアを出国する】

 朝3時半起床。簡単に食事をし、荷物をまとめ、朝5時に出発。真っ暗の中を歩いて駅に向かう。

今日は意外なほどに暖かい。沿道の家では屋根の雪が解け、水が滴り落ちている。5℃ぐらいはあるだろうか?

すでにバスもトラムも動き出している。お客も乗っている。ルセの朝は早い。

 

【乗車してから出国? 出国してから乗車?】

 ルセ駅の構内は、たいそう混雑していた。

構内にある大きな発着案内板によると、この時間帯には北へ向かうブカレスト行きと、ブカレストから来たソフィア行きが行き交うらしい。

出発までまだ時間があるかと思い、しばらくの間、くたびれた待合室で時を過ごすが、列車は525分に入線しているという案内があり、ユウコとホームへ出る。ここもたいそうな人出で、お盆の上野駅や東京駅のようにごった返している。

我々が乗るべき列車は1番線なので、ホームの目の前に停まっている列車がまさしくそれなのだが、列車の中は既にお客で一杯だ。

「予約しているから、席は確保されているはずだよなあ」と楽観的に考える。

乗車口のところでパスポートチェックの係官がいるので、パスポートを見せ、すぐに乗り込もうとすると、彼は我々を制し「まずイミグレーションのコントロールを済ませろ」と言う。振り返ると、そこには警察の詰め所があり、そこで出国スタンプをもらえ、ということなのだが、ここも混雑しており、しかも中へ入りたい人、手続きを終えて出てくる人、ごっちゃになっており、並ぼうにも列はなく、取り付く島がない。

 

2人でおろおろしていると、中から警官が登場し、おもむろにパスポートを回収された。まさかと思うが、「彼が偽物だったら、我々のパスポートは盗まれたことになるよねえ」と不安になる。5分ほど気をもませ、彼は戻ってきて我々のパスポートを返してくれた。

 

【乗るべき車両がない】

ついに我々は車両に乗り込む・・・のだが、チケットでは、我々の予約した席の車両番号は「476」となっている。ここらの列車は日本と違い、列車の車両番号が1から始まっていない。それで476を探すのだが、目の前の車両は474である。左の車両は475だが、その先には車両が続いていない。474の右の車両は473、そしてその次は482である。数字が増えている。わけが分からないが、「とにかく乗ってみよう」とその車両に乗り込み、車掌に切符を見せ「476はどこだ?」と尋ねると、「となりだ」という。そこでデッキを経由して隣の車両へ行く。と、そこは寝台車両である。まさか寝台を予約しているはずはなく、そもそもここは一等車両で、予約の乗客以外は入ることは許されない。案の定、車両付きの車掌と目が合うなり怒鳴られた。

 

めげずに切符を見せ「俺の車両は・・・」と尋ねる前に「となりだとなりだ」と追い払われたが、その「となり」も一等車の寝台である。しかたがないのでいったんホームに降り、元の474車両まで戻ると、さっきに増して人が乗っており、大混雑この上ない。

「しかし我々の席は予約シートのはずなのだ」と信じて奥へ進む。デッキを渡り、隣の475へ入る。さらに人が増え、通路は人と荷物が一杯で、無理矢理奥へ入る我々に対して「そっちに行っても席はないわよ」と言われるばかり。先に車両がないから寸詰まりになっているわけだ。いよいよ動けなくなってしまった。

しかし、ここに人がいっぱいいるのはどういうわけだろう。考えてみれば、いま474475と来たのだから、この次には476があるはずなのだ。が、今はない。が、そのうちやって来るのかもしれない。いや、そうでなければおかしい。

 

「この先に列車が着くのか?」

目の前にいる細いオバチャンに対して、通じるはずもない日本語で声をかけると、うんうんとうなずいて、「チンチョンチャンチョン」と答えた。

「中国人じゃねえよ」と、ふたたび通じない日本語で無愛想に返すと、さらに「チュンチョンシェンニャン」と、エセ中国語を口にしてニヤリと笑う。

 

横にいるオジサンが僕を見て「ヨック、アイネ」と言った。トルコ語で「無い、同じだ」という意味だ。

「おなじか・・・」

あきらめかけたところで「ガッシャーン」と、車両連結の衝撃が来た。やはり、476が繋がったのだ。目指すシート番号は4445である。それいけとばかり、人波に紛れて我々も、繋がったばかりの車両に入る。我々の席は、さきほどトルコ語で話しかけてきた小柄なオジサンと同じコンパートメントにあった。列車は定刻5分遅れで発車した。

 

【ストイチコフと袖の下】

 8人コンパートメントの中で、我々を除いた6人の乗客はみな一団らしく、ブルガリアのパスポートを手にしているが、容姿はトルコでよく見た人々と似ており、じっさいトルコ語で会話をしている。そして彼らのパスポートには、ルーマニアの出入国スタンプがビッシリと押されている。

オジサン、我々と交流したそうだが言葉が通じず、分かったことは、「フドボール、ストイチコフ、ジャポン」。ブルガリアを代表するサッカー選手ストイチコフが、イタリアのリーグから日本のJリーグに移りプレイしている、日本もサッカーが盛んなんだね、ということであった。

 

 ドナウ川の鉄橋を渡り、出発から30分ほど走ったところでルーマニア側の国境ギルギュウに着いたが、ルーマニア側の入国審査は走っている間に済んでしまった。いっぽう、車内チェックの警備隊は、愛想は良いが、座席のシートをひっぺがして細部まで厳しく調べるなど、徹底している。

税関による荷物のチェックは「チェックだぞー」と来たのみで、我々の荷物はまるで調べない。コンパートメントのオバサン1人、都合が悪いのか袖の下を出す。

「あの人は、アルマトイへ行くときに一緒だったオバチャンのように『金の卵』を持っているのだろうか」とユウコに言うと、

「あの人だけじゃないよ。全員、袖の下だよ」という答えが返ってきた。

僕は、ぜんぜん気がつかなかった。

 

【ブカレストにはなにもないゾ、ブラショフに行け】

 ギルギュウは7時半に出発。車掌が来たが、乗車券のチェックも適当で、我々を除いた6人は全員無券乗車なのだが、車掌にこれまた袖の下を払っただけで終わり。

その車掌、我々に向かって英語で尋ねる。

「どこに行くんだ?」

「ブカレストまで」 ブカレストで降りるつもりはないのだが、この列車はブカレスト行きなので「まずは終点まで」というつもりで僕が答える。すると車掌は、

「ブカレストなんか、ひでえ町だ、なんにもないぞ。ツーリストはブラショフやシギショアラに行くんだよ」と笑った。

 

ブカレストの国際中央駅ともいえるノルド(北)駅には9時前に到着。降りたあとで案内板で確認したところでは、定刻は848分とのことであった。

 

【ずいぶんの垢抜けてきたブクレシュチ・ノルド】

 僕がブカレストに来るのはこれで3度目である。94年と96年に来たことがある。駅の雰囲気は、年を追う毎に良くなっているように思う。とくに今回見た印象として、発着案内の大きな電光掲示板が新設されるなど、まるで空港のようだ。プロムナードには万国旗が飾られ、すすけていた床や壁は明るくなり、イメージとして「灰色」だったのが、だいぶ「白く」なったように思う。以前は宿無しの子ども達が多くたむろしていた、暗く汚い待合室が無くなっていたのは印象的である。

96年に来たとき(2回目)にも「駅の構内の環境が改善されたなぁ」と思ったが、今回はそれ以上のものを感じる。今までの「泥臭い」印象は、相当解消されたように思う。英語の案内も増えた。駅構内を歩く警備職員が、クリスマス仕様なのか赤いサンタ風のコートを着てとんがり帽子をかぶり、白い付け髭をして応対しているのがおかしい。そのオジサンに切符売り場を教えてもらい、シナイア行きのチケットを購入した。急げば910分のブラショフ行きExpressに間に合ったのだが、我々が買ったのは915分発のシナイア行き鈍行列車(Persona)であった。

雰囲気が良くなったとは言え、この街に用はない。ブカレストの滞在時間は20分足らずであった。

 

【カルパチアの真珠、シナイア】

 各駅停車はコンパートメント形式ではなく、真ん中に通路があり、窓際に4人一組で2人ずつ向き合って座る、JRの近郊列車と同じスタイルである。乗客は若者が多いが、みなおしゃれな格好をしていることに驚かされる。そして男女を問わず、みな美形だ。とくに、ブカレスト郊外から乗り込んで隣のボックスに座った20歳前後の2人の女の子は、モデルさんのように顔が小さく、整った顔立ちをしており、ついついそちらに目が行ってしまう。魅力的なのは顔立ちだけではなく、おしゃれな帽子とコートのコーディネイトがまたいかしている。よほど「写真を撮っても良いですか」と声をかけようかと思ったが、とうとう言い出せなかった。

 

 シナイアには1156分に到着した。

 シナイアはルーマニアの避暑の別荘地としても有名な山のリゾート地で、坂の町である。

立派な駅舎を通って外に出ると目の前に上り階段があって、荷物を背負ってふうふう登り切るとそこに町があるのだが、列車を降りるなり青年に声をかけられた。ヴィラのエージェントだと言う。英語はあまり得意ではないらしい。彼の誘いに簡単に乗って、ほいほいとついていく我々は、何とも実に簡単な存在であるが、坂の町を10分ほど歩かされ、閑静な住宅地で「ここだ」と案内されたのは、プライベートルームではなく一件の家であった。つまりこれがヴィラ、別荘ということで、貸し切りになるのである。外見も少々粗末で不安があるが、中を見せてもらう。しばらく使われていなかったらしく、風呂場も台所もすすけている。造りは粗末で、115ドルと値は安いが、これは考えどころである。

 

辺りは閑静な住宅地(というより別荘地)であり、人の目が少ない。これは、家を空けているときになにかあるのではないかという不安がある。今ここで我々を案内する2人の青年のことも、完全に信用できるわけではない。彼らこそ、我々の不在時や夜中に、コソ泥に変身するかもしれないのだと思うと心配である。そして、今までプライベートルームや家族経営のペンションには泊まってきたが、家の貸し切りというのは初めてである。我々の滞在中に管理人が誰もいないというのは、慣れないこともあるので、これも不安材料だ。

 

「ちょっと、これではね、・・・」と渋っていると、彼らはあっさり「じゃあ、次に行こうか」とばかり、町のほうへ歩き出した。「戻るくらいなら、初めからそこを紹介してくれよ」と、荷物が重く感じられてきた身には辛いが、てくてくと付いていく。下り道なのが幸いである。

 

【シナイアの素敵なプライベートルーム】

今度の紹介先は、プライベートルームであった。大家さんは老夫婦で、部屋は離れになっているので、生活において接することはなく、気は楽だ。部屋のインテリアは丸太の山小屋をイメージした造りになっており、先ほどの部屋よりは雰囲気も明るく、清潔である。シャワーもトイレも部屋に付いている。大家のオバアチャンも部屋に入ってきて、「シャワールームは掃除してあげるからネ。それから、ベッドのシーツも替えなくちゃネ」と親切だ。オジイサンは我々に対してドイツ語で歓待の挨拶をしてくれた。宿代はさっきの部屋と同じく、115ドルとあっては、ここで決まりだ。

「ここで決めるよ、じゃあね」と青年を握手をし、荷物を下ろす。青年は予想通りチップをせびってきた。愛想をして振り切ろうと思っていたら、オジイサンが追い打ちをかける。「チップをあげてやれよ。1ドル有れば飯とビールが楽しめるんだから」。負けた。

 我々の部屋(というか離れの小屋)は、老夫婦の家の裏庭に位置している。老夫婦の家は通りに面しており、表側では小さな商店を営んでいた。

 

【スキーをしたい】

 さて、シナイアに来た楽しみはスキーである。

「まだ早いかな・・・でも、先週あれだけ寒かったんだから」と思い、ジイサンに「山に登れるかね」と身振りで尋ねると、

「リフト ニヒト アルバイテット」とドイツ語で答えてくれる。つまり、山のリフトが動いていない。というのである。

シナイアのスキー場へはロープウェイとリフトを乗り継いで上がるのだが、これらが動いていないらしい。しかしジイサンは言う。

「山は眺めがきれいだから、スキーでなくても一度は登ってご覧なさい。明日はきっと天気がいいから動くよ」。

 

街中のツーリストインフォメーションで確認すると、たしかに今日はロープウェイが止まっている。しかし、明日になれば山の天気が良くなるので動くだろう。スキーレンタルはホテルシナイアで118ドル、とのことであった。板と靴は借りるとして、あとは服装である。いまさらスキーウェアなど買う気も余裕もないから、上着はいつものコートで良いのだが、問題はズボンだ。僕はいつものズボンにレインコートズボンを穿けば、転んでも濡れることはない。ユウコのズボンがない。それで、今後の防寒服という位置づけも兼ねてスキーズボン探しに町の店を見て回ることにした。

しかし町のスポーツショップやデパートで見ると、ズボンだけでも1万円以上もするものばかりだ。しかもバラ売りのものは品が少なく、たいていは上下セットで売られている。2万も3万もする。

「高いね・・・」「スキーって、贅沢な遊びなんだね」

と、あらためて感ずるのだが、しかしスキーはしたいし、スキーをあきらめるにしても防寒ズボンは必要である。だけど、高い・・・ジレンマであった。おまけに、大人用は女性のSサイズでもユウコには大きく、つまり、彼女に合うサイズが無い。それで、冗談半分で「ジュニアサイズなら合うかもよ」と子供用のズボンのうち、最も大きなXLサイズを試着してみると、これがぴったりである。しかも値段もお手頃だ。大人用品に比べて生地が安っぽいが、ユウコは「これで充分」というので買うことにした。

 

【ルーマニアのワインですっかりごきげん】

 ホテルモンタナの隣にあるレストラン・ブチェギで食事をする。2人してワインをあっという間に1本開けた。今日は天気も良く、暖かいのですっかり良い気になっていたこともあるのだが、僕は開放感で一杯であった。それは、短いながらもブルガリアの滞在が問題なく終わったことが大きい。宿代が少し高く付いたが、今日はルーマニア第1日目である、ここシナイアでは、今までになく宿代が安く上がっており、しかもブルガリアのヘボ宿よりよほど快適で、人々も優しい。今後に対する期待も大きく膨らむばかりだ。天気が悪くならないことを祈る。

 

 宿以外の面では、ブルガリアよりもルーマニアのほうが物価は少し高いのではないかと思う。例えばビール。ブルガリアでは1ドル相当で500ml瓶が3本買えるが、ルーマニアでは2.5本しか買えない。そしてカメラのフィルムは、ブルガリア、ルーマニアどちらでも街中でISO400を入手することが可能だが、ブルガリアで36枚撮り13.5ドル相当だったのが、ルーマニアでは6.7ドルもする。これはトルコよりも高い。ブルガリアは意外と穴場だったかもしれない。買いだめしておけば良かった。

 ルーマニアには輸入ビールが多く、とくにトルコ産のEFESTUBORGが目立つ。スーパーマーケットには、もちろん国産ビールも並んでいる。

 

 レストランのワインが非常に美味しかったことに気をよくして、酒屋でさらに1MURUFATLARMUSKAT)を買って部屋に戻る。甘口の白ワインだが、すいすいと飲んでしまい、これまたあっという間に開けてしまった。今日は都合2本のワインを飲んだことになる。さらに良い気分になってきた。

 

我々はいま、ルーマニアにいる。それだけでゴキゲンなのだ。

我々はいま、ルーマニアにいる。ブルガリアに入ったときとは全く違う感動がある。

「ついにここまでやって来た」という感慨ではない。これまでの4ヶ月半にわたる生活とは別に、いまここにいるという事実が、僕にとってはこの上なく嬉しい。なるほど、国の情勢はいまもって不安定であり、とくに経済状態は一向に回復せず、インフレは今日も続いているかもしれない。しかし、ブカレストの駅は2年前よりもはるかに美しく、明るく、清潔になった。人々は一層おしゃれになった。デパートには輸入品が並んでいる。すごい。なんか、すごいことだ。ブルガリア人とルーマニア人は、顔立ち、性格、違う。なんとなく、ルーマニア人のほうが美男美女が多いような気がする。なんといっても顔が小さい。

 「明日はいよいよスキーだね!」とユウコはゴキゲンである。ズッコケなければよいが。